日露戦争その1
主人公が登場するまで、この語りでいこうと思っています。硬くなるでしょうが、お付き合いしてくれると嬉しいですm(_ _)m
さて、この物語の主人公たる男が歴史の表舞台に出てくるまでの、帝国の軌跡を語っていこう。
ん?私が誰かって?そんなことはどうでもいい質問だ。
なぜなら、私はこの物語の語りべだからである。語りべにいちいち名前がある訳なかろう?では、語っていこう。
まず、日露戦争が始まるまで歴史を逆上っていかなければならない。
日本はもともと、ロシアとの戦争は望んでいなかった。
日本は初の対外戦争である日清戦争には勝利し、朝鮮半島を実質的な支配下に置いた。だが、清は列強ではない。
それに比べてロシア帝国は国土、経済、軍事力など、日本とは比べ物にならない強国であった。
こんな強大な国に、極東の小さな島国が勝てるはずもない…
だが、ロシアの強硬政策の前には日本がロシアと戦争をしなければ、朝鮮半島における権益が危ぶまれる状況まできた。
そんな時、イギリスがこれまでの政策方針の『栄光ある孤立』を捨てて、日本との同盟に踏切ったのである。
日本としてもロシアに対する牽制として同盟を結ぶことにした。
時に、一九○二年
世に言う『日英同盟』である。
それでも、伊藤博文や井上馨などの戦争回避派は交渉を続け、一九○三年の日露交渉にて満韓交換論(日本が朝鮮、ロシアが満州)という案を提出したのだが……
ロシアが受け入れるはずもなかった…
これにより、日本はシベリア鉄道が複線化される前に、ロシアとの開戦を決意した。なぜ複線化される前なのかと言うと、欧州方面の兵士や物資の輸送が容易になるからだ。
一九○四年二月六日に日本はロシアとの国交断絶を通達した。
そして……
- 一九○四年 二月八日 -
それは日本海軍お得意の、駆逐艦による旅順艦隊奇襲攻撃から始まった。
日露戦争の火蓋が、切って落とされたのだ!!
そして、同日に仁川沖海戦も行われ、二月十日に日本政府は正式にロシア政府に対して宣戦を布告した。
だが、この宣戦布告なき奇襲は、
「一方が攻撃を受けた時点で開戦と見なす」というのがこの時代の慣習だったので、史実の真珠湾の時のように、大きな問題になる事は無かった。
さて、ロシアはというと旅順艦隊だけでは連合艦隊に対して力不足という事で、バルチック艦隊が回航してくるまで旅順港にて待機する事にした。
それに対して連合艦隊は、バルチック艦隊との合流を阻止するために、『旅順港閉塞作戦』を実行したが、ことごとく失敗した…
一方、陸の戦いでは『鴨緑江会戦』『南山の戦い』『得利寺の戦い』『大石橋の戦い』で勝利していった。
そして、とうとう帝国の歴史が変わる時がやって来た!!
海軍陸戦重砲隊が旅順港に砲撃を開始したのだ!そのため、旅順艦隊は旅順港から出撃しウラジオストクへと回航することになり、八月十日に東郷平八郎大将率いる連合艦隊と、後にいう『黄海海戦』が生起したのである!
連合艦隊が旅順艦隊を確認するとT字戦法を実行しようとしたのだが、旅順艦隊は変針し、連合艦隊から逃走を計った。その為、連合艦隊は追撃戦に移行した。
そして、遂に旅順艦隊に追い付いた連合艦隊は砲撃を開始した。
その直後、逃走不可能と判断したのか旅順艦隊は転針し、連合艦隊と真向勝負を仕掛けて来たのだ!
だが、旅順艦隊は運が無かった…
東郷司令長官は、尻を見せて逃げていた旅順艦隊が一斉回頭してきた瞬間、自分の艦隊を右回頭させ、きしくもT字になるようにしたのだ!
これにより、旅順艦隊は連合艦隊の全砲門による一斉射により、旗艦『ツェサレーヴィチ』沈没を初め、主力艦のほとんどが撃沈破されたのだ!
