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生きるものたちの境界線  作者: 睡眠吐息
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残酷な世界④

突如として老爺の言葉を思い出す。


――あれには関わるな


 確かにあの夜は暗く、はっきり全てが見えたわけでは無い。だが今、こうして震えだした体がはっきりと覚えていた。個体としては別のものだろう。その姿も別のものだ。雌雄という括りがあるかは分からない。だが、あれも「なりそこない」とやらで間違いないだろう。


 そしてはっきりと姿を見たのはこれが初めてだった。


「あれは、あいつは一体なんなんだ」 


 姿を見てなお、そう言わずにはいられなかった。中心には空洞……口があった。口と呼べるかは分からないが、先ほどトロルをそこで食っていたのだから口なのだろう。そしてその空洞を囲うように尖った血の付いた牙が生えていた。その周りには触手のような、吸盤の無い蛸の足のようなものが蠢いていた。だがこの「なりそこない」の足となる部分はその触手では無かった。髪の毛のように細い糸が無数にあり、それが体を支えていた。


 まるで植物、花のようだ、ともルイは思った。目玉のような部分も鼻のような部分も見られない。五感のうちの視覚、嗅覚、聴覚は存在しないのかもしれない。


 まだルイは動かない。相手の出方を見る方が先だ。トロルを相手にしている場合ではない。


「グアアア!」


 一番近かった一匹は、攻撃するために襲い掛かった……襲い掛かろうとしたろうとした、が正しいか。

「ガ!?」 


 動き出そうとしたトロル含め、一秒も経たない間に心臓部を貫かれていた。何の苦労もなく、的確に四匹を殺したのだ。


 細い無数の糸か毛のようなものが、一斉に動き出したトロルを貫いた。あの糸一本一本が非常に硬いのかもしれない。


(どうする? どう動くのが正解だ?)


 殺したトロルの足を持ち上げたまま、別の糸が引きちぎり、その体を食い始めた。食う、というよりかは無理矢理押しつぶしてあの空洞に入れる作業に近かった。


 動いたら、あれに見つかり、殺されるということは分かった。だが、トロル四匹の死体の対価として得られたものはそれだけだった。


 ルイの後方でカサリ、と音がした。その音がした瞬間に、数本の毛がルイの腰辺りをかすめ、後方の木ごと音がした何かを貫いた。


 ずるずると引きずられて行くそれを見ると野ウサギであることが分かったが、ルイにはどうすることも出来ない。


(そうなると音か、動きのどちらかか)


 ここでとる選択肢は当然二つ、あれと戦うか、あれが去るまで待つか……つまりあれから逃げるか、だ。


 ルイは笑う。それしか選択肢が無いのなら、もう答えは決まっていたからだ。そして、彼の憧れる英雄像は決して逃げはしない。あの老爺は、こと戦闘において逃げることは一度も無かった。


 勝てないかもしれない。死ぬかもしれない。だが、恐怖は無かった。この一秒がウィリアムの助けになるのなら。


「俺はもう逃げない。……だから、戦うに、決まってんだろうが!」


 そう叫んだ瞬間に、既に二度見た細い糸が高速でルイの心臓目掛け飛んできた。それを刃の部分で受け流そうとする。来ると知っていても遅れるほどの速さ。


 柄を握る手が、痺れるほどの一撃。ぶつかった瞬間に火花がとんだ。


可能な限り肉体に魔力を流し込んだが、体が浮き、後ろの大木に体を叩きつけられた。


「ぐっ」


受け流しにはギリギリで成功したようで、ルイから逸れた糸は数十メートル先まで貫いていった。重く、速い一撃に、剣に僅かにひびが入る。


なりそこないとの距離は大分離れている。ルイには遠距離から攻撃する術はない。近づかなければ防戦一方だ。


 足に魔力を込めた。思いきり大地を蹴る。一度に出来る跳躍の限界。あと一度か二度地面を蹴ればあれに一撃与えられるところまで来る。だが当然の如く糸を使い攻撃してくるだろう。だが、速く単純で重いだけだ。そこまで厳しい一撃では無い。


移動したルイは捉えられないと判断したのか。捕えようとしてくる動きだった。恐らく、素早く移動している瞬間には、あの強力な一撃は使えないのだろう。それともルイで遊んでいるのか。


