アリアカ城バルコニーからエントランスロードを望む
「逃げてしまう、逃げてしまうわ、フローチェとリジー王子がっ、どうして、どうしてもっと早く王子を殺しておかなかったのっ!!」
バルコニーに聖女ヤロミーラの怒声が響き渡ります。
柵を両手でばんばんと殴り目は血走って悪鬼のようです。
「だ、だが、リジーを殺すのは戴冠式の後だと言ったのは君だろう、ヤロミーラ」
あちこちアザだらけで、髪も乱れたジョナス王子が返事をします。
とても憔悴している様子です。
「戴冠式の夜にリジー王子を殺し、そのあとフローチェを殺して罪をなすりつけるつもりだったのにっ!! どうして、どうしてっ!! 相撲なんてジョブが生えてくるわけっ!! あり得ないわっ!!」
ヤロミーラはバリバリと綺麗にセットした髪をかきむしります。
「今すぐ、今すぐ、あの二人を殺さないとっ、殺さないと、こっちが破滅だわっ、断頭台に上がるのは私たちよっ、ジョナス!!」
「わ、解っている、解っているとも、明日、日が昇ったら国軍を編成して、追っ手を出す、そ、それで大丈夫だ、殺せるよ」
「今すぐ、今すぐよっ!! オーヴェッ!! オーヴェは居ないのっ!!」
後ろに控えていた神官が顔をあげました。
「オーヴェ騎士団長はフローチェ嬢に負傷させられたので、神殿へ帰りました」
「誰でも良いわっ!! 聖騎士団へ通達!! 悪鬼フローチェにリジー王子がさらわれたわっ!! 今すぐ追っ手を出して捕縛なさいっ!!」
神官は目を泳がすと、顔を上げました。
「神殿騎士の半数はヴァリアン砦の警備に付いています。現在動かせる隊は……」
「ちっくしょうっ!!! なんて使えないのっ!! クズ、クズどもよあんたたちはっ!!」
バルコニーのガラス戸を開けて、大柄な偉丈夫がバルコニーに入ってきました。
アリアカ王国近衛騎士団エアハルト・ブロン伯爵です。
「どうしました、おかんむりですね、私のかわいい聖女さま」
「エアハルトッ!! 今すぐあの二人を追いかけて殺してっ!」
エアハルトは目を細めて走り去る馬車を見ています。
「まて、ヤロミーラ、騎士団長なら、あのスモウに勝てるのか?」
「ぐっ!」
「倒せますよ、所詮子供のゲームではないですか」
「何か神聖系の術式が動いているわっ、剣ではあのオーヴェでも勝てなかったのよっ!」
あははははとエアハルトは鷹揚に笑います。
「剣なぞ使いません、ユスチンのように拳もね。使うのは短剣、両手に持った方がいいですね」
「短剣?」
「あのスモウとやらは超接近戦で戦う体術のようです。ならば接近戦用に短剣を使えば良いだけのことです」
「そうか、ナイフならば組み付かれても刺せる」
ジョナス王子がうなずきます。
「よし、それなら、騎士団長、今すぐ、あの逆賊を追いかけ、討て!」
「ま、まちなさいっ! 彼が負けたら?」
「い、いや、それは……」
「騎士団長が万が一負けたら、そこで私たちは破滅よっ」
「やらないと解らないだろう、そんな事っ!!」
怒鳴りあいを始めた、ヤロミーラとジョナス王子を見て、エアハルトは目を細めて笑います。
「やれやれ、器が小さいとは悲しい事だな」
小声でそうつぶやくと、彼は遠くなる馬車を見つめます。
「光の聖女が墜ちたら、次はスモウの聖女か、女神め、存外思い切りが良い」
くっくっくとエアハルトは含み笑いを漏らします。
「だが、まだ小魚だ、もう少し太らせてから食べるのが良いだろうね」
そう言って、アリアカ王国近衛騎士団長であるエアハルトは、手首の鱗を隠すように手袋を直しました。
「私が統べるべき絶望と暗黒の世がひたひたと近づいているのだね……」
エアハルトは愉快そうに含み笑いを漏らします。
月は皆の上で煌々と光り輝いています。