囮
初投稿です。
よろしくお願いします。
「まったく、ちい兄にいくら食わせてやってもキリがない。兄貴のヤツ、オレにばっかり面倒くさいこと押しつけやがって」
雅春は毒づいた。それも当然のことだった。兄弟がヴァンパイアになってからというもの、狩りに出されるのはいつも末っ子の雅春だった。
「お前じゃ、雅司を押さえられないだろ」
それが長男の雅臣の言い分だった。
確かに、次男の雅司はもはや雅春の手には負える状態ではなかった。
かろうじて残っていた理性も消え去り、今では獣と何ら変わりがない。食って、寝て、起きて、また食って。それだけだ。腹が減ると狂ったように暴れる。そうなったら雅春ではどうしようもない。雅臣の出番だ。
不思議なことに、あんな化け物になっても雅臣の言うことだけは聞く。
「赤ん坊の頃に戻ったんだよ」
雅臣が言った。
「だから、俺のことだけは覚えているんだろう」
「でも、いつまでこんなことを続けるんだよ。どれだけ食わせてやっても病気が良くなるどころか、悪くなる一方じゃねえか。人間だってバカじゃない。こう立て続けに人がいなくなれば、俺たちのことだってバレるに決まってる。そしたら……」
「じゃあ、どうすんだよ!殺せっていうのか!お前、自分の兄弟を殺せるのかよ!」
普段は温厚な雅臣だが、この時だけは逆上して灰皿を雅春に投げつけた。灰皿は雅春に当たって、吸い殻を床にぶちまけた。
だが、本当は雅臣も雅春の言うことは分かっていたのだ。ただ決心がつかないだけなのだった。
「もう少し待ってくれ。やる時は俺がやる。でも、もう少しだけ時間をくれ」
雅臣はそう言って、雅春に頭を下げた。雅臣の肩は震えていた。雅春はそれ以上、兄を責めることができなかった。
「でも、いくらなんでも限界だ」
雅春は嫌な予感がしていた。
「せめて、この町から出た方がいい。今夜もう一度、兄貴と話し合おう」
雅春はそうつぶやくと、音を立てないように歩を早めた。考え事をしていたせいで、後をつけていた少女との距離がずいぶん開いてしまった。
雅春が少女に目をつけたのは、八田駅の南口にあるファッションビルの前だった。
日が落ちた南口では、バスターミナル前の路面をショーウィンドウの光が華やかに照らし出していた。少女はディスプレイされた夏の新作バッグを眺めていた。
この町では見慣れない半袖のセーラー服を着た彼女は、待ち合わせをしている人々が次々と入れ替わる中で、ずいぶん長い間ビルの前にいるようだった。時々、若い男達が声をかけていたが、しばらく話した後、すごすごと、あるいは悪態をつきながら彼女から離れていった。そうして、再び彼女は手持ちぶさたな様子でショーウィンドウに目をやるのだった。
彼女がこちらを振り返った時、雅春は目を奪われた。
華奢な体つきだが、ショートカットの髪型と相まって、遠目にもはっきりとわかるほどの凛とした魅力を放っていた。
少女がちらりと雅春の方に目を向けた。雅春は反射的に人影に身を隠した。
少女は足下に置いてあった学生鞄と細長い布袋を拾い上げて歩き出した。気がつくと雅春は彼女の後を追いかけていた。
裏路地に入ると、車一台がやっと通れるほどの路地を挟んで、個人経営の小さな飲み屋が身を寄せ合うように並んでいた。週末は酔客で賑わうこの通りも、月曜となると閉店している店が多く、人通りもなかった。進んで若い女の子が歩くような場所ではなかったが、少女は何のためらいもなく路地を奥へ進んだ。
飲屋街を抜け、暗い公園の前の前に出ると、少女は角を曲がった。雅春は小走りで角まで進み、そっと中を窺った。
少女が雅治を見ていた。
雅春は思わず体を強ばらせた。
少女はゆっくりと雅春の方に歩いてきた。街灯の明かりに少女の顔が照らし出された。
美しい少女だった。透き通るような白い肌をしていた。
こうして間近で見ると、とても整った顔立ちをしているのが分かった。強い意志を感じさせる少女の大きな目が彼女の凛とした印象を決定づけているのだった。雅春が人間だったら、きっと一目で恋に落ちたに違いない。
