夏休追い込み 1
カランカラーン。うおっ涼しいなぁ。
「いらっしゃいませ。開いている席へどうぞ」
あぁ、はいはい。あんまり目立つ席はイヤだなぁ。おっ、奥が開いてるな。そこにしよっと。一番奥の窓際の壁へ座ると、店員さんが水とおしぼりを持って来る。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
「ホットで」
「ホットコーヒーですね。わかりました、少々お待ち下さい」
そう言って席から離れて行く。
そろそろ8月も終わりを迎えようとしている今日。9月の足音を目前に控え、学生は夏休みの残りをカウントダウンし、更にその一部は残っている時間の少なさに気づき机に向かって悲鳴を上げている頃だろう。相変わらず日差しは自重する事を知らない様子で今日も猛暑と言う記録を叩き出そうと躍起になっている。毎年思うのだが、夏が終わる直前は必ず「猛暑」もしくは「冷夏」だったと、どちらかしか言わない気がする。いつか「今年の暑さは例年並みでした」と聞いてみたいものだ。
「お待たせしました、ホットコーヒーです」
いえいえ、全然待ってませんよ。でもここのコーヒーはいまいちなんだよなぁ。俺は気にしないんだけど風味というか香りが死んでるんだよね。たぶんまとめて淹れて湯煎しているからだと思うんだけど、早苗さんが飲んだら渋い顔するんだろうなぁ。普段は温厚な人なんだけど、ことコーヒーになると途端に厳しくなる。俺も教わっている時に何度怒られた事か。
まぁそんな思い出はいいとして、なんでこの店にいるかと言うと、ここの喫茶店は学校に近くて、
カランカラーン。
「いらっしゃいませ、おひとり様ですか?」
「いえ、待ち合わせが・・・」
入り口付近でTシャツにジャージの男がキョロキョロし、俺と目があってこちらへ向かってきて、
「すみません、遅くなりまして」
俺の向かいに座ってハンドタオルで汗を拭っている。
「いえ、今来たところです。お忙しいところにわざわざすみません」
言わずと知れた推定体育教師の岸本先生と待ち合わせをしていたのだ。
「大丈夫ですよ、子供たちが夏休みでも教師は出て来ないといけないってだけですから。なんたって、私たちも公務員ですからね。あっアイスコーヒーを下さい」
水とおしぼりを持って来た店員さんオーダーを伝えて、おしぼりで顔と首周りを拭く。
「ふぅ、すっきりしました。親父臭いからやめろと言われるんですが、親父と言われてもこの気持ちよさは手放したくありませんね」
「それは同感です。脂ぎった顔をしているのとどちらが良いか比較してもらいたいものです」
「確かにその通りですね。小夜ちゃんはどうですか?宿題は終わっていますか?」
「えぇ、7月中にはほとんど終わっていた様子です。今日は天気が良いから加奈ちゃん・・・いえ、松山さん達とプールに行ってます」
沖縄旅行から帰ってきてから毎日の様に加奈ちゃんが家に来て2人で宿題をやっていたみたい。加奈ちゃんが勉強を教えているのかと思いきや、1学年下の小夜ちゃんが教えていたと言うのだからびっくりした。何と言うかまぁ・・・ね。
「そうですか、それはいけない事を聞きました。夏休みの宿題は毎日コツコツやるものです」
うわっ、しまった。
「あっ、いえ、その・・・」
眉間に皺を寄せて厳しい顔をする岸本先生。やばい、どうしよ。相手は担任の先生だって忘れてた。えーっと、何か良い言い繕いは、やべぇ浮かばねぇ・・・。
「・・・冗談ですよ。言われた通りに毎日やる子供なんて絶滅危惧種です。まとめてやってしまう子供がほとんどですよ。それが早いか遅いかの違いだけで」
にやけた表情を俺を見てる。からかわれたみたいだな。
「いやぁ、心臓に悪いですよ先生。それにしてもその違いは大きいですね、私も後半のラストスパート組でしたが100メートル9秒を切る勢いでしたよ」
悲鳴を上げたいけど、その悲鳴を上げている時間が惜しいんだよな。結局一部はやりきれずに学校が始まってしまうのだが。
「大きな声では言えませんが、私もその一員です。その癖は今でも抜けません」
