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爪切りの音  作者: toshi
12/13

貞次と貞男

八月十一日(土)六七日


今日やっと貞男と二人で話す時間が持てる。貞次がかなり強引に誘い、駅前の居酒屋で一杯やる事になった。今まで一度も二人だけでお酒を酌み交わしたことはない。元々貞次はあまりお酒が強い方ではなく、仕事でも、仕方なく付き合う程度だった。それでも貞男と一度は飲んでみたいと思っていたが、なかなか叶わなかった。

 夕方五時半過ぎに二人で出掛けた。バスではほとんど口は利かなかった。河辺駅に着くとロータリーを図書館側に歩き、角のコンビニを左に折れると隣のビル二階に居酒屋があった。店内に入ると、店員が席に案内をした。とりあえず生ビールを注文する。

「父さん、急にどうしたの?二人で飲みたいなんてさ」

「まあ、一度お前と酒を酌み交わしてみたかった。もっと早くやれば良かったが、なかなか機会も無かったしな」

ビールとお通しが運ばれて来た。

「それじゃあ、とりあえず乾杯!」

貞男のかけ声でジョッキを合わせた。

さすがにこの季節、喉に流し込むとじつに美味しかった。

いくつかおつまみを頼むと、

「最近仕事の方はどうだ?」

貞次が話を切り出した。


実は、仕事の方にそれなりに変化があった。高瀬部長との確執もあって頓挫していた地域ブランド事業が動き出したのだ。

七月下旬の部長会議の席でのことであった。石井副市長が、

「そう言えば、去年の初めに地域ブランド事業の話が出ていたはずだが、あれからどうなったんだ。全く話を聞かなくなったが」

高瀬部長は副市長の突然の発言に驚いた。

「地域ブランド事業につきましては、行政が一事業者の開発した商品を認定してしまうのは如何なものかとの意見もありまして、検討中のままになっています」

「そんなつまらないこと、誰が言ってるんだ。先日長野県飯田市のイベントに参加してきたが、そこで地域ブランドの発表会をやってた。なかなか地域資源をうまく活用して良い商品が開発されていた。また既に昔からある商品も認定されて、大々的にPRをすることによって地元のお土産品として使われたりと、かなり良い効果が出てるそうだ。うちも早急に実施した方が良い」

「しかし、応募して選ばれなかった事業者から文句が出ると困るのではないですか?」

高瀬も少し剥きになって反論した。

「そんなこと言ってたら、地域振興なんか出来ないだろ!応募した商品を、市民が投票して選ばせるような工夫をすれば、事業者だって文句の言いようは無いだろ。認定されなかったら、事業者は更に努力して良い商品を開発するように支援する事を考えろ」

副市長の発言に、高瀬はそれ以上の反論は出来なかった。

「九月の補正予算に間に合うように、至急事業計画と予算を出すように準備しろ」

部長会議が終わると貞男は、すぐに高瀬に呼ばれた。

「だいぶ時間が経ってしまったが、地域ブランド事業をこの秋の補正予算に出すから至急内容と予算を精査して提出してくれ。とにかく副市長が乗り気だから、成果の出る内容にしてくれよ」

あれだけ実施に向けては難色を示した人間が、手のひらを返すような発言に耳を疑った。

「本当に実施するんですか?」

「何言ってるんだ?やりたくないのか?」

「是非やりたいです」

「それなら、ぐずぐず言ってないで頑張ってくれ」

高瀬のことは絶対に許せなかったが、事業実施に向けて、貞男にも良い風が吹いてきた。

「わかりました、早急に作成します」

そう言うと自席に戻り、木下係長と森下に声をかけた。

「地域ブランド事業を補正に乗せるから」

「何で急に?」

「本当ですか?」

「少し追い風が吹いてきたみたいだ、打合せをしたいんだが大丈夫か」

「大丈夫ですよ、面白くなってきた!」

「皆さんにやって良かったと思ってもらえるものにしましょう」

二人の会話に嬉しい気持ちになった。

「やっと陽の目を見そうだな。二人には、苦労させたのになかなか実現出来ずすまなかった」

「何言ってるんですか!一番悔しい思いしてたのは、課長でしょ。とにかく活気づく事業にしましょう!」

木下のその言葉に、貞男は、本当に良い部下を持ったとつくづく思った。


「まあいろいろ忙しいよ。課長なんて中間管理職は、上から下から叩かれ、ろくなことは無いよ」

「仕事なんて、楽しくてやってる奴なんてほとんどいやしない。私もお前くらいの年齢の時が一番大変だった」

「いつまた異動になるかわからないし、あまり難しく考えないでやってるけどね」

「それでも、次から次へと問題が出て来るもんだ」

「まあ、そんなところだよ」

「仕事ってのは、そういうもんだと思って達観していた方がいい。結局何とか収まるもんだ」

「確かに落とし所はあるみたいだね」

「それより、体調の方はどうなんだ?四十も半ば過ぎると変調を来すから」

「うん、確かに冷や汗や、動悸がすることがたまにあるよ」

「そんな事があるなら、一度医者に診てもらった方がいい」

「そう言っても、なかなか行く時間も取れないしな」

「そんな事言ってないで一度行け!心労が重なると、大変な事になるぞ」

「わかったよ、そのうち病院行くよ」

生ビールを飲み干すと、次に二人ともウーロンハイを注文した。

「仕事の事は私が今更口を挟んだからってどうする事も出来ないが、家族のことなら多少力になれるだろ。前にも一度言ったが、直子さんのことも、子供達のことも、しっかり考えなきゃ駄目だ。家族が壊れるぞ!」

