1 静香さんのうそ
はじめに
本作品は私の作品、いつも空を見ている②③で登場した 上条樹、中條千夏の二人が結婚して生まれた長男、春樹君を主人公にした作品です。
春樹君は、いつも空を見ている③の最後の場面で初登場した人物で、その後、暎万ちゃんのお兄ちゃんとして、短編集の中に出てきました。お父さんやお母さんの話、また、短編を読まずにこちらからお読みいただいても、筋の把握に特に問題はないかと思われますが、ちょこちょこっとしたエピソードが繋がってますので、合わせてお読みいただけたら、より本作をお楽しみいただけるかと思います。
最後までお楽しみいただけましたら光栄です。
2021年2月12日
汪海妹
本作と特に関連の高い短編
しあわせな日 番外編短編集
12 出会い
24 月城さんが恋をしない理由
しあわせな日 番外編短編集 そのニ
6 夢がないなぁ
1 静香さんのうそ
上条春樹 18歳
月城静香 24歳
春樹
「春樹。教室の後ろ、来てる」
「え?」
昼休み、友達に言われて後ろを見る。廊下のところ別のクラスの女子がこっち見ながら立ってる。
「呼んでくれってさ」
「あの子、誰?」
「5組の遠藤さんだよ」
「知らん」
めんどくせえなぁ。顔に出ないようにしながら心の中でつぶやいた。
「なんだよ。お前、また振っちゃうの?」
周りにいたやつがそう言って俺の肩を軽く叩く。
「俺、同い年、ダメなんだよな〜」
「また、それ?」
譲ってくれよ、と言うやつがいて、適当に男同士で盛り上がってるとジロリと横から女子に睨まれた。ほどほどにしておかないといけない。あまり妙な風評を立てられてもめんどくさいしな。立ち上がって、教室の後ろの出入り口まで言った。
「なに?」
遠藤なにがしは俺が目の前に立つと、目をそらしてうつむきがちになった。
「あの……」
「はい」
「ちょっとお話ししたいことがあって……」
「なに?」
彼女は困って顔を上げた。
「その、今じゃなくて、放課後……」
「今じゃダメ?俺、放課後はちょっと忙しい」
「……」
若干今、背筋に寒気がした。誰かに睨まれている気がする。おそらくクラスの女子。これは、俺が、いじめていることにでもなるんだろうか?
ああ、めんどくさい……。
「ここだと、みんな、聞いてるし」
「あ、じゃあ、あっちいこ。あっち。ね?」
少し営業スマイルをして見た。すると、遠藤なにがしの顔がパッと明るくなる。
いや、期待されても困るんだけどな。つい、笑ってしまった。俺からすると、ずっとぶっきらぼうで冷たい方がよっぽど親切なやつなのではないかと思う。俺はすべての女の子をお姫様のように扱う体力と気力のある白馬の王子様とかでは断じてないから。
人気のない階段の方へ行くと、遠藤なにがしは手をもじもじさせながら話し出す。
「上条君ってこの前まで佐伯さんと付き合ってたんだよね?」
「……」
「別れたらしいって聞いたんだけど、本当かな?」
噂というものは割と一人歩きするものである。俺の経験上。
「いや。別れてない」
「え?そうなの?」
遠藤なにがしは両手でパッと口を隠した。
「別れるも何も、そもそも付き合ってない」
「え?」
しばし沈黙。
「そうなの?」
「はい」
「でも、よく二人で歩いてたし……」
「委員会の買い物があるとかなんとか言われて、付き合わされただけ」
今までもこんな風にほんの少し二人でいたりしただけで、彼女になってしまった人が何人かいる。
「じゃあ、今は誰とも付き合ってないんだよね?」
彼女の顔がまた、期待に輝き出す。
「あ、ごめん」
謝ってからしまったと思う。別に謝る必要のないところで謝ってしまった。ま、細かいことは気にせずいこう。
「俺、女子大生と付き合ってるから」
ということにしておこう。とりあえず。
すると、遠藤なにがしはぽかんとした後に、なんと泣き出しました。
「ええっ?」
やべえ、と思った時には時すでに遅し。彼女はくるりと振り向いて、人気の多い廊下をパタパタと走り去っていきます。これは、あれですよ。わたしは上条春樹に泣かされましたという宣伝文句をですな、引き連れて走っているようなものだ。俺は、まだまだ、詰めが甘い。目先のことが面倒だと思って手を抜いたばかりに、結局またしばらく一人歩きする噂を産出してしまった。
ぬかった。
放課後に会って話しておけば、泣きながら去って行く遠藤なにがしを目撃するやつは数える程もいなかっただろうに……。
そして、放課後、塾までにあいた時間を潰しに俺はいつもの所へ行く。
「静香さーん、いる〜?」
「あ、女子大生と付き合ってる春樹君」
「……」
俺は彼女の横に椅子を引っ張ってきて座った。彼女は俺の方を見ずに何か書類を整理している。
「女の子泣かしちゃダメじゃない」
ため息が出た。
「もう、なんでこんなに早くなんでもかんでも知れ渡るんだよ」
「さぁさぁ、こんなところで油売ってないで、さっさとその彼女のとこへでも行きなさいよ」
「受験生なのに彼女なんかいないって」
「え?」
睨まれた。
「なに?あんた、嘘ついたの?」
「……」
「さいってー」
思いっきり低ーいアルトの声で言われたじゃん。
「そうそう春樹君は、女子大生ではなかったわね。社会人の女の人が好きなんだった」
「静香さん、それは洒落なんないから言っちゃだめ」
冷たい目で見られたわ。
「最近は品行方正に生活してるって」
「どうだかなぁ」
しばらく黙って静香さんの横顔見た。
「静香さんって彼氏いるの?」
こっち見た。
「なんでそんなこと聞くの?」
