運命の瞬間
いつも通り授業、掃除、読書とだるいルーティーンをこなして迎えた夕食。
ソウスケには、やりすぎたと一言謝っておいた。
一応許してくれたらしく、「次やったら、俺アリスの顔に唾かけるからね」と軽く脅してきた。
もちろん、そんなことやったら原型がなくなるまでボコボコにするに決まってるが。
「ここの夕飯に出てくるビーフシチュー好きなんだよね」
「奇遇だな。私もビーフシチューは好きだ」
孤児院の料理は独特の味がするので、あまり美味しくない。
しかし、ビーフシチューだけは別だ。肉汁がたまらないい肉とまろやかなルーが最高だ。
ぶっちゃけ、これ以外は全部まずい。
「アリス。君は将来の夢とかってあるのかい?」
不意にソウスケが訊いてきた。
すぐさま、魔人をぶっ殺す!と答えようとしたが、それよりも大切なことを見つけたのでそっちに変えた。
「姉さんに会う。それが今の夢だな」
「姉さん?アリスの家族ってみんな亡くなったんじゃ…」
「全部、あのクソジジイから後で聞いた話だ。私の目で確認したわけじゃない。生きてても、死んでいてもいい。とにかく、私は姉さんにもう一度会いたい」
もしかしたら、生きているかもしれない。可能性は限りなく0に近いかもしれないが、それでも会いたい。
「見つかるといいね、アリスの姉さん」
こいつ皮肉ってんなと思いながらソウスケを見た。
が、アリスの予想に反して、相手を蔑んだ目ではなく、子供を見守るようなそんな温かい目をしていた。
何を話せばいいのかわからなくなったので、ビーフシチューを一口食べた。
不思議な味だ。でも、たまらなく美味しかった。
「ってか、私に話しかけんな」
「何を今更」
院長の言った通り、こいつと仲直りして正解だったかもしれない。
「ごちそうさま」
夕食を食べ終わって、私は西園寺を探しに行った。色々聞きたいことがあったからだ。
院長室に行ってみたが、西園寺はいなかった。
洗濯室、図書室、風呂場と探してみたがやはりいない。どこに行ったんだ。
「最後はここか」
私とある部屋の前に来ていた。
その部屋は老朽化が進んでるらしく、絶対に入ってはいけないと言われている部屋だった。
前に3回くらい入ろうとしたが、その度に先生に見つかってこっぴどく怒られた。
そのため、誰も中を見たことはない。
「ま、いいか。怒られるのうざいし」
自室へと戻っていた。流れるようにベッドに転がり込む。
「魔力…か」
どこか絵空事のように捉えていた。
アニメや小説の中だけの特別な設定。
だが、院長のアレを見せられては信じるほかない。
現に世の中には、その魔力を持った魔人がはびこっている。
「とりあえず明日になったら、ジジイが色々教えてくれるだろ」
そのためには朝早く起きなくてはならない。
まだ、ちょっと早いが眠りについた。
深夜2時。
焦げ臭い匂いがする。
起きると、部屋に煙が充満していた。瞬時に危険を察知する。
「なんだ……一体」
二段ベッドから降りて、下の段のベッドの孤児を確認した。
見た感じ息をしていない。十中八九死んでいる。
急いで部屋を飛び出した。そこに広がっていたのは……。
「嘘だろ……」
見渡す限り、あちこちに火が盛んに燃え広がっていた。
鳴り止まない悲鳴。何かが腐ったような異臭。
孤児院は地獄と化していた。
「早く外に避難なさい!早く!」
先生の岩倉が叫んでいた。
何人かの孤児が指導に従っている。
私は岩倉に駆け寄った。
「何をしているんですか!アリス!あなたも早く避難しなさい!」
「そんなことはわかってんだよ、ババア!何が起きたか話せ!」
「今はどうでもいいことです!いいから避難を……」
「黙れ、ババア!何が起きたのかくらい、とっとと話せ!」
どう考えてもこの火災は只事じゃない。
現に死人も出ている。
岩倉は早口で状況を説明した。
「……魔人です。魔人がこの孤児院を襲撃したのです」
わかったなら、避難をしなさいと岩倉が言う前に、アリスは全力で1階へと駆け降りた。
魔人、魔人、魔人、魔人、魔人!
殺すチャンスだ!
1階は2階よりも火が広がっていた。早く避難しないと逃げれなくなる。
だが、私は辺りを見回して魔人を探していた。
「きゃーーーッ!」
甲高い悲鳴が響き渡った。教室の方からだ。
教室を覗く。
「ーーーーーーっ」
四肢が分断されたいくつもの死体の中央にそいつは立っていた。
中肉中背の背丈に長髪。
人間と似ているが、その血走った眼光は人間が持っているものではなかった。
魔人だ。
「最近のガキは発育がいいからな。人間なんて食っても美味しくないが、ガキは別だ。脂肪と筋肉のバランスがちょうどいい。ーーなぁ、お前もそう思うよなぁ」
魔人はゲラゲラ笑うと、こっちをジロッと見てきた。
品定めするかのような、気持ち悪い笑みだ。
殺さなくては……!
