初日 3
車に着く頃には小夜ちゃんは現実世界に戻ったみたいで、自分でさっさと助手席に乗り込んだ。でも乗ったらすぐに地図を広げて待つのはちょっと失礼じゃない?確かに道を間違えたのは俺だけどさぁ。まぁ間違えなければいいか。取り敢えず走り出そう。帰りはちゃんと高速の入り口まで看板が出てるしね。
「どうしよっか。ちょうどいい時間だから、向こうに戻ってからご飯にして、そのあと市役所に行こうか」
うなずく小夜ちゃん。運転中にうなずかれても確認するのにわき見運転になるんですが…。雰囲気で察しろという事なのかな?
「何が食べたい?嫌いなものはある?」
今度は首を振る。本当かどうかわからないけど、嫌いな食べ物はないって事でいいんだよね。どうしようかなぁ、ほんとこう言う時って困るよね。無難なファミレスでいいか。
後ろから来る全ての車に追い抜かされながらも無事に道に迷うことなく市役所の近くのファミレスへ到着。知ってる道なら迷いません。だから助手席で一生懸命地図を追わなくても大丈夫なんですよ、小夜ちゃん。
ファミレスではちょうどお昼過ぎだったため、案内待ちの先客が4組程。店員さんに確認すると15〜20分程で案内が出来るそうなので、小夜ちゃんに決めてもらいましょう。
「待てる」
はい、なら名前を書いて待つとする。別に急ぐ旅でもないしね。しばらくぼけーっと立ってると待合のソファーに座って待っていたサラリーマンの1人が席を譲ってくれた。お礼を言って小夜ちゃんに座ってもらう。そしてその前に立つ。さて、今日のこの後の予定はどうしようかな。お昼を食べて市役所に行って、小夜ちゃんの買い物に行こうかな。
「小夜ちゃん。そう言えば今朝にお願いした買い物リストは作ってくれた?」
うつむき加減のままこちらを見ずに首を振る。あれ?作ってくれてないの?
「市役所の後に買い物に行こうと思うんだけど、欲しい物は何?取り敢えずベッドと机を買わないとね。後は細かいものとか何がほしい?」
またしても首を振る。こちらを見上げて、目が合って、そして、
「欲しい物は無いです。机はテーブルがあるし、寝るとこは布団だけでいい。それにまだ片付いてないから」
あっ、しまった。我が家にはリビングダイニングとベッドが置いてある8畳間、そして簡単な書斎にしていた6畳間があって、本当は8畳間を小夜ちゃんの部屋にしたかったんだけど、その部屋はリビングのすぐ隣で襖で仕切るようになってる。そして6畳間は玄関入ってすぐの扉を入ったところだから、女の子だしプライバシーとかの事を考えて6畳間にした。そして昨日の夜に本とかの簡単な荷物は移したんだけど、まだ机とかの大きいものは残したままだった。
「ごめん、忘れてた。だけど机とベッドは買おうよ。今晩片付ければベッドぐらい入るし、机を今日選んでまた明日に配送してもらえばいい事だしね」
それでも首振る。
「本当は部屋も要らない。寝るところだけもらったら十分です」
ったく、この子は。ちなみに昨晩に続きこのやり取りは2度目。部屋はどうする?って聞いたらいらないって言われた。
「あのねぇ、いいかい?君は俺の…」
「2名でお待ちの草野様!」
小夜ちゃんは何事も無かったかの様に立ち上がってそそくさと店員の後ろを着いて行く。やっぱり相当な頑固者だ。後で卑怯作戦を決行して一気に畳み掛けよう。つか、家を出るまではそんなに機嫌は悪そうじゃなかったのに、家を出た時から徐々に不機嫌へ。何か癪に触るような事があったかな……思い当たる節はいっぱいだ。
