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 小夜の住む町には、戦国時代の古戦場跡がある。

 行われた戦は歴史上あまり重要なものではないらしくて、社会や日本史の教科書をひっくり返しても、どこにも載っていない。歴史に詳しい人でも、戦の名前を聞いただけではピンとこない。戦った武将も三英傑のように名の通った人物たちではなかったため、話したところであまり興味も持ってもらえない。

 そんなないない尽くしの古戦場跡であるので、公園と小さな資料館は併設されているものの、そこは長いこと、近所の子供とそのママたち、あとは社交の場を求める老人たちくらいしか、訪れる人はいなかった。このまま放っておけば、いずれゆるゆると朽ち果てていくのではないかと危ぶまれるくらい、ずっと存在感を感じさせず、その古戦場はひっそりとそこにあった。

 しかし昨今の武将ブームを見て、町のお偉いさんか誰かが、これはイケると思ったらしい。ここに来てくっきりと方向転換を打ち出し、この場所を、他には特に史跡も面白いものもこれといった特産品もない町の、観光ポイントにしようと力を入れ始めた。

 つまり何をしたかっていうと、町の近隣からそれなりにイケメンな若者たちを集め、彼らに武将のコスプレをさせ、毎週日曜日、古戦場でイベントやパフォーマンスを行わせたのである。

 ありがちだ。

 それでもまあ、役場の広報課がせっせとポスターを作ったり、ホームページでさかんに宣伝した甲斐があって、徐々にだが、若い女の子たちがきゃあきゃあと歓声を上げながら集まるようになった。古戦場公園も綺麗に整備したので、カップルや家族連れなども訪れるようにもなった。寂れた古戦場跡は一気に活気を取り戻し、今のところ、町の取り組みは大成功を収めつつある。

 そして最近。

 あらゆる客層に対応するためか、武将隊だけでなく、町のマスコットキャラクターであるショッキングピンクのウサギの着ぐるみが、日曜日ごと、この場所に現れるようになった。

 名前を、にょん吉くんという。

 ──にょん吉くんは、非常に態度の悪いウサギだった。



          ***



 日曜日のうららかな昼下がり、小夜はベンチに座り、武将たちが戦うのを、ぼんやりと眺めていた。

 オモチャのような刀や槍を振り回し、アクションを起こすたび、周囲の女の子たちから、きゃあっという黄色い声が湧き上がる。鎧姿のコスプレも、あれはあれで結構な重量があるということだったから、イケメン君たちも大変だ。

 しかし声援に押されてか、武将隊も頑張って熱演している。周りを取り囲んで楽しそうに見学しているのは、女の子ばかりではなく、カップルや親子も多くいる。その場所から十数メートル離れた後方のベンチには、頬杖をついた小夜がぽつんと座っているくらいで、他には誰もいなかった。

 喧騒から距離を置くと、改めて、自分のいる場所が静かであることを実感させられることがある。甲高い声や笑い声ははっきりと耳に届くのに、薄い壁でも隔てているような気分になるのだ。熱気と高揚はすぐそこにあるけれど、自分自身は静寂の中を一人で漂っているような感じ。小夜はこういうのが嫌いではなかった。

 暦の上ではもう春に入っているが、風はまだ冷たい。でも、顔にあたる陽射しは柔らかくて暖かい。

 そんな、半分魂が抜けかけたような、ボーッとした状態でベンチに座っていたら、

「あんたはアレを見に行かないのか」

 と、隣に座ったウサギが、そう声をかけてきた。


 もう一度言う、ウサギが。


 ──話しかけてきたのは、くりっとした愛嬌のある真ん丸い瞳に、二本の前歯を飛び出させてニコニコとした笑顔を浮かべている、ショッキングピンクのウサギだった。

「…………」

 小夜は数秒間黙って、まじまじと隣のウサギの着ぐるみを見つめた。

 それから周囲に視線を巡らせる。幸い、なのかどうか、武将隊のパフォーマンスを見ている観客たちは、後ろを振り返ることもしなかった。そこから離れた場所にあるベンチに、女の子と並んで腰かけるピンクのウサギにも気づいていないようだ。

