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 ぶらぶらと時間を潰して夕方になってから家に帰ると、やっぱり郵便受けに手紙が入っていた。

 かなり年代ものの、錆びついた鉄製の赤い郵便受け。歪んでしまったのか、かっちりと閉まりきらない薄い蓋を手前に引いてみれば、すぐに畳まれた白い紙がぺらりと出てきて下へと落ちる。

 身を屈めてそれを拾い、開けると、小夜にとって馴染みのある筆跡が目に入った。


 ──ちゃんと話し合いたい。今日はもう帰る、連絡を待ってる。


 律儀な字、律儀な文章は、いつもとまったく同じだ。裕也は手紙であれこれと言い訳を並べたり、逃げ回る小夜を怒ったり責めたりもしない。

 毎週ここにやって来ては、毎週ここで小夜を待ち、戻ってもこなければ連絡もつかないことに失望し、こうして置き手紙を残して帰っていく。この地から離れて住む裕也は、いつまでも待ち続けることは出来ない。きっと、帰りの電車の時間ギリギリまでここにいるのだろう。帰る前に、毎回こうして「来た」ということを知らせる手紙を残していくのは、非常に几帳面な裕也らしかった。

 小夜はその手紙にさっと目を走らせただけで、そのままくしゃっと丸めてしまった。バッグから鍵を取り出し、玄関の引き戸をガラガラと開けて中に入る。

 気候はまだ春に入る手前なので、ずっと誰もいなかった屋内は、空気が冷えきっていた。そもそもこの家自体、保温性にも気密性にも優れていない、古ぼけたシロモノである。あちこちにガタがきているし、冬になると隙間風がひゅうひゅう吹き込んで、ストーブを点けても震えて過ごさなければならないくらいだ。

 玄関からすぐの居間に入って、とりあえずスマホの電源を入れると、こちらにも不在着信やらメールやらがいくつも届いていた。メールは中身を見もしないで次々に削除していくのだが、この作業はなかなか精神的に摩耗する。すべてを消し終わると、どっと疲れて何もする気がなくなった。

 ため息をついて、まだ全然暖まらない炬燵の中に潜り込む。あー今日の夕飯は何にしようかなと考えるのも億劫だ。今頃にょん吉くんは何か食べているだろうか。ウサギだからニンジンかな。

 と、その時、放り出していたスマホが鳴った。

 ますます憂鬱になりそうな気分で見てみれば、かけてきたのは母親だった。再びのため息を押し殺し、スマホを耳に当てた。

「はい」

「小夜? なによ、あんたどこにいるの?」

 母親の声は最初から尖っている。

「家にいるよ」

「家? おじいちゃんち? だってずっと留守だったそうじゃない。裕也君からこっちにも電話があったわよ。あんた何やってんのよ」

 何をやってるって言われてもねえ。今日はピンクのウサギとお喋りしたよ。

「もう裕也と話す気はないから。お母さんも、裕也から電話があっても無視していいよ」

「んまー、なんて冷たいこと言うのよこの子は」

 あちらの声の険が一段階上がった。そのまま説教モードに移行する空気に、小夜はうんざりした。

「あんたねえ、いつまで意地張ってんの? たかが浮気のひとつやふたつくらいで。裕也君はあれだけ謝ってるんだから、もう許してあげればいいじゃないの。それをいつまでもグジグジと」

 小夜は裕也の浮気についてグジグジ言った覚えはない。というより、それについて直接責めるような言葉も出していない。それどころか、その件はもういい、とハッキリ言ったはずだ。

「可哀想に、何度も何度も頭を下げに来てさ。裕也君は頭も良くて性格も良くて、あんたなんかにもったいないくらいよ。あんただってもういいトシなんだし、あの子を逃したら次はないわよ、わかってんの? いつまでも子供みたいなこと言ってないで仲直りしなさい」

 なんだか親に仲裁に入られる幼児のような気分になってくるな。はいゴメンナサイって言おうね、ほら謝られたからもう許してあげようね、さあ仲直りしてまた仲良く遊びなさい! そんな感じか。

