3 春樹君の職業は
3 春樹君の職業は
春樹
第一志望に無事合格して、高校を卒業した。高校生でも大学生でもない春休みに俺は合格祝いをしてくれと言って静香さんを呼び出した。
「ね、記念品買って」
「はぁ?」
「シャーペンみたいな些細なものでいいから」
「……」
所詮シャーペンではあるけれど、高級なシャーペンを買ってもらった。
「大事にするー」
こっちはニコニコしてんのに、静香さんはしらっとしている。
「どこで覚えんの?そうゆう手管」
「手管って?」
「年上の女に甘えて心をくすぐる手管」
「くすぐられた?」
「いいえ」
俺が高校生でなくなっても、ほんと変わらないなこの人。ただ、電話番号だけは教えてもらった。約束通り。つまりは、嫌われてはいないってことだ。俺は女性に関してだけはポジティブだ。
「これからどうすんの?」
「買い物付き合って」
「はい」
そして荷物を持たされた。イタリアントマトの水煮の缶詰でした。
「なんでカンヅメ?」
「家の近くのスーパーとかでは売ってない珍しい缶詰なの」
「だからってこんなまとめ買いしなくても」
静香さんはにっこり笑った。
「1人だと持ち帰るのが億劫でいつも買うのやめちゃうのよね」
「配送サービスあるよ」
スーパーのサービスカウンターを指差す。
「帰ったらすぐ使いたいの」
「……」
そしてそれからウインドーショッピングを始める。
「あのね。静香さん」
「はい」
「先にぶらぶらウインドーショッピングして最後に缶詰買うよね?普通は」
「あ……」
彼女はちょっと口を開けて黙った。小学生でもそうするだろう。普通。
「ごめん。重い?持つよ」
「女の人に持てるような重さじゃないからこれ」
「あ、ごめん。気がきかなくって、ははは」
絶対……。
「どうした?春樹君」
絶対、わざとだ。これ。
「いえ、別に。次は何見に行きますか?」
黙々と荷物を運びながら思う。なんでこんなことすんの?と。普通だったら俺のこと嫌いだからだと考えるところだが、そもそも人間は嫌いな人間と休みの日には会わない。仕事とか会わざるをえない理由でもない限り。つまりこれは試験なんだ。俺の忍耐力試験。
「かわいい」
売り物のマグカップを見て喜んでいる。楽しそうだな。静香さん。しかし、この試験合格したらどうなるんだ?
「じゃあ約束だからご馳走したげる」
腕が棒のようになったとこで、連れていかれたのは居酒屋だった。
そして今度は酒を飲まされた。
「なんで人に飲ませといて自分は飲まないの?」
「意外と酔わないな。さては普段から飲んでたな」
「たまにだよ。たまーに」
静香さんがつまらなさそうな顔をする。
「何?酔わせたいんですか?」
「いや、別に」
俺は酔わせたいんだけど。ちょっとでいいから。
「お祝いなんだからちょっとは付き合ってよ」
「しょうがないなぁ」
一杯だけ付き合ってくれた。
「俺の場合はさ。酒に簡単に酔うと危ないからさ。慣れる程度に親しんだの」
「それは普通は女の子のセリフでしょ?」
「普通はね」
呆れた顔をまたされた。
「子供できたとか言われて意に沿わない相手と結婚みたいな人生は送りたくないからさ」
「……」
「ていうかそこまでいくとレイプだな」
ぼそっと言うと彼女は言った。
「ありえない」
「いや、俺にとっては今そこにある危機だから」
「本当にあったの?そんなこと」
「ご想像にお任せします」
そんな隙見せたこと、本当はありません。
「避妊具も絶対自分で持ってるから」
「は?」
「穴開けるやついんだよ。女で」
「……」
「あれは女の子が自分を守るためのものみたいに認識されてるけど、本当は男が自分の身を守るためのもんなんだよ」
しばらくボカンとした後、
「ほんっとバカなんだから」
静香さんは大笑いし始めた。その笑顔を見て自分も嬉しかった。
「そう言えば俺、女の人といてこんなにこき使われたの初めてだよ」
「え?」
「あんな重い荷物」
