何にも言わない伯爵夫人
【暴力表現あり。残酷表現あり】ヒューマンドラマ系、恋愛少なめです。作者的にはハッピーエンド。
私は、きっとどうかしている。
結婚後、不幸な環境の中でも、とても幸せそうな顔をしていたから。
「なぜお前は、いつも幸せそうなんだ?」
小さな男の子が、卑下した目で私に聞いてきたのを思い出す。
馬鹿にしたように、呆れたように、気狂いを宥めるかのように、まるであの人が、私をわがままだといなすかのように。
この子は、義理の息子。あの人と愛人の間に生まれた、この家の跡継ぎ。
あの人と瓜二つ。同じ顔、同じ言葉、同じ態度。
あの人と違うことと言えば、この離れの家に時たま来ては憂さ晴らしをして帰っていくことくらいか。
それはきっと、ずっと変わらない。
だから、決して答えない。ただ静かに微笑みながら、さあ?と、のらりくらりとはぐらかす。
「泣きもしない。つまらないババアだな」
死ねばいいのに、そう言い残して、気が済んだのか帰っていった。
私の頬はこけ、手はかさつき、髪は短くされて、けして社交界に出れないように、それでいて都合のいい働き手として、ただ生かされ続ける。
私は無言で、青い空を見つめた。
心地良い風が吹いて、緑色の木の葉がキラキラしていて、美しい花が咲いていて、
家には、屋根があって。
暖かいベッドがあって。
三食オヤツ付きで。
やりがいのある仕事もある。仕事場では御局なんて陰口を叩かれていたけれど、社交界で散々に言われていた私だけれど、実は、意外と充実した生活をおくっていたりする。
でもその事は、決して他人には言わないように。
本当に大切な思いは、物は、全て秘密にしなさい。
決して、他人に自分の幸せをひけらかしてはいけないよ。
理解されないほうが、幸せなこともあるのだと。
母から教えられた虎の巻を、私はいつも、そっと胸の中に包みこんでいた。
私のことを、母は理解してくれた。母の死後も、その事が私を支えてくれていた。
不器用で怒りん坊で夢見がち。あまり頭の良い母親ではなかったが、最後には現実と、貴族としての生き方を教えてくれた。そして、私に幸せの道を与えてくれた。
でも、最初は理解出来なかった。私も若く、愛や結婚に夢を見ていたから。
婚約時代からもう浮気をしていて、初夜に私を抱いた後に愛は別だと言う夫に対して、私はとても腹を立てていた。
彼は、夫が愛人を持つことが悪いのではなく、夫に愛を乞う私こそがわがままを言っている、と困ったように言っていた。
若かった私は、それが耐えられなかった。だから故郷の実家に一時的に里帰りをして、子爵夫人の母に盛大に愚痴をこぼした。
「彼を愛しているの!」
実家に着くなり母に抱きついて、大声で泣き叫ぶ。
そんな私に、母は優しくこう言った。
「諦めなさい」
納得など出来なかった。
私はその時、貴族女性としての恥も外聞も無く、騒ぎ立て続けた。
「諦められない!あの人にちょっかいを出すあの女は、不幸になればいいのよ!事故で死ねばいいんだわ!毒でも盛られればいいんだわ!」
すると、私を腕に抱いてしばらく見つめた後、母は静かにこう言った。
「………モニカ、勝ちなさい」
「どうやって?使用人たちも、義母も周りの貴族たちも、見向きもされない地味女って私のことを馬鹿にしているわ!社交界もあの女が代理で出るのよ、私は忙しいから断るのですって!私は断ったことなんて一度もない!」
「そうね」
「私がパーティーに行きたいと言うと、わがままを言うなと言われるのよ。どうして?!私はあの人の妻なのに!妻よりも愛人が社交をして、妻は家に閉じ込められて仕事だけ押し付けられて!」
「そうでしょうね」
「頑張っていれば、彼は私のもとに戻ってきてくれると信じていたのに!」
「それは無いでしょうね」
「悪いことをしているのは、あの人やあの平民女でしょ?!なら、きっと神様は天罰を下すと思うわ!」
「そうはならないでしょうね」
「じゃあどうすればいいの?!」
「諦めるしか無いわね」
「そんな、酷い!!」
「それが気に入らないというのなら、あなたはあの家を出て、平民になればいいわ」
「えっ………?!」
母からの突拍子もない提案に、私は一瞬涙が引っ込んだ。しかし、すぐに頭に血が上り、言い返す。
「なんで被害者の私があの家を出ていかなきゃならないのよ?!」
そんな私に、愛情深い瞳で、しかし珍しく落ち着いた声で、母はこう言った。
「旦那様の事も愛人の事もお屋敷での生活の事も気に入らないあなたは、やがて短気を起こして1人で家を出るの。
それからは、自力で、たった一人で自活するのよ。
誰も助けてくれない。王子様なんて現れない。
だから、お金も1から稼ぎなさい。カーテンも雨をしのぐ屋根さえない路肩で生活して、木陰で用を足し、時には男から性的な暴力を受けてそれでも立ち上がり仕事をなさい。そうして努力して成功すれば、誰もあなたを縛りはしないわ。まあ、成功するとは限らないけれど?身寄りのない若い娘なんて奴隷商にさらわれて、お風呂にも入れず股を広げられて汚い男達に代わる代わる突っ込まれて、暴力を受けて性病になって泥水を啜って、他人を恨みながら惨めに死んでいくだけだろうけど」
「ちょ………え?ぐ、具体的過ぎない?」
「私がそうだったから」
「え?」
「ねえ、あなたは信じるかしら?
私はね、前世の記憶があるのよ」
「ゼンゼ?って、前世?お母様、私は今、真面目な話をしているのよ」
混乱する私を他所に、母は続ける。
「それで前世ではね、あなたと同じ立場だったの。
私は親に恵まれず、7つで売られて20で死ぬまで……いえ、生まれてからずっと地獄だった。
見目が良かったから貴族に売られて都合のいい花嫁にされて。
………売られた先で、あなたと全く同じ目にあってね。最後はさっきも言った通り、私は短気を起こしてお屋敷を出て奴隷に堕ちて酷い目に遭ったのよ。
けれど………それでもね、世界は変わらない。
広い空、その空に輝く星々、明るい太陽、春の日差し、冬の匂い、
私の触れる世界は、何が起きても何も変わらないの」
「お母様、何を言っているのかわからないわ」
「そう?でもね、後悔したことも沢山あるわ。それを教えるから、きちんと覚えておきなさい。それはね………」
お母様から教わった、お母様の秘密の生き方。
『不幸であればあるほど、大事な思いを、宝物を、小さな幸せをも、他人に言ってはいけない、知られてはならない』
そうすれは、誰に汚されることもなく自分を愛し自分を大切に生きれる、それが感謝の心を生み、より幸せになれる。
「当時の私はね、それが出来なかった。だから不幸になった。全てを呪いながら苦しんで苦しんで死んだのよ。そんな人生を、あなたはおくりたいのかしら?」
そう言った母の瞳を思い出す。不器用で怒りん坊で夢見がち、あまり頭の良い母親ではなかった人。でも、最後には現実と生き方を教えてくれた人。そして、私に幸せの道を教えてくれた人。
私にだけは優しかった、母。
小さい世界でもいい、負け犬と思われてもいい、
誰に何と言われようと思われようと、関係ない。
正義が勝つとは限らない。確かに、私は何も持っていないかもしれない。でも、全てを持っているのかもしれない。
数十年後、不幸に見える私の人生は、こうして幕を閉じた。
これが、クソ喰らえな女と言われてきた、幸せな私の人生。