 そう考えると、ちょっと笑えた。

「あのさあ、お母さん」

「なによ」

「お母さんは、なんでお父さんと結婚したの?」

「…………」

 小夜の言葉に、母親が詰まった。

「私がずーっとちっちゃい頃から仲が悪かったよね。それでも私がいるからって二人とも別れずに表面的には夫婦のフリを続けてたよね。お父さんにも、お母さんにも、他に好きな人がいたのも知ってるよ。私がハタチになった時に、やっと晴れて別れられてさ、今はすごくせいせいして幸せなんでしょ。それでなんで、そういうこと言うのかなあ」

 今さら、その件について母親を問い詰めたいともなじりたいとも思わない。あくまで軽い口調で、冗談めかして言ったつもりだが、母親は少しの間黙り込んだ。

「……けど、あの人と裕也君は違うでしょ。裕也君は、ずっと真面目だし、誠実だし。そりゃ、浮気はしたかもしれないけど、酔った時の一回きりで、それを正直に言ってこうして謝ってるじゃない。そういう人と結婚したほうが、小夜にとっても幸せだと思って」

「私の幸せが、お母さんに判るのかな? 私にだって判らないのに」

「…………」

「私は長いこと、いろんなことが判らなかったよ。お父さんとお母さんは、どうしていつも口をきかないのか。どうして外では笑うのに家の中ではクスリともしないのか。一緒にいてちっとも楽しそうじゃないのにどうして同じ家で暮らしてるのか。どうしてさっさと自分の幸せのために離婚しないのか」

「……それは」

「私のため? 悪いのは、私かな?」

「…………」

 母親が口を噤む。そうだ、とも、そうじゃない、とも言い切れないのがこの人の弱さであり冷淡さであり優しさであるとも思う。客観的にそう判断できるようになった小夜は、昔に比べてずいぶん大人になった。

 炬燵の天板に顎を乗せ、スマホのあちら側の沈黙に向かって淡々と続けた。

「お父さんとお母さんのことが私には判らなかったように、裕也と私のことも、たぶん、お母さんには判らない。私の幸せは、お母さんに見つけてもらいたいとも思わない。そういうこと」

 しばらくの無言の後、母親は低い声で「──小夜」と名を呼んだ。

「あんた、あたしたちの離婚のこと、怒ってんの? だからあたしともあの人とも一緒に暮らすことを拒んで、そうやっておじいちゃんの家で一人暮らしをしてるの?」

 母親の言葉に、静かに目を閉じる。ああ、やっぱりまったく判っていない。どうしてこんなにも、小夜と母の考えはすれ違うのか。いいやそれとも、小夜がおかしくて、小夜が間違っているのだろうか。

 小夜はそんなことで怒ったり傷ついたりするほど、両親のことを愛していない。自分の娘がそんな冷たいことを考えていると知ったら、この人は落胆するだろうか。

「怒ってないよ。二人が正式に別れた時には、本当にホッとしたし、嬉しかった。二人ともよかったねって、私、あの時も言ったけど、その言葉に嘘はない。そんなことでは、私は傷ついたりしなかったよ、ぜんぜん」

「じゃあ」

「私がなにより傷ついたのは、本当に心の底から悲しかったのは、この世界に絶望しそうになったのは、おじいちゃんが死んだ時だった」

「…………」

「お母さんは、気づかなかったようだけど」

 そう、母も、父も、誰も、そのことに気づかなかった。

 あの時、両親の離婚にカケラも心を揺らしたりしなかった小夜が、どれほど悲嘆に暮れて、何も食べられず立ち上がる気力も湧かず、身を振り絞るようにして泣き喚き、祖父の遺体に取りすがったか、ということに。

