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軍縮条約と関東大震災





 第一次世界大戦が終結した後、戦勝国達は海軍の増強を行っていった。



 だが、この急激な拡張は国家の財政を圧迫し国内経済の疲弊に繋がっていった。



 国民からも戦争が終わったのだから軍備拡張は金の無駄だとの声が上がってきた。



 このことから、アメリカ合衆国大統領であるハーディングが海軍の増強を抑える、軍縮条約の締結を各国に打診した。



 これを聞いた日本政府は国家予算を圧迫し始めていた海軍の急激な拡大を抑えるため、すぐさま飛び付いた。




 一九二三年 一月十四日




 ワシントンにおいて海軍軍縮条約締結に向けての話し合いが米英日仏伊の五ヵ国によって始まり、二ヵ月後の三月に条約は締結された。




ワシントン海軍軍縮条約:概要

・この条約の有効期限は十年後の一九三十三年三月までとする

・条約有効期日内は戦艦の新造を禁止

・現在建造中の戦艦は例外を除いて廃棄すること

・保有合計排水量

戦艦(主砲十六インチ以下)

米英:五十二万五千トン

日:三十一万五千トン

仏伊:十七万五千トン

航空母艦

米英日:十三万五千トン

仏伊:六万トン




 日本が保有している戦艦は旧式化した薩摩型、筑波型、鞍馬型の二隻ずつ六隻と長門型以外の金剛型、扶桑型の四隻ずつ八隻であり合計すると十四隻にもなる。



 建造している長門型は十六インチ主砲を搭載していて、なおかつほぼ完成しておりそうすると合計十六隻になるので、政府としては旧式化した六隻は廃棄して長門型二隻を組み込み戦艦を最終的に十隻にしたいと考えていた。



 だが、建造中の戦艦は廃棄することになりその廃棄リストに十六インチ搭載の『長門』と『陸奥』が記載されていた。



 日本は長門型の二隻は既に完成していると強く主張し、保有を認められる事になるのだがアメリカが十六インチ搭載艦三隻とイギリスが十六インチ搭載艦二隻の保有も認められる事になり、結果的に日本が不利になってしまった。



 戦艦では欧米に主導権を握られたが空母では日本が主導権を握った。



 ワシントン海軍軍縮条約は元々、戦艦のみを規制するために締結されるはずだった。



 だが、日本は航空母艦に対しても規制するべきだと主張した。



 欧米としては未だに航空母艦を主力艦とする認識が乏しかったが日本は日露戦争から航空機に関して研究を行っており、日独技術協定によって得られた知識により空母の実用性を充分認識していたのだ。



 欧米はなぜそこまで強く主張するのか理解出来なかったが日本は所詮欧米の猿真似しかできないという風潮もあり、結局日本に押される形で調整に入った。




 このような形で締結された条約だが、巡洋艦以下の補助艦艇に関しては何も規制されていなかった。



 日本は空母に続いてそれらにも規制をかけようとしたのだが、海軍から批判の声が上がったのだ。



 天皇陛下が陸海軍を統帥するという憲法がある以上、軍部から主力艦の新造やある程度の規制は許せても補助艦艇までも規制をかけるのは政府の横暴ではないかとの批判がでると政府は発言を行いにくくなった。



 なぜなら、それらの批判を無視して政府が勝手に行動を起こすと軍部からクーデターなどの蜂起が起こる可能性が懸念されるからだ。



 この統帥権干犯問題は国内で問題となり、後のロンドン海軍軍縮条約において大きな変革が訪れることになった。



 この後日本海軍では、駆逐艦をチビチビと建造していき実験的に空母を数隻建造した以外は大戦前のように技術力の強化を行っていった。



 これは、画期的な条約型巡洋艦を日本が建造するまで続けられた。




 さぁて、軍縮条約も締結され内政に力を入れようとしていた日本は未曾有の大災害に見舞われた!




 一九二三年 九月一日




 関東大震災




 神奈川県の相模湾を震源とするこの地震は南関東地域に甚大な被害をもたらした!



  この震災で約十万人の死者・行方不明者を出したのだが、史実と違うのは民衆の暴徒化が起こらず中国人も韓国人も助け合った事だ。



 この世界の帝国はいち早く韓国を独立させ、対等な同盟を結んだ事により日本民族がアジア民族の頂点であるという考えがなく、他民族(特に韓国人)に対する差別意識が少ないのである。



 さらに、韓国政府はすぐさま日本を援助することを表明し助け合いの姿勢を取った。




 震災から数日後に政府はすぐさま提出された先見性を持った帝都復興計画を実行することとし、区画整理から始まり、低速車と高速車を分離する道路(今で言う高速道路)、ライフラインの整備、道路拡張を行った。



 こんな事が出来るのも、大戦での浪費を防げた事や、韓国政府の援助、各国からの義援金のおかげだ。



 そして、復興していくうち人手不足が深刻になってきたのだが、女性の労働者が増えてきており男性よりも女性が向いている職種もでてきたために労働賃金が性別に関係なく支給されるようになり、男女の差が埋まっていき女性の社会的地位が向上していった。



 まだ早い話ではあるが、後々軍に志願してくる女性(生活困窮者が中心)が増えてきたのだが女性ということで入隊拒否をしていたのだが、男女平等を訴える新聞社や集会が多くなり結果的に志願者の中から特に成績が優秀な人物を少数採用していった。



 帝国初の女性軍人はこうして生まれたのだ。




 さてさて、震災の被害から立ち直ってきた時、帝国の大陸にある唯一の軍がある行動を起こした!





作者『条約は

資料を見ながらなので

本当に大丈夫かな?

とか思いながら書きました(汗)

次回は満州についてです

ご意見ご感想よろしくお願いします

m(_ _)m』

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