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いのちの記憶  作者: 須奈尾 ナコ
1/2

<<前編>>

「物心ついたときから、私は(ひと)りこの沼に居る。私はなにも知らない。私が何から生まれたのか、私が何者であるかも。」


 そう少女のような、なにかは言う。


 彼女との出会いの地、ここエイリス沼地は大陸の中でも数少ない特別禁止区域の一つだ。

 火山地帯の名残で沼地には大量の火山ガスが溶け込んでおり、取り込むと呼吸困難、最悪の場合は死に至るほどの酸性沼が禁止区域内には点在しているため、エイリス沼地には人おろか(けもの)も寄り付かない。

 そんな場所にボロ切れの様なものを(まと)った少女が一人、ほぼ半裸の状態でいるのだから、これほど不自然なことはない。

 それに加えて彼女は、自身はこの沼で生活していると話す。

 そんな事が果たして可能なのだろうか。




 私、ロバート=ヴィンスは学者である。

 現在私がこの危険極まりない土地に足を踏み入れているのは、専門家の一人として沼地の現地調査に参加するためだった。


 今回の調査では沼地の有用性の確認(どうやら希少な鉱石が採掘できる可能性があるらしい)と生態系についての把握(はあく)を目的としていて、私は生物学者としての活躍が期待されていた。


 しかし事前に取り寄せた資料から予想していた通り、このように過酷な環境に生き物など存在するわけがなかった。


 現地での数日の探索の末、私は早々とお(やく)御免(ごめん)となり、残る調査期間は拠点での待機を隊長から命じられる運びとなった。


 始めの頃は命令に従うつもりでいたが、ベースキャンプに居てもやることがなく、待つことに(しび)れを切らした私は沼地での散策を開始することにした。


 勿論(もちろん)、これは命令違反である。


 道中、眼前(がんぜん)に広がるのは岩ばかりで、酸性沼の溶解によって形成される、(とが)った岩の生えるここらの地形一帯はさながら剣山のように見えた。

 沼に足を踏みこまないよう慎重に足を進める。

 被ったガスマスクで顔が()れるのを()えながら、日が一番高いところに来るまで歩き続けた。

 そして少し遠出し過ぎたことに気がつき、引き返そうと思ったところに彼女が現れたのだった。


 遠目にその動く姿を捕らえたとき、同僚の一人かと考えた。

 しかし、色合いとシルエットがどうもそぐわない。

 調査員は目立つよう首元に黄巾を身に付けているはずなのだが、目を()らしてもそれらしきものは発見できなかった。

 それに肩の(あた)りから伸びているように見えるあの細長いものはなんなのだろうか。

 ここからでは何も分からないがこのような場所で装備もなしにさ(まよ)っている人影は、もれなく助けを求めているに違いない。

 そう考えると居ても立ってもいられなくなり、小走りでその人影の方へ向かう。

 すると私が接近する途中、人影の方が私に気づいたようで細長いなにかを(ふところ)仕舞(しま)ってこちらに近づいてきた。

 ある程度互いが近づいた所でやっと相手の相貌(そうぼう)がわかってくる。

 どうやら相手は子供のようだ。

 何故、こんなところに。一刻も早く救助しなければ。


「おい、大丈夫か!」


「…」


 すぐそばに駆けよりつつ、容態を確認する。

 ボロ切れを被っていて顔色が分からないが、ふらつくことなく立てている所を見るとどうやら今のところは大丈夫のようだ。

 しかし、なんでここに子供が。もしや、親に()てられたのだろうか…?

