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幼馴染

作者: すずき

あれだけうるさかった蝉の声は聞こえなくなっていた。それは恐らく深夜だからだろうが、僕にとってはこの場の雰囲気を壊さぬよう、気を使ってくれているように感じた。


幾分かの緊張に手のひらが汗で滲む。それなりの期間生きてきたこれまでの人生の中で、こんなシチュエーションは初めてだった。深夜の学校のプールに、女の子と、二人きり。流石にもっといいデートスポットがありそうなものだが、デートに誘った時、ここに来たいと言ったのは彼女の方だった。


「ねぇ見て、月」


プールのふちに腰かけた彼女が言う。その言葉に上を見上げると、薄い雲の奥に鈍く光る月が見えた。別にこれといって綺麗な訳でも、大きい訳でもない、普通の夏の三日月。

これはあれだろうか。月が綺麗ですねとか。そういう系だろうか。


「綺麗ですね...?」

「そう?普通じゃない?」


こちらが気を使って言ったというのに、なんともなしにそう返される。まぁ、確かに彼女はそういう文学的な情緒が分かるタイプではない。どちらかというと、活発でスポーツ系の女の子だった。


「情緒のわからん奴だ」

「...?訳わかんない」


彼女とは幼馴染だ。幼稚園の頃からいつも一緒。スポーツ全般、体を動かすことが得意な彼女と、インドア派で本や漫画やゲームなんかが好きな僕。割と共通点が少ないのに、よくこんなに長い間一緒にいるもんだと思う。


「知らない?月が綺麗ですねってフレーズ結構有名だと思うんだけど」

「知らないなぁ」


そう言う彼女の視線はまだ月に。空を見上げる横顔は、幼馴染ゆえの贔屓目無しに綺麗だと思えた。流れ落ちる長い黒髪は、小さい頃から変わらない。本人曰く、ひそかな自慢なんだとか。

幼いころから活発だった彼女は、いつも僕をその言動で振り回した。それこそ小学校の頃なんかは、家に居たがる僕を毎度毎度外に連れ出し、冒険だなんだと街中を駆け回った。

春はお花見、夏は虫取り、秋は紅葉狩りに冬は雪合戦。彼女としては理由なんてなんでも良かったようで、花見と言いつつも花を見なかったり、虫取りと言いつつ虫あみを持って行かなかったりと、そんなことはしょっちゅうだった。春と秋はともかく、夏や冬は外で遊ぶのは厳しい環境で、そんな中でも元気いっぱいな彼女は容赦なく僕を連れ出した。断り切れずについていったのは、やはり惚れた弱みか。


僕はずっと彼女が好きだ。いわゆる片思い。幼馴染という関係は近くもあり、それでいて厄介なほどに遠かった。

今も二人並んで座り月を見ている。その手は触れそうなほどに近いけど、決して触れてはいない。出会って十数年経つのに、この距離は埋められていない。いや、小さな時分の方が距離感は近かったから、少しずつ遠ざかっているとも言える。


