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新たな建艦計画





 話は少し逆上る……



 大戦が始まる前に、帝国は新造艦艇建造を打ち切っている。



 世界がどんどん新しい艦艇を作っているのになんで?かというと、帝国の工業力ではすぐ世界に通用する艦艇を作ってもまた追い越されるか、数で劣ってしまうからだ。



 日本は欧米のように戦艦等を一応作れるが大量生産は難しいのだ。



 それなら、ある程度の期間を置いてでも長期間現役を続けられるゆとりを持った設計や新技術を盛り込んだ新造艦を作った方がましだからである。


 そうして、河内型実験艦を作って以来建造を打ち切って国力を溜めていたのだ。


 そんな時、一九十四年に世界大戦が勃発したのだ。



 政府はこの期を逃さず、帝国を重工業化させるように推進していった。



 戦争特需のおかげでそれはうまくいき、日本各地に大規模な工場や造船所などが建設されていったのだ。



 工厰や民間造船所は戦争特需から大幅に増設されており、女性労働者も働く事が許可されて労働者が増えて大幅に建艦期間が短くなった。



 そして、帝国は特需の恩恵を受けている内に新造艦の建艦に着手した。



 まず、特務艦隊の中核を担う桃型駆逐艦である。



 この艦は短期間で大量に建造しなければならなかったので、簡単な設計で民間企業の造船所も使用して建造されていった。



 さて、桃型駆逐艦の建造が決定した後に海軍では新しく建艦計画を立てた。



 まず、旧式化した薩摩型、鞍馬型、筑波型戦艦六隻の代替艦である。(日本海軍は戦隊を組めるように一つの型に偶数隻建造されることになっている)



 それには大戦勃発前に技術導入を兼ねてイギリスに発注したが完成した設計図の譲渡だけで中止となった、『金剛型』を建造する事とした。



 ただ、そのまま建造するのではなく、若干の改良を加えている。



金剛型巡洋戦艦

基準排水量 三万トン

全長 二百十四.六メートル

機関 艦本式直結タービン二基四軸

最大速力 二十六ノット

兵装

四十五口径 三十五.六センチ連装砲四基

五十口径 十五.二センチ単装砲六基

国産の方位盤射撃照準装置を標準装備




 史実に搭載されていた魚雷発射管はこれからは大口径による長距離射撃が主流になると考え取り外し、副砲もゆとりのある設計を目指したため、半分に減らした。



 さらに、日本海軍では日露戦争での日本海海戦から一斉射の有効性から効率よく射撃するための装置を開発していた射撃装置をイギリスより早く実用化に成功した。


 だが、建造中に『ユトランド沖開戦』の結果から巡洋戦艦の防御力は実戦では危険である事が分かり、人命尊重の観点から装甲の強化やダメージコントロールを重視して、日本海海戦から得た下瀬火薬による可燃性塗料の損害を研究し、不燃性塗料の使用や防護壁の追加などをし、重量の増加からバルジを設置し安定を図った。



