希釈
最初におかしいと思ったのは、呼吸だった。
苦しくはない。
息は、吸えている。
けれど、吸った感触が、残らない。
肺に空気が入ったはずなのに、次の瞬間には、何もなかったかのように消えている。
(……薄い)
身体が、軽くなっていく。
重さを失う、というより、重さを認識できなくなる。
腕を動かす。
確かに動いたはずなのに、動かしたという実感が、遅れて剥がれ落ちる。
自分の輪郭が、滲む。
視界が、二重になる。
片方は、今ここ。
もう片方は、流れの中に溶けた“平均”。
どちらが本物か、判別できない。
(……これは)
思考が、途中でほどける。
言葉にする前に、意味だけが削がれていく。
胸の奥にあった空白が、今度は周囲に広がり始めた。
失う、という感覚がない。
代わりに、等しくされる。
悲しみも、怒りも、強すぎるものから先に、静かに薄まっていく。
なのに。
ひとつだけ、削がれない。
守りたい、という衝動。
それが、逆に浮き上がってくる。
(……残るものと、消えるものがある)
理解した瞬間、希釈の圧が、わずかに強まった。
龍脈は、残存物を嫌う。
均されないものは、
再び“危険”として検出される。
意識が、遠のく。
世界が、白くなる。
だが、完全には消えない。
白の奥で、誰かの背中が、浮かんだ。
顔も、声も、思い出せない。
それでも、確信だけがある。
(……この人を、置いていけない)
その瞬間。
胸の奥で、何かが引っかかった。
流れが、滑らかさを失う。
希釈が、一瞬、止まる。
琥珀は、そこで知った。
これは、意識を奪うための力ではない。
意志を均すための力だ。
そして、均されないものがある限り、自分は完全には溶けない。
薄れながら、それでも、琥珀は“在った”。