「もっと本を読もうよ。面白いの貸すからさ」

「うーん...私に活字は合ってない気がする...。なんか...キャラ的に?」


もっと面白い暇つぶしないかなー。足をパタパタと揺らしながら呟く。


「読書も慣れれば楽しいよ?読みやすい本から読んでみたら?」

「例えば?」

「僕が最初に読んだのはエルマーの冒険だったかな...。だから君は...はらぺこなあおむしの本から始めてみたら?」

「なんか自分の最初より対象年齢落としてない?」


絵本じゃんとツッコミ。確かに活字に慣れるという目的にしては字が少なすぎるか。


「そうやってすぐ馬鹿にして。性格悪いなー」

「真面目に考えて言ったんだけどなー」

「なお悪いわ」


軽く笑いながらそんな会話を交わす。なんでもない会話でも楽しいと思えてしまう。


「中学の頃とかテストの度に泣きついてきてたじゃないか。ちょっと馬鹿にされるくらいは許容すべきじゃない?」

「その節は大変お世話になりました」


彼女は運動は大の得意だったが勉強は苦手で、テストの時期になると僕は家庭教師に駆り出されていた。赤点回避により蓄積された僕への借りは相当なものではないだろうか。


「でも泳げなかったあなたが泳げるようになったのは私の特訓のおかげでしょ」

「その節は大変お世話に」


ふふんと得意げな彼女。どうやら貸し借りはゼロだったようだ。僕と彼女がなんだかんだで一緒にいたのは、互いが互いの短所を埋めあっていたのも理由の一つのようだった。


「久しぶりに泳ぎたいなー」


彼女は中学の頃水泳部のエースだった。その当時を思い出したのか、クロールをするようにその手は宙を掻く。


「しばらく泳いでないからもうだいぶ衰えたんじゃない?」

「クロールだったら今でも余裕だよ!たぶん!」


今いる場所がプールなだけに彼女はノリノリだ。目指すは日本一、なんて言って泳ぐ振り。今は水着など持っていないし、泳がれても困るのだが。


「水泳じゃなくてもいいから、運動がしたいなぁ」


小さな声で呟く。僕らの会話が止まると、場は静寂に包まれる。そこには気まずさなんてものは存在していなくて、親しいもの同士だからこそ感じ取れる居心地の良さみたいなものがあった。でもだからこそ、何も喋っていないこの時間を少し惜しいと思ってしまう。


今日は静かな夜だった。心地の良い夜風も吹いていて、夏真っ盛りにしては涼しい気候。


小さな彼女のくしゃみが聞こえて、少し長居しすぎたかと思う。彼女は薄着だ。体が冷えてはいけない。話したいこともあったのに、僕は彼女の体調を理由にこの場を切り上げようとした。


「そろそろ戻ろうか」

「ううん、大丈夫だよ。まだ」

「体冷えるよ」

「大丈夫だよ、今更だし。ね、それよりもうちょっと」


このまま。そう言って動かない彼女を見て、僕も立ち上がろうとしていた腰を下ろす。確かに今更だ。彼女をこんなところまで連れてきておいて。大した意味はないだろうと思いつつも、僕は自分が着ていた夏用のカーディガンを彼女の肩にかけた。


「ちょっと汗臭い」


そのくらい我慢してほしいと思うけれど、ちょっと照れたように前を閉じる彼女を見れば言葉は出なかった。彼女の着ている服の色と僕のカーディガンの空色はもろにかぶっていて、お世辞にも似合っていなかった。


また少しの静寂。僕はどう告白まで話を持っていこうか悩んでいた。そのために彼女を深夜のデートに誘ったのだ。彼女の体調を理由にそのことから逃げようとしていた自分の弱気を考えると、そろそろそういう雰囲気に持っていかないとまた先延ばしにしてしまう気がする。


今じゃなきゃ駄目なのだ。今でなければ。


個人的な感覚で言えば、彼女の交友関係の中で最も親しい男友達は僕だ。勝算は充分にある。問題は幼馴染故に男として見られていない可能性もあること。

とりあえず一歩踏み込まなければ。


「今好きな人っている?」


自分でも分かり易すぎる話の切り出し方だとは思ったが、一度吐いた言葉はもう取り消せない。


「お?急にどしたの?」

「純粋な興味」


流れるように嘘をついてしまった。本当は純粋な下心。


「好きな人かー。難しい質問だね」


彼女はむむっと唸ってから、さも悩んでますといった顰めっ面をした。


「難しい質問ですか」

「難しい質問ですね」

「お子様な君には恋愛はまだ早いかな?」

「自分も彼女出来たことないくせに」


それはそうだろう。ずっと片思いなのだから。


「そういう自分は好きな人いるの?」


彼女からの逆質問。踏み込むなら今か。


「いるよ」

「おぉ!恋に悩める青少年なのか!」


そうかそうかとうんうん頷き、羨ましいなーなんて

ボヤいている。

なんだかこう、胸を掻き毟りたくなるような、むず痒い気分になった。好きな人と、好きな人について話し合う。一緒にいる時間は長くとも、恋愛について話すことは今までほぼ無かった。僕は彼女を意識する余り話に出せず、また幼馴染という極めて近い関係性もあって、色恋沙汰を話すのが恥ずかしいという共通認識もあったのだろう。

