作戦開始
今回の出動は、県警からの要請によるものだった。
県内で行方不明事件が連続して発生し、県警が調査を進めたところ、拘束されていた車から飛び降りて奇跡的に助かったという女性の証言を得ることができた。
女性によれば、犯人は二十代前半の男性で、人間離れした鋭い犬歯を持っていたという。ヴァンパイアによる犯行の疑いありとして、急遽、吸血部隊に出動命令が下された。
行方不明になっているのは十代後半から三十代前半のいずれも女性で、八田駅周辺で拉致された可能性が高い。
そこで、咲が囮となって犯人を誘き出す作戦が実行に移されたのである。
単独で行動するヴァンパイアは少なく、通常、二体から五体くらいまでのグループを形成している。
そのため、誘き寄せたヴァンパイアを負傷させ、隠れ家に逃げ帰ったところでグループ全体を一気に殲滅するのが吸血部隊の基本戦術だった。
ヴァンパイアの信号は八田駅から北東に二十キロほど進み、山間にある小さな村落で動かなくなった。
なだらかな斜面に沿って作られた水田の中に、数えるほどの農家が点在するだけの静かな場所である。咲達は、先行した二号車に誘導され、村から三百メートル離れた山道に隠れるようにして車を停めた。三号車はヴァンパイアが潜んでいる民家近くで引き続き監視を続けていた。遅れて人員輸送用の大型バスがやってきた。
ちなみに、咲が乗る一号車は指揮車であり、二号車、三号車は機動性を重視したセダン型で対象の追跡や強襲を任務としている。すべての車両は濃紺で統一されていた。
「民家の住人は梅沢義次、六十八才。妻礼子、六十九才の二人暮らしです。東京に娘夫婦がいるそうです」
携帯電話を片手に佐伯が報告した。
指揮車では作戦会議が行われていた。
村の地図を中心に、咲、中村、小隊長三名に佐伯を含めたメンバーが膝を突き合わせていた。
吸血部隊は壱番隊から肆番隊までの四つの小隊で一つの中隊を組織している。中隊長は咲で、壱番隊の小隊長を兼ねる。小隊長は咲の他に三名だ。中村は中隊長補佐という位置づけだった。作戦が開始されると咲が前線に出てしまうため、各小隊への指示は中村が代行することになっている。
今回の作戦では、壱番から参番までの小隊が参加していた。
「二人がヴァンパイアである可能性は?」
佐伯が尋ねた。
「低い。家族が少ない老人の家を奪ったと考える方が妥当だろう」
咲が答えた。
「ここなら多少のことがあっても、気づかれないですむ」
ヴァンパイアは三方を森で囲まれた小高い場所にある民家に逃げ込んだ。
一番近くにある家でも百メートル近く歩かなければならない孤立した場所である。ヴァンパイアの位置を示す点滅は民家から動いていない。
「偵察班から連絡が来ました。対象を視認。別にヴァンパイアを一体確認したそうです」
無線機に向かっていた中村が報告した。
「映像が届きました」
中村は体を開いて、会議の参加者にモニターを見せた。
画面には家の窓を写したデジタル画像が表示されていた。
窓は閉めきられていたが、カーテンがないために部屋の様子を見ることができた。部屋は居間として使われている和室だった。四角い食卓を挟んで二人の男が座っていた。向かって右の男は片腕で、壁にもたれていた。咲が腕を切り落としたヴァンパイアである。左側の男は横を向いているので顔がはっきりしないが、同じくらいの年代のようだ。
「二体か……」
咲が言った。
「思ったより少ないな。被害者の数からいって三、四体はいると思ったが……」
「他の部屋にいるんですかね?」
「確認してみます」
中村が無線で偵察班に連絡を取った。
「他に明かりのついている部屋はないそうです。外部からではこれ以上のことを調べるのは難しいでしょう」
「突入して確かめるしかないか……」
「生存者がいる可能性はどのくらいありますか?」
佐伯が尋ねた。
「正直、厳しいと思う。攫った人間を生かしておく理由がない。生きていられるとしても、食事までの短い時間だけだ。非常食として置いておくには手間がかかりすぎる」
「非常食……」
佐伯は沈痛な面持ちになった。
