1年目 夏2
「お客様の中でお医者様はいらっしゃいませんか!?」
機内に響きわたる女性の声。
「お客様の中にお医者様は・・・」
「環ちゃん、他の人に迷惑」
「えー、一度やってみたかったのにぃ。草野さん、のりがわるいー。そこは医者は医者だけど、歯科医でもいい?って来るところぉ」
飛行機の中。ちなみにまだ搭乗したばかりで離陸すらしていない。
「タマちゃん、そこは歯医者よりも耳鼻咽喉科とかどう?響きとかいいよねぇ。いてっ!」
竹さん、あんた下ネタかよ。奥さんに頭を叩かれてるし。グーで。
「おい、竹!席がせめぇ!もっとでかくしろよ!」
あぁ、また課長が何か言い出したよ。
「無理無理。恨むなら自分の予算取りを恨むんだねぇ」
叩かれた頭を撫でながらニヤニヤしながら答える。竹さん、あなたがそんな返しをすると、
「んだと!おい、ロク!!」
ほら来た、なんだよ。
「前のシート外せ!」
それはどう考えても無理でしょ。
「俺には言っている意味がわかりません。ご自分でどうぞ。そのかわり課長は沖縄不参加になります」
「あぁ?てめぇ、なんて言った!?」
あー、めんどくさい人だなぁ。ここは一発で終わらせよう。太一君に目配せ。頷いて答えてくれる。そして、
「親父うるさい!おとなしく座ってて!!」
「お、おう・・・」
はい、終了。お互い親指を立ててサインの交換。ここぞって時の太一君だよな。
「あい、あむ、ちきん!」
「そうそう!そうやって頼むんだよ」
今度は・・・また竹さんか。またしても顔をニヤニヤさせて加奈ちゃんに何かを教えてるけど、多分機内食はどっちがいいかってやつだよな。色々突っ込み所が・・・。
「竹さん、間違ったことを教えないで下さい。加奈ちゃん、今のは忘れていいからね」
「あい、あむ、ちきん!」
あぁ、なんか気に入ってるし。
「うん、それは大声で言わない方がいいよ。特にこのハゲの人から聞いたことはすぐに忘れてね」
「ハゲてないもん、ボウズだもん。ロクちゃん酷いよぉ」
変な甘い声を出して泣き真似をしてる竹さん。30を越えたボウズ頭のおっさんがそんなオカマみたいな事されると、
「竹さん、本気で気持ち悪いです。もうこれ以上変な事をしないで下さい。小夜ちゃんにハゲって呼ばせますよ。しかも変な英語を教えないで下さい。これは国内線なので英語で聞かれませんし、機内食も出ません」
「えっ!?出ないの!?」
次に食いついたのは圭介君。ったく、次から次へと。
「やべぇ、俺食べれると思って朝飯抜いてきたのに。ロクさん、それマジっすか!?」
「マジ。向こうに着いたら何か買ったら?」
「えーっ!腹減ったー!!誰か食べるもの持ってないっすか?ひもじい思いをしてる子がここにいますよー!」
あー、うるさいのが一人増えた。さてどうしよっかなーって考えてると急に進藤さんが立ち上がり、
「たった2時間ちょっとのフライトで出る訳ないでしょ!あなたも大人しく座ってる!もう!みんなも大人しくしてる事!周りに迷惑をかけない!!わかった!?」
一同沈黙。
「返事!」
「「「「はーい」」」」
今まで黙って聞いてた進藤さんが、とうとう怒鳴った。ふぅ、これで俺も落ち着く事が出来る。怒ると体力を使うから嫌だって言ってるけど、出来ればもっと早めに彼らを押さえつけて欲しかったな。まぁいいや、ようやく席でくつろげる。それにしても隣に座ってる小夜ちゃんがいつもと様子がおかしい。
「どうしたの?」
すでに座席でシートベルトをし、顔を強ばらせて、拳を堅く握ってる。もしかして、
「小夜ちゃん、飛行機が怖いの?」
反応無し。ひたすら足下を見て堪えてる感じ。離陸のアナウンスがあり、飛行機のエンジンが唸りをあげ始めると体をもっと強ばらせる。こういう時はどうすればいいんだろう・・・。とりあえず安心してもらうには・・・。