だが、ヴァンパイアとなった今は、雅臣に湧き上がったのは、恋心などではなく、彼女の血を吸いたいという強い衝動だった
「何か用ですか?」
「あ、ああ、ちょっと道を聞きたくてね」
生返事をしながら、雅春は素早く周囲を窺った。暗い通りに人の気配はなかった。街灯がぼんやりとした明かりを誰もいない道を点々と照らしているだけだ。
よし、と雅春は思った。
「道?」
少女は嘲るような笑みを浮かべた。
「わたしの後をつけてたみたいですけど」
「へぇ、気がついていたのか。怖いとは思わなかったのか?」
「慣れてますから」
「ふーん」
雅春は少女が肩にかけている細長い袋に目を向けた。錦の紋様をあしらった高級なものだ。
「剣道をやってるんだ?」
「そんなとこです」
「強いんだ?」
「痴漢なんか簡単に撃退できますよ」
少女は長袋を軽く振ってみせた。
人間相手なら役に立ったのかもしれないが、ヴァンパイア相手にはどうかな、と雅春はほくそ笑んだ。
「それにしても、わざわざ自分から人気のないところに来るなんてなあ」
雅春は少女ににじり寄った。
「だって、その方がやりやすいでしょ」
「分かってるんだったら話が早い。一緒に来てもらうぜ」
雅春は乱暴に少女の腕をつかみ上げた。
「紅い瞳をしているんですね」
少女が雅春の目をのぞきこんだ。
雅春を見る少女の黒い瞳には恐怖心など微塵もなく、今の状況を楽しんでいるような余裕すら感じられた。
雅春は気に入らなかった。どんと少女を突き飛ばした。
「お嬢ちゃん、大人をナメてると痛い目に合うぜ」
雅春は牙を剥いてすごんで見せた。
「すごい牙」
少女はくすくす笑い出した。雅春は腹が立った。
「ちい兄に渡すつもりだったけど、計画変更だ。お前はオレが殺す。両手足をへし折って動けなくしてから、時間をかけてゆっくり血を吸ってやる。命乞いしても許さねえ」
「まあ、こわい」
少女はするりと雅春の脇をすり抜けて、長袋の口紐をほどいた。
「ふざけるなっ!」
雅春が少女に飛びかかった。
少女の腰から光が放たれた。ように雅春には見えた。
雅春には何が起こったのか分からなかった。口を開けてぽかんとしていると、頭上から何かが落ちてきた。人間の腕だ。見慣れたデジタルの腕時計をしていた。雅春の時計だ。驚いた雅春が左手を見ると、肩口から先がきれいになくなっていた。
激痛とともに、勢いよく血が噴き出した。
「お、お、お……」
言葉にならない呻き声を上げて、雅春は膝をついた。
「言ったでしょ、簡単に撃退するって」
右手に日本刀を構えた少女が薄ら笑いを浮かべて見下ろしていた。
下段に構えられた刀身が月光を冷たく照り返している。
雅春の背中を冷たいものが流れた。
少女が切っ先を軽く上に向けた。
雅春は慌てて飛び退いた。
ふふんと笑って、少女は刀を鞘に戻すと、切り落とした左腕を拾い上げた。
「これはもらっておきますね」
少女は雅春の左腕をひらひらさせた。
「か、返せ!」
雅春が少女に手を伸ばした。
左足に衝撃を受けて、雅春は地面に突っ伏した。腿から血が噴き出した。
顔を上げると、少女の後方で機動隊員がライフルを構えていた。ゴーグル付のヘルメットを被り、全身をプロテクターで固めた重装備だった。
「お前ら、警察か?」
少女は悪戯っぽく笑った。罠にかけられたことを雅春は悟った。
「畜生!」
雅春は少女に殴りかかった。
怪我をしているとはいえ、ヴァンパイアの一撃である。人間にかわせるスピードではなかったが、少女は軽くかわした。雅春はバランスを崩して一歩二歩よろめき、膝をついた。
「お前、本当に人間か?」
「さあ、どうでしょう?」
隊員が再度ライフルを構え、雅春に狙いをつけた。
「くそっ!」
雅春は道路の端まで走り、ブロック塀を踏み台に民家の二階までジャンプした。そして、よろめきながら屋根伝いに走り出した。
「怪我をしてるのに元気なことだ」
笑いながら少女が振り返ると、ライフルを持った隊員が指で丸を作った。
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