「生きている可能性があるとすれば……」
「はい」
佐伯は顔を上げた。
「ヴァンパイアにされた場合だけだろう」
「あぁ」
佐伯は嘆息した。
ヴァンパイアはヴァンパイアとして生まれてくるわけではない。佐伯もそのことは知っていた。ヴァンパイアは人間にヴァンパイアの血を与えることによって創られる。
「外出している仲間が帰ってくるかもしれませんね」
中村が言った。
「仲間がいるとしても、朝までには帰ってくるはずだ」
咲は考え込んだ。
「長引かせると逃げられる可能性が高くなる。気づかれる前に決着をつけたい。今日の日の出時間は?」
「四時半です」
「四時まで待とう。動きがなければ四時に突入を開始する」
作戦会議が終了し、三人の小隊長は命令を携えてそれぞれの隊に戻っていった。咲も車を出て行った。佐伯は車内に取り残された。
「中村さん、私はどうすれば?」
佐伯はキーボードを叩いていた中村に尋ねた。
「ああ、聞いてますよ。佐伯さんは私と一緒にここにいて下さい」
「作戦に参加させてもらえないんですか?」
「参加っていっても……参加したいんですか?」
「ええ、是非。お願いします」
「実戦経験は?」
「それが、生憎……」
中村が佐伯を連れて車を降りると、刀を二本差しにした咲が壱番隊の隊員を集めて話をしていた。
ヘルメット後部に中隊長を示す三本線が見える。ヘルメットの白線は階級を表しており、小隊長は一本、中村は二本である。
甲冑のような強化服を着用してサブマシンガンを装備する男性隊員の重武装に比べ、咲の装備はごくあっさりしたものだった。強化服は薄く、胸部や肘、膝などに申し訳程度のプロテクターがついているだけである。これは咲が動きやすさを最優先しているためだが、密かに咲のボディラインを強調する目的があると勘ぐられても仕方がないデザインをしていた。
「中隊長」
中村が咲に声をかけた。
「何だ?」
振り向いた咲の瞳が紅く光っていたので、佐伯はどきりとした。
明るい場所では目立たないが、暗い場所に来るとヴァンパイアの瞳は紅く光を放つ。猫の目のようなものだ。見た目は人間と変わらないが、こういう姿を見ると、やはり人間とは違う生き物だと実感させられる。
「佐伯警部補が作戦に参加したいと言っていますが、どうします?」
「実戦経験は?」
「いや、それがまだ……」
実戦経験の自信のなさと紅く光る瞳の迫力に圧されて、佐伯は視線を落とした。
咲はしばらく佐伯を眺めた後、口を開いた。
「どういうものか、一度見てもらった方がいいかもしれないな……。燐に預けよう」
咲は弐番隊の小隊長を呼んだ。
作戦会議に出ていた若い隊長である。実年齢は違うだろうが、見た目だけで判断すれば中学生か、せいぜい高校生くらいにしか見えない。 血なまぐさい部隊におおよそ相応しくない、涼しげな顔立ちをしていた。
ただ、出発直前だったらしく、この時はフルフェイスマスクで顔を隠していた。
「燐。佐伯警部補に作戦を見学してもらうことにした。お前に預ける。面倒見てやってくれ」
「了解しました」
燐は佐伯を自分の部隊へ案内した。
「予備の暗視装置がありますので、それを使ってください。吉沢」
「はい」
「佐伯警部補に予備のV8を貸してやってくれ」
隊員が大型バスからヘルメットと防弾チョッキ、それから小型のビデオカメラのような機械を持ってきた。
隊員から説明を受けて、佐伯は暗視装置を装着した。暗視装置はヘルメットに固定して、左目で覗くように設計されていた。
「おおっ、これはすごい」
佐伯は感嘆の声を上げた。
肉眼では真っ暗で何も見えなかった森の中が、暗視装置を通すと落葉の一枚まで見分けることができた。
ヴァンパイアが潜んでいる民家は農家造りの二階建てで、正面に玄関があり、右側が納屋兼駐車場、左側が住居となっていた。駐車場は白い軽トラックで占有されており、ヴァンパイアが使った車が家の前に横付けされていた。偵察部隊の報告によると、出入り口は三カ所。正面玄関と住居側にある勝手口、それから駐車場に出る為の扉が納屋に設けられているということだった。
