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挑戦状

第1章開始です。


咲たちが登場するのは少し先になります。



 テレビは朝から一つの話題で持ちきりだった。


 市役所の屋上から死体が吊り下げられたのだ。被害者は地元暴力団の構成員で、鋭利な刃物のようなもので喉を抉られていた。暴力団同士の抗争か、それとも個人的な恨みによる犯行かと評論家は騒ぎ立てていた。


 テレビを見て、陸はため息をついた。

 死体が吊り下げられた意味を正しく理解していたからだ。陸に対する挑戦である。


 先住のヴァンパイアがいる土地に別のヴァンパイアが現れた場合、大抵、二つの方法をとる。一つは先住のヴァンパイアに礼を尽くし、滞在の許可を得る方法。もう一つは先住のヴァンパイアを追い出し、自分がその土地を奪い取る方法である。


もちろん、快く自分の土地を明け渡すヴァンパイアなど存在しない。後者の場合、争いは不可避である。


 その土地の象徴ともいえる場所に血を吸った死体を掲げるということは、この土地に現れたヴァンパイアが前者の方法をとる気がないという意思表示に他ならなかった。


 ただし、いきなり挑戦してくるヴァンパイアは皆無に等しい。相手がどんな力を持っているのかも分からずに挑むのは、あまりにもリスクが大きい。


通常はお互いの戦力を探る時間を持ち、しかる後に土地の所有者にふさわしいヴァンパイアを決める話し合いがもたれる。折り合いがつかずに戦闘状態に入るとしても、戦闘を避けるための手順を踏んだ上でのことだ。勝っても負けても、戦闘によって傷つくことは何の得にもならないからである。


 その上、ヴァンパイアの住む土地が不足している事実はない。ヴァンパイアがいない土地はいくらでもある。あえて先住者が住む土地を狙う必要など全くないのだ。


「若いヴァンパイアの無鉄砲か。それともよほどの自信家か」


 間違いなく話し合いが通じる相手ではない。相手は戦いを望んでいる。挑戦は受けなければならないが、陸にとってはいい迷惑だった。


 陸が眉間にしわを寄せていると、玄関のベルが鳴った。のぞき穴から外を見ると、黄色い帽子が見えた。陸は赤目を隠すダミー用の眼鏡をかけるとドアを開けた。


「兄ちゃん、レベル上がった?」


 小さな男の子が駆け込んできた。男の子は靴を脱ぎ散らして部屋に駆け上がると、テレビの前に陣取った。隣に住む健太郎である。


「あ、悪い。今日はやってない」


 陸は健太郎の靴をそろえた。


「えー、レベル上げてくれるって約束だったのにぃ」


 健太郎はテレビにゲーム機をつないで、チャンネルを変えた。すぐに十字架を模したゲームのタイトル画面が立ち上がってきた。邪悪な吸血鬼の王様を倒すアクションRPGである。


「でもさ、ゲームってレベルを上げるのも含めて楽しいんだろ?」


「めんどくさいだけだよ。ぜったい、さくさく進んだ方がいいよ」


「ほら、帽子くらい脱げ」


 陸は真新しい健太郎の帽子を取った。


「新品だな」


「買ってもらったばっかりなんだ」


 帽子をひっくり返すと、子供の汚い字で山下健太郎と書かれていた。


「おお、えらい、えらい。ちゃんと漢字で名前が書いてある」


 健太郎はにやりと笑ってサムズアップしてみせた。

 陸は冷蔵庫からアップルジュースを取り出して、コップに注いだ。


「お母さんは?」


「仕事」


「何時頃帰ってくるの?」


「今日も遅くなるんじゃない」


「夕飯は?」


「用意してあるって」


「ふーん」


 陸は健太郎の前にジュースを置くと、隣りに座った。待っていたように健太郎は膝に座った。


 ゲーム画面では、健太郎が操る光の勇者が中ボスの吸血鬼に派手な視覚効果の必殺技を繰り出していた。必殺技を受けるたびに吸血鬼は悶絶し、体にダメージを表す数字が浮かんだ。


「兄ちゃん、このゲームあんまり好きじゃないなあ」


「うそぉ、クラスのみんな面白いって言ってるよー」


 陸は心の中で吸血鬼を応援した。


 健太郎は地元の小学校に通う三年生である。健太郎に父親はいない。健太郎が生まれてすぐに母親と離婚したそうだ。母親は仕事に出て、一人で健太郎を育てている。


 陸が健太郎と知り合ったのは、食事を終えて市営住宅の自分の部屋に帰ってきた時だった。夜も遅いのに、健太郎は自宅の前でしゃがみこんでいた。鍵をなくして、部屋に入れなくなってしまったという。母親が帰ってくるまで、陸は健太郎を自分の部屋で待たせることにした。それ以来、健太郎はことあるごとに陸の部屋に遊びに来るようになった。誰とも関わりを持たないように生きてきた陸だったが、いつのまにか健太郎のためにゲーム機を購入し、飲み物を用意しておくようになった。今では母親が帰ってくるまでの時間、二人で過ごすことが当たり前になっていた。


