第六話 過去を振り返るで
僕が犬と話せるようになったのは、小学3年生の頃だ。
勉強が嫌いで、人前で話すことも苦手で、弱虫だった。
授業中に先生に指名されると、声が出なくて泣き出すことが何度もあった。
そんな僕だから同級生からはよくイジメられた。何をされても僕が言い返せないことをいいことに、好きなようにからかわれた。
親や先生に助けを求めたかったが、親には心配をかけたくなくて笑顔を取り繕い、何でもないフリをした。先生は、僕にとって萎縮してしまう相手だったので、自分から助けを求めることはできなかった。
その日も僕は、学校の帰り道でイジメられていた。
男の子達が、僕のランドセルを後ろからドカドカと笑いながら蹴っている。僕はどうしていいかわからず、笑顔でごまかした。
すると、一人の男の子が僕のランドセルから筆箱を取り出した。
親に買ってもらった大好きなキャラクターの筆箱である。
さすがにこれだけは傷つけて欲しくなかった僕は、初めて抵抗した。
「だめ!それだけはやめて!返して!」
「ん?いいよ、返してあげる。はーい」
その男の子の手から筆箱は投げられ、僕の頭を通り越し、別の男の子の手へと渡った。
「お願い!返して!」
男の子達は、楽しそうに笑いながら筆箱を投げている。止まる気配はない。
僕はたまらず、リーダー格の男の子の胸ぐらを掴んだ。
「返せよ!」
すでに涙でぐしゃぐしゃになった僕の顔を見たリーダーの子は、興醒めて冷たく言い放った。
「あっちに捨てよーぜ」
僕の筆箱は、下水路へと投げ捨てられた。
コンクリートに当たった筆箱は、衝撃で蓋が開き、中の鉛筆や消しゴムは飛び出した。
「あはははははは!!」
男の子達は腹を抱えて笑い、気が済んだのか僕を置いて帰って行った。
僕はその場に泣き崩れ、動けなくなってしまった。
そのままどれくらい泣いたのだろう。人通りの少ない道で、誰一人通ることはなかった。
代わりに、一匹の大きな黒い犬が僕のところへと歩いてきた。
僕の体より大きいその犬の存在に気づき、僕は逃げようとした。
立ち上がり、走り出そうとした瞬間、
「あの箱はキミのだろう?」
僕は走り出しかけた脚を止めた。
誰かいるのか。いや、誰もいない。
ここにいるのは、僕と大きな犬だけだ。
大きな犬と目が合う。
その体の大きさに、圧倒されて腰がくだけた。
犬が近寄ってくる。
この犬に襲われるのか。なんて最悪な日だ。
僕は目を閉じた。
「さっきの反応、おれの言葉がわかるんだな?」
目を開けた。今のもさっきの声も幻聴などではない。たしかに聞こえた。
でもここにいるのは、僕と犬だけ。じゃあ、この犬が…。
僕は、犬の大きさに震えながらも口を開いた。
「君が、犬がしゃべってるの?」
犬が僕をジーッと見つめてくる。
目をよく見ると、不思議だ。恐くない。むしろ温かさのようなものを感じた。
「これは、驚いたな。人間と話せるとは」
やはりこの犬が話している。
口は開いていないが、テレパシーのようなものだろうか。
なんにせよ、僕とこの犬はコミュニケーションが取れている。
「あの下水路に落ちている箱は、キミのだね。何があったのか知らないけれど、泣いているキミを見て、おれなりに考えてみたんだ」
「うん……あれは僕のだよ。僕イジメられてて、あそこに捨てられちゃったんだ」
犬は、僕の話を聞くと、下水路へ降り僕の筆箱をくわえて取って来てくれた。僕の足元にそっと筆箱を置く。
「あ、ありがとう…」
「お安いご用だ。それにしてもかわいそうに。 キミはイジメられてるのか」
「うん、ずっとそうなんだ。僕、泣き虫で……」
「友達はいるの?」
「いない……」
「そっか。ならおれと友達になるか」
「へ?」
驚いた。まさか犬に、友達になろうなんて言われるとは。