「……あの、ウサギがそんな風に話しかけてきていいんですか」

 声を潜めて訊ねたら、ああ? とウサギが横柄な声を出してこちらを向いた。顔はニコニコしているのに、ヤンキーのようにガラの悪い言い方だった。しかも音量もまったく普通で、周りを憚って話す小夜のほうこそが、後ろ暗いことをしているような気分にさせられる。

「なんで。いいだろ別に。近頃は話すやつもいるじゃねえか。梨だって喋るのにウサギが喋って何が悪い」

「にょん吉くんは無口なキャラだったと思いますけど」

 キャラクターの中には、稀に喋るのもいるが、喋らないほうが大半だ。小夜はこれまで何度かこの場所でにょん吉くんを見ているが、喋っているのを見たことがない。付き添いというか介助役というか、とにかくそんな役割を担っているらしい町役場の法被を着た男性が一緒にいて、握手会でも写真撮影会でもそちらの男性が仕切り、にょん吉くんはいつもただひたすら黙って仕事をしていた。

「中にいるのは人間なんだから、喋ろうと思えば喋るんだよ」

 全国の子供たちの夢を一瞬でぶち壊すようなことを、にょん吉くんは堂々と言い放った。

「それに、今は休憩中だ」

「はあ……」

 小夜はなんとなく曖昧に相槌を打つ。休憩中、と言うだけあって、にょん吉くんの態度はあからさまにダレている。ベンチの背もたれに両腕を投げ出しどっかりと体重を預けて足まで組んで、これで煙草でもあれば、いかにも一服して煙を吐き出しながら、チッ何か旨い儲け話でも転がってねえかな、とでも呟きそうなやさぐれ具合である。外見は可愛いピンクのウサギなのに。

「でもこんな所で休憩してたら、怒られるんじゃありませんか?」

「誰に」

「えーと、誰か……責任者みたいな人に」

 だってウサギだし。一応、町のマスコットキャラクターだし。子供たちも多分、こんなやる気のないウサギは見たくないだろうと思う。

「いいんだよ、怒らせとけばよ」

 けっ、というようににょん吉くんが吐き捨てる。どうやらにょん吉くんは、現在、反抗期真っ只中のようだ。公式での年齢は「ヒミツ」となっていたはずだが、きっと中学生くらいなのだろう。

「大体、俺にこんな仕事を押しつけるほうが悪い。まったくなんで俺がこんなことしなきゃいけねえんだ」

 ウサギの世界も、いろいろ大変であるらしい。

「ガキはまとわりついてくるしよ。邪魔くせえんだよ。歩きづらいし、蒸れて汗だくになるし、中は臭えし」

「…………」

 ぶつぶつと不満を零し続けるにょん吉くんの姿に、小夜は我慢しきれず噴き出してしまった。動きのないニコニコ笑いを貼り付けながら、ウサギがむっとした声を出す。

「なんだよ」

「いや、にょん吉くんて、ホントに態度が悪いんだなあと」

 普段は喋らないにょん吉くんだが、喋らなくても、やっぱり態度は非常に悪い。

 歩いている時に握手を求められても無視。写真を撮ろうとスマホを向けられればモコモコのピンクの手でレンズを塞ごうとする。子供たちが寄ってたかって抱きついて来たらふるい落とし、後ろからふざけて蹴りを入れられたりしたら本気でやり返そうとする傍若無人っぷりである。一緒にいる男性のほうが慌てて止めたり謝ったりしているのを、小夜はこれまで何回か目撃している。

 そういうわけで、にょん吉くんは、子供たちからはちょっと怖れられ、女子高校生たちからは「あの無愛想ウサギちょーウケるー」と変な人気を博しているという、奇妙なマスコットキャラなのだった。