 途中で防御力を重視したため、排水量が増えて速力低下を招いたので艦種を戦艦に変更。


この戦艦を四隻建造することとした。

『金剛』『比叡』『榛名』『霧島』



であり、建造を海軍工厰と民間の造船所に分けて開始した。




 金剛型が進水していくと、お次は真の戦艦を作っていく事になった。



 だが、金剛型の設計図を一部流用したので外見や兵装はほとんど一緒であるのだが、装甲、ダメコン、居住性等を見るとこちらの方が上である。



 さらに、史実とは違い設計図などを丹念に検証し、砲塔を艦の前後二基ずつの合計四基に減らし装甲の強化やダメコンの徹底を行い防御力を強化した。



扶桑型戦艦

基準排水量 三万千トン

全長 二百十メートル

機関 艦本式タービン四基四軸

速度 二十五ノット

兵装

四十五口径 三十五.六センチ連装砲四基

五十口径 十四センチ単装砲八基

方位盤射撃照準装置を標準搭載




 この戦艦を四隻

『扶桑』『山城』『伊勢』『日向』とし、一旦戦艦の建造を終了することとした。



 次は補助艦艇の一つ、軽巡洋艦である。


川内型軽巡洋艦

基準排水量 五千三百トン

全長 百六十三メートル

機関 オールギアードタービン四基四軸

最大速力 三十五ノット

兵装

五十口径 十四センチ単装砲四門

六十一センチ連装魚雷発射管四基八門



 これも、かなりゆとりのある設計となっており、改装を行えば長期間使用出来るようになっている。


 この軽巡を十四隻

『川内』『神通』『那珂』『長良』『五十鈴』『名取』『由良』『鬼怒』『阿武隈』『球磨』『多摩』『北上』『大井』『木曾』


を一気に建造することとした。


 この急な建艦計画も、戦争特需によって急速に拡大した工厰や造船所のおかげだ。



 お次は駆逐艦である。


峯風型駆逐艦

基準排水量 千三百トン

全長 百五メートル

機関 艦本式タービン二基二軸

速力 四十一ノット

兵装

四十五口径 十二センチ単装砲四門

五十三.三センチ連装魚雷発射管三基



 こちらもゆとりのある設計である。


 この駆逐艦を十四隻

『峯風』『澤風』『沖風』『島風』『灘風』『矢風』『羽風』『汐風』『秋風』『夕風』『太刀風』『帆風』『野風』『波風』



を建造するのだが、国内造船所だけでは間に合わず、韓国の造船所にも一部発注することになった。



 ついでに、韓国は史実通り発足した国際連盟により正式に独立国として承認された。



 これで一通りの建艦計画は立てられ、順次建造に取り掛かっていった。



 しかし、帝国は大戦中に登場した新兵器達に大いに興味を抱いていた。



 特に、航空機と潜水艦である。



 航空機は日露戦争後に長岡外史が昔の部下であり、後に日本航空機の父と呼ばれる二宮忠八を呼び出し、研究をさせていたからであり、潜水艦は、日本の生命線と考えられている輸送を妨害することができるということで、対抗策と逆にその通商破壊を利用する手立てを考えさせられたからだ。



 潜水艦に関してはすぐには建造出来なかったが研究だけはしっかり行った。



 航空機に関しては、二宮忠八らが水上艦艇から飛び立った航空機が爆弾や魚雷を取り付けて攻撃を行うという、砲撃戦だけだった水上戦闘に変わる新たな戦術を考えていたことにより、帝国はいち早くその戦術に興味を示しすぐさま航空機の離発着の出来る飛行甲板を持った実験艦的要素を持つ航空母艦を建造することにした。



航空母艦 鳳翔

基準排水量 七千五百トン

全長 百八十メートル

艦幅 十八メートル

飛行甲板

長さ 百七十メートル

幅 二十三メートル

機関 オールギアードタービン二基二軸

最大速力 二十五ノット

搭載機

常用 十五機

補用 六機



 この航空母艦は世界で最初に完成したもの(設計・開発段階から空母として建造されたもの)であり、世界で初めて吉良俊一が着艦に成功し、後々に帝国が大艦巨砲か航空主兵かで意見が割れる事が起こった時、この鳳翔が使用されることとなる。



 このように日本は新技術には相当な興味があり、その開発や研究をしていたがさすがに限度が生じたのである。



 そのとき、敗戦国のドイツに目を向けた。


 ドイツでは、ヴェルサイユ条約による大幅な兵器の保有が制限されており、日本と同様に少ない兵器で敵国と戦わなければならなくなった事で技術力で相手を上回ろうという考えがあったのだ。



 この共通の考えを持った事により、日独両国では相互技術協力を行おうという話が持ち上がり、とうとう日独技術協定が結ばれ両国の科学者が海を渡り、技術力向上に繋がったのだ。



 史実ではこうはいかないが、今の帝国は比べ物にならないくらいの生産力を手に入れ、考え方も陸海共に柔軟であるのだ。


 さぁ、補助艦艇が計画され順次起工されていくと次に帝国の象徴となる長門型戦艦が計画された。



長門型戦艦

基準排水量 三万五千トン

全長 二百二十メートル

機関 艦本式タービン四基四軸

速力 二十四ノット

兵装

四十五口径 四十一センチ連装砲四基

五十口径 十四センチ単装砲六基

方位盤射撃照準装置を標準搭載



この戦艦を二隻

『長門』『陸奥』

を建造する。



 帝国初となる四十一センチ砲を搭載した真の弩級戦艦が計画された。



 対空火器を取り付けようという話も出てきたが、まだまだ開発の余地があるとして先に河内と摂津に取り付け、性能が十分とされたら順次取り付けられる事となった。



 さらに、今までの戦艦と同様に装甲の強化やダメコンの徹底を行い防御力の強化にも努めた。



 もちろんゆとりのある設計だ。




 日本の艦艇の特長は軽武装、重防御であり外国から見ると、日本人特有の『もったいない』という考えから生まれたものと見て、所詮アジアは欧米の猿真似しかできないとバカにされたのだが、日本は先を見越しての建艦計画であり、このことが後に日本を多少ならずとも救うことになる。



 そして、この無理な建艦計画で効率よく建造する方法などを考えさせることになり、これからの建艦に役立たせる為に研究を開始することになって、後のブロック工法や電気溶接などの新技術を導入することになった。



 さぁて、新造艦が次々と進水していく中、長門型が遂に起工されていた。



 その直後からまた海軍は次の建艦計画を立てており、まだまだ拡大する予定であった。



 だが、大戦が終結して戦争特需の恩恵が終わった後は日本経済は下降線を辿っていた。



 このことから政府としては、これ以上の海軍の拡充は財政を圧迫することになるのでそろそろ建艦から大戦前のように新兵器開発に転換しようと考えていたそんな時



 一九二三年一月



 ワシントン海軍軍縮条約の開催が決定したのだ!







作者『更新が遅くなり申し訳ありませんでしたm(_ _)m

忙しかった訳ではないのですが、新造艦をどうしようかと迷ってしまい

遅くなってしまいました(汗)

ですので、多少…というか結構無理な部分も出て来てしまいました。

そのことも含めて

ご意見ご感想をよろしくお願いします

m(_ _)m』

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