「おれは野良犬だが、他にも友達がいる。紹介してあげよう」
僕の目からまた涙が出てきた。
「おいおい、まだ泣くのか。いい加減泣き止んだらどうだ」
「うん、ごめん。僕、友達できたの初めて…」
「そうか、記念すべき初の友達がおれか。それは嬉しいな」
僕は犬の頭を撫でた。とても温かい。
「君は、名前何ていうの?僕は霊だよ」
「霊か、よろしくな。おれは、そうだな、仲間からはゆずって呼ばれてる」
「ゆず…」
僕は思わず笑ってしまった。
「む、なんで笑うんだ」
「いや、黒くて大きい体してるのに、ゆずって名前かわいいなぁと思って」
「べ、別に違う名前でもいいんだ。名前なんて適当だからな」
理由はわからないけど、こうして僕は犬と話せるようになった。
すごい能力だと思ってはいたけど、人には言えなかった。
ただでさえイジメられているのに、犬と話せるなどと言えば、頭がおかしいとさらにイジメられるのは目に見えているからだ。
ゆずやその友達と友達になることによって、僕は性格が少しずつ明るくなっていった。
それからもしばらくイジメられていたが、学校の外では大きなゆずが僕の側に来ると、イジメっ子達は逃げ出した。
そして、徐々にイジメはなくなっていった。
高校生の時に一度だけ、仲の良い友達に犬と話せることを打ち明けたが、とんだ妄想野郎だと笑われた。
まあ、無理もない。それを証明できるものもないのだ。
仲の良い友達だからそれだけで済んだが、他の人に打ち明けて頭のおかしい奴だと思われるのは、イジメのトラウマもあり嫌だったので、内緒にすることに決めた。
唯一の理解者、杏子に打ち明けたのも一年付き合ってからであった。
さて、大きな体のゆずであるが、僕が中学三年生の時に亡くなってしまった。
僕にとって生涯初めての友は、最後の最後まで最高の友であった。
周りの犬達も亡くなったり、子供ができたり、様々あったが僕が上京してからは特に連絡はとっていない。
上京するまで常に犬友達がいた僕は、一人暮らしをして途端に寂しくなった。
僕の生活は、犬無しでは考えられなくなってしまっていたのだ。
上京したばかりであったが、すぐにペットを飼える家へと引っ越しをした。さすがに親に反対されたが、高校の頃は今と違って地味にバイトを頑張っていたので、お金には割と余裕がありそれが可能だった。
そしてペットショップを回って、パートナーとなるべき犬を探した。
この犬探しが、難航した。
仲良くなれる犬を探したかったので、僕はショップに入るや否や犬に話しかけた。
しかし、僕が犬と話せることが犬達にわかると、途端に犬達は騒ぎ始めた。
「ぼく!ぼくを飼って!」
「いや、私!私よ!」
「僕だよ!何でもするよ!ご主人様!」
犬達は飼い主に飢えていた。
気持ちは痛い程わかったが、この中から一匹を選ぶのは至難の技だった。何匹も飼うお金もスペースもない。
数軒回って、諦めようとした時、僕は一匹の犬に目がいった。
まったく僕に話しかけず、うつむいている子犬がいる。
他の犬達は自己アピールで必死な中、この子犬は一言も発さない。
僕がその子犬に近づくと、その子犬はじとーっとした上目遣いで僕を見てきた。
相変わらず言葉は発しない。ただじーっと僕を見てくる。
その姿に、僕は昔の自分と重ね合わせてしまった。
僕はこの子を買うことに決めた。
他の犬からはブーイングの嵐である。
「なんでよりによってそいつなんだよ!僕の方が百倍かわいいのに!」
可愛さとか、どうでも良かった。
僕はその子を抱き抱えながら、自宅へと足を進めた。
話しかけても一向に話さない。
「今日からよろしくね。君の名前は、ゆず」
はじめてその子犬が口を開いた。
「ゆず…」
「そう、ゆずだ。今日からおれ達は友達だ」
こうして、ゆずとの共同生活が始まった。