 目線を合わせるために(かが)み、フードの中を(のぞ)くと彼女は黒い瞳と褐色の肌を持つ少女であることがわかった。


「君、名前は?お父さんやお母さんはどこにいるんだい?」


「名前は、ない」


 少女らしからぬ固い言葉遣いを返してきたことに一瞬驚くが、それよりも名前を答えないことに興味がいく。


「名前がないなんて、お父さんやお母さんには何て呼ばれているんだ?」


「父や母には会ったことがない。物心ついたときから、私は独りこの沼に居る。私はなにも知らない。私が何から生まれたのか、私が何者であるかも。」


「…」


 普段であれば冗談(じょうだん)だと聞き流すレベルで納得のいかない彼女の発言に、今日は何故か少しの引っ掛かりを覚える。

 しかし、今はその原因を突き止めるよりも、ここに(とど)まり続けることが彼女に悪影響を与えるという状況に気を向けるべきだ。

 とりあえずベースキャンプに連れていき、詳しい話を聞こう。

 それからは親御さんのお宅に届けるなり、街で保護先を探すなりすれば良い。


「よし、わかった。ここは危険だから場所を変えよう。私の名前はロバート。学者をしている。突然だけど私の拠点に来てもらいたいのだが、いいかな?」


 少女は無言で頷く。

 ロバートは自身のガスマスクを着けさせた彼女の手を握り、ベースキャンプから来た道を引き返しはじめた。




 やれやれ、変な拾い物をしてしまった。


 帰り道の途中、ロバートはこの後ベースキャンプで起こるであろう騒ぎを予想して憂鬱な気持ちになる。

 ベースキャンプに彼女を連れて帰る行いは救助活動として誇るべきことだ。

 しかし、そもそも私は待機を命じられていたわけで、これでは命令違反の言い逃れができない。

 それに、一般人の立ち入りを禁止しているこの辺りで人を救助することなどほとんど起こりえないことであり、調査隊の仲間にはおいそれと信じてはもらえないだろう。

 調査隊の中には彼女とその格好(かっこう)を見て、私をまだ年端(としは)もいかない奴隷を連れる鬼畜に違いないと勘繰(かんぐ)ってくるような下衆(げす)(やから)もいるかもしれない。


 そういった事を考えれば考えるほど憂鬱になるが、少女の手前悪態(あくたい)の一つや二つ吐きたい気持ちをグッとこらえる。

 ふと、遠くから彼女を見つけたときに感じた疑問のようなものを思いだし、興味本位で聞いてみる。


「そういえば君、さっき棒?のようなものを持っていなかったか?」


「…持ってない」


「?…そうか、持ってないか」


 おかしい、確かにこの目で見たはずなんだが。

 これまでの間で棄ててしまったということなのだろうか。


 その後彼女にいくつかの質問をしたが、全て分からないの一点張りだった。

 特にいつからここいるのか、どうやって生活しているのかについてもだんまりで、なにかを隠しているようだ。

 でも何故そんな事をする必要があるのだろうか。

 そもそも彼女の落ち着きようといい、言動全てが異様すぎる。

 ロバートは心の中で溜め息をついた。




 ベースキャンプに着くと、そこにはロバートが離れる前と変わらず誰も居なかった。


 彼はベンチに少女を座らせ、着けさせていたガスマスクを回収した。

 そしてポケットからタバコとライターを取り出し彼女から少し離れ、少女の様子が確認できる位置取りでタバコを吸う。


 この時間ならそろそろどこかの探索チームが帰ってくる頃合いだが…。

 今となってはいじられることへの面倒臭さよりも、この無愛想な少女のお守りから早く解放されたい一心で煙草(たばこ)を吸い潰して同僚の帰りを待つ。

 しかし、一刻も二刻も待てども誰も帰ってこず、とうとう夜になってしまった。


「どうしちまったんだ?なにかトラブルでもあったのか?」


 不安から独り言を呟いてしまう。

 ロバートは当初にこの仕事を何の感慨(かんがい)もなく引き受けたことを今になって後悔し始めた。

 生き物のいない沼での生態調査と聞いて、割りの良い仕事だと飛びついたが、ここは特別禁止区域。

 何が起きてもおかしくない、そういう場所だった。


 謎の少女と二人きりで夜を越すことに少しの心細さを感じるが、こちらから帰ってこない彼らを探しにいくわけにもいかない。

 最後の吸い殻を携帯灰皿に仕舞い彼女の元へ戻る。


「同僚達の帰りを待つつもりだったが、どうやらなにかトラブルがあったらしい。申し訳ないが、君との話は明日に持ち越しだ。明日の朝までに彼らがここに戻ってこなければ報告のために街に一緒に向かうことになるだろう。街に行けば、君のことも何かわかるかもしれない。それと君の名前についてなんだが、いつまでも君呼ばわりするのもこちらとしてはなにかと都合が悪い。そこで勝手ながら命名させてもらう。これから君の名前は(パルース)からとってルーだ。気に入らなくても我慢してくれ」