 それらを剣でいなしながら、一歩、そしてまた一歩と距離を縮める。


「こっれっはっ、どうだ!」


 右上から左下にかけ、全力の魔力を刃に乗せた斬撃を与える。それはゴブリンやトロル、重鎧を着た人間ですら真っ二つにする一撃だった。


「何!?」


 だが、それは通らない。傷跡すら与えられない。


 幾本も存在する糸で、体を覆うようにして防いだ。それだけだ。一本も斬れたりしてはいない。

 当然全てを攻撃に向けた一撃は、ルイ自身に大きな隙を与えることになる。


 糸による何物をも貫く一撃がルイを貫いた。動揺の後、僅かに回避を頭によぎらせたため、わき腹を鎧ごと貫かれるだけで済んだ。


 距離を取ろうとするが、糸で足を掴まれた。ここまで近づいて呑気なものだが、細い糸と少し太めの触手があり、それぞれ別の役割があるのかもしれない。柔らかいのか攻撃において触手を使おうとはしてこない。と、そんなことを気にする余裕などはないのだが。


 剣だけは離さない。これを手放せば完全な無防備の状態へとなる。それに気づいているのか、軽々とルイを天地と反対向きのまま持ち上げ、そのまま地面に叩きつけた。


「ぐっ」


 癇癪を起した子供の様に。何度も、何度もだ。


 いくら魔力で肉体を強化していても、鋼のような硬さになるわけではない。実際なることは可能だが、今のルイにとっては余りにも魔力消費が速すぎ、直ぐに尽きてしまう。そして魔力が無くなれば完全な無防備の状態となる。


 だから耐えた。ただひたすらに、死なないだけの魔力を込めた。思考の瞬間も、ただ地面に衝突させられた。


(こんなことなら、鎧なんて着ていなければ良かった)


 鎧なんて意味を為していなかった。捕まれば終わる勝負に重りをつけるなど愚策でしかない。それももう過ぎてしまったことだが。


 結局待ち続けていたが隙は来なかった。いや、元々隙が生まれると言うのはルイの希望でしかない。現実は休むことなく叩きつけられ、時折ルイを貫こうとする糸による攻撃を剣で防ぐだけだった。それももう長くは持たない。


 そしてルイは、幾ばくか時間が過ぎたのち、剣が地面に落ちた。キン、という金属特有の高い音がした。それを持っていた者の瞳はどこか虚ろで、遠くを見ていた。

 

―――――――――――――――――――――――――――


 元々英雄には憧れていなかった。何も、なりたいことも物もなかった。自分だけが世界の全てで、自分だけが生きれれば良いと思った。ずっとそうして生きてきた。多分逃げながら、盗みながら。


 でも、尊敬する人が出来た。信じれる人が出来た。だから、その人に近づこうと、追い抜こうとした。だから英雄と言う存在に憧れた。最後に守りたい人ができた。

 

 その日々は幸せで、希望にあふれていた。色んなものを見て、色んなことを教わった。それで、自分以外の他人も救いたいと思った。顔も知らない誰かにも、幸せになって欲しいと思った。自分の無力さを知り涙を流した。全員が空腹を知らないで、幸せに過ごせればどれだけ良いんだと思った。


 例え爺様が関わるなと言っても逃げたくなかった。爺様は倒していたから。自分も倒せれば近づけると思った。どこかで油断していた。慢心があった。


 それももう全ては遅い。世界は酷く残酷なのだから。


 体からは力が抜け、魔力ももう残っていなかった。

 

 ウィルは、ウィリアムは上手く逃げれただろうか。戦いは苦手な子だったが、賢い子だったからどうにかしただろう。目を瞑れば思い出す。何度も呼ばれたあの声を。


「あんちゃん」


 笑っている時も、泣いている時も、どんな時も呼んできた。姿も思い浮かぶ。


 ん? 果たして記憶の中のウィルは……ウィリアムの目は赤色だっただろうか。どこか記憶と違う気がする。自分にナイフを向けるわけが無い。


「あんちゃんから、離れろよ」


 落ち着いた声だった。そして随分と大人びて見えた。ルイの意識はそこで途絶えた。


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