「文句言わず持ってたじゃない」
「そりゃ、ねを上げるわけにいかないじゃん」
彼女は首を伸ばして俺の顔を覗き込んだ。綺麗な髪が肩からサラサラこぼれて、彼女の香りがした気がした。
「じゃあ他のオネエサンは何してくれんの?」
「こっちの機嫌取ってくるよ。何したい?とか、なんか欲しいものない?とか」
「うっわ〜」
彼女は両手で顔を覆う。
「そのリアクションはどういう意味?」
「いえ、敢えてここは言葉に出さないでおきましょう」
静香さんは気を取り直して、お酒を少し飲んで、だし巻きに大根おろしのっけてる。俺はほっけに醤油をかけた。
「それでそういうオネエサンと一緒にいると甘えられて楽しいわけだ」
「いいや、つまんない」
「はぁ?」
「なんかもうちょっと唐揚げとかさ、頼んでいい?」
静香さんに合わせてると物足りない。
「じゃあなんで付き合うの?」
俺の質問はスルーされてしまった。
「いや、付き合うみたいなものではないよ。あれは」
「でも、することしてんでしょ?」
わりと親父臭い言い方してるし。ははは。
「いや、お互い合意の上だし」
ため息つかれた。
「よくわかんない」
それから枝豆食べてる。
「静香さんって結構ちゃんとしてんだ」
彼女はじっとこっち見た。
「あなたみたいに人生謳歌してる人から見たらわたしみたいに硬い女、つまんないでしょうね」
穏やかにそういう彼女の顔を見ながら、嘘だと思う。この人にはガキには見せないだけで、真面目じゃない顔がある。
「謳歌なんてしてないよ。あれは、ただの……」
「ただの?」
「性欲処理」
口真一文字に結んだ顔でじっと見られた。
「さっきから下品なことばっかり言って」
「すみませんね」
酒が切れた。彼女は店員を呼び止める。
「同じのでいい?」
飲み物とついでに唐揚げを頼んでくれた。
「タバコ、1本だけ、吸ってもいい?」
彼女はカバンからメンソールの箱をちらりと見せた。
驚いた。
「タバコ吸うの?」
「だめ?」
「いや、いいけど」
それからタバコを吸う彼女を眺めました。結構、いや、かなり複雑な気持ちで。
女が男の前で悪ぶらずにタバコを吸うのは、友情の証であり、つまりは、友達としてはありってことだ。ひっくり返せば、言わなくてもわかるでしょう?
境界線を引かれた。この時きっちりと。だって、この人たぶん、自分の男の前ではタバコ吸わないし、吸うこと自体隠してるんじゃないかな?
「そんな下品なことばっかり言ってるくせに、法学部行って司法試験受けちゃったりするの?」
「だめ?」
「似合わない」
「ひどいなー」
「違うわよ」
彼女は吸いかけのタバコを指に挟んだまま、綺麗な顔で笑った。
「下品なふりするの、似合わないよ」
「……」
そうやって簡単に俺のこと脱がしてしまう。もちろん、本当の服ではなくて、作ってる顔というか……。いつも叶わなかった。そして、こういう女の人が、あの頃、自分の身の回りには静香さんしかいなかった。
「ね、意外と熱血弁護士みたいなって、正義のために強きをくじき弱きを助くみたいなことしちゃうの」
「……」
目がきらきらしてんじゃん。
「テレビドラマの見過ぎだよ」
「え〜」
「もっと地味なもんだって」
「じゃあ、なんで弁護士?」
「俺のこの口のうまさを最大限に活かせる職業だから?」
「……」
「詐欺師も向いてると思うけど道を外れることになるし、教祖様とかも下手したらいけっかもと思ったけど、そこまでの熱さはないし、なんかいろいろめんどくさそうだし、弁護士とかが無難かと」
さっきまでのきらきらした顔が無表情になった。それから、彼女はジョッキの残りを飲み干して、お代わりを頼むと、ため息をついた。
「そんなため息つくほどがっかりさせたわけ?」
「こう、大人というのはさ」
「うん」
大人っていばるほど大人でもないじゃんと思いつつ素直に聞く。