ぶん殴ろうと拳を構えようとして、思いっきり投げ飛ばせれた。
先ほど立っていた位置に、西園寺が仁王立ちしていた。
あのジジイまさか闘う気か。
「アリス、お前はさっさと避難するのじゃ!」
「でも、私は……」
「お前みたいな未来ある奴がここで死ぬのは無駄死にじゃ。ここは後先長くない老いぼれジジイがちょうどいいわい」
「嫌だ!そいつは孤児院をめちゃくちゃにしたんだ!一発ぶん殴らないと気が済まない!」
「早よ避難せんか!ソウスケ、アリスを連れて避難せい!」
はいっ!と返事をして、ソウスケが私の手を引っ張って走り出した。
魔人がいる教室からどんどん遠ざかっていく。
「離せ、ソウスケ!私はあの魔人をぶっ殺さないと!」
「それは駄目だ。西園寺院長との約束があるし、何よりアリスは絶対に死なせない」
「死なないから、離せよ!」
力づくで引き剥がそうとしても、ソウスケの力は思ったより強かった。
改めてこいつが男だということを認識した。
孤児院の出口が見えてきた。
こうなったら、逃げるしかない。
今は逃げることに集中するんだ。
「もうすぐだよ、アリス!」
ソウスケが笑顔でそう言った途端、ものすごい爆発音と共に私とソウスケは外へ放り出された。
敷地内の地面に思いっきり叩きつけられる。
「何が……、起き……」
振り返ると孤児院がほとんど崩壊していた。
今の爆発で……。嘘だ。そんなことは。
後退りをすると、何かにぶつかって転んだ。
それは西園寺の顔だった。
ただし、首から上部分のみがそこにあった。
「あぁああああああああっつつつつつ!!!」
口からとてつもない声が出た。
西園寺の首が!
嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ!
「あのジジイ、思ったよりもしぶとかったな。まぁ、結局首チョンパで逝っちまったけどなぁ!」
魔人が狂ったように笑って近づいてくる。
手には大量の血液が付着している。
誰の血なのか考えたくもない。
「残りはお前ら2人?今なら、楽に殺してやるけど、どーする?」
逃げなければいけないのに、足が震えて動かなかった。
自分って、こんなに臆病だったのか。
動け、動け、動け!
「まずは、そっちの女の方から逝かせてやるよ!」
すごいスピードで詰め寄ってくる。
まずい、死ぬ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ!
死ぬのは嫌だ……!
「グフっ!」
目の前で大きな血飛沫が上がった。
自分よりも少し大きい体は魔人の手で貫かれていた。
その人物の顔は男のくせに整っていた。
だが、その口から血が出ている。
「……生……、き……ろ」
そいつは優しく微笑んだ。
とても安らいだような満ち溢れた笑み。
何度、その笑みを見たことか。
「ソウ……、スケ?」
貫かれた勢いで自分の体にもたれかかってくる。
血で服が汚れていく。
私は自分の真っ赤に染まった手を見た。
「あぁああああああああああああっつつつつ!!!!!!!!」
ソウスケっ!と何度呼びかけても返事はない。
何度肩を揺さぶっても目を開けない。いつものように話しかけてはこない。
アリス、と名前も呼んでこない。
「よっし、お前でラストだな。そんなに悲しまなくても、もうすぐお前も会わせてやるから」
魔人がニタニタと卑猥な笑みを浮かべてくる。
今までに感じたことがないほどの憎悪を感じていた。
唇が切れるまで食いしばり、憤怒の色がこもった眼で魔人を睨んだ。
許せない。
「殺してやる、殺してやる、殺してやる!」
「おっ、やんのか?メスガキ」
全速力で魔人に殴りかかった。
魔人は簡単に避けて、私の腹を蹴っ飛ばした。
「ガハッ!」
上手く呼吸ができない。
一酸化中毒のせいか。
それとも、今ので肋が折れたせいか。
あるいはどっちも。
だが、今は痛みを気にしている場合じゃない。
こいつを、このクズを殺さなくては。
地獄に落とさなくては。
「遅い、遅い。そんなんじゃ、攻撃なんて当たりっこないぜ。まぁ、当たったところで魔力のこもってない攻撃なんてダメージにもなんないけどな」
「はぁはぁはぁ、嘘つけ……」
「なんなら、やってみるかぁ!?」
魔人は両手を頭の後ろに組んで、無防備に立った。
そのなめっぷりに私はまた激昂した。
絶対殺す。
「死ね!」
もう一度全力で殴りにいく。しかし、魔人の体はびくともしなかった。
「これでわかっただろ?無駄だってよぉ!?」