 だーれも、気づかなかった。

 ──裕也も。



          ***



 翌週の日曜日、小夜が古戦場跡に行くと、にょん吉くんが仕事に勤しんでいた。

 大体いつも、武将隊のショーがはじまる前に、ウサギが出てきて子供たちと遊んだり(遊ばない)、仲良く写真を撮ったり(イヤそう)、愛想を振ったりして(不機嫌オーラが出まくり)、人を集めるのが恒例となっているのである。つまりイケメン君たちの前座、という役割だ。

 かなり真面目とは言い難い勤務態度なのだが、それなりに子供や女の子たちが集まっていて、ウサギを取り囲み楽しそうにしている。たまに勇気ある男の子が、度胸試しのつもりなのかにょん吉くんの腹部にパンチして、カウンターを喰らっていたりする。大人げない。法被を着た役場の人ににょん吉くんが怒られて、その場がどっと沸いた。

 小夜はやっぱり離れた位置からその様子を眺めて、くすくすと笑っていた。

 あんたはあんたの心にだけ従えばいい、と言ったにょん吉くんは、ちゃんと自分の心に従った生き方をしているらしい。彼にとって不本意な仕事のようだが、それをここまで堂々と隠しもしないと、かえって立派に見えるから不思議だ。これでけっこう周りに喜ばれているのだから、意外と性に合っているのかもしれない。

 そんなことを思っていたら、にょん吉くんがこちらに顔を向けた。


 あ、目が合った。


 とつい思ってしまったが、よくよく考えたらあのくりっとした瞳が向いているからといって、本当に彼がそちらを見ているとは限らないわけである。手を振るのも会釈をするのも変な気がして、なんとなくぼーっとその場に突っ立っていたら、にょん吉くんがいきなりこちらに向かってきた。

 え。

 周りを囲んでいる大人と子供を押しのけるようにして道を開けさせ、のしのしとした足取りでずんずん近寄ってくるウサギに、小夜は動揺した。ニコニコした顔がなんだか怖い。

 思わず数歩後ずさったら、すかさず伸ばされてきたピンクの手に捕まった。

「なんで逃げる」

 また喋った。ダメでしょう、すぐ近くに観衆がいるこの状態で声を出したら。しかもちょっとドスが利いていて、「逃げんのかコラ」と凄んでみせるチンピラみたいなんですけど。

「いや怖いです、普通に」

「この間は可愛いと言ってただろう」

「可愛い人形が、実はいちばん怖いかもしれないなあ、って今実感しました」

 そういえばホラーでもそういうのがよくあるし。フランス人形とかお菊人形とかチャッキーとか。次にブームが来るのは、ピンクのウサギの着ぐるみだ、きっと。ニコニコしながら血塗れの斧とか振り回したら、相当怖い。

「例の男はどうした」

 唐突に訊ねられて、は? と首を傾げる。

「えーと……」

「元カレだ、元カレ。悪質なストーカーを繰り返す二股最低野郎だ」

 いつの間にそんなことに。

「にょん吉くん、私の話、ちゃんと聞いてました?」

「要約するとそういうことだったろ」

「そんなまとめ方をした覚えはないんですけど」

「いいんだよ、細かいことはよ。まだつきまとわれてんのか」

「つきまとわれているというか……電話は毎日のようにかかってきますよ。でも、今日もこっちに来るかどうかは知りません。電話には出ないし、メールも見ないし」

「行動がエスカレートしてたりしないのか。真夜中にドアをドンドン叩いたり、メールを日に何百通も送りつけてきたり、ナイフ持ってじーっと外に立ってたり」

「それは完全に犯罪です」

 どうもにょん吉くんの頭の中で、裕也は立派なストーカーにまで成長してしまっているらしい。そんな説明をした覚えはないのだが。

「そういうことは一切ありません。感情的になったりすることもないし、とにかくもう一度話し合いたい、と言われているのはそれだけです。遠方に住んでいるので、こっちに来ても夜には向こうに着くように、毎回置手紙だけ残して、電車に間に合う時間には帰っていきますし」

 だから、小夜は日曜の一定時間、他の場所に逃げるだけで彼に会わずに済んでいる。平日、仕事を休んでまでこちらに来ようとか、電車を逃しても小夜を待ち続けようとか、そういう発想は、おそらく裕也にはないのだ。

