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無明を断つ

捨身必滅、一打必倒

作者: MIROKU

「では父上」

「うむ」

 十兵衛と宗矩、二人は道場にて対峙した。

 将軍家剣術指南役、柳生又右衛門宗矩。

 その嫡男、柳生十兵衛三厳。

 二人は共に先師の上泉信綱から無刀取りの妙技を受け継ぐ親子でありながら、互いに生涯最大の好敵手だ。

 袴姿の二人は道場中央で向き合った。

 時は止まったかのように十兵衛も宗矩も動かない。

 捨身必滅の覚悟、一打必倒の気迫。

 両者の間に満ちるのは、そのようなものだ。

 そして十兵衛と宗矩は互いに、ゆっくりと対手の右手側に回りこもうとする。

 対手の死角へ――

 自分からは近く、対手からは遠く。

 有利な間合いを狙っているのだ。

 静かで派手さはないが、互いに息詰まる闘いは開始されている。

 ――やる。

 十兵衛の心にはそれしかない。

 相手が誰であろうと、自身の最高の技で勝負する。

 組んだ瞬間に背負って投げる。それだけだ。

 不意に十兵衛は踏みこんだ。疾風のようだ。

 十兵衛と宗矩が互いに激突し、組み合ったと見えた瞬間、十兵衛は背中から道場の床に叩きつけられていた。

「うむ……」

 十兵衛は息が詰まる。

 宗矩の左手に右袖をつかまれたと思った瞬間、十兵衛は体勢を崩し、更に道場の床に投げ落とされたのだ。

 刹那の間に閃いたのは、宗矩が左手一本でしかけた体落だ。後世の柔道の技だ。

「まだまだだな十兵衛」

 宗矩は十兵衛を見下ろして口元を緩ませた。普段は厳粛な宗矩が、まさか笑顔を見せるとは。

「は……」

 十兵衛は道場の床に倒れたまま空返事をした。

 父の宗矩は数年前に他界しているはずではないか。



「……うん?」

 七郎は夢から覚めた。

 茶屋の店先の床几に腰かけて、白昼夢を見ていたらしい。

「夢か……」

 隻眼の七郎は苦笑した。父の夢を見るとは久方ぶりだ。どうやら父は、あの世から七郎の様子を見守っているようだ。

 いや、武の深奥の最果てで待っているに違いない。七郎もまた武の深奥を目指す者だ。父は七郎が精進の日々を送っているのか、確認に来たのだ。

「ふふふ……」

 七郎は苦笑して江戸の空を見上げた。慶安の変を経た江戸は天下泰平であろうか。

 いや、違う。

 世の平和は、人間の手によって創られていくものだ。

 七郎は江戸の人々を守るために、白刃の下に身をさらして戦っている。

 平和を守る戦いこそ、武の深奥に通じる道ではないか?

 それでこそ天道ではないか。

「今日もお江戸は日本晴れだな」

 七郎は江戸の空を見上げて微笑した。茶屋で茶と団子を楽しむ。勝ち取った平和を楽しむ事は七郎の喜びだ。

 捨身必滅、一打必倒。

 その心得で明日を捨てて、今日を生きる。

 それが七郎の日々だ。

「女の尻ばかり追いかけてんじゃないよ」

 茶屋の老婆おまつの小言に、七郎は苦笑せざるをえなかった。

「いや、そんな事はしてないぞ」

「どうだかねえ」

 おまつは愉快そうに笑った。つられて笑った七郎は心が軽くなる。

 今日もお江戸は日本晴れだ。〈了〉


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