 俺は彼女に今後の予定と新しい名前を伝える。

 ルーは小さく頷いた。名前についても特に文句はないようだ。




 キャンプ内をルーに案内する。


 最低限の設備(貯水タンクやお手洗いなど)を紹介し、替えのシャツと靴、それとハンモックの一つを貸し与える。

 シャツと靴に関しては大人用のものしかなく、ルーには少し大きすぎたようで着替え終わった姿を見てダボついている印象を受けた。

 動きにくいこともあるだろうが、あのボロ切れよりマシだろう。


「よし、じゃあ飯にしよう。あんな場所にずっといたんだ。お腹空いてるんじゃないか?」


 二人でテーブルに座り、俺は携帯食料を広げながら彼女に声をかける。

 彼女は携帯食料を手に取り、手の中で転がし、臭いを()いだ。どうやら興味津々のようだ。

 俺も一つとり、口に入れる。

 うん、まぁ、携帯食料の味だ…。

 彼女も手の携帯食料を口に入れる。

 口をモグモグしている姿は年相応で可愛いげがあり、少し彼女への警戒心が和らいだ。


「どうだ、うまいか?」


 俺は水の入ったカップを彼女の方へ寄せながらそう聞くと、彼女は特に反応することなく無言でカップの水を受け取った。


 そのあとは二人で黙々と携帯食料を食べ、各自ハンモックで何事もなかったかのように就寝した。




 次の日の朝、ロバートはルーを起こして外の様子を確認する。

 昨日と変わらず誰も帰っていないようだ。


「…報告が必要だ」


 ロバートはそう、声に出して次に行うべき任務を自分に言い聞かせる。


 旅立つ前にルーと必要最低限の片付けを行った。仮に私達がここを離れた後に彼らがここへ帰ってきても困らないよう、物資は可能な限り残しておく。


「よし、こんなもんだな。ルー、君は何らかのショックで記憶に問題がある…可能性がある。君の今後の生活のためにも記憶を思い出すまで街の施設で生活することになるだろう。その点については問題ないかな?」


 ルーが無言で頷くのを確認する。


「では、出発だ」




 街は沼地から半日で着く場所にある。途中何度か休憩を挟みながら街へ移動する。彼女はその間一言も喋ることなく、私の他愛ない会話に相づちを打つだけだった。


「私が子供の頃から住んでいる街は大陸でも交易が盛んな都市として有名なんだ。お陰様で私は生活には不自由したことがなくて、他の村から上京してきた同僚には軟弱者扱いされることもそこそこある。まぁ自分でももっと積極性を持つべきだとは思うが…」


「…」


「…そんなことをいっているうちに街が見えてきたぞ」


 小さな丘を越えると、眼下に真っ白な塀で囲われた街がみえた。

 丘を下り、関所の憲兵(けんぺい)に声をかける。


「申し訳ない。特別禁止区域の調査を行っていた、ロバート・ヴィンスです。仲間が原因不明のトラブルで遭難中です。至急(しきゅう)救助隊を回していただけないでしょうか」


「…わかった。詳しいことは中で話を聞こう。それと、そこのお嬢さんについても聞かせてもらう」


 憲兵はそういうと、関所前にある小屋の扉に手をかけた。




 日がくれる頃になってようやく小屋から解放された。


 話し合いの結果、ルーは街の外れにある孤児院に引き取られることになった。


 一時はどうなることかと思ったが、なんとか正式に仕事を納めることができた。同僚達には申し訳ないが、自分の身に災いが降りかからずに済んだことに対して、本当に助かったとしか言いようがない。

