追跡
少女が公園まで戻ると、暗闇から濃紺の装甲車が現れた。
突起や凹凸が少ない箱型の形状で、ルーフに取付けられた横長の赤色灯が目を引く。フロントには控えめに旭日章が掲げられていた。
すぐに側面のドアが開き、中から二人の隊員が飛び出してきた。一人は金属製の箱を持っており、もう一人は背中にボンベを背負っていた。
箱を持った隊員が少女の所へやってきて蓋を開いた。
箱の中には透明の液体が入っていた。少女は雅春の腕を液体の中に沈めた。
ボンベを持った隊員は、路面に残された血の痕に向けて白い泡を噴射した。
少女は装甲車に乗り込んだ。
車の中では恰幅のいい年配の隊員がキーボードを叩いていた。深い皺が刻み込まれた顔は岩のようである。
隊員の前には三つのモニターが設置されており、真ん中のモニターには警備車を中心とした地図が表示されていた。
「中村。首尾はどうだ?」
少女が隊員に声をかけた。
「良好ですよ。今、表示させます」
中村と呼ばれた隊員がエンターキーを押すと、地図上に赤い点滅が表示された。点滅は地図を右斜め上に移動していき、すぐに画面から消えた。
「縮尺を変えます」
中村がダイヤルを回すと地図が広域表示され、再び点滅が表示された。
「追跡するぞ。他の隊に連絡してくれ」
「了解」
中村は無線を取った。
「こちら一号車。作戦はフェーズ2に移行。識別番号は送信済み。先行は三号車。二号車はサポート。四号車はついてきてくれ」
すぐにスピーカーから「了解」と返事が返ってきた。
車は地図上をゆっくりと移動する点滅と一定の距離を保ちながら走った。
点滅はヴァンパイアの足に撃ち込まれたID弾の位置を示していた。
ID弾には発信器が仕込まれており、装甲車の天井に取り付けられたレーダーで信号を受信しているのだ。ヴァンパイアの位置データはモニターの地図情報にリンクされ、中村の前にあるモニターに表示されていた。リンクを済ませてしまえば、後はドライバーの仕事である。ヴァンパイアは途中から車を使い出したが、むしろ追跡が楽になったくらいだった。
中村はモニターから目を離し、大きく伸びをした。
「ねえ、立花咲中隊長殿。最初に立てた作戦じゃ、中隊長が対象に捕まったふりをして隠れ家に案内してもらうんじゃなかったんでしたっけ?町中で騒ぎを起こしたくないって言ったのは中隊長でしょ。結局、いつも通りじゃないですか」
咲と呼ばれた少女はセーラー服姿のまま、狭い通路を挟んだ中村の隣の席に座っていた。彼女がヴァンパイア殲滅を任務とするこの中隊の隊長である。
咲と雅春のやりとりは、彼女が身につけていたマイクを通して、全て中村がモニターしていた。
予定になかったID弾の使用を決めて、スナイパーを咲の元に向かわせたのも中村である。咲は中村に全面的な信頼を置いており、自分が不在の中隊の指揮を中村に一任していた。
「わたしなりに努力はした。でも、ヴァンパイアになったばかりの初心者が力を誇示するのを見ると可笑しくてな」
「対象を怒らせてどうするんですか。もう少しこう、可愛らしくできないもんですかね。きゃーって悲鳴を上げてみるとか」
中村は怯える芝居をしてみせた。
「うまいな。お前にやらせれば良かったかな」
「私がセーラー服着てたら、ヴァンパイアじゃなくて警察に連れて行かれますよ」
「そんなに可愛いのがよければ、自分の娘を連れてくればいいだろう」
「ウチの娘は結婚して子供までいますよ。可愛いって年じゃありません」
「わたしが最後に会った時は、確か中学に通っていたと思ったが……」
「あれからもう十年です。私もすっかりおじいちゃんですわ」
中村は短く刈り込まれた胡麻塩頭をさすった。
