あとひとつで花は咲く
2013年11月3日。日本製紙クリネックススタジアム宮城で開催されたKONAMI日本シリーズ第7戦。東北楽天ゴールデンイーグルス対読売ジャイアンツの、この年最後の試合となる頂上決戦だった。
2011年3月11日。楽天の本拠地がある東北地方をマグニチュード9の地震と10メートルを越す津波が襲った。また、津波の影響により福島第一原子力発電所でメルトダウンが発生。2020年現在も、一部地域の立ち入りは制限されたままだ。死者と行方不明者は1万人以上に上る。
誰かが叶えたかった夢は叶わなくなってしまった。『まもなく開幕するプロ野球が見たい』『将来はプロ野球選手になりたい』そのような願いを、地球は飲み込んだ。
地震当日の仙台は昼頃から雪が降っていた。11月3日の仙台も天候は悪く、雨。試合は楽天が3点をリードして9回表を迎える。6回まで美馬学、8回までは則本昂大が無失点に抑えてきた。星野仙一監督は審判に投手交代を告げる。則本に代わって最終回のマウンドにコールされたのは背番号18、田中将大。
この年の田中の成績は28試合に登板して24勝0敗1セーブ。セーブはリーグ優勝を決めた埼玉西武ライオンズ戦でのものだ。212イニングを投げて35失点。防御率は1.27。最多勝、最優秀防御率、最優秀勝率、沢村栄治賞、ベストナイン、MVPを受賞するという、漫画かゲームのような成績を残していた。また、2012年シーズンから続いていた連勝とポストシーズンでの連勝を合わせ、野球の投手による連勝記録30がギネス世界記録に認定された。
しかしこの年、田中は敗れている。11月2日の日本シリーズ第6戦、勝てば楽天の日本シリーズ優勝が決まる大一番で田中は9イニング160球を投げ切るも4失点。打線の援護も及ばず3勝3敗と巨人に追いつかれていた。
中0日でのリリーフ登板。抑えるイニングはあとひとつ。2万5249人を動員し、球場の隣にある仙台市陸上競技場でのパブリック・ビューイングにも1万人以上が集まった。通常、楽天の抑え投手登板時のBGMはヨーロッパの『ファイナル・カウントダウン』だが、田中に限りFUNKY MONKEY BABYSの『あとひとつ』が使われる。田中登板に沸くスタンドからは『あとひとつ』の大合唱。
楽天は2013年がリーグ初優勝。創設9年目の若い球団であり、その名に反して輝かしい道のりは歩まなかった。初年度の成績は38勝97敗1分の最下位。0対26での大敗や2度の11連敗など、決して強い球団ではなかった。2020年までに6度も最下位になっている。東日本大震災では本拠地も被災。阪神タイガースの本拠地である兵庫県の甲子園球場で公式戦を行うこともあった。苦しい9年間の積み重ねが、楽天を強くしていった。
スタンドから歌が聞こえる。田中を応援する歌だ。戦後最大の悲しみを背負った東北の未来を担い、皆が見ている中で田中がマウンドに立った。『あとひとつ』の最後のフレーズではBGMが消え、観客の歌声だけが響いた。2本のヒットを浴びて1、3塁となるも無失点で2アウト。次の打者を打ち取れば試合終了。
最後の打者には3球続けてスプリットを投げた。1ボール2ストライク。あと1球。やはりスプリット。ワンバウンドしたがバッターは空振り。楽天の日本一が決まった瞬間、神の子と呼ばれた胴上げ投手は、その両手を仙台の夜空に高々と伸ばした。