4.タンデム、そしてシングル life goes on
1.
空は高くて、青い。鳥も来ないこの世界
僕らだけが来ることができる場所、僕らが生きる場所、そして闘う場所
負けた奴は墜ちていく、地上とは違って墜ちていくことができる
地面の下には墜ちることができないが、ここならできる
高出力のエンジンを搭載した大きな羽を持つ鳥は、この空を飛ぶ。闘うために……空を飛ぶ
ふと、横を見ると熊坂機が並んで飛んでいるのが確認できた
今日は快晴で空気は澄み渡っている、下に海の青さが見えるほどだ
空に飛んでいるものは僕らの他にいないように見える。横にいる熊坂は、空気を滑るように飛んでいた
確かにいい腕だ。パイロットの腕は、普通に飛んでいる時に顕著にわかる
車と違って、舵をニュートラルにはいれない
微調整を常にしなくてはならない。姿勢がぶれるパイロットは飛行機と一体化していていないと言える
だんだんと、自分の体を動かすよりも飛行機を動かした方が楽に感じてくる
パイロットは魂になり、肉体は飛行機となる。そして墜ちる時は肉体が崩れ、魂が投げ出される
「何か見える?」熊坂の声が無線越しに聞こえた
相変わらず、やわらかい声だ。周りを見渡していたが、何も視認できない。僕らだけしか、いないと思ってしまうほど
「いや、今のところは何も」僕は答えた。横を見ていると、熊坂が親指を立てるのが見えた
僕らを遠くから見たら、一つの飛行機に目えるはずだ
それほど、綺麗な隊形をしている。機器を確認した。燃料は十分余裕で、レーダは反応なし
今回の訓練では、レーダの使用を許されていない。もともと空戦では、敵機を早く発見した方が有利になる
レーダが開発され、多少の変化があったがその本質は今も変わらない
だからこそ、レーダを使用せず2つの眼だけで敵を見つける。この空のどこかに、渡辺・犀川機がいるはずだ
空には薄い雲があるだけで、隠れる場所はない。僕は上空を中心に、熊坂は下方を中心に索敵する段取りになっていた
これは熊坂が決めてきた。上空には太陽があって、何者も寄せ付けない輝きを放っている
「10時の方向!反射光を視認。」熊坂から連絡が入った。少し気分が高揚しているような声だった
反射光とはキャノピィが太陽によって反射することで、だいたいはその反射光をもとに索敵する
敵機を見つけた瞬間、僕らは獲物を見つけた鷲になる
捕食者としての闘争心と優越感に包まれ、地上では味わえない感覚が体を走るのだ
熊坂が翼を振って、左にダイブしていった。僕も遅れて行こうとしたが、太陽の光が遮られた気がした
熊坂に続くのをやめてロールしながら周りを確かめる。何かが太陽にいる。目を凝らす……
「逆行だ。太陽の中にいるぞ」僕は叫んだ
同時に、熊坂も声を張り上げた
「一機しかいないっ」
「まずいぞ、そっちはおとりだ。僕は上に行く!」敵はかなり高度が高い
たぶん、僕らが下にいる一機を追ってから、下りてくるつもりだったのだろう
下はおとりってわけだ。僕が感づいたことに相手も気付いているはずだ
僕は一呼吸ついてから舵を引いた。スロットルを上げていく
加速
上にあるダンスステージへと登っていった
敵はこちらに機首を向け降りてきている。相手も反応はいい
「すごい機動…、くそっ」熊坂の悪態が聞こえた。無線の入力が入っているようだ
緊急事態以外は会話をしないので、切っておくものだ。声を聞こえる状態であればいい
案の上、敵とすれ違った。ダンスの始まりだ
右に旋回する。相手も右に旋回していくのが見えた。くるくると、円を描きながら旋回する
反対側に相手を見ながら、舵を操作して、機体姿勢を微調整する
こういった旋回でにらみ合う場合は、綺麗な円を描けなくなったほうが負ける
ちょっとでも、旋回半径を大きくすれば内側に食いこまれるからだ
体がシートに張り付き、だんだん息が苦しくなった。3周ほどしてから、僕から仕掛けた
スロットルをしぼり、スライドする感じで内側に食い込んだ。相手も失速、内側に来た
だが、こちらの方が速い。敵の後ろに食い込んだ。急降下、すぐに舵を降ろす
右にバンク、左、右に激しく運動。どんどん、高度が下がっていく。急に相手の軌道が変化
ロールして背面に、そして下に綺麗な宙返りをした。翼が空気を切る音が聞こえる