小夜ちゃんの堅く握りしめられた拳を両手で包み込む。すると俺が横にいる事に初めて気が付いたみたいに、俺を見て一瞬だけ驚いた顔をするが、その後は不安そうな顔をする。
「小夜ちゃん、大丈夫。俺が隣にいるから安心してね」
俺がいるから何か出来る訳じゃないんだけど、出来るだけ優しく声をかける。そうすると徐々に手の力が抜けてきた。少しは効果があったかな。そして片方の手を繋いで、
「ほら体の力を抜いて深呼吸」
俺も一緒に吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー。体が強ばってた事にやっと気が付いてくれたのか、ちょっとだけ体の力が抜けた様子。
「ほら、怖くないよ。大丈夫」
小夜ちゃんに微笑んであげると、ちょっとはましになったのか、さっきよりも表情の堅さが取れてきた。ふぅ、これで一安心かな?だけど、飛行機が動き出し、滑走路へと向かい一度停止すると、今度は小夜ちゃんのもう片方の手も動員し両手で俺の手が強く握られる。また緊張し始めたみたいだけど、この一瞬はしょうがない。機体が安定するまでしっかりと手を握ってあげて、出来るだけ余裕のある顔を心がけよう。
エンジンがさっきよりも大きな唸りをあげて機体が進み出す。座席に押さえつけられる感覚と共に一層音がうるさくなるが、その直後音が急に静かになり更に座席へ押さえつける力が強くなる。外を見れば景色が斜めになって、建物が下に動いていく。大きく旋回している様子だったが空港の全景が下の方に見える頃になって、加速感がなくなった。機体が水平になって安定したかな。
「ほら、もう大丈夫だよ」
俺の方を向いて頷いてはくれたんだけど、まだ緊張してるみたいだね。
「ごめんね、飛行機嫌だった?高いところ駄目?気が付かなくてごめん」
今更気がついても遅いんだよなぁ。今思い返せば搭乗手続きをした後あたりから小夜ちゃんの様子がおかしかったのに。父親失格。減点はカウントストップクラスだ。
前を向いたまま俯いて、ちょっとしたらまた俺を向いて首を振る。
「はじめてだから、ちょっと怖くて・・・」
そう目線だけ下にやって、ちょっと恥ずかしそう。うん、ちょっとはリラックス出来てきたかな。
「そっか。ごめんね。もっと早くに気づくべきだったよ。大丈夫?」
「大丈夫。けど・・・・・・」
再び目線だけ動き、繋いでいる手を見てる。そしてちょっとだけ手に力が入った。ん?・・・あぁ、
「うん、いいよ。これぐらい、いつでもお安いご用ってね」
これぐらいで多少なりとも安心してくれるなら、手ぐらいいくらでも繋いであげるよ。
それから約2時間。気流も安定していたのか、揺れもなく無事に沖縄上空へと飛来した。その間、環ちゃんと進藤さんはいつもの様にお菓子を食べながら和気あいあいとし、課長は爆睡。太一君と加奈ちゃんが窓の外を見て楽しんでいたし、それを早苗さんが写真を撮ったりしてた。高浜さんは息子さんと機内販売パンフレットや飛行機のおもちゃを買ったりして親子で楽しんでいる様子で微笑ましかったのだが、圭介君と竹さんが何やらコソコソと不穏な動きを見せていたのが非常に気になる。またよからぬ事を企んでるんだろうな。俺に被害が無ければいいけど。
俺たち親子は相も変わらず無口で、初めの内は緊張を少しでも紛らわせようと何の話をしたか覚えていないぐらい他愛のない話をしていたのだが、元々話し上手な訳でもないので、そのうち話のネタも尽き、やはり無言になってしまった。小夜ちゃんも極度の緊張が続く訳もないので、まぁ結果としてはいつも通りと言った雰囲気に近いものではあったのだが。
「青い空!青い海!!!招いてくれてありがとぉ!沖縄よ!!!」
「邪魔だ!どけっ!」
課長に蹴り飛ばされ、座席の間に転がる圭介君。みんながそれぞれ通り過ぎるときに圭介君を見下してからゾロゾロと飛行機を降りる。