「そんなになるのか。時間が経つのは早いな」
咲は感慨深そうに言った。
「それで、この辺の地理に詳しい人間は確保できたのか?」
「ええ、県警の特別害獣担当の人間を呼びました。紹介します。佐伯警部補です」
「佐伯です。お名前は存じてます。よろしくお願いします」
中村の後ろでスーツ姿の男が立ち上がった。三十半ばくらいの細面の男である。佐伯は恭しく頭を下げた。
「中隊長の立花だ。こんな格好で申し訳ない。こちらこそよろしく」
咲は立ち上がって手を差し出した。二人は握手を交わした。
警察庁警備局特別害獣対策課はヴァンパイア駆除を目的として設立された極秘機関である。通称はヴァンパイア機関。
咲は階級こそ警部だが、ヴァンパイア機関を作り上げた立役者であり、ヴァンパイア殲滅実動部隊のリーダーの一人だった。特に咲の部隊は、咲自身がヴァンパイアであることもあり、吸血部隊と呼ばれていた。
咲が現れる以前は、偶発的に遭遇したヴァンパイアを、決してスマートとはいえない方法で地域住民が撃退するのが精一杯だった。だが、咲の出現により状況は一変した。組織的にヴァンパイアを探し出し、殲滅する手法が確立された。咲が味方についた時から、ようやく日本のヴァンパイア対策が始まったと言っていい。
佐伯はもちろん咲の名前を知っていたが、実際に目にした彼女の姿は想像と大きくかけ離れていた。
「ヴァンパイア殺しの専門家」「日本刀を振り回す食肉業者」「部下の生き血を啜る吸血鬼」等々。彼女を表す言葉はどれも怖気をふるうものばかりで、本部長から吸血部隊合流の命令を受けた時、佐伯は目の前が真っ暗になった。
それが今、目の前に現れた立花咲は、予備知識なしに会っていたら間違いなく食事に誘っていたであろう、うら若き乙女の姿をしていた。おまけに何故かセーラー服を着ていた。「田舎に飛ばされたくなかったら、絶対に彼女に失礼な真似をするな」としつこく繰り返した本部長の本意は、彼女に手を出すなという意味ではなかったのかと佐伯は疑った。
「着替える」
咲はハンガーに掛けてあった強化服を下ろした。
「大体、誰なんだ?いつもこんな服を用意してくるのは?」
咲は身につけているセーラー服の裾をつまんだ。
「若い隊員達ですよ。相談して決めてるみたいですね」
中村が答えた。
「お前らも仲間か?」
咲は後部座席に座っていた隊員達をじろりと見回した。十人ほどの隊員は、全員が咲から視線をそらした。
「こらっ、こっちを見ろ!」
「まあ、いいじゃないですか。みんな楽しみにしてるんですよ」
「毎回、毎回、上司にこんなものを着せて喜ぶ部下というのはどうなんだ?前回はミニスカートの看護婦をやらされたぞ。その前はメイドさんだ」
「囮なんだから強化服着てるわけにもいかないでしょ」
「それはそうかもしれないが……」
「写真撮っといてくれって頼まれてるんですがね」
「勘弁してくれ」
ぶつぶつ言いながら、咲は車両の最後尾に移動した。それから、スカーフを外し、上着を脱いだ。対向車のヘッドライトが、暗がりで動くしなやかな背中を照らし出した。ブラジャーの白い紐。左腕に巻かれた包帯。咲はスカートのホックに手をかけた。
佐伯はその様子を眺めていた。咳払いが聞こえた。中村が佐伯を睨んでいた。
「あっ、こりゃ失礼」
佐伯は慌てて座席に戻った。
「中隊長殿は怪我をしてるみたいですけど、大丈夫なんですか?」
弁解するように佐伯が言った。
「怪我?」
中村は怪訝な顔をした。
「手に包帯を……」
「ああ、あれは問題ありません。心配しなくていいです」
中村は不機嫌に答えた。
着替えを終えると、咲は両目のカラーコンタクトを外した。
薄暗い車内で、咲の紅い瞳が艶めかしく光を放った。