こういう場面で好きな人は君だよ、なんて言うのだろうか。モテる奴は。踏み込むと決めていたのに、僕には言えなかった。


「私も恋したかったなー」


ため息とともに彼女はまた空を見上げた。ぼんやりと霞む月だけがある空。

彼女の些細な動作に少し見惚れたところで、


「あーでも、ちょっと前までは私も好きな人いたんだ」


そんな言葉に、僕は激しく動揺した。


「へー初耳だ」

「初めて言ったからね」


平気そうに相槌を挟むものの、心臓は荒れ狂っている。


「いつのこと?」

「それこそ最近まで」

「いつから?」

「覚えてないくらい昔から」


ちらりとこちらに向けられた流し目に、内心は掻き乱された。それはそういうことでいいんだろうか。僕たちは幼馴染だ。覚えてないくらい昔から、いつも一緒。

湧き上がろうとしていた高揚感は、1つのひっかかりに押さえつけられていた。


「最近まで...ね...」


彼女の言うことは過去形だ。


「そう。最近まで」


続く言葉は両者ともなかった。またしても静寂。

さっきまでの静けさと違って、僕はその沈黙にもやもやとした感情を抱いた。

これはつまりあれだ。遠回しにフラれた。そういうことだろう。

ちらりと横を見ると、彼女は無表情だった。

ただ、空を見ている。


「...なんで、好きじゃなくなったの?」


この問いは女々しいのだろうか。そうも思ったが、聞かずにはいられなかった。それに彼女が好き()()()のが僕と決まった訳ではない。男っ気の無かった彼女とそんなに長く付き合いのある男が僕だけだとしても。

ここ最近、僕と彼女の間に蟠り(わだかまり)はあっただろうか。なんてことを考えながら。

もう一度彼女の方を向くと。


「...なんていうか、ほら」


彼女の顔は確かに無表情に近かったけれど。


「そういうのに興味無くなっちゃったんだよね」


少しずつ、その顔に感情が浮かび上がってきていた。


「恋愛向いてないのかも」


彼女は無表情のつもりだろう。こっちに視線を寄こさず上を見上げるその顔に、僕は見てしまった。ずっと一緒に過ごしてきた。だからこそ分かる。


その横顔に浮かぶ諦観に。



急に気持ちが膨れ上がった。その隠そうとしている諦めた顔に。グラグラと身体が熱を持ったように。

好意というよりも、憤りや悔しさに近い感情が支配した。

僕が憤るなんてお門違いだということなんて分かっている。それでも、その諦めに我慢出来なかった。彼女の境遇も分かっている。そう思う理由もわかる。それでも、完全に自分のエゴだと分かっていても。

