鉤爪
いつも読んでくれてありがとうございます。
タイトルを変更しました。
内容に変わりありませんので、引き続き楽しんでもらえると嬉しいです。
被害者の司法解剖が終了し、ヴァンパイアの仕業であることが確認された。
死因は喉の裂傷による失血死。死体には血液がほとんど残っていなかった。犯行を行ったヴァンパイアに吸われてしまったものと思われる。また、被害者の右手には密輸品のトカレフが握られており、発砲した形跡があった。弾丸は三発残っていた。
第一報を受けた中部管区警察局特別害獣担当官の笹島警視は、すぐさま貨沢市に飛んだ。
喉の裂傷は深いもので、わずかに残った後部の皮膚が胴体と首をかろうじて繋ぎとめているという状態だった。被害者が即死だったであろうことが容易に推測される。銃を持った人間を正面から一撃で仕留めるなど、並のヴァンパイアにできる業ではない。
笹島は市の警察部にヴァンパイア対策本部を置き、自ら陣頭指揮を執ることを宣言した。ヴァンパイア機関のデータベースに登録されている死亡未確認のヴァンパイアを検索し、被害者の傷口から犯人を割り出した。
「犯行を行ったのは、鉤爪と呼ばれる個体と考えられます。被害者の傷口が一致しました」
「やはりそうか」
報告を聞いた笹島は満足したように頷いた。第一報を聞いて、笹島は鉤爪の犯行であると目星をつけていた。そのために抱えていた仕事を全て放り出して貨沢市に赴き、自ら指揮を執ることにしたのだ。
笹島の本当の狙いは鉤爪ではない。鉤爪とつながりがある屍食鬼が笹島の最終目標だ。
笹島と屍食鬼には深い因縁があった。笹島のキャリアは屍食鬼を追う日々の積み重ねそのものと言ってよかった。だが、肝心の屍食鬼の消息は七年前に発生した馬薙町全滅事件以来、ぷっつり途絶えていた。馬薙町を襲った悲劇は筆舌に尽くしがたいものがあるが、地獄と化した馬薙町で屍食鬼と一緒にいるところを目撃されたのが鉤爪である。鉤爪の出現によって、久しく途絶えていた屍食鬼の手がかりを得たのだ。笹島は興奮していた。
笹島は直ちに県警と市警の特別害獣担当捜査官、そして中部管区警察局の自分の部下をヴァンパイア対策本部に招集した。居並ぶ担当官の前で、笹島は声を張り上げた。
「鉤爪の目的は貨沢市を自分の領地にすることだ。鉤爪の犯行は、先住のヴァンパイアへの挑戦である。このことは一つの重大な事実を我々に教えてくれた。鉤爪が出現する以前から、貨沢市にはヴァンパイアが生息していたという事実だ。つまり、貨沢市市民は気づかないうちに、ヴァンパイアという毒虫を体の中に棲まわせていたのだ。私は今回の事件を幸運だと考える。やつらは周到だ。誰にも気づかれずに市民という餌を喰らい、一匹が二匹、二匹が四匹と鼠算式に数を増やしていく。だが、今や我々は貨沢市にヴァンパイアが存在していることを知った。善良な市民の和の中を、凶悪なヴァンパイアが舌なめずりしながらうろついていることを知ったのだ。幸福な無知者ではなく、知識を得た現実主義者となったのだ。我々は断固として戦わなくてはならない。鉤爪と先住ヴァンパイア。どちらが勝とうと負けようと関係ない。我々にとって全てのヴァンパイアが等しく駆除すべき害獣である。愛する故郷にヴァンパイアが生息するなどという悪い冗談を許してはならない。ヴァンパイアにとって人間は単なる餌だ。生まれたばかりの無垢な赤児も、優しい父母も、愛しい恋人も、ヴァンパイアにとって血の詰まった袋でしかない。腹が減ったら袋を破って血を飲み、ゴミのように捨てるだけだ。やつらを一匹残らず始末する以外に市民を救う方法はない。我々は武器を持たない市民の盾であり剣である。私は諸君とともに戦うためにやってきた。市民の安全を守るために、諸君も勇気を持って任務に取り組んでもらいたい」
一気にまくし立てると、笹島は一呼吸おいた。
