妖狐の行商人
その翌日、村は朝からどこか騒がしかった。
軒先で話す声がいつもより多く、子どもたちが走り回っている。
胸の奥に、そわそわとした気配が広がった。
「近いうち行商人が来る」
以前、柘榴がそう言っていたのを思い出す。
どうやら年に数度、人里から品を運んでくる者がいるらしい。
その行商人の名は、玻璃。
名目上は人族だが、実際には妖狐――妖霊族に属する存在だという。
妖狐は、生まれながらに変化の術を扱い、幼いころから人の姿で暮らすことができる。ただし「一日一度、あるいは眠る前に、必ず本来の耳と尾を現すこと」という掟がある。
その掟を守りながら、彼らは人の社会に溶け込んで生きているのだ。
玻璃が持ち込む品は実にさまざまだ。
食料、反物、小物、装飾品、日用品──どれも人里でしか手に入らないものばかりで、村人たちは毎回この日を心待ちにしている。
柘榴が買い出しで手に入れられなかったものを補う形で、玻璃はこの村に通うようになったという。
柘榴自身は、人の姿に化けて人里に降りることができるが、鬼族すべてがそうではない。一定の年齢と素質を持つ者だけが、人の姿を保てるのだ。
翠兄様も、人の姿を取れると言っていた。以前に、「人の姿にならないのか」と聞いたけれど「事情があって、できないのです」とだけ、静かに言った。
その声音に、それ以上聞くことはできなかった。
柘榴と玻璃は、買い出しの時に出会ったらしい。
話してみると不思議と気が合い、以来、程よい距離を保ちながらも親しくしているという。
柘榴があの調子で人と打ち解けるのだから、玻璃という人物もきっと只者ではない。
そんなことを思いながら外に出ると、村の広場にはすでに人だかりができていた。
「ここにいたのですね、琥珀」
振り向くと、翠兄様が穏やかに微笑んでいる。
朝の光を受けた髪が、翡翠の糸のようにきらめいた。
「はい。外が賑やかだったので……。今日は玻璃さんが来る日だったのですね」
「ええ。折角ですし、琥珀も何か購入されては?」
「……そうですね」
思いがけず、お返しを選ぶ機会が訪れた。
翠兄様に似合う何かを。
できれば、形に残るものがいい。
人々の間を縫い、露店の棚を覗く。
並ぶ品々はどれも洗練されていて、村の空気の中に異国の香りが混ざる。
「何かお探しですか?」
声をかけられ、顔を上げると、長い黒髪を緩く束ねた青年が立っていた。
金の瞳が、どこか愉快そうに細められている。
「贈り物を頂いたので、そのお返しの品を探しています。できれば、形に残るものをと思って」
「ほな、それはええ心がけやね。装飾品はどう? 華やかなもんも、控えめで上品なんも、よう揃えてるで」
声音は柔らかいが、言葉の端に古く、したたかな響きがある。
胡散臭い。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
並ぶ品の質を見れば、彼が優れた商人であることは一目瞭然だ。
「贈り物なんやったらなぁ……自分の“色”を贈る、ていうのはどうや」
「……自分の、色?」
「せや。あんたやったら――黒か、金やろな」
思いもよらぬ言葉に、息をのむ。
自分の色を贈る。
それは、ただの贈り物以上の意味を帯びている気がした。
「……なるほど。何かお勧めはありますか?」
「これなんかどうや」
玻璃が差し出した小さな木箱だった。
蓋を開けると、金糸で織られた鳥の細工――金糸雀を模したブローチが収められている。
その羽根の根元には、白い鈴蘭が寄り添っている。
「金糸雀は幸せの象徴。鈴蘭は純粋、純潔……“再び幸せが訪れる”ちゅう意味もある」
手のひらに乗せると、金細工が陽を受け、静かに輝いた。
──翠兄様に似合う。
兄様の穏やかさと、どこか儚げな微笑を映したような光だった。
「これ、ください」
小箱を胸に抱くと、不思議と心が軽くなった。
誰かのことを想いながら贈り物を選ぶことが、こんなにも楽しいとは知らなかった。
「兄様、お待たせしました」
「いえ。無事に見つかったようですね」
「はい。兄様に喜んでいただけると嬉しいです」
翠兄様は箱を開き、静かに目を細める。
「……ありがとうございます。とても綺麗ですね」
ブローチを撫でる指先が、ひどく優しい。
その仕草に胸が熱くなり、言葉を失った。
数日後、柘榴がやって来た。
そしてぼくと翠を一目見るなり、目を見開いた。
「……お前ら、それはどういうつもりだ?」
「何がですか?」
翠兄様がきょとんと首を傾げる。
柘榴の視線の先には――ぼくの髪を結っている翡翠色の髪紐。翠兄様の胸元に輝く金細工のブローチ。
並べば、対になる色だった。
「……お前ら、マジか。いや、翠は分かる。天然だからな。だが琥珀。お前はどっちなんだ?……いや、聞かんほうがいいな」
心底呆れた様子で、柘榴は額を押さえる。
「このブローチですか? 玻璃さんに“自分の色を贈れ”と勧められまして。さすがに黒は縁起が悪いので金にしたんです」
「……あいつ、余計なことを。こっちの胃を労れってんだよ」
「玻璃さんの助言に従っただけですから、文句は彼に言ってください」
「分かった分かった。今度、言っとく。……ったく、行きたくねぇ」
頭を掻きながら、深々とため息をつく柘榴。
ぼくと翠兄様は思わず顔を見合わせ、くすりと笑った。
その笑い声は、朝の村に溶け込み、穏やかに広がっていった。




