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爪切りの音  作者: toshi
5/13

誰かの視線、誰かの言葉

六 月


六月初旬、天気も良く過ごしやすいというより、この数日は少し暑い日が続いている。

あれからも学校の行き帰りは二人で通学をしていたが、気持ちは天気のようには晴れなかった。

美紅は家で君江とはほとんど口を聞いていない。

「一度お母さんに会いに行くよ」

「そんなことしたら大変だよ。何言われるかわからない。春樹が嫌な思いするだけだよ。そういう人なんだから」

「でも、このままじゃますます一緒にいられなくなるよ。学校にだって何を言ってくるかわからないし」

「そう言われると私も確かに不安なんだ。一度こうと決めると何をやり出すかわからない人だから」

「そういう事なら、一度会ってちゃんと話そうよ。二人でお願いすればわかってもらえるよ」

「そんな甘い人間じゃないんだから。絶対無理なことはしないでね」

「う~ん。でも今のままじゃ何も良くならないよ」

「とにかく私がもう一度説得してみるから」

それは、美紅の気休めでしかないと思った。美紅が説得できるなら、今までだってやったはずだ。それが無理だと諦めていたから、ずっと隠してきたのだろうから。

「美紅の気持ちもわかるけど、いつかはぶつかっていかないと、これからもずっとお母さんの支配下に置かれるよ」

「そうなのかもしれない。でもまだ春樹が直接会って、ぶつかって欲しくない。うちのお母さんは常識じゃ測れない人なの。いざとなったらとんでもないことをやると思うわ。今までだってそうだったんだから。春樹が学校にいられなくなるかもしれない」

「いくら何でもそこまではやらないだろう。それならそれで俺は戦うよ」

そう言いながらも本当は春樹も怖かった。どんなことが起こるかなんてやはりわからない。美紅は小さな頃から君江のそばにいてずっとその行動や言動を見て来ている。子供である美紅自体が怖いって、いったいどんな人なんだろう?確かに直子の会社にまで直接電話を掛けてきて交際を辞めさせようとする人だ。学校に電話してある事無い事を教師に言って春樹の立場を悪くするかもしれない。それでも最終的には美紅の実の母親だ、彼女が本当に嫌がる事までは遣らないだろうと春樹は思っていた。

そういう話をした二日後に、春樹は担任の真崎に放課後職員室に来るように呼び出された。

職員室に行くと、隣の応接室で話そうと言われ、付いて行く。部屋に入ると、

「お前、二組の相沢と何があった?」

「どういう意味ですか?」

「今日相沢の母親から、うちの娘に曲直部春樹君という生徒が近づいてきて困るって。本人も嫌がってるし、親としても心配なので厳重に注意してほしいと連絡が校長先生のところに入ったんだよ」

春樹はびっくりして声も出なかった。

「どうした?そんなびっくりした顔して。俺は君たちが交際してるのは、何となく知ってる。しかし、こういう連絡が校長のところに来れば、そのままにして置くわけにはいかないんだよ」

「相沢の母親に、付き合っていることがわかって反対されています。すでに一度うちの母親の会社に電話が来て、付き合わせることは出来ないからと言ってきました」

真崎先生はその場で立ち尽くし、しばらく考えている様子だった。

「うーん、少し厄介なことになっているようだな。何で今時高校生にもなる男女の交際に親が出しゃばって来るんだ」

「彼女の父親は都議会議員で、代々国会議員や都議、町長などを輩出している家で、彼女にもそういう家柄の人と結婚させなければならないそうです。僕じゃ付き合うには相応しくないということらしいです」

「確かに相沢の父親は都議会議員だな。でも、そんな事で交際を禁止するなんてするのか?とにかく曲直部、問題にならないように良く考えて対応してくれよ。注意はしたからな、校長には十分注意をしておいたので心配は無いと伝えておくから。状況によってはややこしい事になるから頼むぞ」