「現在、少なくとも二体のヴァンパイアが貨沢市に存在する。鉤爪と先住のヴァンパイア。近いうちにこの二体による戦闘が行われると考えて間違いない」
「本庁の対策部隊に応援を頼みましょう」
県警の特別害獣担当官が発言した。
「吸血部隊に応援を頼むだと?君は化け物を始末するのに化け物の力を借りようというのか。人間としての誇りを持ちたまえ」
笹島は一蹴した。
「しかし、我々だけではとても……」
別の担当官が不安を口にした。
この市では過去にヴァンパイアによる殺人事件が発生したことがなく、地元の捜査員は皆、降って湧いたような騒ぎにパニックに陥っていた。特別害獣担当官といっても肩書きだけで、素人の集まりに過ぎなかった。
「安心したまえ。中部管区の特別害獣対策部隊が作戦の実行を担当する。県警と市警の担当官はバックアップに回ってもらいたい。吸血部隊に頼らなくてもヴァンパイアは始末できる。何の問題もない。これから作戦を具体的に説明する。溝口」
「はい」
最前列に座っていた大男が立ち上がり、ホワイトボードに市役所周辺の地図を貼った。笹島はマーカーを取り、地図に丸をつけ始めた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
市役所前に陸が姿が現した。時刻は深夜二時を回っていた。
陸は市役所の外壁を一気に駆け上がると、屋上に降り立った。
死体が吊り下げられた直後に張られたビニールシートは既に撤去され、屋上に事件の痕跡を示すものはなかった。落下防止の鉄柵がぐるりと囲んでいるだけのがらんとした空間だ。エアコンの室外機が隅に設置されているが、今は停止していた。
陸は迷わずに中心に建っている出入り口に向かった。
「遅かったな。びびって来ないのかと思ったぜ」
屋根の上から男の声が聞こえた。
「こちらにも都合ってものがあってね。礼儀のなってない誘いに乗ってやっただけでも感謝してもらいたいくらいだ」
ひょいと男が飛び降りてきて、陸の前に立った。
黒のTシャツに浮かび上がる胸筋と逞しい腕が目を引く。見た目は若い男だが、男が醸し出す雰囲気は若いヴァンパイアのそれではない。長い年月を生きたと思われる静かな覇気に満ちていた。
なるほど、これが鉤爪か、と陸は納得した。
この目で見るのは初めてだったが、強い、というのが第一印象だ。とはいうものの、想定から大きく外れるものではない。確かに強い。近接戦闘に特化したタイプだろう。陸が出会ったヴァンパイアの中でも最強の部類に間違いない。
だが、準備は既に終えている。ここまでは問題ないようだ。あとは手順さえ間違えなければ、事故が起こることはない。
鉤爪は後ろに流した髪をかきあげて、値踏みするように陸に視線を向けた。
「いいねえ、あまり見ないタイプだ。面白い」
鉤爪は凶暴な笑みを浮かべた。釣り上がった唇に牙が覗く。獲物を前にした肉食獣のような顔だった。
「今時、挑戦状なんて流行らないぞ」
うんざりした顔で陸が言った。鉤爪は愉快そうに笑った。
「まあ、そう言うな。こっちにも事情があるんだ。で、どこでやる?」
「俺にそれを聞くのか?罠を仕掛けているとは思わないのか?」
「そういう小細工を叩き潰すのも楽しみの一つってもんだ。先住者殿に敬意を表して、ハンデくらいくれてやるさ」
鉤爪は上機嫌だ。慣例よりもずっと早い時間に姿を見せていた。罠を警戒しているのかと思ったが、どうやら戦いが楽しみで待ちきれなかったらしい。
迷惑この上ない、と陸は思った。
「それじゃ、あそこの神社はどうだ?この時間なら人気もないだろう」
陸は市役所の北に位置する木々に囲われた区画を指さした。
本殿に向かって林立する鳥居が特徴的な稲荷神社である。灯りの落ちた神社は闇に覆われていた。
「いいぜ。問題ない」
陸が屋上から飛び降りた。鉤爪もそれに続いた。
次回は1/31投稿予定です。