 何よりも今は一刻も早く自分の借り部屋のベッドで寝たいという気持ちしかなかった。

 関所をくぐり、街に入った途端にドッと押し寄せる疲れを感じながら帰路についた。




 次の日の朝、沼へ向かう救助隊を見送ってからここの所留守にしていた研究室に顔を出すことにした。


 街の中央にあるアカデミーの2階奥、そこが私の書斎(しょさい)兼主な活動場だ。

 私がまだ教授に成り立ての青二才であるという理由で埃臭い物置のようなこの部屋を押しつけられているが、個人的にはそこそこ気に入っている。

 他の研究室から離れているため、飼育を禁止されている動物を飼ってもばれにくいという特典があるからだ。

 といっても今のところここに住まう動物は不法に借り暮らしを行っているネズミ数匹だけで、動物園になるのはまだまだ先になりそうだ。


 廊下を進み、目的の扉に近づくとそこに一枚の紙がピン留めされていることに気づく。

 紙を手に取り読んでみると、どうやら私への置き手紙のようだ。

 内容は私の研究に興味がある、一度会って話がしたいというものだった。

 下の方に連絡先も記してあった。


 私のような半人前にも興味を持つ人がいるのだな、と他人事のような感想を持ちつつ、部屋に入りデスクの上の置き電話のダイヤルを回す。

 数回の呼び出し音の末、相手が受話器を取ったのを確認する。


「もしもし、ケイトさんですか。こちらロバート・ヴィンスです。私宛の手紙の件で電話させていただきました」


 私がそう名乗ると相手は凄く楽しげな声で返事を返してきた。


「こんにちは、ヴィンス先生!ケイト・エヴァンスです!お待ちしておりました!」


 どこか緊張感と初々しさのある声を聞いて、どうやら相手は学生のようだと察した。


「実は私ヴィンス先生の論文を読んだ時から、是非一度お会いしたいと考えていまして…」


「なるほど。そういった用件であればこちらとしても大歓迎です。もしよろしければ明日の午前中にでも私の書斎にこられますか?」


「はい!よろしくお願いします!!」


 受話器から聞こえてくる息遣いで生徒の熱気を感じて、明日の会合が少し楽しみになる。

 別れの挨拶を告げ、受話器を戻す。

 そして調査の間に溜まりに溜まった書類に目を通し始めた。




 次の日、書斎で昨日の仕事の続きをしていると扉をノックする音が聞こえた。

 どうぞお入りください、と声をかけると扉が開き、アカデミーには珍しい(決して差別的なニュアンスはない)可憐な女性が現れた。


「初めまして!昨日お話させていただきました、ケイト・エヴァンスです。今日はよろしくお願いします」


 綺麗なお辞儀をしながら彼女は改めて自己紹介した。


「こんにちは、ロバート・ヴィンスです。わざわざこんな辺鄙(へんぴ)な所まで来てくれてありがとう。さあさあ、こちらに。飲み物は紅茶しかないけどいいかい?」


「ありがとうございます、いただきます」


 彼女をソファーに座らせ、自身は紅茶の準備を始める。


「それにしても私のような新米学者の元に学生さんとは珍しい。私の研究のどこに興味を持ったのかな?」


「はい。実は先生の提唱する別位相生命体(エイリアン・)実在仮説(ハイポサシス)について、論文を読んでいて深く関心を持ちました。」


「なるほど。人類には接触どころか観測することすらできない、異なる位相に住まう生命体の存在について関心があると。ちなみに君はそういった生命体は存在すると思うかい?」


「正直のところ、わかりません。でも、そうであって欲しいという気持ちはあります」


「それは何故だい?」


 予め茶葉を入れておいたポットに熱湯を注ぐ手を止め、彼女の話に耳を傾ける。


「…凄く恥ずかしいことを言うんですけど、私は死という概念及び自我の消滅を超越したいんですよ。死が仮に他の位相世界への転移だと考えると、彼らの住まう異なる位相世界の存在はその考えを支持する重要なファクターです。私の死への恐怖心がそれを知りたいという想い、探求心へ繋がっているんです」