水平に入った。僕は必死に食らいつく。水平に戻ってから、急に右に旋回。最後の逃げのようだ
腕はいいが、逃げてばかりじゃこの勝負は変わらない。だんだんと、軌道が鈍ってきていた
空戦の場合、追いかけられる方が体力を消費する。相手はそろそろ、へたる頃だ
ミサイルロックのディスプレイを起動して、ミサイルのトリガに向かって親指をたてた
そろそろ、エンディングだ。ピーっと音を立てて、敵をミサイルロックした
親指はゆっくりと、丁寧に元の位置に戻した。その高い勝利の音を聞きながら熊坂を心配した。大丈夫だろうか……
ふと、無線に笑い声が響いた
「犀川墜ちました、帰還します。貴博、早く行かないと彼女が墜ちるぞ。相手は、渡辺大尉だからな……」
目の前の機体が、翼を振ってから下に降りていった
「熊坂、大丈夫か?答えてくれ」僕は、あたりを見回して言う
周りには、何も見えない。青い空と海しか見えない
「まだ、食いつかれているわ。限界、早くきて!」
「場所が分からない。どこにいる?」
「……小さな島、砂浜がある小さな島の近く。あっ、ちくしょう」熊坂は、悪態をついいている
周りをもう一度見渡すと、他に比べて小さい島を見つけた。左に旋回して、そこを目指す
スロットルを回して、エンジンに喝をいれる。だんだんと島が近づいてきた
その時、白い筋が急に現れた。熊坂機が白い尻尾をだして、急上昇している
後ろにもう一機。渡辺さんだ
僕も下から、ダンスに加わっていく。ミサイルロックのディスプレイを起動した
急上昇、耳が詰まった感じがする。耳が抜けた時、僕は踊っていた
2.
熊坂機は素晴らしい回避行動をとって、逃げ回っていた
渡辺機は木の葉のように、軽快な軌道で飛んでいて、こちらに気づいているはずなのに何の反応も示さない
あきらかに熊坂機は押されているのがわかる。僕はノーマークのまま渡辺機の後ろについた
左に旋回、急上昇、ロールしての上下運動、急降下、左にフルバンク、軌道はせわしく変わる
これは、先頭の熊坂機がリードしている。渡辺機がそれにちょっとスパイスをいれて軌道を微妙に変えている
僕はそれについていく。熊坂機がちょうど一息ついて舵が甘くなったとき、急に渡辺機がエンジンを吹きあげた
弱った獲物を狩ろうとしている
「行ったぞ。逃げろ!右に旋回しろ」僕は警告したが、言い終わった頃には勝負はついていた
熊坂機は翼を振った後、無言で下に降りていく。雲の上から消えていくのを見届けて、すぐに渡辺機に視線を戻す
渡辺機は平然と飛んでいて、この空の捕食者としての存在を示していた
僕は渡辺機を追いかける。左右に激しくかわる機動、微妙なスピードの変化、操縦桿とスロットルから意識を離せない
無心でついていく、余計なことを考える暇もない
だんだんと自分の呼吸の音が明確になっていき、景色は風のように流れる
渡辺さんの戦闘軌道を見るのは初めてだった
左旋回の途中に急にスピードを落としてきた
ロックオンポジションではない、追い越さないようにエアブレーキをかける
スロットルを絞る、と思ったら渡辺機はエンジンを吹きあげて反転ロールして急降下にはいる
視界から消える。僕も慌てて反転して、スロットルを上げる
ついていけない
急な加速と降下によって、頭に血が上る。この軌道だと、さっきまでの道の下を戻る
降下中に探すが見当たらない。水平に戻った時、急に何かの圧力を感じた
首を捻って後ろを見る。すぐ後ろ、上方に渡辺機がいた
ちくしょう、途中でブレーキしてストール気味にいれていたのか……追い越してしまった
すぐに、右に急旋回。離せない。急上昇。ダメだ……
機内に警告音、渡辺機からレーダーロックされた。撃墜されたときに響く敗北の音
操縦桿を握っている手の握力が無くなったと感じた
ため息とともに全てを放出した。飛行機だけが元気に鼓動していた
「帰還するぞ、ついてこい」渡辺の声が聞こえた
「了解」僕は応答した
そして、旋回する渡辺機についていった。空は変わりなく青かった
きっと僕が墜ちた証の黒煙もこの空は簡単に忘れさってしまうだろう。この世界に普遍なものはない
それを地上にいると忘れてしまう。初めて、太陽を見たときの感動を忘れてしまうように
だがここでは、それを忘れない。忘れないことこそが生きていることだ
僕らはそれを知っている。自分がかすかな存在だと知っているから