浸食
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鉤爪は驚いていた。
俯いているので、陸の顔は見えない。鉤爪の右手は陸の腹を突き破って、背中に突き出していた。隙をついた一撃ではあったが、仮にもアンタッチャブルと言われた土地の主である。無為に攻撃を受けるとは思わなかった。それが、まさか、こうあっさりと勝負が決まるとは思いもしなかった。
鉤爪は拍子抜けした。
と、陸が鉤爪の腕を掴んだ。陸が顔を上げた。その顔にはうすら笑いが浮かんでいた。鉤爪は陸の腹から腕を引き抜こうとしたが、陸は手を離さなかった。
「放せ!」
鉤爪は左手で陸を突き飛ばし、強引に右手を引き抜いた。
すると、陸の腹から鉤爪の右腕に絡みついて半透明の赤い筒状の束が噴き出した。
「うわっ!」
陸の体から噴き出したそれは、細長い腸のような形で、幾重にも絡み合い、ぬらぬらと光を照り返した。
内臓ではない。何か別のものだ。それらは鉤爪の腕に貼りついていた。
鉤爪は即座に管を手刀で切り落とした。それから腕に絡みついた管を毟り取って捨てた。引き剥がした後の鉤爪の腕は赤く腫れあがり、血が滲んでいた。
陸の腹の穴から垂れ下がった管の束は、にやにや笑っている陸の腹にずるずると戻っていった。
「面白い体してるじゃねえか。お前、宇宙から来た謎の生物かなんかか?」
ひりひり痛む右腕を気にしながら、鉤爪は余裕ぶった。
「つまらない冗談を言っている場合かな」
陸は鉤爪の腕を指さした。
「お前の体に胞子を植え付けた。胞子は菌に成長し、爆発的に増殖する」
赤く腫れあがった鉤爪の腕のあちこちに雫のようなアメーバが生まれ始めた。
ほんの小さなアメーバはみるみるうちに嵩を増し始めた。鉤爪は慌ててアメーバを払い落とした。
「無駄無駄」
いくら払い落としてもアメーバは次から次に生まれてきた。
嵩を増したアメーバは白く変色し、網状の菌糸に変形して広がり始めた。
「お前は菌に食われ、跡形もなく消滅する」
陸が冷ややかに言った。
「言ってろ。ここからが本番だ」
鉤爪はアメーバを払い落とすのをあきらめ、両手を広げた。
「こういうのは本体を倒せばどうにでもなるってのがお決まりだ」
鉤爪の指先が禍々しい漆黒の爪に変わっていく。
鉤爪の通り名の由来となった武器であり、鉤爪の精神が具現化したものだ。これまで数多の敵を引き裂いてきた爪である。鉤爪は自分の爪に絶対の自信を持っていた。
「なるほど」
陸は不敵に笑った。
「それがあんたの核心か」
鉤爪は大きく息をすると、体の力を抜いて、上下にとんとんと軽いステップを踏んだ。全力で攻撃を行う際の鉤爪特有の動きである。
一方、陸は両手をだらんと下げて、鉤爪の前に突っ立っていた。隙だらけで、攻撃の意志もないように見えた。
陸の無防備な様子は、鉤爪を苛立たせた。必殺の構えを見せる鉤爪を前にして、陸の目は何の感情も表していなかった。まるで自分とは遠い世界の出来事を他人事のように眺めているかのようだった。鉤爪は馬鹿にされたように感じた。
鉤爪は前かがみに低く構え、後ろ足に体重をかけた。次の瞬間、鉤爪が消えた。が、探すまでもなかった。鉤爪は陸の目の前にいた。数メートルあった二人の距離は瞬時に消えた。
鉤爪は体を大きく左に捻り、左腕に力を込めていた。鉤爪が捻りを解放した。黒光りする爪が弧を描いて陸の脇腹に食い込んだ。鉤爪は回転に合わせて一気に左腕を突き上げた。それは瞬間的に発生した竜巻のようだった。鉤爪の爪が右の脇腹から左脇まで一息に切り裂いた。陸の上半身が宙を舞った。
「ふふっ」
陸の体が弾け、管の束が鉤爪に降り注いだ。
「ふん、芸のない」
鉤爪はこれを予想していた。落ち着いて管を躱すと、陸の首を探した。首は地面に転がっていたが、顔から生えた管が首を起こそうとしているところだった。
本体を潰さなければこのヴァンパイアは死なない。普通に考えて本体は首だろうと鉤爪は考えた。気色悪いが、そうも言っていられない。鉤爪は首に狙いを定めた。
陸を守るように散らばった管が垂直に伸びて壁を作った。鉤爪は壁を粉砕し、陸の首を踏みつぶした。陸の頭はぐずぐずと崩れて地面に広がった。
