受け入れ
あれから、百年の歳月が過ぎた。
柘榴に連れられ、鬼の村に足を踏み入れたあの日のことを、ぼくは今でも鮮やかに覚えている。
龍人族である自分が、鬼の里で暮らすことになるなど、当時は想像すらしていなかった。
正直にいえば、歓迎されないだろうと思っていた。種族の壁は、確かに存在する。敵対しているわけではないが、互いに交わらず過ごしてきた長い時間が、目に見えない距離を作っていた。
けれど──それは、ただの杞憂だった。
村人たちは、口々にこう言った。
「柘榴様が連れてきた子なら」
「あの柘榴様が選んだのなら」
その言葉に込められた信頼と親愛の深さを、ぼくはすぐに悟った。
柘榴の人望は、想像以上だった。
どうやら彼は、時おりこうして“誰か”を拾ってくるらしい。
村の外で迷い、行き場をなくした者たちを、必要以上の言葉もなく、ただ当たり前のように連れ帰ってくる。
ぼくは翠兄様に連れて来られたけれど、その一人になるのだろう。
そしてその日から、ぼくは翠兄様の家に身を寄せることになった。
それまで、兄様はずっと一人で暮らしていたらしい。
心配した柘榴が毎日のように顔を出していた。料理を作り、世間話をし、ときには小言を言い合う。その光景は、まるで本当の兄弟のようだった。
やがて、ぼくが成龍となる頃には、柘榴の訪問も少しずつ減っていった。
家事のほとんどをぼくが引き受けるようになり、彼は遠くから見守るだけになったのだ。
不本意ながら、柘榴の家事の腕前は本当に確かだった。
けれど今では、ぼくも負けていない。
村の者たちや兄様に教わりながら、暮らすということの形を、ひとつずつ覚えていったのだ。
成龍となった今、昔の自分にはできなかったことが、少しずつできる。
居間で寝落ちている兄様を抱えて寝室へ運ぶことも、重い荷を背負っても疲れを感じなくなったことも。
力がついた、というより──守るべきものができたから、なのかもしれない。
「琥珀、どうかしましたか?」
柔らかな声に、はっとして顔を上げると。そこには朝の光を手にした兄様が立っていた。いつものように、静かな微笑を浮かべている。
「あ、兄様。おはようございます」
「おはようございます」
変わらない調子の挨拶。
その視線が、ふとぼくの髪へと向けられた。
「……髪が、随分と伸びましたね」
「え?」
「今まで気にしていませんでしたが、結わないのですか?」
「そうですね。家事や狩りの時は邪魔になるので結びますけど……」
肩までだった髪は、いまや背中の半ばまで届いている。
思い立って切ることはあるが、伸びるのが早く、いつの間にか元に戻ってしまうのだ。
「少し、待っていてください」
翠兄様はそう言って自室へ向かい、ほどなくして、小さな包みを手に戻ってきた。
「これを差し上げます。以前、柘榴様からいただいたのですが、私の髪は短くて使えないので……。せっかくの贈り物を眠らせておくのも勿体ないですしね。もし、琥珀が使ってくださるなら嬉しいです」
包みを開くと、翡翠色の髪紐が現れた。
翠兄様の瞳と同じ、澄んだ色。
「……ありがとうございます。とても綺麗です。大切に使います。今度、ぼくからも何か贈らせてください」
「気になさらなくていいですよ」
「いいえ。ぼくが気にします。贈らせてください」
「分かりました」
困ったように微笑む兄様の表情に、申し訳ないと思うが頬が緩んでしまう。
兄様はいつも“与える側”だから、お返しを受け取ることに慣れていない。
少しずつ“与えられる”ことに慣れて欲しい。
翡翠の髪紐を指に絡める。
さらりとした感触とともに、兄様の穏やかな気配が伝わってくる。
──きっと、これが“家族”というものなのかもしれない。