 ひとしきりゲームを楽しんだ後、陸にうるさく言われて健太郎は宿題を始めた。陸はテレビを見ていた。テレビでは市役所殺人事件の報道を繰り返していた。

 

「来週、たつみ山に遠足に行くんだよ」


「へえ、あそこ墓場以外何かあったっけ?」


「てんぼう台ができたんだって。めっちゃでかいすべり台があるらしいよ」


 部屋のベルが鳴った。陸はドアを開けた。ドアの外に健太郎の母親が立っていた。三十路に手が届かない若い母親である。母親はいささか派手な格好をしていた。


「すみません、いつもいつも」


 母親は頭を下げた。


「いえ、どうせ暇ですから」


 陸は学生ということにしていた。

 健太郎が出てきて靴を履いた。


「じゃあ、兄ちゃん、またね」


「うん、またな」


 陸は部屋のドアを閉めた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 日が落ちると、陸は黒いコートを羽織って部屋を出た。狩りの時間である。


 陸はスマホを取り出して、地図を表示させた。地図には狩場の位置が登録してある。


「昨日は駅だったから、ローテーションとしては、今日はオフィス街か……」


 人間に不審を持たれないように、陸はローテーションを組んで狩場を次々に変え、かつ獲物も性別、年代がなるべく重ならないように注意していた。譲れない一線として、子供だけは対象から外してはいるが。


 オフィス街に着くと、いつものようにバスの停留所のベンチに座り、獲物を物色した。

 今回は30代くらいまでの女性がターゲットである。栄養にさほど差があるわけではないが、まあ、おっさんを狙うよりは気分がいい。


 一般的にヴァンパイアの食事は、初めて血を吸った人間によって大きく影響を受ける。若い女や若い男を狙うヴァンパイアが多いが、中には老人や子供を専門にしているヴァンパイアもいる。


 その中にあって、陸は自分の趣味趣向はおいておいて、自身の安全のために獲物を偏らせないことを第一にしていた。そして、獲物は殺さない。


 これは人間を殺すことに陸が罪悪感を感じるからではなく、自身の安全のためだ。被害者が発見されることで、人間はヴァンパイアの存在に気がつく。被害者が偏った性別や年代であれば、捜査情報として利用される。罠を張られることも考えられる。そうして捕縛され、殺されていくヴァンパイアがいかに多いことか。


 人間の命を奪うことと血を吸うことを同一視しているヴァンパイアは多いが、彼らのそうした考えは楽観的に過ぎると陸は考えていた。


 地球上に溢れかえっている人間ではあるが、たった一人の死でさえ、彼が属している共同体に衝撃を与え、やがてその衝撃は大きな津波となって、死を引き起こしたヴァンパイアを呑み込む。これは人間以外の生物にはあり得ない現象だ。


 人間ほど自分の命に価値をおかない生物もいないが、暴力的に奪われた他者の命に対して、ヒステリーとも思える激情を犯人にぶつけるのも人間だけだ。陸はそのことをよく知っていた。

 

 他のヴァンパイアは人間を過小評価し過ぎている。少しは学べ、と陸は思う。とはいえ、自身に悪影響が及ばないのであれば、そうした輩にわざわざ干渉する気はない。


  誰にも、血を奪われた本人にさえ気づかれずに必要な糧を得る。これが陸の理想であり、彼の持つ能力もそれを可能にしていた。



 陸がなんとはなしに思考に浸っていると、ちょうどいい獲物が現れた。チャコールグレーのパンツスーツを着た女で、若干疲れた顔をしているが、健康そうだ。髪を後ろでまとめているので、血も吸いやすい。


 女がバスに乗り込んだので、陸も続いた。


 帰宅ラッシュ時を過ぎているので、バスは比較的空いていた。席はほぼ埋まっているが、後部座席は空いている。女が降車口の手前で吊り革に掴まったので、陸は隣に立ち、眼鏡を外した。怪訝な顔で女が陸に目を向けた。バンパイア特有の紅い瞳が黄金色に変化した。女は陸に従う人形となった。陸は女を後部座席に誘導した。


 やや汗ばんだ女の体からは、血と汗の混じり合った甘い香りが漂っていた。その香りを吸い込むと、陸は意識を失いそうなくらいの陶酔感を感じた。


 陸は血を吸い終えると、ぐったりと目を閉じる女を座席に横たえた。血を吸っている間、乗客は誰一人異変に気がつかなかった。


 首筋に牙を突き立てられ、血の気を失っていく女の前で、部活帰りの高校生が笑いながらスマホの写真を見せあっていた。


 目を覚ました時、女は自分の身に何が起きたのか覚えていないだろう。貧血による体調不良と診断され、数日の養生の後、女は健康を取り戻す。よくあることとして処理され、今日のことは忘れ去られる。


 陸はバスを降りると戦いの場となる市役所の下見に向かった。


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