1年目 夏4
人さらいが嵐のように去っていった後、一人残された俺は海に行こうか、このまま部屋で一眠りしようか悩んでいたのだが、結局海に行くことにした。本音を言えばこのまま部屋にいたかったのだが・・・。
適当に海パンとTシャツに着替え、小夜ちゃんが忘れて行った萎んだ浮き輪を持って部屋を出る。浮き輪を売店へ膨らませに行こうとするが、その前に隣の扉をノックする。たぶんまだいるよなぁ・・・。
「はーい、どなた?」
この声は早苗さんだな。
「草野です。小夜ちゃんはまだいます?」
「ちょっと待って」
扉をほんの少しだけ開けて隙間から覗かれる。
「なに?どうしたの?」
部屋の中が見えませんが中はどうなっているのでしょうか。覗いてもいいですか?
「いえ、このカードキーを渡してください」
隙間からカードキーを渡す。
「俺は先に海に行きますから、忘れ物があるといけませんので渡しておきます。あっ、浮き輪は持って行きます」
「そう、伝えておくわ。じゃあ後でね」
そう言ってすぐに扉を閉めてしまった早苗さん。呆然と立ち尽くす俺。何これ、すっごく寂しい。ちょっとした疎外感を感じつつ売店へと向かう。効果音はトボトボでお願いします。
売店に着くと既に高浜さんがでっかいワニを膨らませているところだった。それにしても高浜さんは体つきがいいなぁ、これが実用的な筋肉だからびっくりだよ。確かアメフトだったかラグビーをやってたんだよな。一緒に歩きたくないなぁ。
「おや?草野君、元気がないけどどうしたの?小夜ちゃんは?」
「隣に誘拐されました」
「えっ?」
頭の上に大きな疑問符を浮かべる高浜さん。
「身代金要求が無いのが気になります」
「あっ・・・そう・・・大変だね」
大体の事情はわかってくれたみたい。ただ誰に誘拐されたかまではわからないみたいで、
「犯人はやっかいそう?」
一応心配をしてくれる。
「いえ、誘拐犯らしからぬ幼さでしたので大丈夫だと思います。その保護者らしき仲間もいました」
人質の安全は守られている事は確実だ。もう一方の隣だった場合は・・・想像もしたくない。
「なるほど、愛する娘を取られて意気消沈中なんだね。まぁそんな事はいくらでもあるさ。はい、僕は終わったよ。それやってあげようか?」
俺が持っていた浮き輪を顎で指す。
「すみません、お願いします。奥さんと息子さんは?」
浮き輪を渡して空気を入れてもらう。にしてもコンプレッサーの音がうるさい、綿菓子屋を思い出すね。
「女は色々と時間がかかるんだってさ。聡はお母さんにべったりだし。そう考えると草野君と一緒だね」
なるほど、高浜さんは追い出されたって事か。ちなみに聡君は高浜さんの3歳になる息子さんね。
「よしっ、終わったよ。さて、海に行こうか」
空気を入れてもらった浮き輪を受け取り、でっかいワニを脇に抱えて先に歩き出す高浜さん。遅れて俺も歩きだしたのだが、後ろから見るとワニを素手で捕獲した人に見えるのが面白い。今晩はワニの唐揚げですね。
「あ!草野さんと高浜さんだ!おーい!!」
ホテルから出るところで環ちゃんと進藤さんも向かうところだったらしく、すぐそばにいるのに環ちゃんに呼ばれた。
「環ちゃん、そんな大声じゃなくても十分聞こえてるよ」
「二人とも今から行くの?」
進藤さんはTシャツにホットパンツ姿で、環ちゃんはビキニのまま片手に荷物を抱えてる。それにしても環ちゃんはもっとぽっちゃりしてるかと思ってたけど、出るところは出て締まるところは締まってる。こりゃ・・・竹さんが訴えられるな。
「はい、みんなはもう?」
「他の男連中は先に行ってるよ、後は出遅れ組ってわけだ」
厳しい日差しの中、案内通りに下っていく。こりゃ日焼けに気をつけないと後が大変な事になりそうだ。アスファルトからの照り返しも辛い。それにしても湿気が無いだけでこうも体感温度が変わってくるんだな。
「うわー!南国だぁー!!」
しばらく歩くと急にビーチが開けてきた。真っ白い砂浜に椰子の木みたいなのが等間隔に並んで、ビーチパラソルが所々開いている。ホテルのビーチだからプライベートとまではいかなくても、もっと人が少ないと思ってたんだけど結構人がいるなぁ。まぁ7月中旬の連休だからしょうがないか。さてと、課長たちはっと。周りを見渡していると、