「春樹君みたいな若者と話してる時は、若者らしさに触れたいわけよ。こう、青臭かったり、夢見がちだったりさ」
「はぁ」
「なーんか、冷めてるね」
「すみませんね」
そんなこと言われてもな。大人が思うよりも若者は現実的ですよ。そして静香さんは気を取り直した。
「でも、ちょっと意外だな」
「なにが?」
「君はその外見のスペックも使って楽な道を選ぶのかと思ってた」
「例えば?」
「例えばって言われてもすぐには出ないけど、フツーに営業とかやってても外見のいい人のほうがうまくいくでしょ?」
「顔がいいなんてさ、アドバンテージになることもあるけれど、反対もあるよ。やたら目の敵にされることもあるし」
「そうなの?」
「人間なんて外見からの第一印象でその人のこと決めつけるじゃない。外見がやたら目立つと、本当の人間性を見ようとしてくれる人が少ないよ」
すると彼女は不意に真面目な顔をしました。
「だから司法試験なんて難しいものにトライするの?」
「ん?」
「司法試験受かって弁護士するのは、努力した人の証みたいなものじゃない。あなたは外見で優遇されて得られるものじゃなくて、きちんと努力して得たもので評価されたいと思っているわけでしょ?」
頭のいい人だなと思いました。ちゃんと真面目に人の話を聞く人だなとも。
人間の勝手さを子供の頃からそれなりに経験してきた。人というものは、その人は本当はどういう人間かということを知ろうとするよりもまず、その人にどういう人間でいてほしいかで人を判断する。イメージを押し付けてくる。
自分はそれなりに顔が整っているせいで、周りからそういうイメージを押し付けられる事はきっと普通の人より多かった。嫌な思いもそれなりにしてきている。そういうものに対する反抗心のようなものも、1つの理由として自分が法学部に進んだ裏にはあったのかもしれない。
「ふう〜ん」
彼女はそういうと、片手で頬杖をついて俺のことをじっと見た後で少し微笑んだ。
「今日、春樹君のこと、ちょっと見直した」
俺はその言葉にぼうっとした。のぼせた。彼女はふと腕時計を見た。
「あ、もうこんな時間。帰ろう?」
俺はまた、例の缶詰を持つ。
「じゃあね。あ、ありがとう。これ」
駅の改札で片手に定期持って、もう片方の手を伸ばしてトマト缶を受け取ろうとする。
「ああ、もう、静香さんには無理だから」
「ええ?」
「切符買って来るから」
2人で改札くぐって、ホームで並んで電車待つ。
「なんか、悪いね」
「いいよ。別にまだ、終電気にするような時間でもないし」
ほんとに悪いと思ってるのかどうか、へらへら笑ってる。
「これっきりですよ。こんな荷物持ち」
「はい。すみませーん」
そして、俺は成行で彼女の住んでるマンションの部屋までトマト缶持って着いてった。彼女がドアを鍵で開けて、俺は玄関先に缶詰を置いた。
「じゃあね」
「帰んの?」
俺はじっと静香さんの顔を見た。どういうつもりで言ってんだろうね?この人。
「お茶でも飲んでく?」
「女の人が1人で住んでる部屋になんて上がんないよ。そういう時じゃなきゃ」
「そういう時って?」
「言わなきゃわかんない?」
しばらくじっと見つめ合う。
「とにかく帰ります。それじゃ、これでおいしい料理でも作ってね」
そう言ってバイバイと手を振りながら、エレベーターへと向かう。エレベーターで振り返ると、静香さんはまだ、ドアの脇に立って俺のことを見ていた。目が合うと、にっこりと笑った。
帰りの電車の中で思う。
あの人、俺がちゃっかり部屋に上がる男かどうか試したんじゃないかなぁ。今日のあれは合格だったのかな?それにしてもよくできた試験だよ。あの改札でトマト缶渡してノコノコ帰って来ても不合格なんだろうな。
騎士道判定試験とでも名付ければよろしい。
全く困った人だ。
俺は合格したんだよな?
電車の窓の外を流れてゆく景色を眺める。
そして、ふと思う。楽しかったなと。疲れたけど、つまらなくはなかった、一日、ずっと。