真崎は教師としてというより、自分の保身を考え穏便に済ませたいという態度がはっきり伺えた。

「先生や学校には迷惑かけないようにしますから」

「何かあったらすぐに報告してくれよ」

わかりました、と言って応接室を出た。

ついに学校にまで話が伝わったのか、そう考えながら春樹はもう直接会って話し合うしかないと覚悟を決めた。


絵理は六月に入ると足首の痛みも大分良くなり、練習も無理をしなければある程度出来るようになっていた。しかし、身体が良くなっても心が萎えてしまっていた。バスケットボールに対する熱い思いが無くなっていた。今や部活だけではなく、全てに嫌気がさしていた。勉強も中途半端だった。一生懸命やったって兄の春樹みたいな成績は取れないし、それなりの高校にも入りたいけど、両親特に父親には期待されてないのもわかっていた。更に家で両親が頻繁に喧嘩をするのを見ていると、家に居るのも嫌だった。

絵理は、自分が何事にも飽きっぽいことはわかっていた。それに比べ、何事も最後までやり遂げる兄の春樹と比較されることが本当に嫌だった。

例えば、公文式学習教室に春樹が通っていたので、絵理も小学校一年生から通い始めた。

すぐに宿題の枚数をこなすのも嫌になってしまい、塾に行くのも億くうになり、結局一年も続けずに辞めてしまった。それに引き換え、春樹は保育園から始め、小学校五年生には中学三年生のステップまで進み、たびたび表彰をされた。水泳も春樹は小学校二年生から始め四年生の終わりに一級まで進み、選手コースに選抜されるまでになった。学習塾に通い、私立受験をするため五年生の途中に辞めてしまったが。一方、絵理も二年生から直子がずっと付き添って通い始めたが、練習帰りの車の中で手の動きが悪いとかバタ足がなってないとか、散々文句ばかり言われて嫌になってしまい、四年生の途中で辞めてしまった。同じビルの中にダンススクールがあったので、スイミングを辞めてそちらに行きたいと言って納得してもらった。それも結局一年ももたないで辞めてしまった。そんな調子で、何をやってみても長続きはしなかった。

学校の成績は中の下くらい。それに引き換え春樹は私立中学に行ってからも、それなり

に頑張っていたので常に成績も上位の方にいた。

絵理は常に優秀な春樹に対する劣等感の中にいて、それに追い打ちを掛けるようなことを貞男がするのだった。

貞男は春樹が塾に通い出してからずっと成績をパソコンに入力してその推移を表にしては眺めていた。まるで自分がその成績を取ったような気分になるのか、嬉々としてやっていた。そういう姿を見るのが春樹も絵理もとても嫌だった。

絵理が中学生になると同じように試験結果を入力し始めた。しかし、常に中の下くらいの成績に留まっていると一年の後半で諦めたのか入力するのを止めてしまった。その言い訳が、

「絵理は女の子だから、器量が良くて愛想が良ければ大丈夫。勉強はそこそこ出来れば十分だよな」などと言って、期待をしていないということをあんに言われているようで、とても悔しかった。

いろいろやってきた中でバスケットボールが初めて一生懸命取り組むことが出来たし、これからも頑張っていきたいと思えた。

しかし、それも結局は怪我が原因でそうはさせてくれない。今度こそ、自分が本当にやっていけるものにめぐり合えた気がしていたのに。結局レギュラーのポジションは環に取られる。そう考えると心が萎えるしイライラした。そんな鬱憤を晴らすために、本当はいけないと思いながらも、今は真名を標的にしてぶつけてしまう。

あの朝のことがあってから、千佳達と一緒になって上履きを隠したり、教科書に落書きしたり、そばを通れば、

「何か臭くない?何の臭い?」と一人が言えば、

「あの馬鹿真名の腐った臭いじゃない?」と誰かが言う。

真名は下を向いたまま自分の席に固まっている。昼休みになるとまるで逃げるように教室から出て行く。

自分より不幸な人間を作ることで、自分の中のストレスからほんの一瞬解放される。


直子は、今日北島専務と飲みに行く約束をしている。あの日から一ヶ月が過ぎていた。その間北島とは何ごともなかった。北島は一週間前までは中国に出張をしていて仕事以外の連絡はなかった。もう直子はこのまま何も起こらないんだと思っていた。何か物足りなかったり、ホッとしたり、そんな複雑な思いを一人で繰り返していた。