「おーい!ロクっ!!こっちだ!!!」
呼ばれた方をみるとパラソルの下に課長と竹さんがいた。陣取られた場所へ近づいてみると圭介君と太一君がいない。
「ロクちゃん遅かったねぇ」
「ええ、ちょっとゆっくりしてから来ました。2人は?」
噂をすればなんとやら。クーラーボックスをを下げた圭介君が汗だくになって帰ってきた。その後ろからは買い物袋を下げて涼しい顔をしてる太一君。
「やばいっす!超重たいっす!」
「おつかれ、ありがとな」
早速届けられたビールを開けて飲み始める課長。ゴクゴクと喉が鳴り・・・なげぇな。
「ぷはっ!やっぱ海でのビールはまた違うなぁ!」
と350mlの缶をつぶす。いきなり飲み干すのはどうかと・・・。そして2本目を開ける。まぁこの人はいつもの事だから放って置こう。
「さてと、ひと泳ぎしてこようかな。どうだい太一君、沖まで体を慣らしに行かないかい?」
「そうですね。いいですよ」
2人は準備運動を始める。こうやってみると体つきがいい。高浜さんはボリュームがあるって感じだけど、太一君は細いながらも引き締まった体をしている。なるほど、だから俺の家の片付けやなんかも軽々と出来るわけだ。それにしても高浜さん、今更ですが海でブーメランは気合が入り過ぎではないでしょうか。
「草野君もどうだい?」
「いえ、俺はやめておきます」
「そう。たまには体を動かした方がいいよ」
きっとこの2人の事だからハードなんだろうなぁ。運動があまり得意でない俺としては観てるだけでお腹いっぱいです。そう言えば二人とも草野球チームの一員だったな。あと圭介君も。圭介君を見ると竹さんと共に何かに目を奪われている。もしかして・・・、
「それにしてもタマちゃん・・・」
「これはやばいっすね!」
特に竹さんの目の色が変わってる。これはまずいな。
「竹さんと圭ちゃん、きもちわるいー。こっち見ないでください!」
腕を組んで、胸元を隠す環ちゃん。本気で気色悪がってるし。
「えー、目の保養だよ。ここは日頃の感謝を込めて、揉ませろと言わないからさぁ、指でつつかせて。小指でいいからさぁ」
とうとう退職の時が来たか。胸元を隠したまま俺の後ろに回る環ちゃん。そして、目の前には目が血走ったゾンビが2体。
「環さーん何カップっすかぁ??」
「いいじゃーん減るもんでもないんだしさぁ」
駄目だこの二人、早くなんとかしないと。さて、何か道具は無いかと周りを探し始めた瞬間、
「「いてっ!!」」
2人して頭を抱え、屈み込んで苦悶してる。その後ろに仁王立ちで見下してる竹さんの奥さんと進藤さんが。見てるこっちまで萎縮するほど怖い・・・。
「ロクちゃーん!おまたせー!!」
砂浜を元気に走って来る加奈ちゃん。その後ろには早苗さんと小夜ちゃん、高浜さんの奥さんと息子さんがゆっくりこっちに向かってる。
「走ると危ないよ!」
そのまま目の前で豪快にヘッドスライディングを。ほらいわんこっちゃない。しかしすぐに起きあがって俺に体当たりをしてくる。地味に痛い。
「おっまたせー!うみー!!」
体当たりを反動にして方向転換し、そのまま海へ走っていく。いやぁ、元気だ。
「ロクちゃんおまたせ。はい、どうぞ」
って、早苗さんが俺の前に小夜ちゃんを差し出す。どうぞと言われても・・・。大きめのパーカーを来た小夜ちゃんは俺を見上げる。いつも通りの無言です。さて、どうしたものかと見つめ合ってると、
「もしかしてロクさんロリコン?」
耳元でささやく声が。
「け・い・す・け・く・ん?」
「やべぇ!ロクさんが怒った!!にげろー!!」
俺が振り返った時にはすでに走り出していた。追いかけようと思ったのだが向かった先に海に入ろうとしている高浜さんがいる。
「高浜さん!!お願いします!!!」