「それはそれで、気味が悪くねえか」

 にょん吉くんがちょっと引いている。母親や友人に言わせると、「真面目で誠実」な裕也の行動が、このウサギにかかると「気味が悪い」と一刀両断だ。その差が可笑しくて、小夜はぷっと噴き出した。

 にょん吉くんのようなタイプには、多分、裕也のような人間が理解できない。裕也も同じように、にょん吉くんの、周りにどう思われようが気にしない自由奔放さや傍若無人さを、永遠に理解できないだろう。

 ……でも、そういうものなのかもね。

 人と人の間には、いつだって暗くて深い河が横たわっている。それを飛び越すのは、きっと容易なことじゃない。ひょっとしたら、不可能なことなのかもしれない。

 実の親子でも、長く付き合った恋人同士でも。

 それは少し気が楽であることと同時に、少し寒々しいことでもあるけれど。

「とにかく、特に変わったことはねえんだな」

「そうですね、前進も後退もしない感じですね。面白い内容じゃなくてすみません」

 期待に沿えず申し訳ないと謝ると、にょん吉くんは、ふん、とそっぽを向いた。

「別に、それならそれでいい」

 つっけんどんな言い方と共に、掴まれていた腕が、そこでやっと解放された。モコッとしたピンクの手が離れていく時になって、ようやく、おやと思う。


 ……もしかして、にょん吉くん、私のことを心配してくれてたの?


「あり」

 ありがとう、と礼を言おうとしたが、その言葉は子供たちの歓声によってかき消された。

 突然持ち場を離れたにょん吉くんに、最初ぽかんとしていた子供らが、今になって興味津々でわらわらと駆け寄ってきたのである。あっという間に、小夜はピンクのウサギもろとも背の低い子供たちに周りを囲まれることになった。

「にょん吉くん、この人だれー?」

「にょん吉くんの彼女おー?」

「彼女なのに、どうしてウサギじゃないのー?」

 激しくズレているような、しかしもっともだと思うような質問を、あちこちから投げかけられた。目をキラキラさせた子供たちは興奮しきっていて、小夜は「あの、違うよ?」と慌てて否定したが、その声も届いているかどうか怪しい。

「おねえさん、にょん吉くんのこと好き?」

「…………」

 無垢な瞳をした女の子に、真っ向から質問されて戸惑う。

「うーん、嫌いではないけど、特に好きでもない」

 正直に言ったら、ピンクの手に頭をはたかれた。本ウサギは軽く叩いたつもりなのかもしれないが、分厚くて大きくて重量がある分、けっこう痛かった。

「嫌いじゃないんだって」

「でも好きでもないんだって」

「どうでもいいって感じ?」

「どーでもいーんだー」

「にょん吉くんかわいそう」

「かわいそーだね」

 子供たちがひそひそ話して、一斉に憐憫の目をにょん吉くんに向ける。子供の手前、にょん吉くんは喋らなかったが、いかにも腹立たしそうに地団駄を踏んだ。今にも、うるせえよ! と怒鳴りそうで、小夜はハラハラした。

「ちょっとちょっと、何してんですか」

 そこへ、法被姿の役場の男性が割って入った。何してんですか、というのは子供や小夜に向けて言ったのではなく、にょん吉くんに向かって言ったものらしい。どうして丁寧語なのだろう。

「勝手な行動しないでくださいねって何度も……早く行きますよ! じゃあね、にょん吉くんはこれで帰るね! また来週! もうすぐ武将隊が出てくるからね!」

 後半は子供たちへ向けて、男性は早口にそう言うと、ウサギの手をがしっと掴んで、逃げるようにその場から彼を引きずって去っていった。



          ***



 武将隊のショーをいつもと同じように離れたベンチに座って見ていたが、にょん吉くんはこの間のようにその場所にはやって来なかった。

 さては、あの法被姿の男性にガミガミ叱られているな、と小夜は推測した。いつもウサギの暴走に手を焼く男性に対する同情はあるが、叱られてもふてくされて開き直るにょん吉くんも簡単に頭に浮かんで、笑いだしそうになる。

