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爪切りの音  作者: toshi
11/13

孫のために

七月二十八日(土)四七日


既に貞男の家に住み着いて二十日近くが過ぎている。一向に変わった様子はない。貞男と直子も今後のことを話し合ってはいた。このままではおかしな事になる。どこかの時点で役所にも届け出なければならない。あの日から直ぐにそういう話になったのだが、貞次から少し時間が欲しいと言われ、そのまま時間が過ぎてしまった。かたや四十九日の法要の準備もしなければならないのに、本人が一緒にいるというのもどういうものか?無茶苦茶な状況ではあるが曲直部家は今そういう中で生活をしている。


貞次は、少し他所行きの格好をして朝早く出て行き、お昼前には立川のパレスホテルにいた。和食レストラン「欅」の個室で一人来客を待っていた。

十分ほどで相手が接客係りに案内されて部屋に入ってきた。七十は過ぎているであろう和装の婦人だ。髪は白髪で目鼻立ちのスッキリした、若い頃は相当な美人であったとわかる顔立ちで、実に品がある。

「失礼致します」

婦人は手荷物を置いて、貞次に向かって座った。

「本日はお忙しい中時間を作っていただきありがとうございます。曲直部貞次と申します。」

「いえいえ、この歳になったら、そんなに忙しいってことはありませんよ。改めて相沢みよと申します」

「突然お電話をして会ってお話をしたいなんて、無理を言ってすみません」

「美紅の事と聞いたら、知らんふりは出来ません。それに何か面白そうですしね」

みよは、楽しそうに微笑んだ。

「決して面白い話ではありません。それでは、早速話させていただきます」

そう言うと、調度食事が運ばれて来た。みよは、お茶を一口飲み、

「まあまあ、片意地張らずに食事でもしながら話しましょう。とても美味しそう!」

箸を持つと早速お刺身に手を出した。貞次は少し拍子抜けしたが、この婦人の肝がすわっていることに驚かされた。

「わかりました。それでは、ざっくばらんに話をさせていただきます。実はうちの孫の春樹とお宅の美紅さんが、お付き合いをさせてもらっているようです」

みよは、びっくりした顔をして箸の手を止め、貞次を見た。

「そうなんですか?それはびっくりです。そう言えば、あの子何だか最近綺麗になったし、何か思い悩んでいるような時があって、どうしたのかと思ってたのよ」

「それが、お母様の君江さんに猛反対されていまして。二人とも悩んでいて、春樹が少し距離をおいているようです」

「あらっ、そんなことになっているんですか」

そう言うと、ビールをぐいっとコップ半分ほど飲んだ。どうやりゃお酒も強そうだ。

「年寄りが出しゃばる事では無いですが、孫のためにどうしても何とかしてやりたくて」

「それで私が呼ばれたわけですか」

「そういうわけです」

「まあまあ、こりゃ~大変だ。君江さんはなかなか手強いですよ。なんたって気が強いですし、強情ですから」

「だからこそ、貴方にお願いしたくてお呼びしたのです」

「こりゃ~困ったわ。君江さんは何て言っているんです?」

「とにかく、家柄が違うから付き合いはさせられない、ということです。美紅さんのためにも別れてくれと」

「そうね~、確かに君江さんが言うことにも一理はあるのよね。決して家柄をどうのこうのと言っているわけじゃないのよ」

「でも、そう言われたら身も蓋もない。それを何とか許してもらえないか、と相談しているわけですから」

「まあね。君江さんも議員の妻としていろいろ苦労しているから、娘にも厳しいことを言うんだとは思います。議員なんていると、家族はみんな周囲の晒し者ですからね。娘が外で男の子とイチャイチャしているのを見られたら、何を言われるかはわかりません。挨拶一つしたとかしないとかで、大騒ぎされるんですから。家族だって全ての人を知っているわけじゃないんです。そういう時は、何を言われても、はいはい聞いてやり過ごすんですよ」

「確かに大変な仕事だ。しかし、今どき男女の恋愛にまで口を挟んでは、子供達がかわいそうだ」

「確かにそれはそうよね。時代が違うものね」

「高校生くらいの付き合いで、将来すぐ結婚なんて話にはならないでしょうし。多少はそういう楽しい時がなかったら、青春時代が勿体無い」

「君江さんも本当に大変なのよ。結婚した時も大変だったけど、その後も気苦労が絶えなくて。だから必要以上に神経質にもなるし、まして一人娘だから、ちゃんと育て上げて次の代を背負ってもらわなければと考えてるのよ。彼女一度こうだと決めると、頑として意思を変えないから」