家の中は増々閑散としていった。貞男とは些細なことで喧嘩を繰り返した。仕事に疲れ家のことはほとんど手も付けられない状態だったので、より喧嘩に拍車がかかっていた。

土曜日は一日寝ていることが多くなったし、食事も休みの日だけ作るような生活になり、貞男の反感を買ったのだろう。確かに家の中はかなり散らかっていたが直子はそういうことがあまり気にならなかった。

「家の中がこんなに散らかっていて、お前は気にならないのか?」

「疲れてるんだから、休みの日ぐらいゆっくりさせてよ」

「一日中寝てることはないだろう。普段出来ないんだから、せめて休みに掃除くらいしろよ!」

「働いているのは私も一緒なんだから、そんなに気になるのだったら貴方が掃除すれば良いでしょ。私は別に埃が溜まっていても気にならないし」

「なんて奴だ!子供達の健康にだって良いわけはないだろ」

「私だってやれる範囲でやっているわよ。本当に神経質なんだから!男ならもっと男らしいとこ見せてよ。貴方が甲斐性無しだから私が働く羽目になるんじゃない」

「何だと!」

休みにはこんなやり取りがしょっちゅうだった。

子供達も最近は休みには部活などでいないし、いても部屋に閉じこもって出てこない。何を考えているのかもわからない。そんな中で、これから先何を生きがいにして生きていけば良いんだろう?子供達のことは考えなければならないけれど、それでも前のような気持ちにはなれなかった。

出張から帰ってきた二日後、北島から次の金曜日は空いている?と残業をしていると急に聞かれた。少し戸惑いも覚えたし、今まで放っておいて今更という気持ちもあった。明日返事をします、と言い少し焦らした。翌日の朝、役員室で日程は空いていますと返事をした。

北島からは、

「良かった、吉祥寺の魚銀さんをもう予約しておいたんだ、駄目だったらどうしよう?って心配だった」

「そうですか、じゃあ良かったです」

その場は事務的に答えて部屋をあとにした。

当日は、家には職場での懇親会だと言っておいた。最近はいくら遅くなることがあっても、誰に何を言われることもなくなった。それも良いのか悪いのか、少し複雑な気持ちにもなる。今日は夕方から用事があるのですぐに帰りますと安田には前もって言っておいたので、定時になるとすぐ会社を出て駅に向かった。北島専務とはお店で落ち合うことにした。

吉祥寺駅から五分の所にお店はあった。ビルの三階、エレベーターで上がり店に入ると係の人が迎えてくれ、北島で予約をしていると告げるとすぐに案内をしてくれた。簾で仕切られた個室に案内されるとすでに北島が来ていた。