 今までは遠目で見ているだけだったのだが、こうして近くで話してみると、本当にその通りなのがなんだか可笑しい。ウケをとるためにキャラを作っているわけではないにょん吉くんは、ある意味、裏表のない性格なのだろう。外見と中身は相当違っているようだが。

「ふん」

 と面白くなさそうに、にょん吉くんはそっぽを向いた。小夜もそれ以上は特にウサギとの会話も思いつかないため、再び視線を賑やかな前方へと向ける。

 もうすぐで武将たちの戦いも終了するようだ。これが終わるとトークショーがあって、希望者とのツーショット撮影会などがある。これまた何度も見ているので、そういった流れをいい加減小夜も覚えてしまった。


「あんたはアレに興味があるわけじゃないのか」


 もう一度、同じような質問をかけられた。

 隣を見ると、ピンクのウサギのニコニコ顔がこちらを向いている。いや、ウサギの顔は向けられていても本当にこちらを見ているのかは定かではないのだが。大体、あちらの視界がどういうことになっているのか、小夜にはまったく判らない。

 でも、だからちょっと気軽になれるのかな、と小夜は考えた。たとえぶしつけにジロジロ見られているとしても、それがウサギであれば意外と気にならない。このところ、対人関係がひどく億劫になっていた小夜だったが、相手がウサギだと思うからこそ、こうしてリラックスして隣同士で座っていられるのかもしれなかった。

「武将隊ですか? うん、そうですね、別に、特には」

「けど、しょっちゅうここに座って見てるだろう。ほとんど毎週あんたのこと見るぞ。よっぽどあいつらが好きなのかと思えば、いつも興味なさそうな顔をしてるし」

 あらら、バレてたか、と小夜は内心でこっそり舌を出した。

 そういえば、武将隊のイベントがある日曜日には、にょん吉くんもやって来ている。小夜が態度の悪いにょん吉くんを見慣れてきたのと同様、いつも離れたベンチで、はしゃいだり騒いだりするわけでもなくじっと座っている小夜のことも、にょん吉くんから見えていたとしても不思議はない。

「武将隊を見に来ているわけじゃないんです」

「なんだ、目当ては俺か」

「いや違います。私、子供でも女子高生でもないし」

「いくつだ」

「二十六ですね」

「そうか、ちょうど俺と釣り合うな」

 何がどう釣り合うのか意味が判らない。精神年齢中学生くらいのこのウサギは、一体何歳なのだろう。

「ただ、この古戦場が好きなんですよ。昔から、祖父とよく遊びに来ていたところだし」

「じいさんとか」

 ウサギはそう言って、ふいと顔を動かして、前方の人だかりに向けた。武将たちが戦いを終えて拍手が起きていたが、それについて何かを思っているのかどうか、そのとぼけた横顔からはもちろん何も推し量れない。

「家がこの近所なので、ちっちゃい頃からここを遊び場代わりにしていたんですよね。祖父は若い頃から歴史小説が大好きで、ここであった戦いのことも、自分でよく調べたりしていたんです。だから私を連れてきては、あれこれとウンチクを垂れたりして」

 昔、祖父と一緒に来ていた頃のここは、人がいなくて静かで寂しげであちこちが荒れ放題で、ただの野原とほぼ変わりないようなものだったが。

 ……それでも、小夜はいつだって、大好きな祖父と一緒にいることが嬉しかった。

「祖父は普段、あまり話さない人だったんですけど、ここに来ると人が変わったように目を輝かせてぺらぺら話すんですよ。大昔の、あったかどうかもよく判らないような戦のこととかね、戦国時代の武将のこととか。祖父は、定年後、ちゃっかりここの資料館に再就職したんですけど、身体を壊して仕事を辞める数年前までは、資料館を訪れるお客さんを捕まえて、なんだかんだとお喋りしていたみたいです」