「何とか美紅さんの今の幸せを考えて上げていただいて、春樹と楽しく付き合えるようにしてやって下さい」

「そうね~、何とか説得はするけど、保証までは出来ないわ。その時は曲直部さんも交えて話をさせていただきます」

「わかりました。何卒よろしくお願いします。それでは、ゆっくり食事でもしましょう」

貞次はそう言うと、やっと落ち着いて食事を取り始めた。

貞次もみよも自分たちの子供の頃の話や、お互いの亡くなった夫と妻の話などを止めどもなく話した。お互い打ち解けて話せて、楽しい時間を送った。


その日の午後四時に、絵理と、真名の自宅に行く約束をしていた。貞次には一日に二つも用事を作ることは、肉体的にも精神的にも大変辛かった。しかし、自分はやり残したことを、やるように義務付けられているような思いになっていた。

河辺駅で絵理と待ち合わせて、東急で菓子折りを買って、真名の家にタクシーで向かった。

十分ほどで家に着き、タクシーを降りると、絵理は下を向いて黙りこんでしまった。

「絵理大丈夫か?」

絵理からは返事が無い。

「どうする?今日は止めておくか」

貞次の問いかけにも、ただ下を向いていた。

絵理は、もう逃げることは出来ないと思ってはいた。自分がしてしまった過ちは自分で責任を取らないといけない。貞次に言われてから、今日までの一週間の間に学校でいろいろな事があった。

彩夏達にまず今までのことを謝った。バスケ部の練習にもちゃんと参加するようになった。みんなは、何もなかったように受け入れてくれ、顧問の先生も良く帰って来たと喜んでくれた。

千佳達には自分の気持ちを伝えたが、なかなかわかってはもらえない。真名に謝りに行くと言うと、自分だけ良い子になって逃げるのかとまで言われた。でも、そばにいつも彩香や環がいてくれた。間違っているのは千佳達じゃない!絵理は自分が間違っていたと気付いて謝ると言っているのに何がいけないんだと。

本当に嬉しかった。真名のことを考えると、悪くて合わせる顔がなかった。許してはもらえないかもしれないが、今はただ謝るしかない。


「絵理が辛いのは分かるが、真名さんはもっと辛い思いをしている。お前一人が謝ったからって何も変わらんかもしれん。しかし、彼女のためにも自分のためにも今日謝った方が良い」

絵理はやっと顔を上げて頷いた。

貞次が玄関のチャイムを押した。スピーカーから真名のお母さんの声が聞えた。前日に電話で連絡を入れておいた。

「こんにちは、曲直部と申します」

「はい、今玄関を開けます」

玄関の内側から、靴を履いてドアを開ける音がした。

「すみません、突然連絡をして。私曲直部貞次と申します。そしてこれが孫の絵理です」

絵理は名前を言われ頭を下げた。

「こんにちは、取り敢えず上がって下さい」

お母さんはドアを広く開けて二人を中に通した。上がってすぐのリビングは白を基調とした部屋で大きなソファがあった。

「今日はお忙しいところすみません、ほんの気持ちですが」

貞次は、持って来た菓子折りを差し出した。

「こんなことまで結構ですのに」

「たいしたものではありませんので」

「わざわざすみません、それでは頂戴します」

お母さんは、菓子折りを受け取ると、台所に向かい冷たい麦茶とお菓子を運んできた。

「暑かったでしょ、どうぞお召し上がり下さい」

「ありがとうございます、遠慮無くいただきます」

そう言って、貞次はコップを手に取った。絵理も貞次に合わせて一口飲んだ。

「今日は絵理が真名さんに嫌な思いを何度かさせてしまい謝りたいというので、付き添って来ました」

「そういう事があったのですか?あの子何も言わないから。本当にどうしたら良いのか困っていまして」

「本当に申し訳ありません。絵理も後悔していて。許してもらえるかどうかもわからないですが、とにかく謝らせてやって下さい」

貞次が頭を下げると、

「本当にごめんなさい。真名ちゃんにたくさん嫌な思いをさせてしまいました」

絵理は目にいっぱいの涙を溜めていた。

真名の母親は、複雑な表情をして絵理を見つめていた。

「わかりました。絵理ちゃん、真名に会って話をしてあげて」

「はい」

お母さんに付いて絵理が二階に上がって行った。


真名の部屋のドアに向かって声を掛ける、

「真名、曲直部さんが来てくれたよ。謝りたいんだって」

部屋の中からは何の返事もなかった。

お母さんは、ドアをノックして、

「ドアを開けて、曲直部さん話がしたいんだって」

何度か繰り返して声を掛けても、部屋の中からは物音一つしない。絵理は本当に部屋にいるのだろうか?と思った。

「飯田さん、曲直部です。いろいろと嫌なことばかりやってご免なさい」

絵理が話し掛けると、部屋からカタッと何かが落ちた音がした。

「真名ちゃん、本当にご免なさい」

その言葉に反応するように、部屋のカギを外す音とともにドアが静かに開いた。

部屋の中を覗くとかなり散らかっている。真名はベッドの中でうずくまっていた。

「真名、大丈夫?」

お母さんが優しい声で呼び掛ける。その後から、覗きこむように絵理は真名を見ていた。

そこには精気を失った真名のほっそりした身体が横たわっている。絵理達がやった事の残酷さを目の当たりにした。

絵理は、部屋の入り口に正座して頭を下げた。

「飯田さん、さんざん嫌な思いをさせてご免なさい。許してもらえないと思うけど、私心を入れ替えてやり直そうと思って。それには、飯田さんに謝らないと何も始められない。どんなに許してもらえなくても謝り続けるしかないから。家族もバラバラで勉強も成績はなかなか良くならないし、部活は怪我したりしてレギュラーになれそうになくてイライラして、そんなことで飯田さんに嫌なことをしてストレスを晴らしていた。本当に酷い人間だと思っている」