「すみません、お待たせしました」

「僕もさっき着いたばかり、客先から直接来たから」

「そうですか、なら良かった」

接客係がおしぼりとお通しを持って来た。

「取りあえず生で良いかな?」

「はい」

「それでは、生を二つ」

「はい、かしこまりました」

案内係が部屋を出て行った。

「今日はまた急に誘って悪かったね」

「そんなことないですよ、誘っていただいてありがとうございます」

少し距離をおいた口調で直子が話すと、

「何か怒ってる?あれから何も言わないんだから、やはり怒ってるよね」

「別に怒ってなんていないですよ。そんな関係じゃないですし」

段々抑えていた気持ちが高ぶってきてしまい、直子の口調は強かった。

「やはり機嫌悪くしているよね。仕事が忙しかったり、やはりいろいろ考えてしまって」

「それはそうです、私だって同じです」

「僕もこれで奥手なんだよ、いい歳して言うことじゃないかもしれないけど」

「そうですか、手を握ったくらい、たいしたことじゃないですよ」

そんなやり取りをしている所に、生ビールが運ばれてきた。

「それでは取りあえず乾杯しよう」

お疲れ様!そう言って乾杯をして、刺身の盛り合わせやイカソーメンに海鮮サラダなど、この店のおすすめ品を何点か頼んだ。

「本当にすまなかった。でも曲直部さんのこと真剣に思ってるんだ」

北島にそう言われると直子は素直に嬉しかった。自分の満たされない思いを満たしてくれるのはやはりこの人だと思う。

「本当は寂しかったです。あれから専務から何も言われないし、何も無かったように接しられて」

「そうだよね。これからどうすれば良いか簡単には言えないが、今の気持ちに素直になりたいと思うんだ」

「私もそうです」

食べ物がいくつか運ばれてきた。

二人の気持ちが和んだ。北島が話題を変え前回のように趣味の話など仕事以外の話をした。そばにいるだけで、直子は気持ちが高揚した。

生ビールを二杯ずつ飲んでから、冷酒に切り替えた。時間が経つと北島のろれつが少しおかしくなってきた。

「やはり少し疲れもあるのか酔ってしまった、曲直部さんは強いな、全然平気だもんな」

「そんなことないですよ、かなり酔ってます。でも専務ほど飲んで無いですから」

確かに、直子はかなり自重しながら飲んでいた。北島の前ではみっともないところは見せられないという思いもあってか、飲んでいる割には酔わなかったのかもしれない。

「専務もお疲れのようですから、そろそろ帰りましょうか?」

「もうかなり遅いかな?」

腕時計に目をやると時間は九時半を回っていた。

「そろそろ良い時間ですかね」

「そうだな、会計してもらうか」

 そういうと接客係を呼び、専務が会計を済ませた。

「今日もごちそうになって良いんですか?」

「大丈夫、大丈夫。たいした金額じゃないから」

「そんなこと言っても、いつもじゃ私も気が引けます」

「じゃあ今度は割り勘で。ねえ、そうしよう」

「わかりました、ではすみません。今日もごちそうになります」

「じゃあ行こう」

北島はかなり酔った様子で、少しふらつきながら席を立った。直子の手を引いてお店を出るとエレベーターに乗った。直子が一階ボタンを押して扉を閉まると、いきなり北島の顔が近づいてきた。あっ!と思った瞬間に唇を奪われていた。ほんの一瞬のことだったが直子は目を瞑り身体を預けていた。

エレベーターが一階に着き扉が開いた。

北島は、そのまま直子の手を強く引いて人混みを歩いた。直子はそのまま付いて行った。

線路沿いをしばらく歩き、先には飲み屋やホテルのネオンが光っていた。手を繋ぎながら、もうこのままどうなっても良いと思った。しかし、十字路に差し掛かり横断歩道で立ち止まったその時だった。直子は誰かの射るような強い視線を感じ思わず周囲を見回した。気のせいかもしれなかったが我に帰った。次に春樹と絵理の顔が浮かび、今この状態が恐ろしくなってしまった。

「専務今日はもう遅いし、かなり酔ってるから帰りましょう」

思わずそう北島に声を掛け、信号が青に変わってもその場を動かなかった。

北島は少し悲しそうな、まるで子供が今にも愚図りだすような顔を直子に向けたが、彼女の思い詰めた顔を見て、

「わかった、残念だけど今日は帰るか。だけど今度はそのつもりで」

そう言われると、直子は返事しようがなく子供を諭すように、はいはいと言ってその場を誤魔化した。

北島は手を離し、不機嫌な顔をして駅の方に歩き出した。

直子は、困り果て今にも泣き出しそうな顔でその場を動けなくなり、うずくまってしまった。

「ごめんなさい。まだ踏ん切りが付かない……」

北島も我に帰った様子で、

「曲直部さんすまない。大人げないことをした。今日は素直に帰ろう。もう泣き止んで」

北島がそっと直子の肩を抱いて起き上げた。

「本当にすみません」

か細い声で直子が答えると、

「うん!わかったから元気出して」

そのまま二人で駅に向かった。


貞男は状況が進展しないまま、月日が過ぎて行った。高瀬部長には、警察署と木田議員の状況はすぐに報告をしたが、ただただ不機嫌に早く何とかしろとどやされた。

「とにかく君の責任でパレードの件は全て対処してくれよ。特に木田議員の質問は絶対に抑えろ。もう終わったことに対してゴタゴタ言わせるな」

「そう言われても私だけが話に行っても相手になんかしてくれませんよ。あんたは舐めてんのかって、最近はそればっかりです」

「じゃあ何だ、私に君の尻拭いをしろと言うのか?」

「そんなことは言っていません。ただ木田議員はあんたじゃ役不足の一点張りなんですよ。そう言われると私も対処のしようがありません。私の説明に耳を貸す気持ちが無いんですから」