鉤爪が右腕を確認すると、菌糸は赤い珊瑚状のものやピンク色の球のような小さな子実体を形成しつつ、さらに範囲を広げていた。浸食が止まった気配はなかった。
「さっきの首は本体じゃないのか?まさか下半身に本体が?」
鉤爪があたりを見回すと、陸の下半身があった場所にはくしゃくしゃになったスラックスが落ちていて、裾とウェストから大量の管が体を伸ばし、うねうねと外に向かって這い出そうとしていた。あまりの気色悪さに鉤爪は鳥肌が立った。
「くそっ、とっとと終わらせて帰りたくなってきたぜ」
鉤爪は左手で額の汗を拭った。その手にもアメーバが生まれ始めていた。
「それには同意するね」
涼やかな陸の声が聞こえた。目をやると、地面に散らばった管が集まり陸の顔を形成していた。
「いいことを教えてやろう。多核単細胞生物って知ってるか?一つの細胞の中に複数の核を持つ生物だ。あんたの体を侵している菌もその一つだ。多核単細胞生物には面白い性質がある。こいつを二つに分ければ、二つの個体として再生する。四つに分ければ、四つの個体として再生する。分けた個体を合わせれば一つの個体として復活する。面白いだろ。要するに、何が言いたいかというと、あんたが探している本体なんかどこにもないってことさ。本体というなら、すべての分体が本体だ。あんたがオレを倒したいなら、この世に存在する全ての分体を破壊するしかない。目に見える範囲だけじゃないぞ。分体はすでにあんたの体の中にも入りこんでいる」
管が一か所に集まり、地面から生えてくるかのように陸の躰を形成していった。
「つまり、あんたがオレを倒すのは不可能ってことだ。愚かな自分に絶望しながら、菌に喰われて消えていくんだな」
腰まで再生された陸が挑発的に笑った。
「ふざけるなっ!」
鉤爪が陸に飛び掛かった。
陸の笑い声が響く中、鉤爪は陸の躰を引き裂いた。鉤爪が爪を奮うたびに陸の躰が飛び散る。飛び散った躰は鉤爪の体に貼りつき、鉤爪の体をさらに侵食していった。
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「一体、何をやってるんだ?」
笹島は首をひねった。
笹島はずっとヴァンパイア達の様子を観察していた。しかし、彼らの行動は笹島の理解の範疇を超えていた。
鉤爪は誰もいない空間に向かって、延々と爪を振り回していた。一方、先住のヴァンパイアは座ったままだった。いつまでたっても戦闘らしい戦闘は始まらなかった。
かといって、遊んでいる訳でもなさそうだった。鉤爪の表情は悲壮感に満ちていて、時間の経過とともに苦悶の色が濃くなってきた。鉤爪は息を切らし、あえいでいた。もう一方のヴァンパイアは身じろぎ一つせず、上目遣いでじっとその様子を窺っていた。彼らの間で何かが行われていることは確実だった。
笹島は無線機を取った。
「各班、状況を知らせろ」
「A班問題なし。所定位置に待機」
「C班問題なし。所定位置に待機」
「D班問題なし。所定位置に待機」
すぐに周囲に配置している隊員達から応答があった。
準備は完了している。問題は、いつ彼らの戦いに介入するかだ。笹島はタイミングを掴みかねていた。
「どうする?」
笹島は自らに問いかけた。
何が行われているか分からないにせよ、これは貨沢市の覇者を決める戦いである。先住ヴァンパイアに援軍が現れる様子はなかった。この戦いで戦力を温存する必要はない。ここまで待って現れないのであれば、仲間がいないものと判断すべきだろう。ただ、肝心の屍食鬼が現れる様子もなかった。屍食鬼こそ、笹島が貨沢市にやってきた本当の目的である。笹島は何としても屍食鬼に繋がる糸口を掴みたかった。しかし、これ以上様子を見ていても、展開が変わるとは思えなかった。
笹島は作戦開始を決断した。
「鉤爪には麻痺弾を使用。先住ヴァンパイアは射殺。射撃準備」
狙撃手はライフルに弾丸を装填し、それぞれの標的に狙いをつけた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
一応、気をつけているのですが、読み返してみると結構誤字が……。
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次回は2/7(水)投稿予定です。