第6話 強敵と対決し相撲令嬢は自らの物理的な不利を悟る
ユスチン氏は立ち上がり私に向けて拳を振るう。
ふふ、軽くはたくなどと言いながら、その全力の拳が当たれば頭蓋は砕け、顎が弾け飛びますよ。
愉快だ。
ユスチン氏の全力を引き出せた事が愉快。
そして、相撲の立ち会いにおいて、腰を上げ、拳を放つという悪手の報いを彼が受けるのが愉快っ。
私は低く低く、髪が土俵を掃くほどに低く重心を下げ、一歩、前に出る。
ユスチン氏の全力拳が背中の上を行くのを感じる。
彼の体の下に潜り込み、彼の厚い胸板に頭突きをぶち込んだ。
ドガン!!
けっして乙女が立ててはいけないほどの激突音が響く。
「ぐうっ、ま、まさかっ、ここまでの……」
虚を突かれて動揺するユスチン氏のベルトをもろ差しに掴む。
脇を引きつけ、肩を密着して押す。
押す。
押す。
巨大な巌がみちみちと動くように、腰が立ったユスチン氏は、じりっじりっと後ろに押されていく。
「ぐっ、ぐぐうっ! こいつはあっ、馬鹿弟子が負けるわけだっ、面白えっ!!」
「そうだろうっ! そうだろうっ! 師匠好みの面白え女だろっ!!」
「なんだよこりゃあ、神聖魔法で超ブーストされてんのかっ、ご令嬢の力じゃねえっ、技術も信じられねえっ!」
私は返事をしない、ただただ、押す、巨大な山のごとき質量のユスチン氏の肉体を押していく。
「だけどよう、悲しいな現実ってやつは」
ユスチン氏が腰を落とす。
私の前進がピタリと止まった。
「体重が軽い、筋肉が無い、物理の壁ってやつだ」
ユスチン氏は上手をとり、私のドレスの上部をがっしりと掴む。
なんという金剛力。
「どんなに神術でブーストしていても、体重は増やせねえ」
私は重心を落とし、彼の前進に耐える。
凄い圧力だ。
ハイヒールを履いた足がずるずると滑る。
前世の体重ならば、前世の鍛え上げられた肉体ならば、と、そう思わざるを得ない。
強敵に対し、鍛えてもいない令嬢の体では無謀だったのか。
仕切り線を割る。
ユスチン氏の出足を狙い足を掛ける。
「ぐっ、足技もあるかっ」
一瞬ぐらりと揺れるが、その地を這うような重心を崩す事は出来ない。
なんという勝負勘、さすがはアリアカ番付で小結なだけはある。
強い、圧倒的に強い。
そして重い。
じりじりと視界の端に土俵の端が近づいてくる。
まずい、このままなすすべも無く負けてしまうのか。
物理の壁の前には、私は無力なのか。
この胸の奥の相撲魂は偽物なのか。
異世界の前世の記憶は、悪役令嬢にされた哀れな陰気な娘の妄想だったのか。
ぎちぎちと私の筋肉とユスチン氏の筋肉がぶつかり合い、熱を作り、推進力を作り、それを止める制止力を作りぶつかり合う。
汗が出て、額を頬をぬらす。
「俺と同じ体重で、同じだけの筋肉を持ったフローチェと戦いたかったぜ。だが、詮ない事だ、だからこそ、プロスポーツはウエイト制ってのがあるんだしよっ」
さらに押される。
こらえる。
『のこったのこったのこった!!』
行司が軍配を振る。
相撲が、アリアカ式レスリングに負ける?
土俵の上でか?
そんな事は許されない。
だが、物理の壁は私の前でじりじりと質量押しをしてくる。
耐えろ、耐えろ、耐えろ。
私が負けたら、リジー王子はどうなる。
たった一つだ。
死ぬ。
ヤロミーラは、逃げた王子を許さないだろう。
王位を継承するまで生かしておく、つもりだったのだろうが、もう無理だ。
あの、猫耳の可憐な王子さまは。
はにかむ笑顔が愛おしい、私が愛する王子は。
ヤロミーラに殺されてしまう。
「フローチェ!! 頑張れー!!」
私の愛する推し、猫耳のリジーくんの声が、魂に深く突き刺さった。
その瞬間、私の中の相撲魂が激しい回転を始めた。
「な、なんだっ! なんだその力はっ!!」
そうだ、私は負ける訳にはいかないっ!
負けられない理由があるっ!!
なにを甘えた事を考えていたのだっ。
物理の壁がなんなのだ。
体重がなんなのだ。
筋肉がなんなのだ。
「物理が怖くて、相撲取りなぞやれるかっ!!」
「なにいっ!!」
胸の奥で、相撲魂が高速回転をしている。
キラキラ光るその魂から、無限の力が巻き起こる。
ユスチン氏の突進を止めた。
もっとだ、もっと相撲魂の回転率をあげろっ!!
押す。
押す。
さらに押す。
相撲取りはイノシシのように前に向かって進む生き物だ。
後ろを振り返ったり、嘆いたりする暇は無いっ!
「くそうっ!! ありえねえっ!! 物理的にありえねえっ!!」
「相撲取りに不可能なぞあるものかっ!!」
『のこったのこった、のこった!』
仕切り線までユスチン氏を押し上げた。
体中から汗が出て、彼の汗と私の汗がまざりあう。
「くそうっ、くそうくそうっ!! 面白えじゃねえかっ、フローチェ!!」
「ええ、あなたもね、ユスチン!!」
「頑張れっ!! 頑張れーっ!! フローチェ!!」
「師匠!! 頑張れーっ!!」
気づけば土俵の周りは人で一杯だった。
兵士やメイド、庭師などの身分の低い人たちが、土俵の上の私たちに声援を送ってくれていた。
私だけじゃない、ユスチン氏にも声援がとぶ。
「楽しいなあ、ええっ、フローチェっ!」
「ええ、楽しいわ、ユスチンっ!」
お互い、投げ技を掛けようと、相手の体勢を崩そうとしながら、私とユスチンは笑い合った。
ああ、良い気分ね。
これが相撲なんだわ。