 彼女の言い分は学者である私には特に理解できた。

 学者は皆、一生を研究に費やしてもその極地に至ることができないことに強い執念を持つ。

 そして、もし無限の命があれば…と考え、死を克服する研究を行う学者も少なくない。

 しかし、私は彼女の主張を聞いて少し残念に思う。

 彼女はあくまで別の位相世界に興味があるのであって、そこに住まう生物には目もくれないのだろう。

 よって、理解はできるが共感はできなかった。


「…君の主張はよく理解できた。ところでケイト、君は学生だね?どこかの研究室に属しているのかい?」


「いいえ!実は今回アポを取ったのはこの研究室での活動をご一緒する許可をいただくためでして」


「そうだったのか。こんな埃臭いところで良ければ自由に使ってくれて構わないよ。活動の件、許可しよう」


「ありがとうございます!!」


 そういうと彼女は私の手を握り、上下に激しく振った。

 見た目とは裏腹になかなか激しい性格らしい。


「好きな時に来ると良い。知りたいこと、やりたいことがあれば、私に言いなさい。相談に乗ろう」


「はい、ありがとうございます!先生!」


 私の言葉で見るからに上機嫌になった彼女は今にも鼻歌でも歌い出しそうな勢いで喜んでいた。

 出来上がった紅茶をテーブルへ運び、彼女の向かいのソファーに座る。

 そしてその後の彼女とのディスカッションは大通りの明かりが消され、街が寝静まる頃合まで続いた。

 わが研究室の記念すべき一人目の学生はなかなか見所がありそうだ。




 朝日が登り、眠たい目を擦りながらいつものように支度をして外に出ると街が騒がしいことに気づいた。

 何事かと思い、広場の人混みの方へ向かう。

 彼らは街のニュースが張られる掲示板に群がっているようだ。


 集団をかき分けるようにして前へ前へと進み、時に足を踏まれたり肘で腹を打たれながらも掲示板に辿り着く。


 目立つようにか中央に張られたお目当ての掲示を確認して、その内容に思わず絶句した。

 それはあの調査隊の救援に関するものだった。


 書面には私を除く全ての調査員が死体で発見されたとあった。

 直接的な死因は不明、何かに貫かれたかのような身体中に拳大の無数の穴があったそうだ。

 そして、残酷なことに全ての死体頭部の中身は空っぽだったらしい。


 生物が居ない筈の沼での猟奇的な集団殺人…。朝から街中でこれほどの騒ぎになるのも頷ける。

 被害にあった同僚達とはあの時の調査で初めて顔合わせをした仲だったとはいえ、このような無惨(むざん)な死を遂げたことを知れば流石に辛い気持ちになった。

 彼らの葬儀には必ず参加しようと心に留め、職場に向かおうとすると誰かに肩を(つか)まれる。

 不思議に思って振り返るとそこには二人組の憲兵がいた。


「ロバート・ヴィンスさん、ですね。集団虐殺の容疑で身柄(みがら)を拘束させていただきます。」


 いきなり何のことかと考え、一瞬動きが鈍る。

 その隙に片方の憲兵が私を床に()()した。

 石畳に頭を叩きつけられ目が散る。

 広場が一層騒然となる。

 痛みに堪えながら、どうしてこの状況になったのかを考える。


 そして、すぐその理由を思い付く。


 当たり前だ。


 人が寄り付かない沼で、私以外の調査隊のメンバーは皆死んでしまったが私は生きて帰ってきた。

 客観的に考えて、犯人は私しか居ないだろう。

 あまりに絶望的な状況に反論する声も出せない。

 そのまま街の刑務所にぶちこまれ、一夜を過ごすことになった。




 天井にある格子のついた小窓から日の光が差し込み朝が来たことを知る。

 寒い牢屋(ろうや)の中で丸まっていると、看守が牢の前に立って私に声をかけてきた。


「…釈放だ」


 重苦しい声で彼はそういうと牢を解錠し、扉を開け放つ。

 私は訳も分からないまま牢を出て、その看守に理由を尋ねた。


「何が、あったんですか?」


「…昨晩街の中で沼での一件と良く似た事件が起きたんだ。お前はその間牢に居た、つまりお前以外のヤツが犯人ってことだ。勿論共犯の可能性もあるが、証拠がないからな」


 どうやら街でとんでもないことが起きているらしい。

 刑務所を出て、昨日の広場に向かう。

 今日は昨日とうって代わって街にはほとんど人影が見えなかった。

 広場に貼られた掲示を見る。

 見出しは『大量殺人再び』。

 孤児院が狙われたらしい、現場で助かった者はいないようだ。

 大人子供の死体の状況は沼でのそれと変わらず無数の穴と頭部の損傷が見られた、とあった。

 産まれたときからこの街に住んでいるが、これほどまでに衝撃的な事件が起きたのは今回が初めてだった。