俺を見てから向かってくる圭介君を確認し、一度だけ大きく頷く。そして高浜さんを避けようと斜めに方向転換した圭介君に対して腰を落とし、ものすごい勢いで走り出す。圭介君もそれに気づいたのか更に加速したのだが砂地では思うより速度が出ないらしくすぐに高浜さんに追いつかれる。そして高浜さんは勢いを殺さずにそのままダイブ。「ぐえっ!」って声と共に体がくの字に曲がりそのまま動かなくなる。あー、少しは手加減してあげてもよかったかな。まさか肩から行くとは・・・。ご愁傷様です。
余計なことを口走った悲惨な男の末路を確認した後、またしても俺の横で見上げる女の子。再び無言なんだけど。何かしゃべらないとなぁ。
「どうだい?初めての海は」
無難に感想を聞いてみる。小夜ちゃんは見上げていた視線を海へと動かして、
「・・・青い」
なるほど。わかりやすい感想ですね。
「あれって水平線?」
遠くの方を指差して俺に聞いてくる。飛行機の中からでも見えてたけど、そんな余裕が無かったからな。
「そうだよ、面白いよね。昔の人はあそこの向こうは大きな滝になってるって思ってたんだから」
あと、天動説を唱えた人達はすごい自己中心的なんだと子供ながらに嫌悪した覚えがある。どれだけ自分に自信がある人達なんだと。
「・・・あそこまでどれぐらい?」
どれくらいって?距離の事かな?えーっと、円だから三平方が使えるか。地球の半径ってどれくらいだっけ。たしか一周が4万kmで、小夜ちゃんは小さい方だから目線だと1mぐらいかな。そうすると・・・、電卓が欲しいな。文明の利は人を堕落させるとはよく言ったものだ。
「だいだい3km半ぐらいかな?」
俺だと4km半ってとこだね。
「・・・近い」
確かに。今まで考えた事もなかったな。
「そうだね。歩いて1時間かぁ、すぐだね」
現実って意外にも箱庭だったんだね。小夜ちゃんに聞かれるまで気が付かなかったな。
「さーよーちゃーん!ロークーちゃーん!!」
元気な声が再び近づいてくる。
「ねぇねぇ!まだぁ?小夜ちゃん行くよ!!はーやーくー!!」
加奈ちゃんが小夜ちゃんの裾を引っ張り急かす。困った顔で俺を見上げてる小夜ちゃんだが、
「行って来なよ。目一杯遊んでおいで」
そう声をかけたんだけど、なぜかちょっと不満気な顔。海が嫌なのかな?そうでも無いみたいだけど・・・。すると着ていたパーカーを脱いで俺に渡し、浮き輪を持って行ってしまった。わからない、何が不満なんだろう。ちょっと怒ってるみたいだったし・・・。
「機嫌を損ねてしまいましたね」
俺の横で急に声がしてびっくり。振り向けば進藤さんが目を細めて小夜ちゃんと加奈ちゃんを見ている。
「うん、なんで怒ったのかわからないけど・・・」
怒るような事があったか?
「小夜ちゃんも女の子なんですね」
ん?女の子??
「それは知ってるんだけどねぇ」
見たままなんですが・・・。
「やっぱりわかっていませんね。だから小夜ちゃんは拗ねたんですよ。さて、私も行こうかな」
進藤さんが俺の目の前で着ていた服を脱ぎ始める。下には水着を着ているとは言え、こんな目の前で脱がれると・・・心臓に悪いです。あまりしっかり見たわけじゃないけど、進藤さんもスタイルが良い。白のビキニなんだけど、肌も白くて全体的にほっそりとして見ていて綺麗だなぁ。こんな日差しの下で透き通るような白さが眩しい。
「さっ、環。聡君も行こうか。では草野さん、お姫様のご機嫌を取ってきますね」
そう歩き出してから振り向いていたずらっ子の様に微笑む。そしてすぐ傍で一緒に砂遊びをしていた高浜さんの息子さんと環ちゃんの3人で海へと向かった。
俺は一瞬ドキッとしてしまい、何も言い返せなかった・・・。してやられたな。波打ち際で5人が戯れている姿を見ながら小夜ちゃんが怒った理由を考えた。考えてたんだけど、急に耳元で、
「聡君いいなぁ、ハーレムだなぁ、俺と代わって欲しいなぁ、いいなぁ」
ってうわ言が聞こえてくる。
「竹さんは駄目です。あなたが行くと犯罪になります」
「えー、だってぇ、羨ましいなぁ、いいなぁ」
ずっと耳元でぼやかれたら考えられるものも考えられないよ・・・。
小夜「とうとう20話です」
寝勒「ごめんなさい」
小夜「?」
寝勒「当初の予定ならもっと月日が経ってたんです」
小夜「・・・」
寝勒「なんでこんなに長いの?」
小夜「ある人が詰め込み過ぎって怒ってたよ」