第三話 チャンスは掴み取るものやで
「ブゥゥ〜〜〜〜〜………。ブゥゥ〜〜〜〜〜……」
家にブタがいるのではない。
ゆずのいびきである。
こいつのいびきは尋常じゃなくうるさい。耳に響くうるささだ。
この小さな体から一体どうやったらこんな大音量が出てくるのであろうか。
8月末日、お昼の我が家である。
事務所から合格をもらってから、一通りの登録作業は終え、今日パンフレットが届いた。
事務所に登録されている犬や猫達が載っていて、依頼人がこのパンフレットを見て仕事を頼んでくるらしい。
さて、ゆずの写真の出来であるが………。
至って普通の出来である。
ブサカワさを伝えたかったのだが、なかなかどうして普通に可愛いく撮れてしまった。
この「可愛いく」が問題で、飛び抜けて可愛いのであればまだ良かったのだが、ゆずのおでこの白い逆三角形の模様が残念さを醸し出している。
さらに、このパンフレットに載っている他の犬達の可愛さである。
どの犬も猫も綺麗な模様に整った顔立ちで、正にモデルになるために生まれてきたかのような可愛いさである。
ハッキリ言って、ゆずは完敗だ。
由々しき事態である。
「ブゥゥ〜〜〜〜〜………。ブゥゥ〜〜〜〜〜……」
「気楽に寝やがって…」
杏子がやってきた。
パンフレットを見てから、言われることは予想がつく。
「ほら、私が言った通りでしょ」
悔しいが、今回ばかりは何も言い返せない…。
「これって仕事来るのかなぁ」
「まあ、まず来ないと思っていた方がいいでしょうね」
「だよなぁ、そもそもゆずの魅力は写真で伝わるもんでもないよな。面接の時は、すげぇいい感じだったんだよ」
「愛嬌たっぷりな上に、霊の言うことはすべて聞くからねぇ。そういう意味では、面接官の目に留まっただろうけど」
「くぁぁぁぁ。どうしよう、これじゃただ登録料取られただけだ」
「おとなしく真面目にバイトすることね」
僕は結局バイトをしている。杏子に言われた通り、モデルの仕事が軌道に乗るまではとにかく収入源を確保しなければならない。
しかし、このままでは軌道に乗るどころか、仕事一つさえもらえるかもわからない。
そして、何事もないまま一ヶ月が過ぎた。
「ゆず!仕事こねぇぇぞぉーー!!」
「アタシに言われても…」
「畜生、すぐに大スターになる予定だったんだけどな…」
「犬のアタシが言うのも何だけどさ、甘い夢見てないので別にやること探したら?」
この生意気な犬め。
つけていたテレビに一匹の犬が映った。
「はぁ…ゆずもこうやってCMに出られたらなぁ」
「あ!」
ゆずが突然声をあげた。
「どした?」
「この犬、アイツだよ!この前オーディション会場にいたビビリな奴!」
「え!マジ!?」
たしかに見覚えのある犬である。ゆずが言うから間違いないのだろう。
「同じ日にオーディション受けたのに、もうテレビデビューだとぉぉぉ」
僕は、モデルが載っているパンフレットをめくった。
「あった。この犬かな?」
「そうそう、この犬!」
「コスケって名前みたい。かぁー、イケメン犬だと思ったんだよなぁ!」
「なんであんなビビリがテレビに出れて、アタシが出られないのよ!」
珍しくゆずが悔しがっている。
「結局世の中顔ってこと!?」
それは、犬が言う台詞ではない。
「ゆず、必ず有名になってやろうぜ」
「コスケとかいう奴には負けたくない!」
そのコスケを見ていて、一つひらめいた。
「わかった、ゆずの動画を撮ろう」
「ほほう?動画?」
「お前の魅力はなんと言ってもその動きそのものだ。その動きが偶然でなく、おれの指示通りにやれるとしたら、ゆずを使いたいと思う人は必ず現れる」
「えーっと、つまりそれが人間にウケるのね。わかった、お兄ちゃんの言う通りにするよ。コスケに負けたくないし!」
「おう!その意気だ!となったらひとまずゆずのどの動きを撮るか考えないとだな。ちょっと待ってろ」
ゆずの愛嬌が出るシチュエーションと動きをざっと書き出してみた。
①家に霊が帰ってきた時の喜ぶ姿
②食べ物をねだるときの様子
③日なたぼっこをするために部屋を散策する姿
④甘えたいときのアプローチの様子
⑤散歩に行く時の喜ぶ姿
⑥寝てる姿
「とりあえずこんなものかな。よし、早速撮るぞ」
「おっけい!」
①家に霊が帰ってきた時の喜ぶ姿
スマホをビデオモードにし、家の扉の前に立った。
「ゆず、始めるぞー」
「うん」
鍵を使って、ドアを開ける。
「ただいまー」
ゆずがすかさず走り寄ってきて、飛びかかってきた。
しかし、顔が無表情である。ぴょぴょん跳ねてはいるものの尻尾も振っていない…。
「カーット!!」
「ん?かーと?」
「失敗!やり直し!ゆず、演技ヘタ過ぎるぞ!」
「えーっ!?今のダメ?」
「可愛さのカケラもなかった。お前全然喜んでないだろ」
「嬉しいわけないじゃん。お兄ちゃん、そこにいるんだもん」
僕は気づいた。犬にはそもそも演技なんていう概念はないのだ。
世間のタレント犬も訓練して指示通り動けるようにはなっても、それはあくまで指示通りであり、演技をしているわけではない。
