ママに、あげたかったの
「覚えてないかぁ。陽奈さ、保育園の頃、遅い子組さんだったでしょ」
「うん」
遅い子組さんって、親のお迎えが遅くて保育園に居残りしてる子のことだったっけかな。私はおじいちゃんがお迎えに来てくれてたけど、そういうサポートがなかったらきっと私もそうだったんだろう。両親は共働きだったし。
「ママがいつもお仕事で遅かったから、寂しい思いさせちゃったね」
「そんなの……今もじゃん」
消え入りそうな声で、陽奈ちゃんが呟く。正直聞いちゃうのも申し訳ない気がするんだけど、二人の席がカウンターに近すぎて聞こえてきちゃうんだよね。
できるだけ二人の会話の邪魔にならないように、私は洗った食器を拭き上げる作業に専念する。これならあんまり大きな音も立たないだろう。
「陽奈の保育園は毎日おやつの時間があってさ、陽奈はいつもおやつを楽しみにしてた。あの頃から甘いのが好きだったのよね」
「覚えてないよ」
「ある日お迎えに行ったらね、陽奈がすっごいキラキラの笑顔で走ってきてさ、おやつがチョコレートだったって、すっごく嬉しそうに」
「ふうん、それがこのチョコレート?」
だから? とでも言いたげに、陽奈ちゃんは件のチョコレートをつまみ上げる。結果、チョコレートは陽奈ちゃんの口の中に消えていった。
「しまった! 無意識に……!」
「ふふ、いいじゃない。チョコレートがこの世で一番好きなんでしょ?」
もしかして普段はそれなりに仲のいい親子なのかな。むしろ姉妹みたいな雰囲気に、私の気持ちも穏やかになってくる。もうさっきまでの張り詰めた空気は随分と薄らいでいた。
「なのに陽奈ったら、あの日は大好きなチョコレートを食べずにガマンしてたんだって」
「さすが私、ガマン強い」
「でね、誇らしそうにポッケに手を入れたら」
「げ! い、言わなくていい! なんか想像できるもん」
お母さんがフフ、と笑う。
「可愛かったなぁ。両手をチョコでベトベトにしてさ。ママに、あげたかったの、って大泣きしてた」
「ああ~~~、は、恥ずかしい……!」
「恥ずかしくないよ。ママ、めっちゃ元気出たもん。この世で一番好きなチョコレートを、あんなに小さな陽奈が、食べずにママのためにとっといてくれたんだよ? 天使か、って思ったよ」
ニコニコと嬉しそうなお母さんの前で、陽奈ちゃんは真っ赤になって……でも、やっぱり嬉しそうに見えた。
「あの頃から陽奈は優しかった。不器用でせっかく相手のことを思ってやってくれてるのに、あの時みたいにうまくいかないことも本当は多かったよね」
「……」
陽奈ちゃんの肩が、ピクンと揺れた。