気持ちが溢れ出た。その湧き出る気持ちに押されるように、ずっと言いたかったことが口をついた。



「ずっと前から君のことが好きだった」


止められなかった。


「というか好きだ。君のことが」


打ち明ける。言えなかった気持ちを。自分でもこんな風に告白するなんて思ってもみなかった。もう少しロマンチックに、なんて考えていたのに。






控えめな風に揺れる木々の音。それさえ煩く感じるような数瞬を経て、彼女はこちらを見た。


「言っちゃうんだ、それ」


困ったなぁなんて苦笑い。片手で顔を覆う彼女に、僕はしてやったりと思った。


「幸せにはなれないよ」


顔を歪めて言う彼女を見る。




嫌でも目につく、彼女の薄水色の病衣。

僕のカーディガンとはやっぱり合わない。


「私死んじゃうもん」





つい最近のこと。重い病が見つかって、彼女は余命宣告を受けた。

心臓の病気で、もう手のつけようがないらしい。そう聞いた時、僕は嘘だと思ってしまった。

若くして亡くなる人がいるのは知っている。でもそれはどこか遠い世界の話で、自分は関係のないものだと思っていた。

現実感のないまま、彼女は入院し。

健康的だった彼女の身体は、いつしか痩せ細っていった。部活動の水泳で鍛えた肉体は、見る影もない。

いつまでもこの関係が続くもんだと思っていた。どちらかが変えない限り。



彼女が入院してから今日までの数ヶ月、いろいろなことを考えた。

悩んだ。十数年しか生きていない僕なりに考えに考えて。


告白することを選んだ。

にしても、こんな複雑な心境で告白するとは思わなかったけれど。



「幸せにするよ」


飄々と言う。分かってる。それが難しいってことくらい。


「誰より幸せにする」


残された少ない時間で出来ることは限られている、そう思っていた。でも。


「君は幸せになれないよ」


そう言う彼女を見て。諦めた彼女を見て。どうしても抗いたくなった。


「僕は君を好きになれた時点で、誰より幸せだから」


少しキザかな、頭の片隅でそう思う。彼女も思ったのか、


「そんなセリフ言えたんだ」


なんて、くしゃりと笑って言った。


「僕自身も驚いてる」


なんだか後から恥ずかしくなりそうだ。でも後悔だけは絶対にしない。


「返事、くれないかな」


先程までと違い、ぐいぐいと押していく。先延ばしになんてしない。この僕を押す感情に身を任せる。

これが正しいかなんて分からない。


「付き合ったって何にも出来ないよ?」


私はずっと病院だろうし。そう言う彼女は儚げで。それが悔しくて。


「とりあえず病気を治したら海にでも行こう」

「それまでに君より速く泳げるようになっとくよ」


そんなことを笑って言う。


絶対に繫ぎ止める。彼女の病に匙を投げたヤブ医者なんて知らない。世界中探してでも治せる医者を見つければいい。なんなら僕がその医者になってもいい。余命なんて知ったことか。

僕は抗うと決めた。

これは僕のエゴだ。


なんの根拠もない自信に任せて、言い募る。


「僕と付き合ってください」



多分彼女は困っただろう。遠回しにフったのにも関わらず好き勝手なことをいう幼馴染に。

それでも、どうしても僕が嫌だった、寂しげな、投げやりな表情ではなく。

困惑やらなんやらでなんとも言えない表情をして、少しだけ潤んだ瞳で、


「ばーか」


なんて笑った。


それだけで、僕は今の自分の行動が正しいと思えた。


「もう少し雰囲気のある告白できないの?」

「それは僕も思う」

「『というか好きだ』って。なんで言い直したの」

「過去形じゃいけないと思って」

「場所も学校のプールって」

「それはそっちが言ったんだろ」


こんなことになると思わなかったんだもん。

そう言って、彼女はため息をついた。


「でも、なんか元気出たかも」

「深夜に病院を抜け出した甲斐があったね」


そう茶化すとそうかもなんて返す彼女の顔は、困惑から移り変わっていて。

それがどんな感情かは正確には分からないけれど、その表情を僕は美しいと思った。

ふぅ、なんて深呼吸のあと、


「私も、あなたのことがずっと前から好きでした」

「付き合ってください」


確かに、彼女はそう言った。


雲が流れ、三日月がはっきりと見える。

祝福するように笑う月が。



「きっと後悔するよ?」


そんな言葉にも、自信を持って返せる。


「しないよ。絶対」


する訳がない。今日の告白が、最良の形で終わったのだから。


今は8月の中旬。朝になれば蝉がまた賑やかに鳴くだろう。

彼女が宣告されたタイムリミットはいつだったか。まあどうでもいい。それをこれから無くすのだ。


やることがたくさん出来た。抗うと決めたから。


まずは抜け出した病院に戻って、彼女の両親に土下座するところから始めよう。


その前に、彼女とキスするくらいは、許して欲しい。


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