しばらくすると、壁に顔を向けて振り向きもしなかった真名が振り返った。

「頼むから帰って。あんたと話すことなんて何もないから。私は一生あんた達のことは許さない。恨み続ける」

掠れた声だったが、真名の声は絵理の胸の奥にズシンと響いた。絵理はそれでも許してもらいたかった。すがる思いで訴えるしかなかった。

「飯田さん、それでも私は謝るしかない。学校に出て来て、もうあんなことはしないし、千佳達にはさせないから」

真名の顔が怒りで震えていた。

「いじめていた本人に言われたって信用出来るわけないでしょ。ふざけるな!あんた達にどれだけ酷いことを言われたりされたりしたか。私がどれだけ苦しんだか。私が何をしたって言うの。春のバトミントンの大会で三位なって浮かれてそれが気に食わないってことなんでしょ。あんたになんか何の関係も無いことでしょ、私があんたに何をしたって言うのよ。臭い、汚い、死ねって言われて」

真名は涙を流しながら震えて訴えていた。お母さんもその事実を聞いて、涙を流していた。絵理は、その場に座ったまま項垂れた。

「曲直部さん、事情がやっとわかったわ。今日は真名のためにも帰って。悪いけどこの事実は私の方から学校にも伝えます。このままにしておいたら真名も可哀想だし、貴方達のためにもならないもの」

貞次が居間から上がって来ていた。

「お母さん、母親の気持ちとしては当然の事だとは思います。自分の娘がいじめられていた事実を知って黙っていられるわけがない。しかし、どうかそこを勘弁して上げてもらえないだろうか。絵理も一生懸命考えて、今日お宅に来て謝る決心をしました。何度か挫けそうになっていました。本人が今一番罪の意識を感じていると思います。真名さんに許してはもらえないかもしれない。しかし、自分の間違いを自覚して謝りに来たこともわかってあげて欲しいんです。もうこんな過ちを絵理は二度としないと思います。何とか勘弁してやって下さい」

貞次は土下座をして詫びた。

お母さんは、「真名がどんなに辛くて悲しい思いをしたか、それを考えただけで母親としても許すなんて出来ません」

貞次と絵理はそれでも頭を下げ続けた。

「お母さん、学校に言うのは止めて。私はそこまでして欲しくない。曲名部さん達の事は簡単には許せないけど、これ以上学校で嫌な思いはしたくないの」

真名の言葉にお母さんは、一点を見つめて考えていた。

「本当にそれで良いの?真名がそういうなら、お母さんは学校には言わないわ。でもそれで良いの?私もお父さんも真名の為ならどんな事でもしてあげるからね。もっと早く本当の事言ってくれたら良かったのに」

「自分がいじめられているなんて、悲しいし悔しいし絶対教えられなかった。お母さんもお父さんも悲しむだけじゃない」

「学校に行かなくなるくらいに苦しんでいるのだから言って欲しかった。何が何だかわからなくて、私もお父さんもずっと悩み続けていたのよ」

「お母さんやお父さんまで苦しめて本当にすみませんでした。飯田さんが学校に来てくれるなら、どんな事があっても彼女を助けます」

絵理は、縋るような目でお母さんと真名に訴えた。

「この子とはいろいろ話し合いました。今までのことを悔いて飯田さんのところに来ています。両親はまだ詳しいことを知りません、これからちゃんと話をします。いづれ両親からも直接詫びさせます」

真名が堰を切ったように泣きだした。今までの苦しさを一挙に吐き出すように嗚咽混じりに。本当に苦しかったのだろう。お母さんは彼女を抱きしめて一緒に泣き崩れた。

親子のその姿を見て絵理は、俯くしかなかった。

「曲直部さん、今日はわざわざお越しいただいてありがとうございました。これからのことは、真名と夫と三人でちゃんと話し合います。今日のところはこれでお引き取り下さい」

二人とも落ち着くとお母さんが貞次に声をかけた。

「わかりました。それでは今日はこれで御暇いたします。ご連絡いただければ、すぐに両親もお詫びに伺いますのでよろしくお願いします。それじゃあ、絵理帰ろうか」

「本当にすみませんでした」

絵理がもう一度深々と頭を下げて帰路に着いた。夜も八時を過ぎでいて辺りはすっかり暗くなっていた。二人は言葉を交わすこともなく、とぼとぼと歩いて行った。



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