連合艦隊が最後の一発を打ち終わると、東郷司令長官を始めとする、水兵全員が甲板に出て旅順艦隊に向けて敬礼を行った。
敵に真向勝負を仕掛けて見事に返り討ちに遭い、壊滅した旅順艦隊に対して、同じ海軍兵として皆敬意の念を抱いたのだ。中には、涙している者もいた…
その後、ロシアの残存艦は降伏し、日本の駆逐艦と一緒になって漂流者の救出を行った。
その時、東郷長官は敵軍の将と話がしたいと言ったが、結局その願いが叶う事は無かった……
後に東郷は日露戦争を振り返った時に
「ヴィトゲフト提督と話が出来なかったのが一番の心残りだ」と語った。
捕虜となったロシア兵は手厚い保護を受け、日本の武士道は素晴らしいものだと感動し、戦争終結後、本国に戻りこの話を広めると全世界の人々にも広がり、人々を感動させた。
おっと忘れる所だったが、通商破壊作戦を展開していたウラジオストク艦隊は、『黄海海戦』が終了直後に海軍第二艦隊に偶然遭遇し、大損害を被り活動することが困難となった。
『黄海海戦』が連合艦隊の大勝利に終わり、ウラジオストク艦隊が出撃出来なくなった今、制海権は完全に日本のものとなった。そして、日本は支援物資を続々と前線へと輸送していった。
陸軍第三軍の乃木希典大将にも豊富な武器、弾薬、食料が届けられて、旅順要塞攻略に十分な準備をする事が出来た。
中でも二八センチ榴弾砲は特筆すべき兵器だった。この兵器を寄越したのは、児玉源太郎満州軍総参謀長が指示したものであり、旅順艦隊が壊滅した今要塞攻略は無意味という意見があったが、児玉参謀長が
「包囲だけでは主戦場とここに物資を分散しなければならなくなり、兵力の一点集中が出来なくなる。そこで後顧の憂いを断つ為にも、必要な軍事行動である!」とし、要塞攻略を進言した。
その為に被害を最小限に押さえる為、大規模な支援物資を第三軍に与えたのだ。
「児玉参謀長は兵の命を何だと思っているのか?」
という話も上がったのだが、児玉だって出来ればこんな事はしたくないと思っていた。けれども心を鬼にして命令を下したのである。
何故?それは話す時が来た時に語るとしよう。
十月二十六日、乃木大将は要塞に対し大火力をもって旅順要塞に猛攻を仕掛けた。
旅順艦隊は既に無く、前も後ろも敵だらけとなった今、ロシア軍は士気が上がらず逃亡や降伏する兵士が相次いだ。
さらに、人望の厚かったコンドラチェンコ少将が二八センチ砲によって戦死すると、余計に拍車がかかり、遂にステッセリ要塞司令官は十二月四日に降伏を申し入れた。
だが、日本も無傷では無かった。旅順要塞は機関砲の大量装備をしており、戦死者5000人以上、負傷者8000人以上と未曾有の大損害を喫したのだ。
命令を下した児玉は要塞陥落の報を受け取った後、一日中部屋に籠った。ある兵士によると、すすり泣く声が聞こえたという。
この被害によって母国で待っている家族や恋人が大勢泣く事になり、大山巌満州軍総司令官は胸を痛め、
「日本の為に戦っているのに、大勢の人が涙を流すのはおかしいだろう!これからは、人命を尊重するように!」と全軍に言い渡したのである。
これまでの戦闘で日本陸軍は、白兵突撃主義から大火力をもって敵をある程度撃滅したのち突撃する、そして、陸海共通の意識として輸送の重要性や人命の尊重といった戦訓を得たのだった。
この戦訓は後の帝国に大きな影響を与える事になる。
作者『うわぁ〜疲れました。小説書くのって疲れますね。(汗)
携帯なので尚更です。
資料を読みながら書くのが精一杯です(焦)
主人公が表舞台に登場するまではこの語りを続けようと思っています。
タイトルの通り 軌跡 ですから
大変ですが頑張るので、ご意見ご感想よろしくお願いしますm(_ _)m』