「ご注文がお決まりになりましたらそちらのボタンでお呼び下さい」
一礼して店員さんは去っていく。説得を始める前に注文を決めよう。
「小夜ちゃんは何にする?俺はとんかつ定食にするけど」
一通りメニューを眺めて指をさす。昨日の回転寿司でも思ったけど、この子は決断が早い。迷ってる素振りも無しに決める。昨日の回転寿司ではまずは一巡を眺めて、その後は淡々と取り始めた。って言っても4皿でお腹一杯になって、後は流れてくる寿司を見て満足してたみたいだけど。やっぱり不思議な子だなぁなんて思いながら俺は呼び出しボタンを押す。遠くでピンポーンって音が鳴った。店員さんが来るのを待つ間はなぜか無言。いや、今まで一緒にいても無言の時間の方が長いから普通の事か。
「お待たせいたしました、ご注文をどうぞ」
いえいえ、そんなに待っていませんよ。
「えーっと、ざるそばとカルボナーラのパスタセットで」
「えっ?」
驚く小夜ちゃん。確かに小夜ちゃんが指をさしたのはカルボナーラでした。だけどどうせ聞いても遠慮するだけだから勝手にセットにしてやった。心の中でちょっとだけほくそ笑んだのはやっぱり内緒。
「野菜もちゃんと食べなきゃね。大丈夫、食べきれない分は俺が食べるから。飲み物はどうする?」
「……オレンジジュースで」
「後は、ホットコーヒーを。あっ、食後にお願いします」
「はい。ではご注文を繰り返します―――」
わかった事がある。まだ俺に慣れてないだけかもしれないが、この子に自由選択権を与えると必要最小限の判断を下す。逆に選択権を与えず強制をすると、その強制された選択肢において最善を尽くそうとする。初めから頭に無いのか、強制された選択肢を覆そうとしない。ただし、初めに自由選択権を与えた場合、別の選択肢を強制しても初めに下した選択肢は覆そうにも簡単にはいかない。まぁ時と場合によるけど、昨日今日と半日一緒にいて感じた事。そして簡単にはいかない下した選択肢を別の選択肢に覆す時、その選択肢にする妥協点がみられて尚且つ、
「さっきの部屋の話なんだけど、やっぱり小夜ちゃんはあの部屋で、ベッドと机はちゃんと見に行って気に入ったものを買おう。そうじゃないと君が満足な生活を送れてないんじゃないかって俺が不安になるからさ。だからお願い」
「……うん」
この様に第三者を(この場合は第二者になるけど)引き合いに出せばしぶしぶながらも折れてくれる。自分の利害の中にはもちろん相手の気持ちも含まれてて、しかも相手の気持ちの占める割合が相当高い子なので自分より相手を優先する可能性が高い。つまり、意思の異常に強い頑固者の癖に相手を気遣う気持ちが人一倍あるって事なんだけど。やっぱりいい子なんだよな。
そんな事を考えていると早速注文の品が到着。まずはサラダから手をつける小夜ちゃん。満更でもない顔してるくせに。俺が一通り食べ終わった頃、小夜ちゃんもお腹一杯になったのか、パスタが半分ぐらい残ってる。もういいの?って聞いたら申し訳そうな顔をしながら「ごちそうさまでした」。そしてお皿が少し前に出てくる。もちろんこれを見越して少なめの注文をしたから早速頂きます。おっ、ちょっと親子っぽい?