クスクスと小声で笑っている。聖職者とは言え、中身は人間だしね。世の中には反面教師で教える先生もいるとかいないとか。
「そんな事はさておきまして、聞きたい事とは何でしょうか」
丁度アイスコーヒーも届き、一口飲んでから本題に入ろうとする。その一口で半分減った事についての突っ込みは今回はやめておこう。
「ええ、お聞きしたい事とは・・・小夜ちゃんの事なんです」
「でしょうね。それ以外の事を聞かれても困りますが」
「はい、やはり気になる事がありまして、先生は何かご存知の様子でしたのでお聞き出来ればと」
その為に会社を早退までして来たんだから。
「以前の学校・・・ですか?」
いや、学校だけじゃなくて、
「正確には以前の生活と言った方がいいと思いますが・・・」
まずは岸本先生に聞くのが早いと踏んだ。核心には迫れないと思うが材料を集めない事には料理が出来ない。
「わかりました。ですが私が知って事なんて少ないですよ」
「ありがとうございます。少しでもあの子の事がわかれば十分です」
本人に聞くのが一番手っ取り早いのだがデリケートな部分もはらんでいそうだし、何より小夜ちゃんは話してくれないだろう。家に来た時から既に試みている訳だし。
「そうですね。私も気になっていたので前の学校に問い合わせてみました。やはりと言いますか、入学当初から休みがちだった様で、3年生では全く学校に行ってなかったみたいです」
やっぱりか。保護者面談の時の思わせぶりはここから来てるんだな。
「学校に行ってなかった理由はなんですか?」
「そこまでは聞けませんでした。以前の担任の先生は既に異動になっていまして」
そうかぁ、そこが一番肝心なのに・・・。
「たまたま私の大学時代の同期がいましたので聞いてみたんですが、草野さんはご存知の通り、前はおばあさんと二人暮らしだったとか」
「えぇ、その方から手紙で小夜ちゃんを託されました」
小夜ちゃんのお母さんの叔母さんだな。
「そしてよく警察沙汰になっていた」
!?
「ちょっ、ちょっと待ってください。警察沙汰?」
「はい、その為に児童相談所が出入りしてたみたいです。ご存知ではありませんでしたか?」
いや、知るも知らないもそんな事は微塵も感じさせなかった。もちろん手紙も書いていないし本人からも聞いていない。
「どういった理由で警察が呼ばれたのかわからないそうです。最近の教育現場では触らぬ神に祟りなしと、家庭環境まで口を出そうとしませんから、全く嘆かわしい事です。同じ教育者としてお恥ずかしい限りで」
そういって俺に頭を下げる。
「いえ、顔を上げてください。何も岸本先生に限った話ではありませんし、他の先生の代表で頭を下げて下さるのでしたらそれは私にではありませんから」
「本当に面目ありません。私が知っている事はこれぐらいですね、同期の先生も口が堅くこれ以上の内容は聞けませんでした」
「いえ、十分です。あとは自分で調べてみます。何から調べてよいかわからなかったので、大変助かりました」
まさか警察沙汰が起きていたとは全然思いもしなかった。まぁでも、そのおかげで調べるきっかけが出来た事に違いない。近いうちに前に住んでいたところへ行って近所の人に話を聞いてみよう。きっと何か出てくるはずだ。
「わかった事でもし差支え無いようでしたら私にも教えていただけませんか?」
「それはもちろん。気に掛けていただいてありがとうございます」
岸本先生からの情報で引き出せる内容が多岐に渡りそうだ。わかった事でも聞いた内容以上の事がある。
「それでは、私は仕事がありますので失礼します」
「お忙しいところすみませんでした」
「とんでもない。お力になれることがありましたら遠慮なく仰って下さい」
「ええ、ありがとうございます」
一礼をして店を出て行った。さて、それじゃ多少の進展もあった事だしこれから本腰を入れて情報集めをしないとな。にしてもここのコーヒーは美味しくないなぁ。
寝勒「いつもジャージなんですか?」
岸本「ええ、そうですけど?」
寝勒「学校でもジャージですか?」
岸本「はい。フォーマルですから」
寝勒「まさかプールの授業でも?」
岸本「まさか着替えるとでも?」