 住民は皆自身が被害に遭うのを恐れて引きこもっており、街は死んでしまったかのように静かだった。

 このまま自分も借り部屋に帰って引きこもることも考えたが、最近研究室に居座るようになったケイトの顔が頭をよぎった。

 彼女は今日も研究室に居るかもしれない、仮に居なくて今後来る可能性を考えて帰宅するよう置き手紙を残すべきだろう。


 広場からアカデミーへ続く道を駆け抜ける。

 建物内の廊下を渡り、息を切らしながら研究室の扉の前に辿り着く。

 扉ごしに部屋の中からなにか小さな音がすることに気付いた。

 どうやらケイトは中で活動しているらしい。

 こんな時にまで研究とは、根っからの研究バカのようだ。

 たまには担当教諭として注意のひとつでもするかと内心呆れた気持ちでドアノブを回した。


 開け放たれた扉から噴き出すようにして生臭い臭いが体を包む。

 部屋の中は鮮やかな赤で塗りつぶされていて、視線の先にはケイト、()()()()()()られていた。

 彼女の頭を貫く、血肉でできた槍のようなものから血が(しずく)となって垂れ、ピチョンという音と共に血溜まりをつくる。

 そして、ケイトの目の前で立っていた血まみれの少女が、私の気配に気づいて振り返った。


 ルーだった。


 私に気づいたルーは腕から生えた血肉の槍を霧散させる。

 ケイトは床に落下し、べちゃっという音を立てた。


 彼女はケイトの遺体を名残(のごり)()しそうに横目で見つつ、私の方に歩み始めた。

 私は体が震え出すのを感じた。

 彼女は私を間違いなく殺すつもりでいる。

 その直感が体を石のようにして、動けない体と逃げ出そうとする意思が私の頭の中で反発し合う。

 しかし自分がその時彼女に向けていた視線は実は絶望のそれ、だけではなかった。同時に、小さなとある期待をこめた視線もまた向けていた。


 私の側で歩みを止めた彼女が壁越しにへたりこんだ私をじっと見つめる。

 彼女は静かに手を振り上げた。


 それはきっと死の宣告なのだろう。

 そして、それが降ろされたときに私は死ぬ。


「…ル、ルー」


 震える声で彼女に呼びかける。

 単なる悪あがきだった。

 まだ私にはやることがある、一秒でも長く生きたい。

 そんな祈りが通じたかのように、彼女の動きが止まる。


「私のこと、覚えてるか…?」


「…ロバート」


「そ、そうだ。私だ、ロバートだ。久しぶりだな」


 コンタクトが取れたことに驚きが隠せない。

 しかし、ここで話を途切れさせてはダメだ。

 とにかくこのままコミュニケーションを続けないと…。


「沼と孤児院での事件を引き起こしたのは、ルーなんだよな…?」


 こくり。

 ルーは頷く。


「人を襲う理由は…どうしてだ?」


「…私は自身の成長のために高度で有機的な発達を摂食し続ける必要がある」


「…だから、人の脳を?」


 ルーが再び頷くのを見て、これまでの疑念が確信にかわる。


 恐怖心で冷えた体が一転して、沸騰せんとする血の熱さが体を(うず)かせる。

 私を貫こうとしたあの槍の物理に反した挙動も、発達という概念を食べるという奇怪な発言も、全てが私の求めるものだったのだ。


 なんという偶然、なんという行幸(ぎょうこう)

 私は、とうとう求めていた未知との邂逅(かいこう)を果たしたのだ。


 恐怖が引き起こしていたはずの体の震えは、いつの間に興奮によるものになっていた。

 ルーは()()()()()()だった。

 知的好奇心が自身の中でむくむくと膨らんでくるのを感じる。

 彼女という個体をもっと研究したい。

 彼女をずっと側で観察したい。


「無知な振りをして街まで着いてきたのは人を食べるため、そうだな?」


 私の問いに迷いなく、ルーは頷く。


「取引をしないか?」


「とりひき…」


「そうだ、今後私はお前のために定期的に人を(さら)ってこよう。その代わり今この私の命を助けて欲しい」


 彼女も毎度毎度起こすこのような大事件が、その後の食材調達を難しくすることをわかっているはずだ。

 この世界の(ことわり)に詳しい協力者がいれば、その問題も解決される。

 これは私なりに彼女が私に存在価値を感じるであろうと考えた交渉条件だった。

 これでダメなら私は死ぬしかない。


 私の言葉を聞いてルーは首を(ひね)り、少しの間考えをまとめているようにみえた。

 そして頷く。


「ロバートが使えなくなったら、食べるから」


「ああ…これからよろしくな」


 どうやら、私は無事彼女の奴隷となることができたようだ。


<<後編>>は一週間後あたりに投稿予定

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