「またその話!そんなこと言ったって、向こうが俺を無視したり、馬鹿にしたりするんだからどうしようもないだろ!俺がしたくて、こんな状態になった訳じゃないんだよ」

「貞男、お互いに言い分はあるんだろうけど、そこのところを上手く話し合って折り合いを付けなきゃ。昔とは時代が違うんだ、男親に絶対権限なんて無いんだから。直子さんに少しは優しい言葉を掛けてやってるのか?いくつになっても女は女なんだから、そういう心使いをしてやらなきゃ。大事にされていると思えなければ、お前の事だって大事になんかしてくれないぞ」

「あいつの態度を見ていて、そんな気持ちにはなれないよ」

「彼女には彼女の言い分があるんだと思う。いづれは二人だけの生活になるんだ。その時の事もしっかり考えておかなきゃ。とにかく今は子供達のことをちゃんと考えろ。二人とも家にいることに嫌気をさしてるぞ。春樹には彼女がいるからまだ良いけど、絵理のことは特に気を付けて見ないと大変なことになり兼ねないぞ」

「春樹には彼女がいるのか。絵理のことって何?」

「同級生をいじめていた」

「えっ?」

さすがにそう言われて、貞男は驚いた様子だった。

「相手は飯田真名さんというバトミントン部の同級生。夏休み前からいじめが原因で学校には行っていない。二週間前に絵理と二人で彼女の自宅に伺って、お母さんと本人に謝って来た」

「そのことは、直子は知っているの?」

「私からは話してない。問題がある事は言った、自分で確認しろとも。お前には何の話も無いのか?」

「全く無いよ」

「確かにお互い、いろいろあって、話をする時間も無かったのかもしれない。でも、子供の事なんだから、そうは言ってはいられない。夫婦ってそういうものじゃないだろ。さすがに今回の事はちゃんと話し合わないと」

「あいつも忙しくて、絵理ともじっくり話す時間が無いのかも。俺たち、いつの間にか子供達の事ですら話し合わなくなってしまったから。それにしても、父さんが、何でもっと早く俺に言ってくれないんだよ」

「お前だって忙しそうで。話す機会なんか無かっただろう」

貞男は腕組みをして天を仰いだ。

「とにかく、一度じっくり話してみるよ」


ウーロンハイも飲み終わると、貞次が珍しいことに冷酒を飲もうと言い出した。貞男もそれほど強い方ではないが付き合った。小さなグラスで二~三杯飲むと、二人ともかなり酔いが回って来た。

「古い話になるが、お前が結婚をしたいって言ってきた時に、私は言ったよな。相手の家族を良く見て決めろって。好きという気持ちだけで結婚するのは良くないって。家族になるってそんな簡単なことじゃないと」

酔いに任せて、貞次は昔の話を持ち出してきた。

「確かに言われたような気はする。しかし、こんなにも考え方が違うとは、思ってもみなかった」

「そんなことは結婚する前からわかっていただろう。私は、いろいろな意味を含めて、あの時は言ったつもりだ。お前は、感情が先走っていて、わからなかったようだがな」

「そうだったかな?俺には見る目が無かったって言いたいのか、父さんは」

「そうは言ってない。ただ、こうなることはある程度分かってはいた」

「じゃあ、今更どうすりゃ良いんだよ?」

「だから、お互いが歩み寄る事を考えろ。子供達も交えてちゃんと話し合え」

「そんなこと言ったって向こうが応じないよ」

「それは直子さんのことを言ってるのか?子供達のことを言ってるのか?」

「どちらもだよ。俺の話なんか、聞きやしないんだから」

「それなら、私がそういう場を用意する。とにかく、お前は家族を壊しちゃいかん。今は、自分たちが老いることなど考えないだろうし、まだ死の実感だってないだろう。しかし、皆老いるし、いつかは死ぬ。それは確実に訪れる。五年後どうなっているか?十年後どうなっているか?市役所を辞めた後、自分はどうしてるか?その時どうするのかを考えろ」

「そんな先の事まで、考えられないよ。親父は、その年になったから、そう思うんだよ」

「確かにその通りだ。お母さんに先に死なれ、七十五になってわかったんだ。だから言っているんだよ。お前には、将来を見通せる目を養ってもらいたい。今ならまだ間に合う。特に、家族が修復出来なくなったら、どうやって生きて行くんだ?お前一人になってしまうかも知れないぞ」

「そんなこと、考えてみたこともない。一人になるなんて」

「俺を見ろ、母さんに死なれて一人だぞ。現実にこうなるんだ。それでも、お前が居てくれるからまだいいが。もし離婚でもしてみろ。奥さんはいなくなるは、今のままじゃ子供達も離れて行くぞ」

「そんなことになるかな?」

「お前は考えが甘いんだ。子供達は成人して社会に出れば、増々お前らを必要とはしなくなる。それぞれが自分たちの生活の場を作る。そこに、お前は必要ないかもしれない。その時、お前はどうする?真剣に考えろ!人生とは厳しいものだ。そうなりたいか、なりたくないか、お前の心掛けと行動次第で、変わるんだぞ」

「うーん?何かピント来ないけど、少し真面目に考えてみるよ」

「とにかく、家族全員で話し合う機会を作るから、頭に入れておけ」

「わかったよ」

その日は、深夜まで飲んで、二人ともかなり泥酔した。最後はタクシーに乗って、何とか家にたどり着いた。



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