食事が済むと俺のコーヒーと小夜ちゃんのオレンジジュースが届けられる。それと小夜ちゃんの前にはミニイチゴパフェ。やっぱり小夜ちゃんは女の子なんだよね、お腹一杯になってたと思ったのに簡単に空にしてしまった。満足そうに頬が少しだけ緩んでるよ。こんな表情が見られるなんてやっぱり注文してよかったよ。うんうん。
お互いお腹が満足したので、小夜ちゃんのジュースが空になったのを待ってお店を出る。
市営駐車場に止めている車に一度戻って忘れずに家から持ってきた養子縁組届出と午前中に堺さんから貰った書類を持って、市役所へ向かう。なんか緊張し始めてきたな。
しばらく歩くと市役所が見えてきた。役所なんて何年ぶりだろう。今の家に引っ越す時に住所変更をした時以来だから5年前か。そう考えれば俺も歳をとったもんだ。
自動ドアをくぐり2階の受付窓口へ向かうとたくさんの人がいる。こりゃ大繁盛だね。えーっと戸籍の窓口は4番か。番号札を取って待ち人数を確認。「12番目」って表示がしているって事は整理券を取った後だから11番目か。だいぶ待たないといけないな。
「かなり時間がかかりそうだね。どうする?どこかで遊んでくる?」
俺を見上げて首を振る。それじゃちょうど2人分のソファーが空いてるとこがあったので、そこに座って待とうか。
10分経過。俺はもともと待つ事が嫌いじゃなくて、ボケーっとしていられるから問題無いけど、小夜ちゃんは暇じゃないだろうか。隣でソファーに奥深くまで座って、浮いた足をぶらぶらさせてるし。
「暇じゃない?何か飲み物でも買ってこようか?」
一応首を振ってから、「大丈夫」だって。そりゃさっきまでファミレスにいたしね。
結局その後15分してようやく自分の番号が呼び出された。小夜ちゃんに待っててもらって、窓口へ向かいおねがいしますと全ての書類を渡す。窓口のお姉さんが書類を一つ一つチェックしてる間、近年稀に見る緊張が。身分証明となるものはお持ちですか?と聞かれたので免許証を渡す。ではお掛けになってお待ちください、だって。小夜ちゃんの元に戻ると小夜ちゃんの顔も強張ってる。
その後も20分程待って突然、「草野さーん、草野寝勒さーん!」あっ、はいはい。最後の窓口へ向かう。
「お待たせしました。まずは免許証をお返しいたします。養子縁組届けを受理いたしましたので本日より小夜さんは草野寝勒さんの養女となります。こちらが証明書となりますので保管をお願いいたします」
「あっ、はい。ありがとうございます」
若干声が上擦ったのはご愛嬌。振り返って不安そうな顔をしている小夜ちゃんに微笑む。ほっとした顔をして肩の力が抜けるのが見て取れた。やっぱり小夜ちゃんも緊張してたんだね。立ち上がってこちらに小走りに駆けてくる。お互い近くまできて市役所を黙って出る。そして市役所の自動ドアをくぐったところで、
「小夜ちゃん。本日よりあなたは草野小夜です。草野寝勒の娘となりました。至らない親ですが今後ともよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
って、二人してお辞儀をする。しばらく頭を下げてどちらからともなく顔を上げる。
「それじゃ行こうか」
そう促して歩き始めた時、真っ先にしないといけない事を思い出した。電話だ。
「ごめん、小夜ちゃん。忘れてた事を思い出した。今晩ちょっと小夜ちゃんを紹介しないといけない人がいるんだけどいいかな?」
小夜ちゃんはちょっとだけきょとんとした表情を浮かべて、うなずく。
「ごめんね、真っ先にしないとうるさい人だから」
そう言いながら携帯を取り出して電話を掛けはじめる。
プップップッ―――トゥル、ガチャ!
『おう、どうした』
「はやっ!仕事中にすいません課長、今いいですか?」
『いいぞ』
「今晩なんですけど、伺っていいですか?紹介したい女の子がいるんですが」
『なにぃっ!!!ほんとかぁっ!!!!』
いっってぇ!脳みそ揺らされたじゃん。声がでかいよ。耳がキーンってする。
「はい」
『なんだ、今日の野暮用って役所の事じゃねぇだろうな!!えぇ!?』
「はい、今さっき戸籍・・・」
『バカヤロォ!!!!何でもっと早く言わねぇんだ!!!!何時だ!!?』
だから声がでかいって。受話器をかなり離しておいてよかった。
「飯食ってから行くので8時ぐらいですかね」
『よし。飯食わずに5時な』
「いえ、買い物とかあるの…」
『5時だぞ!わかったな!!それじゃ家でな!!!』
ガチャ―――ツーツーツー
…強引すぎでしょ。
「ごめん、今日の買い物中止になっちゃった」
「朝の人?」
「うん、上司。えーっと、今3時だから…中途半端だな。家に帰って片づけをしようか」
小夜ちゃんが頷いたのを確認して歩き出す。まだ耳鳴りがするよ、声がでかいんだって。ってかね、
うちの会社の定時は5時半なんですが、あの人は5時に家にいるつもりなんだろうか……。
ウェイトレス「お待たせしました、こちらざるそばになります」
寝勒「ざるそばになる前のこれはなんですか?」
ウェイトレス「はい?」
寝勒「輪ゴムかっ!?」
小夜「はずかしい…」