 ショーが終了し、トークも撮影会も終わっても、にょん吉くんは姿を見せなかった。

 もう帰ったのかもしれない。小夜もベンチから立ち上がり、一気に人が少なくなってがらんとした中を、ぶらりと歩き出す。

 どこで時間を潰そうかなあ、と考えた。家の周辺まで行って、帰ろうとしている裕也とバッタリ遭遇してしまったりしたら最悪だ。いつもは家とは逆方向に向かって、コーヒーを飲んだり買い物をしたりするところだが、今日はあんまり気乗りがしない。

 ふと、資料館のほうに行ってみようかな、と思いついた。

 祖父が働いていた時までは、用事もないのに何度か顔を出して時間を過ごしていたところだが、辞めてからはほとんど行っていない。ましてや祖父が亡くなってからはなおさら一度も行っていない。あそこは、染み込んでいる思い出が強すぎて、とても平常心でいられる自信がなかったからだ。

 でも、小さい頃から通った場所で、懐かしさや愛着は今も変わらず深くある。あそこに展示されている巻物や武具の数々は、今でも鮮明にひとつひとつ覚えているほどだ。行ってみようかなと思い立った時点で、求心力に引っ張られるようにして勝手に足がそちらに向いた。

 とにかく建物の前にまで行って、中に入るかどうかはその時に考えよう。

 そう思いつつ歩いていくと、資料館の入口に、一人の男性が立っているのが目に入った。

「……?」

 紺色のスーツを着た男性は、ズボンのポケットに片手を突っ込んで、透明なドアの前でじっと立っている。小夜からは後ろ姿しか見えないのでよく判らないのだが、資料館の職員というわけではないようだった。ここの職員は、すべて六十代から七十代のお年寄りだ。けれどそこにいるのは、髪の毛が真っ黒で、腰もぴしゃんと真っ直ぐで、どう見ても若い。二十代……あるいは、三十代。

 その人物は中に入るでもなく、ドアの手前でただ立っているだけだった。入ろうか入るまいか迷っているようにも見えるし、考え事をしているようにも見えるし、ドアの向こうの展示物をなんとか盗み出せないかと悪事を企んでいるようにも見える。ますます疑問になって、小夜はそろそろとその人物の近くまで寄っていった。

 近づくにつれ、彼はかなり大柄な体格をしていることが判った。太っているわけではないが、細身というわけでもない。がっしりとして、非常に背が高い。

「…………」


 ──これに似た人、最近見たな、と小夜は思った。


 この高さ、この大きさ、そして雰囲気。普通に立っているだけなのになんだかちょっとふんぞり返っていて、なんとなくふてぶてしい感じが伝わってくるというか、微妙に態度の悪さが見て取れるというか。

 見たなあ、こういう人。

 最近、ていうか、今日。

「こんにちは」

 後ろに立って声をかけると、あ? という感じで振り返った男性は、小夜の顔を見て、明らかに表情を引き攣らせた。

 いかにも鋭い視線を放ちそうな吊り上がり気味の眼が、宙を泳ぐ。締まった顔つきはなかなか男前ではあったが、への字に結ばれた愛想のない薄い唇のせいで、格好いいというよりも、素っ気なく刺々しい印象のほうが先に来る。

 彼は、一拍の間を置いて、ぱっと小夜から顔を逸らした。

「人違いです」

「まだ何も言ってませんよ」

「知りません」

「自分で墓穴を掘ってるとは思いませんか」

「あんたと俺とは初対面」

「そうですね、人間のにょん吉くんとは」

「…………」

 はあー、と大きなため息をついて、男性は小夜のほうに正面から向き直った。

「……なんでバレた?」

 にょん吉くんの中の人は、可愛いニコニコ顔とは程遠い苦々しい顔で、そう言った。




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