燐の小隊は勝手口周辺を固めることになっていた。
小隊は家に向かって直進せず、左に大きく迂回して森に入り、森の中から家に近づくルートを取った。
森の中から家が確認できる位置まで進むと、燐は右手を上げて合図した。
小隊は左右に散開した。
「危険ですので、自分から離れないで下さい」
燐が佐伯に囁いた。
佐伯は燐が暗視装置をつけていないことに気がついた。佐伯だけでなく、隊員達は皆、暗視装置を頼りに森の中を進んできたはずだった。
「小隊長さんは暗視装置をつけないんですか?」
「自分には必要ありませんので」
「それは、どういう……」
言いかけて、佐伯は言葉を詰まらせた。マスクの奥で、燐の二つの瞳が紅く光っているのを見たからだった。
小隊は静かに民家に近づき、建物側面の勝手口が見える位置に陣を取った。
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雅春は少し眠ったようだ。体を起こすと雅臣が心配そうな顔で見ていた。
出血はとうに止まっていた。応急処置として、左肩と左足には包帯を巻きつけてある。左足は放っておいても治るだろうが、いくらヴァンパイアでも切り落とされた左腕が生えてくることはない。
左腕は警察の女剣士が持って行ってしまった。腕を取り戻すことも考えたが、彼女には到底勝てる気がしなかった。
「適当な人間の腕を切り取って、くっつけてみたらどうだ」
雅臣が提案した。
試してみる価値はある、と雅春は思った。
少しくらい歪になっても、腕がないよりははるかにマシだ。この家に戻るためにそうとう苦労させられた。事故を起こさなかったのが不思議なくらいだった。
やはり予感は当たっていた。警察に目をつけられていたのだ。同じ場所で狩りを続けるなんて、自殺行為もいいところだった。
雅春は壁にもたれた。
もう八田駅に行くことはできない。八田が特別好きなわけじゃないが、子供の頃から育った場所だ。よく知っている。他の町はよく分からない。でも、警察に目をつけられた以上、出て行くしかない。この家にもいつまでいられるか分からない。早く出た方がいい。兄貴もそう言っている。
だが、ちい兄をどうするか。ちい兄を連れてこの家から出て行けるわけがない。あんな化け物を連れて歩けるわけがない。そう言うと、兄貴は「俺に任せろ」と言った。心を決めたらしい。
そうだ。いくら時間を引き延ばしたって、悪いことが良くなるわけがない。もっと悪くなるだけだ。人間の時からそうだった。ヴァンパイアになったからといって変わるはずがない。
悪いことはもっと悪く。それは雅春が知っている唯一の真実だった。
「もう少し眠ってた方がいい」
雅臣が言った。
「朝になったら、ここから出ていく準備をしよう」
準備?
雅春は首をひねった。
持って行くものなんて何もない。いつでもこの身一つだ。お気に入りの腕時計もなくしてしまった。オークションでやっと見つけたレアものだったのに……。
雅春は気がついた。
そうだ。持って行くものはないけど、捨てて行くものならある。他所へ行くとはそういうことだ。自由になるとはそういうことだ。自分を束縛しているものから解放されることだ。
雅春は心が軽くなるのを感じた。
かなり血を失ってしまった。回復にはもうしばらく時間がかかりそうだ。はやく血を補充する必要がある。でも、そいつは心配いらない。人間はどこにでもいる。地球上で最も繁殖したほ乳類だ。食べ物に事欠くことはない。他の土地になじめるかどうかだけが心配だ。
朝だ、と雅春は思った。
朝になれば全てが変わる。自由になった俺たちは、知らない土地に行って好きなだけ血を飲む。俺にぴったりな左腕もきっと見つかる。神さまは悪いことばかり押しつけてきたけど、そろそろ風向きが変わってもいい頃だ。墓参りだってちゃんとしている。小さい墓だけど、毎年お盆にはちゃんと掃除して、花を供えてきた。兄貴がばあちゃんにきつく言われたらしい。兄弟三人そろって墓参りするのがウチの……。
雅春は再び眠りに落ちた。