「みんな酷いっすよぉー」
半泣きになりながら後ろから追いかけてきた。こういう時の団結力についてはニカイチの右に出るものはいない、ただの悪のりだが。
やっぱり着陸時に小夜ちゃんが再び緊張していたのだが、学習能力が高いのか離陸を一度味わっている分、多少ましになった様子で無事に地面へ降りたつ事が出来た。握られた手がちょっとだけ痛かったけど。
コンベアで流れてきた荷物を受け取り、一旦ロビーに集合する。すると、
「ヨウコソ!オキナワへ!!」
と叫びながら札を持った黒人さん。胸元には『ボブ』って名札が付いてる。たぶん、俺らを出迎えてくれたんだと思うんだけど札が『カンゲイスル!ニコイチ!』って・・・。
「進藤さん、これは?」
進藤さんは首を傾げている。って事は・・・。みんなで一斉に竹さんを見る。
「いやぁ、せっかく飛行機に乗ったんだし、外人さんの方が雰囲気が出ると思ってねぇ。旅行会社の人に頼んでおいたんだよ」
またしてもニヤニヤしながら答える。それにしても竹さんはいつもニヤニヤ笑ってるなぁ。そんな事にいちいち力を入れなくてもいいのに。よくわからない人だ。
「あい、あむ、ちきん!!」
急いで振り返ると加奈ちゃんがボブさんに大声で叫んでる。
「Are you a chicken?」
「あい、あむ、ちきん!!」
「IYA! You're a coward. I see.」
ちょっと!なに理解してんの!?太一君が急いで加奈ちゃんを抱きかかえ回収。俺がボブさんに、No,No,No,No!って誤解を解く。大声で叫ぶ方もどうかと思うけど、わからないのをいい事に自分は臆病者ですって教える人もどうかと思うんだよね。ったく、竹さんは余計な事をしてくれる。
「腹減ったっす!何か買ってきまーす!」
「ちょっと!待ちなさい!」
進藤さんの制止を聞いてか聞かずか、荷物を俺のそばに置いて走り出した圭介君。ボブさんが人数を確認して「Go there. 」ってバスへ向かう。いやいや今1人走って行ったじゃん、足りてないでしょ。
「へい!ミスターボブ。ウェイトアミニット」
ボブさんを一旦止めると、横で進藤さんが電話をしてる。
「もしもし!?早く戻って来なさい!出発するわよ!・・・それはいいから、この後お昼を食べに行くの!いいからさっさと戻って来る!!早く戻ってこないとお昼抜きだけじゃ済まないわよ!!わかった!?」
もー。って呟きながら電話を切った直後、遠くのほうから猛ダッシュで「うおー!めしー!!」って叫び声が近づいてくる。公衆の面前で叫ぶのは止めて、恥ずかしい。
すぐに帰ってきた圭介君は最後の気力を振り絞ったのか、その後はへたり込んでしまった。さて、じゃあボブさんに出発をお願いしないと・・・。えーっと、英語は・・・。って考えてるとボブさんが、
「皆様お揃いですね、それでは行きましょうか」
おい!すげぇ綺麗な日本語が出来るんじゃねぇか!さっきまでの英語はなんだったんだよ!!って心の中で突っ込むと同時に課長もボブさんに同じ事を言ってる。・・・よかった、俺は口にしないで。ステレオでハモるとか、しかも課長とだと後でみんなに何を言われるか・・・。
ボブさんはしまった!って顔をしてから申し訳なさそうに、
「すみません、極力日本語を話すなと言われておりましたが、つい話してしまいました」
またもや一斉に竹さんを見る。
「だからぁ、そっちの方が雰囲気が出るでしょ?さぁお昼お昼っと♪」
荷物を持ってさっさと行ってしまった。竹さん、あなたの拘りが今一つわかりません・・・。
寝勒「日本語お上手ですね」
ボブ「えぇ、生まれも育ちも日本です」
寝勒「はぁ。フルネームは?」
ボブ「小久保茂信です」
寝勒「もしかして・・・」
ボブ「こく ボ しげの ブ です」
小夜「騙された気分なのはなぜ?」