ゆずといくら話せても、ゆずは犬である。
嬉しいフリをしろと言っても、そこまでの知性は求められない。
そうであるならば、一つ一つ動きを教え、喜んでいる時にどういう動きをするのか教えるのみである。
犬と話せる僕なら、それは短時間でやらせることができる。
「いいか。おれが帰ってきた時のゆずっていうのはまず顔が違う。目は見開き、口を開けて舌を出しているんだ」
「んーっと、こんな感じ?」
ゆずがやって見せる。
「あー、ちょっと違う。目開き過ぎで恐い…」
「難しいなぁ。こう?」
微妙に違う…。目の表現は難しいものだ…。
「そうだなぁ………。あ、そうだ。ゆず」
僕は台所へと歩いて行った。
「みかんやるよ」
「ホント!?」
「それ!その目だよ!」
「え?あぁ、今の目ね。って、そのためのみかん?くれないの?」
図らずもこれは②のシチュエーション「食べ物をねだる時の様子」である。
僕はすかさずビデオモードでその様子を録画した。
そんなこんなで、①と②の動画を撮ることができた。
次は③日なたぼっこをするために部屋を散策する様子、である。
「そのアタシって可愛いの?」
「うむ。何も考えない君が一生懸命考えながら日なたを探す姿は見ていて癒やされるぞ。あと、時々ブゥブゥ言ってるのも可愛い」
「ふーん。とりあえずやってみるね」
ゆずが、日の当たってるところを探し始めた。
「ブゥ……ブゥ……ブゥ……ブゥ……ブゥ」
「……………………………カーット!!」
「また!?」
「ブゥがわざとらし過ぎる!もっと自然にできんもんかね!?」
「自然にとか言われてもわかんないよ!!」
こんな調子で一つ一つ教えながら、なんとかすべての動画を撮り終えることができた。
外はもう真っ暗である。
「はぁ、疲れた…」
「アタシ寝る…」
僕がこれだけ疲れたのだ。犬のゆずの疲労はかなりのものだろう。少し悪い気がした。
しばらくして、杏子がやってきた。
「あら、なんか疲れてるわね。ゆずなんか私が来たことに気づきもしないで寝てる」
「おー。ゆずの魅力を伝えるための動画を撮ってたんだよ。これが思ってた以上に大変でさ…」
「動画?」
杏子に動画を一通り見せた。
「すごーい!良く撮れたわね!そりゃゆずも爆睡するわけだ」
「演技なんてやったことねぇからな」
「動画はいいとして、これどうやって公開するの?編集とか」
「そこはちゃんと考えがあるんだよ」
僕は、杏子のこともそうだが人にめぐまれていて、知り合いにそれなりに名の知れたユーチューバーがいるのだ。彼の力を借りるつまりだった。
「なるほど。それならたしかに上手くいくかも」
「一回の動画じゃダメかもしれないけど、おれの言う通り何でもできることと、ゆずの愛嬌が伝われば仕事くるんじゃないかな」
「うんうん、やってみる価値はありそうね」
そして、知り合いのユーチューバーに編集と動画の公開を頼み、4日後に公開された。
パソコンの前に、僕、ゆず、杏子の三人で座って動画を見た。
タイトルやテロップ、場面の変換など、さすがはユーチューバーである。見やすい動画だ。
三人で感嘆の声をあげた。
「これすごくいいじゃん!ゆずの魅力が写真なんかより断然わかるな!」
「アタシ、なかなか可愛いわね」
「ゆず可愛い〜!」
動画では、ゆずが飼い主の言う事なら何でも理解してやれるということも上手く紹介されていた。
狙い通りの動画である。
「これイケる!イケるぞ!」
それからも動画の投稿を続け、動画の視聴回数は回を重ねるごとに増し何十万回と再生された。
10月初旬のある日、僕の携帯が鳴った。
「はい、もしもし」
「東城様のお電話でしょうか?私以前ゆずちゃんの面接をさせていただいた山下と申します」
きた!仕事の話だ!
「お久しぶりです!東城です!」
「ゆずちゃんのあの可愛さと東城さんとの信頼関係が忘れられず、実はあれから仕事の関係者にゆずちゃんを紹介して回っていたんです。でも、パンフレットの写真だけで判断されてしまって、なかなか取り入ってもらえず苦い思いをしていたところ、ゆずちゃんの動画配信を拝見しまして、すぐさま仕事関係者に再度紹介したんです」
夢だろうか。胸がドキドキしている。
「そしたら、ゆずちゃんをぜひ使いたいという番組プロデューサーからの返答がありまして、本日こうして出演依頼のお電話をさせていただきました」
番組!!まさかの仕事デビューが番組とは!願っても無い大チャンスである。
その番組とは、ゴールデンタイムに放送される有名な動物番組であった。
僕はこの出演依頼を快諾し、打ち合わせの日取り等を決め、電話を終えた。
ちょうど杏子もいる。
「仕事の電話!?」
「そう!ついに決まったぞ!しかもゴールデンタイムの番組!」
「なんだかわからないけど、アタシ仕事できるのね!」
「そうだよ!ゆず!今日はみかん2個やる!」
「やったぁーーーーー!!」
この日三人で出演決定祝いを行なった。
自ら掴み取った一世一代の大チャンスである。