「そこを何とかするのが課長の仕事だろ!伊達に管理職手当もらってるわけじゃないだろ」

高瀬は、明らかに貞男をいじめてやろうという態度がありありと出ていた。

貞男は、これまで言われると言い返すことが出来ない。

「わかりました」

「わかったって言ったな。必ず解決して来い。結果だけ報告しろ」

頭を下げ、貞男は自分のデスクに戻った。全身から汗が吹き出していた。息も苦しくなってきた。木下係長に、

「少し屋上にでも行って頭冷やしてくる」とひと声かけ席を離れた。

階段まで来ると、苦しく動悸が激しくなった。無理して階段を上がり屋上にたどり着いた。外に出るとコンクリートにそのまま大の字に横になった。

空は青く、山並みや街の風景がよく見える。この季節は、梅雨に入る少し前で気温は高いが過ごしやすい。大きくゆっくり呼吸をしていると、少しづつ動悸が収まっていった。

(どうすりゃいいんだ?そろそろ俺も限界かもしれない?)

自分の中で対処する方法を見失っていた。


一人で悩むな!誰かいるだろ、解決出来る人間が。


どこからか声が聞こえた、そんな気がした。

そうだ、高瀬以外で木田に話せる人間はいないか?彼女が無視出来ない人間が?

そう考えていると、ふと神輿会の石川会長の顔が浮かんだ。

春祭りの時には神輿も出て会場を盛り上げる。それが縁で二年程前からお付き合いさせてもらっている。自治会連合会の会長も経験され、市長や副市長とも懇意で地域でも多くの市民が頼りにする人物だ。

「曲直部課長もいろいろと大変だな。まあいつも神輿じゃ世話になっているし、何かあったら相談に来なよ。たいした事は出来ないが、多少は知り合いもいるから」

「その時はよろしくお願いします」

そんな話を何度かしたことがある。

自宅にも顔を出したことがあり、広い庭先に置いたテーブルと椅子に座りながら、いつも何人かの人達とお茶を飲みながら世間話に花を咲かせている。なかには市議会議員のOBや自治会のお偉方が来ている。現役の議員が良く相談にも来ているという話も聞くし、地域のことは本当に詳しく情報も豊富だ。

(確か木田議員と同じ自治会のはずだ。一度訪ねて相談してみるか、何か良い知恵を授けてくれるかもしれない)

ほんの少し突破口が見えたような気がした。思いついたら早速行動だ、貞男は屋上から自分のデスクに戻ると、すぐに外出をした。

石川会長の自宅は、秋野駅の南口から歩いて五分ほどの所にあった。大きな門は開いたままで庭を少し歩き、大きなテーブルの置いてある横を通り玄関に向かい、チャイムを押した。するとすぐに中から大きな声が聞こえた。

