姫の静かなる決意
「ええと、この香を神官長の傍で焚けって言ってたよな。オレ、お香なんて焚いたことねえんだけど、火石くれたってことは多分火をつければいいんだよな」
そんな独り言をボソボソと呟きながら、太い指でおっかなびっくりお香を焚く兵士さんに、どれだけ感謝したか。そのお香、魔力回復を促す作用があるの。きっと、ユーリーン姫が用意してくれていたんだね。
お香の煙が神官長様を包むと、少しだけ神官長様の表情が和らいだ。
ああ、少しは楽になったのかな。
あたしは魔力が切れるほどまで使ったことがないからわからないけど、無理をしがちな神官長様は旅の間でもよく魔力切れを起こしていて、とっても心配だった。
まるでひどい貧血みたいに真っ青な顔で、音もなく崩れ落ちる神官長様をいつもどれだけ心配したか。
でもそういえば、あの時もこうしてよく香を焚いていたっけ。だから、今回だってきっともう大丈夫。そう思えた途端に、場面がいきなり切り替わって青空が見えた。
どうやら神官長様が運ばれたテントの外みたいだけれど。
「まずは親子から先に!」
大きな声が響いている。なつかしいその声は、コールマンのものだった。
「まずは粥からです。いきなり食べ過ぎてはいけませんよ」
あ、ユーリーン姫。旅の時とおんなじ、姫らしからぬ動きやすいパンツスタイルだ。髪も結い上げて、腕まくりした状態で街の方々に手ずからお粥をよそっている。神官長様とは違う魔法を使わない地道な活動だけれど、人々の命をつなぐ最も大事な支援だ。
夢の中ではあっという間に日が落ちて、街の人々が星空の下で身を寄せ合って眠る姿も垣間見えた。
そのうちすすり泣くような声が聞こえてきたと思ったら、すこしずつ伝染するように泣き声がそこかしこで聞こえてくる。
神官長様の神聖魔法で体は綺麗になったかもしれない。姫が持ってきた食事で、久しぶりにお腹はくちくなったのかもしれない。
でも、だからこそ泣けてくるのかもしれなかった。
だって、災害にあった人は、無くしたものがきっと大きすぎる。その夜、星明かりの下で密やかな泣き声はずっと響いたままだった。
やがてうっすらと夜があける。
一番先に起き出してテントを出てきたのはユーリーン姫だった。
厳しい目で水に沈んだ街を見据え、無言のまま神鳥アールサスの足に何か石を結わえつけた姫は、神鳥アールサスを空へと放った。
神鳥アールサスは空を大きく旋回し、山の向こうまでを飛びまわってから姫の元へと戻る。
その脚から石を外してじっくりと見ていた姫は、決意に満ちた目で滝が流れ落ちる山の頂を見つめていた。