そのまま腹をぶん殴られる。吹っ飛ばされて、孤児院の塀に頭をぶつけた。
「ゲホツォ、おえぇえっ」
吐血して、気を失いそうになる。
とっさに舌を噛んで、意識をぶり返した。
こんなところで気絶したら……、死ぬ。
「いい加減、おとなしく死ねよ。お前には何もできねぇんだからよぉ」
首をぼきぼき鳴らして魔人が近づいてくる。
張り付く、死の感覚。自分が死の淵にいることを自覚した。
「ゲホッ、魔力を込めた攻撃なら、あいつを……殺せるかもしれない」
西園寺いわく、自分には一般人よりも魔力が多いらしい。その魔力を拳に込めて殴れば可能性はある。
そのやり方を明日教えてもらえるはずだった。
しかし、やり方を教えてもらえずに西園寺は死んでいった。
「ったく、せめて教えてから死ねよ……、クソジジイ」
相手は完全に自分を舐めてかかっている。
当然だ。今の自分は魔人どころか、成人男性にだって勝てっこない。
頭をフル回転させる。おそらくもう隙は見せてくれない。
なら、どうする。こういうとき、どうする。
いっそのこと……。
「わかった。お前の言う通りだ。降参、降参」
両手を上げて、相手の顔を見た。
魔人はクックックと低く笑った。
「ようやく分かったか。嫌いじゃないぜ、悟って、覚悟を決めたやつは。安心しろ、苦しみは一瞬で済む」
案の定、魔人はゆっくり近づいてきた。
4メートル、3メートル、2メートル。
そして、1メートル。
魔人が拳を振り上げた瞬間に、相手の首元目がけて飛びかかった。
そして、魔人の喉に噛み付くとそのまま喉を噛みちぎった。
「ぐあーーっ」
相手が怯んだ隙に相手のみぞおちに全力でパンチを叩き込む。
一撃に全て賭けるつもりで。
その時、血液の流れとは別の流れが拳に集まった。
何かエネルギーのような流れ。
拳に今まで味わったことのないような力が入る。
さっきまでとは全く違った感触がした。
「っつつ!」
そのまま魔人を殴り飛ばした。
魔人は孤児院の燃えている鉄柱に激しく体をぶつけた。
「はぁはぁ、やったのか……?」
よくわからないが、これが魔力が込められた攻撃なのか?
決まらなければ、死ぬくらいの覚悟でやった。
本当にただそれだけを考えて。
私は倒れ込んだ。
酸素は足りてないし、肋骨は折れてるし、眩暈もする。
むしろ、今まで立っていたのが不思議なくらいだ。
「まだだ。早く、この場から逃げないと……」
倒れ込んだまま、前進した。
立ち上がる気力すらない。
しかし、このままだとせっかく魔人を殺しても、火災に巻き込まれてしまて死んでしまう。
「痛ってーな。危うく、マジで死んじまうところだったぜ」
低い声が聞こえてくる。
振り返らなくても、この声の主はわかる。
嘘……だろ……。
「とっさに腹に魔力を込めてなかったら、マジで危なかったな。本当にヒヤヒヤしたぜ」
足音が近づいてくる。
早く。早く逃げないと。
「さては、お前がアリス・クリアベールだな?とんでもねえ魔力だ。あのお方がお前を殺せと俺に命じた理由がわかった気がしたよ」
すぐ近くまで足音がしたと思うと、体を持ち上げられた。
強い力で首を絞めてくる。
息が……できない。
「最期に俺を追い詰めたことを、あの世で仲間に自慢しとけ!!」
終わった。
本当に終わった。
結局全て無駄だった。
何もできなかった……。
絶望した次の瞬間、急に息ができるようになった。
見ると、魔人の右腕が地面に落ちていた。
「俺の腕が!俺の腕が!」
「腕くらいで大袈裟だなぁ」
目の前には黒いフードを被った人物が立っていた。
後ろ姿なため顔は見えない。
だが、どこかで見たような背中だ。
誰だ。
「テメェ、俺の邪魔すんじゃねぇえ!」
「おっと、それはしっつれぃ♪」
「ふざけんじゃねぇぞぉお!」
魔人が左腕で殴りかかった。
フードの人物はそれも剣で斬り落とすと、そのまま目に見えぬ速さで魔人の両足も切断した。
「グァああああっつつ!!」
「やめてよー。近所迷惑でしょ」
「殺す、殺す。お前、絶対殺す」
「どうやって殺すと言うのさ。そんな石像みたいな状態で」
明らかにフードの人物は楽しんでいた。
本当になんだ、こいつは。
「お前みたいなエルフはいずれ、あのお方が殺してくれる」
「わー、楽しみだね。で、言いたいことはそれだけ?」
「お前みたいな、下劣な種ーー」
魔人が言い終わる前に、フードの人物が魔人の心臓をスパッと斬った。
美しい剣技だった。
それを見て、私の意識は途絶えた。