「どなたですか」

「市役所の曲直部です」

玄関の引き戸が開いて石川会長が顔を出した。

「課長さんか、どうしたね?」

「忙しいところすみません、ちょっとご相談がありまして」

「そうかい、まあ、上がってお茶でも」

「よろしいでしょうか、すみません」

「あいにく家内は買い物に出てるから、出がらししか出せないけど」

「それではお邪魔します」

靴を脱いで石川のあとを付いて行くと、大きな和室の部屋に通された。

掘り炬燵があり、奥に座るように案内された。

「今お茶持ってくるから」

「会長、結構ですので」

「そう言わずにちょっと待ってて」そう言うと部屋を出て行った。

しばらくすると、会長自らがお茶と茶菓子を持ってきた。

「遠慮しないで足を崩して掘り炬燵に足入れて」

「すみません、それでは足を崩させていただきます」

貞男は、一対一になって正面に座ると少し緊張した。

「さて、課長今日はどうしたの」

「何か良い知恵を授けていただければと思いまして」

「何か困ったことでも起きた」

「はい、実は春祭りのパレードの件で木田議員が市長に謝罪しろとかなり強く言っていまして、そのことを今回の議会で取り上げるからと」

「ああ、あのお嬢さんか。結構言いたいこと言うみたいだね」

「私も直接伺って謝罪し、今後このような事は絶対起こしませんので、お許し下さいと言っているのですが。許してはいただけません」

「何だって言うの」

「まあ、市長に議会で謝罪してもらうと。あとは課長程度が謝りに来て済ませる事では無いと」

「課長さん程度じゃ役に立たないってことかね」

「そのようです」

「部長さんはなんて言ってるの」

「私が責任をもって対処しろの一点張りです」

「なんで?」

「まあ、いろいろありまして」

「何かうまくいってないのかね、部長と」

貞男は返事が出来ず渋い顔した。

「人間関係いろいろあるからね。相性もあるし」

「はあ、申し訳ありません」

「私に謝る必要はないよ。私はあんたのことは気に入ってる、祭りじゃいろいろ世話にもなった。何が出来るかわからんが、とにかく話は伺ったよ。あまり深刻に考えなさんな」

「ありがとうございます」

それからはしばらく世間話をしてお暇した。


それから一週間後、朝一番で高瀬部長に呼ばれた。

するといきなり、

「課長、君何をした?」

「何って、何かありましたか?」

「木田さんが質問を福祉関係に変更するって議会事務局に言ってきたらしい。どうも石井副市長が動いたらしい。私には何の話もないが、ただ質問は無くなったからって議会事務局から報告があった」

「そうですか、良かった」

(助かった!石川会長が動いてくれたんだ)

そう思うと胸が熱くなった。

「まあ、そういうことだ」

高瀬は何か納得が行かず不満そうに言った。

貞男は席に戻り小さくガッツポーズをした。木下係長と森田主任にもその旨を報告し、二人も良かったと胸を撫で下ろした。


貞男が伺った翌日石川会長は木田議員の家を訪ねた。チャイムを押すと初め孫娘が出てきた。

「こんにちは、石川と言いますがお祖母ちゃんはいらっしゃいます?」

孫娘は中に入り、近所のお爺さんがきたよと告げる声が聞こえた。木田議員が怪訝な顔で玄関に来たが、石川会長を見ると驚いた様子で

「あらっ、会長どうされました?うちにわざわざ御用ですか?電話いただければ伺いましたのに。とにかく中に入って下さい」

矢継ぎ早に挨拶をする。

「いやいや、ここで良いよ。たいした用件でもないし」

「どんな御用件ですか?」

「まあ、わしがわざわざ口を挟むことでもないのだが、先日の春祭りのパレードの件でかなり市役所に厳しいことを言ってるらしいじゃないか。確かにコースを間違えたことは良くないが、市長にまで頭下げろって言うのはどうなんだね?」

「その件ですか、私も市民から選ばれた身ですから、皆さんが問題だと思っていることは立場上言わない訳にはいきません」

「主催者側もわざとやった事ではないし、議会で取り上げる程のことなのかね?」

「はぁ〜、しかし行政の対応も良くありません」

「部長さん辺りが謝りにも来ないってことかね?」

「いや〜、そういうことでもありませんが」

かなり困惑した顔で木田は俯いていた。

「まあとにかく、あんたのところにはちゃんと然るべき人間に謝罪させるから、そろそろ終わりにしなさいよ」

 石川にそう言われると、木田は小さな声で「わかりました」と返事をした。

 

