解任と着任
会議室では四人の警察官が笹島を待っていた。
部屋の中央に折り畳みテーブルが四角形に並べられ、テーブルに沿って椅子が並べられている。使用しないテーブルや椅子は畳まれて部屋の隅に置かれていた。
四人は窓を背にして会議室の奥に並んで座っていた。咲は警察官の制服を着て、右端に座っていた。紺色の制服を着て、パイプ椅子にちょこんと腰かけているその様子は新人の婦人警官にしか見えないが、実際は恐ろしい力を持つヴァンパイアである。
咲の横には、左から市警警察部長、県警本部長、そして警察庁警備局特別害獣対策課課長の芹沢が座っていた。
芹沢はヴァンパイア機関の最高幹部であり、全国の特別害獣対策担当官を統括する立場にある男である。初老の顔には年齢以上に深い皺が刻まれていた。
笹島は一礼して、四人の対面に座った。
「急に呼び出してすまなかった。対応状況はどうかね?」
最初に芹沢が口を開いた。
「ご存じだから、いらっしゃったんじゃないですか?」
笹島は反抗的に答えた。
「そうだな。単刀直入に言おう。本件は本庁の対策部隊が引き継ぐ」
「ちょっと待って下さい!化け物の力を借りるんですか!」
笹島は大声を出した。
「我々は化け物ではない」
咲が静かに言った。
「立花警部の功績を君が知らないはずがないと思うがね」
「人間の力ではヴァンパイアを駆除できないと……そうおっしゃるんですか」
笹島は声を絞り出すように言った。顔を真っ赤にして、今にも爆発しそうだった。
「そうじゃない。私も君の実力は高く評価している」
「でしたら」
「ヴァンパイア同士の戦闘を予測して隊員を配置したのはさすがだ。君でなければ難しかっただろう。だが……」
「だが……何です?」
「鉤爪を射殺する決定的なチャンスがあったのにも関わらず、それをしなかったのは何故かね?」
「それは……屍食鬼が現れなかったので、鉤爪から情報を引き出そうと……」
笹島の声が小さくなった。
「その判断が間違っていると言っているんだ。普段の君であれば、絶対にそんな判断をしなかったはずだ。屍食鬼の消息が途絶えてからもう七年だ。既に死んでいる可能性さえある。しかし、鉤爪は現在進行形の脅威だ。あるかどうかも分からない不確かな脅威より、現在の脅威を確実に取り除くことを最優先に考えるべきではなかったかね。それにもう一つ、現在市内で多発しているヴァンパイア騒ぎだが……」
「それは、ただ今、最優先で対応中です。手が足りていないことは確かですが……」
「そうじゃない。鉤爪と先住のヴァンパイアの戦闘が行われると見込んだ時点で、どうして他のヴァンパイアの動きを考えなかった。あれだけ世間を騒がせた殺人事件だ。当然、ヴァンパイアも知ることになっただろう。むしろ、我々人間よりも、それが意味するところを知っているヴァンパイアの方が注目していたはずだ。何もしないはずがない。戦闘を予測したのはさすがだが、なぜ他のヴァンパイアへの対策を怠った?報告によれば、君は戦闘発生時に部隊のすべてを市役所に集結させたということじゃないか。我々の役目は住民を守ることだ。屍食鬼を追うことじゃない。こんなことは言いたくはないが、君は屍食鬼憎さのあまり、他のことに気が回らなくなっているんじゃないかね?」
笹島は無言で聞いていた。
「君の奥さんの話は耳にしている」
芹沢は続けた。
「君が屍食鬼に恨みを持つのも当然だ。私も同情を禁じ得ない。だが、我々は警察官だ。住民の安全を守ることが第一の役目だ。今の君は復讐を果たすことに頭が一杯で、まともな判断ができなくなっているんじゃないか?」
芹沢が笹島を睨んだ。
「一体、何人の隊員が死んだと思う?君は少しでも死んだ人間のことを考えているのか?」
芹沢の手は怒りで震えていた。
「君の復讐のために警察があるわけではない!」
芹沢はテーブルを殴りつけた。
笹島は黙って聞いていたが、その目は挙動不審者のように落ち着きがなかった。
「……とにかくしばらく休みたまえ。今後のことは後日また相談しよう」
笹島は無言のまま、一礼して対策本部を後にした。
「以上だ。今後は立花警部の部隊が本件を引き継ぐ」
芹沢は大きく息をつくと、正面を向いたまま言った。
県警本部長と市警警察部長が同時に立ち上がり、咲に頭を下げた。
「よろしくお願いします。こちらにできることは何でも言って下さい」
咲も立ち上がり、二人に頭を下げた。
「こちらこそよろしくお願いします。本件の終息に向けて全力を尽くします」
県警本部長と市警警察部長は芹沢に深々と一礼して退出した。
「どうだ?いけそうか?」
芹沢が咲に尋ねた。
「わからん。取り急ぎ、騒ぎを起こしているヴァンパイア鎮圧の援護に隊員を回した。とりあえずは何とかなるだろう。本格的な対策はこれからだな」
「さすがに行動が早いな。しかし、彼があそこまで冷静さを失うとはな……」
「屍食鬼と何かあったのか?」
「彼の奥さんは屍食鬼に殺されている。彼の目の前でな。妊娠八ヶ月だったそうだ」
「そうか……」
「気持ちは分からんでもない。ヴァンパイア機関にはそういう過去を持つ人間がたくさんいる。そういう過去を持つからこそ、ヴァンパイア機関を志望するとも言えるが……」
「笹島さんのような人間から見たら、わたしは化け物でしかないんだろうな」
「気にすることはない。分かる奴は分かってくれるさ。今はまだ機関内でも偏見が強いが、いずれは……」
「化け物扱いされるのは慣れてる。今さら、どうということはない。ただ、中村には悪いと思ってる」
「中村に?何故だ?」
「あれほど優秀な男が、わたしなんかに関わったばかりに出世の道をあきらめてしまった」
「あいつは出世なんかより、咲と一緒にいることを選んだんだ。本望だろう。それより……」
芹沢は渋面を崩して、優しげな顔になった。
「何だ?」
「隊はどうだ?楽しいか?」
「そうだな。悪くない」
「隊員たちはどうだ?」
「ヴァンパイアの隊長についてくる奴らだからな。変な奴ばっかりだ」
「昔の咲を知ってる者からすれば、今の咲はまるで別人だ。変われば変わるもんだなあ。初めて会った時は、それはもう……」
「何だ?化け物みたいだったと言いたいのか?」
「いや、今と変わらず美しかったよ」
「何だ、それは」
咲は笑った。
「お前は年を取ったな」
「もうすぐわしも還暦だ。いつまでお前を守ってやれるか……」
「お前たちには感謝している。お前たちがいなければ、わたしは今でも化け物のままだっただろう」
「いや、わしらの力じゃない。年を取って分かることがある。わしらはきっかけを作っただけだ。もともと咲は化け物じゃなかったんだよ。わしらがいなくても、いずれは今の咲になっていたさ。もっとその先を見てみたいと思うが……」
「どうした?さっきから随分と弱気じゃないか」
「年を取ったせいかな。最近、よく昔のことを思い出してな」
「……まだ、こっちにいられるのか?」
「いや、もうそろそろ出なきゃならん。死んだ隊員達の後処理がある」
芹沢は腕時計を見た。時刻は十二時半を回ったところだった。
「飯を食う時間もなさそうだ。それじゃ、すまんが後は頼む」
「ああ、任せてくれ」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回は2/28(水)投稿予定です。