なんて返そうかちょっと考える。
「周りにいる気になる女の人には全員聞くようにしてる」
「品行方正に生活してるってのはどうなったの?」
「これを聞いたぐらいで品行方正でないとは言えないでしょ」
「……」
なかなか口硬いな。ま、でも、当たり前か。こっち友達とかじゃなくて、学生だし。
「俺にとっては、これ、挨拶みたいなもんだから。日常会話。深い意味とかないし」
「いないわよ」
その答えに驚いた。いろんな意味で。
「え?」
「なによ。嫌な反応ね」
「最近別れたばっかとか?」
「そこまで詳しく話す義理はない」
そしてまた横顔を向ける。
「ガキ相手なんだから、適当にいるっていっときゃいいのに。女が彼氏いないっていうのは、目の前の男がありの時だけだよ」
「ばかね〜」
彼女は笑った。
「自信過剰という名の病気だ。君は」
「じゃあ、俺はなし?」
ため息つかれた。
「人類が我々2人を残して死滅したら……」
「はい」
「あきらめて俺と子孫残してくれる?」
静香さんは、しばらく無表情のまま俺を見てた。
「ほんっとばかなんだから」
そして笑った。
「残してくれる?」
「それはさすがにしょうがないよね」
「じゃあありだ」
呆れた顔で見られた。気にせず鼻歌歌う。
「こういう手管で養護の先生も落としたのか」
俺の鼻歌が止まる。
「静香さん、それマジでやばいやつですから、口に出さないで」
「それを言うならわたしと春樹君だって何かあったらマジやばいでしょ?」
「何かあったらね」
彼女はふっと笑った。負けた気がする。
「まだ時間ある?コーヒー飲む?インスタントだけど」
頷くと、立ち上がって小型の電気ポットでお湯を沸かす後ろ姿を見る。
「ねぇ、ガキ相手なんだから、適当に彼氏いるって言っときゃいいのに、なんでいないって言ったの?」
「またそこに話戻るの?」
「気になります」
静香さんはネスカフェゴールドブレンドの蓋を開けて、何の変哲もない白い2つのマグカップにコーヒーの粉を、スプーンとか使わずに瓶から直接振り入れている。振り入れながら口を開いた。
「一般的な男子高校生なら、あなたが言うように彼氏がいるって言った方がめんどくさくないのかもだけど、あなたはいろいろ根掘り葉掘り聞いてくるでしょ?いちいち嘘つくのめんどくさい」
はい、どうぞと言ってコーヒーのカップを渡された。黙って受け取りながらじっと彼女の顔を見た。
「何?急に黙ってじろじろ人の顔見て」
「いや、別に」
「お砂糖やミルクは?」
「ブラックでいい」
この人は謎だ。謎が深まった。
「ねぇ、静香さん、携帯の番号教えてよ」
彼女はしかめつらをした。
「生徒には教えないことにしてる。親御さんには教えても」
「でも、三学期は学校来ないし。静香さんと話したくなったらどうしたらいいの?」
「それでも、だめ」
ああ、このままだと卒業と同時に会えなくなっちゃうなぁ。
「ね、じゃあ、頑張って勉強してさ、第一志望受かったら教えてよ」
「はぁ?」
「いいじゃん。卒業したらもう、派遣先の生徒じゃないでしょ?」
「……」
「電話番号くらい教えたからって何もないって」
「……」
「あーあ、これじゃあ勉強、やる気出ないなぁ」
「もうっ!」
静香さんはそう言ってしかめ面をした。
「模試の結果、見せて」
「は?」
「余裕で合格圏なら、この契約は成立しない」
意外と……、ディテイルに拘る人だな。
「今日、持ってない」
返事しながら考える。模試はB判定。これは、余裕に入るんだろうか?いや、入らないよな。
「今度持ってくる」
もっともこの時期でB判定なら、まあ、いけるんじゃないかと言われているんだけど。そしてふと壁の時計見て気づいた。
「あ、もうそろそろ行かなきゃ」
ぬるくなったコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「コーヒーごちそうさまでした。じゃあね」
「勉強がんばってね」
部屋を出る時にもう一度振り向いて彼女を見た。また書類を見ていた。俺の方を見てなかった。
塾へ向かうバスの中で吊り革につかまりながらもんもんと考える。
静香さんは今日、俺に嘘をつくのがめんどくさいと言った。俺が嘘を見破ってしまうから、それなら最初っから、本当のことを話したほうがいいと言った。
でも、それが全部嘘なんだと思う。
男がいないなんて嘘だ。
自分でいうのもなんですが、小さな頃からもててきた。年上の女の人からも男として見られるのに慣れている。でも、ときどき男として無視されることがある。全く眼中にも入れてもらえない。そういう人には、別の眼中に入れた男の人がいるんだ。
こんなにしつこくからんでも、一度もそういう目で見てもらえない。彼女には男がいるんだと思う。いい女だし。だから俺には素直に男がいるって言うんだと思ってた。素敵な彼氏がいるんだからガキなんか相手にしないわよぐらい言いそうだと思っていた。
なのにあんなに丁寧に嘘をついた。
信号でバスが停止する。バランスを崩して隣の人にぶつかってしまって謝った。
絶対に聞かれたくない相手なんじゃないか?
つまりは……、結婚してる相手なんじゃないか?
クラスの女子が話すのを小耳に挟んだことがある。
『あのカウンセリングの先生って、お嬢様だよね。きっと』
『なんで?』
『さりげなく結構高いもん持ってるよ。ピアスとか、ブレスレットとか』
『そうなの?』
『親に買ってもらったんじゃない?じゃなきゃ彼氏がお金持ちなんだよ。きっと』
そこまで思いを巡らしたところで、バスが降りる駅に着いた。