貞次は気になることがあったので、夜に九時過ぎに貞男の自宅に電話を入れた。

「もしもし、私だけど」

「はい、曲直部です。おじいちゃん?」

自分の部屋から下りて来て、飲み物と何かお菓子を探していた絵理が電話に出た。

「絵理か、元気でやってるか?」

「うん、何とかやってるよ」

「お父さんかお母さんはいるか?」

「お父さんに代わるね」

「うん」

お爺ちゃん、そう言って貞男に代わった。

「もしもし、父さんどうしたの?何かあった」

「いや、特に何もないが、そちらは変わったことはないか?」

「特に変わったことはないよ」

「そうか、お前仕事うまくいっているのか?」

「いろいろあるけど、何とかやっているよ」

「子供達はどうなんだ?」

「特に問題なくやってると思うよ」

「本当か?お前子供達の様子ちゃんと見ているのか、直子さんのことも」

「どうしたんだよ?急にそんなこと言い出して」

「いや、少し気になったもんだから、春樹はいるか?」

「いるけど、自分の部屋だよ」

「悪いが、呼んでくれ」

「わかった、すこし待って」

貞男が春樹を呼ぶ声が聞こえた。すぐに階段から降りてくる足音が聞こえ、受話器から春樹の声が聞こえた。

「こんばんは、おじいちゃん久しぶり。顔も出さないでごめん」

「春樹か、元気か」

「うん、おじいちゃんは」

「何とかやっている。ところでお前何か困った事を抱えてないか」

「えっ!」

春樹が少し動揺しているのがわかった。

「何かあるのか?」

「何で?何か知ってるの?お母さんが話した?」

貞次が何か察知しているような気がした。

「いや誰にも聞いちゃいない。どうなんだ?困っているのか」

「う~ん、少しね」

「何だ?」

「実は彼女がいて向こうの母親に反対されている。いろいろトラブルになっている」

「どういう事だ?具体的に話してみろ」

「おじいちゃんに話してどうなることじゃないし」

「そう言うな、話だけでも」

「母さんの会社や学校に電話があった。交際はさせられないって。学校にも彼女が嫌がっているから近づかないように指導してくれって」

「やはりそんなこと言われているのか」

「やはりって?おじいちゃん何か知っているの」

「何も知らん、それでどうしたんだ」

「今のところ何もしてない。でも一度彼女のお母さんと会って話そうと思っている」

「そうか。しかしそう簡単に解決するような事では無さそうだな」

「うん、でもこのままじゃどうすることも出来ないし」

「わかった。父さんに代わってくれ」

「うん」

お父さんおじいちゃんが代わってくれって、そう言うと貞男がすぐに代わった。

「なに?」

「やはり問題が起きているじゃないか。お前ちゃんと春樹の相談に乗ってやれ」

「急にそんなこと言われたって、何が問題なんだよ」

「そんなこと自分から春樹に聞け」

「俺が聞いたって話したがらないんだよ」

「お前春樹の父親だろ、話もろくに出来ないのか」

「最近の高校生はみんなそんなもんだよ、家族だってそれぞれの生活があるんだから」

「それを何とかするのが親の務めだろう、直子さんはいないのか」

「直子はまだ仕事から帰って来てないよ」

「直子さんだって外で何やっているのか、お前、ちゃんと管理してるのか」

「父さん、何言ってるんだよ、直子を俺が何管理するんだよ?」

「それだから駄目なんだ。お前も少しは家族のことを考えろ」

「父さんだって働いていた頃は仕事ばかりで、家族のことは全て母さんに任せっきりだったじゃないか。子供は親に似るっていうから、仕方ないだろ」

「時代が違う、お前が家族をしっかり見ないでどうする」

「そんなこと言われたって、俺も仕事に追われていてそれどころじゃないんだよ」

「とにかく言ったからな。私が言ったことを忘れるな」

「わかった、わかった。父さん身体に気をつけて無理するなよ。これから鬱陶しい季節になるんだし」

「私のことより自分の家族をしっかり守れ、いいな」

「じゃあ切るよ、そのうち行くから」

貞男から電話を切った。春樹のことが気になったが受話器を置くと、すでに春樹はそこにはいなかった。

(話しを聞けって言われたって、その相手がこちらを無視しててどうやって聞けっていうんだ)そんなことを考えながら、そのまま風呂に向かった。



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