 小夜は言いながら、目を細めて、敷地内の端にある資料館を見た。二階建ての、灰色で四角い、素っ気ないくらいの小さな建物だ。

 祖父があそこで働いていたのは、まだここがこんなに賑やかになる前だったから、資料館に来る人なんて、せいぜい一日に二人か三人くらいがいいところだったと思う。それでもやっぱり、世間には祖父のような歴史好きな人というのがいるらしくて、そういう常連さんたちと楽しくやっていたようだった。

 にょん吉くんも黙って資料館のほうに目をやっている。口をきかなければ、このウサギは愛らしい。

「その祖父も、一年前に亡くなったんですけど」

「……ふーん」

 つっけどんに返事をして、ウサギがまたこちらを向いた。

「で、死んだじいさんを偲んで、毎週のようにここにやって来るわけか」

「それもありますが」

 一瞬迷って口を噤んでから、まあいいかと開き直った。相手はピンクのウサギだしね。


「──元カレから逃げるため、という理由もあります」


「…………」

 にょん吉くんはしばらく身動きせずに、小夜をじっと見つめたままだった。いや、本当に見ているのかどうかは不明なのだが、つぶらな瞳はまっすぐこちらに据えられている。

「元、カレか」

「三カ月ほど前、別れたんですよ」

「それはおめでとう」

「いやおかしいです、その返し」

「この世界のリア充はすべて不幸になるといい」

「可愛いピンクのウサギが呪いの言葉を吐くのはやめましょうよ」

「可愛い言うな」

 にょん吉くんは途端に不機嫌になった。態度も性格も悪い上に、ワガママなウサギである。

「別れたはずなんですけど、あっちはまだ別れてないって言い張ってて。毎日のように電話されるのもキツいんですけど、会社が休みの日に家に押しかけてこられるのはもっとキツいんです。だからこうして」

「避難している、と」

「そうですね」

 にょん吉くんがまた黙る。ハッピーハッピーと今にも歌いだしそうな無垢な笑顔に、急にバツが悪くなった。

「嬉しそうにニコニコするのやめてもらえません?」

「しょうがないだろう、こういう顔なんだ」

 顔は笑いながら、声だけはむっつりさせて、にょん吉くんが言った。

「要するに別れ話がこじれて、相手がストーカー化してるってことか」

「ストーカー、ってわけではないですよ。すごく優しい人で、私、彼には怒られたこともないし、喧嘩をしたこともないんです」

「そういうのがキレると怖いんだ。俺が追っ払ってやろうか」

「にょん吉くんが?」

「謝礼はもらうぞ」

「有料ですか」

「俺に善意なんていうものはない」

 にょん吉くんはこれ以上ないくらいきっぱりと断言した。夢の世界に住んでいるような姿をしているのに、彼はかなり現実的で、おまけに拝金主義でもあるらしい。

 ふう、とため息をついて、小夜はちょっと下を向き、ぼそっと言った。

「……まあ、もうちょっと時間を置けば、彼も冷静になるんじゃないかなと思うんですよね。だから、それまではこうして逃げて時間稼ぎをしていようかなと」

「甘えよ。そういう野郎は絶対ねちっこいから、なかなか諦めねえぞ。別れた理由はなんだよ。どうせ、他に好きな男が出来たとか、飽きたとか、そういうことだろ? そんなもん、いくら時間を置いたところで、そうそう話し合いなんかで決着つくようなもんじゃねえんだよ」

 無邪気な顔をしているくせに、男女交際のベテランのようなことをのたまうにょん吉くんに、小夜はくすりと笑う。

 まるで恋愛相談みたいだ。

 ──どうして自分は、このウサギに、こんなことまで話してしまっているのだろう。

「理由は浮気です」

「じゃあ慰謝料でも払ってやれ」

「あっちの浮気です」

「…………」

 これまでふてぶてしいほどに落ち着き払っていたにょん吉くんが、言葉に詰まった。

 小夜は自分でもよく判らないその事実に首を捻りながら、ウサギに向かって問いかける。

「……彼が、会社のバイトの女の子と浮気をしたんです。それを告白されたから、じゃあ別れようって言ったのに、ぜんぜん納得してくれないんです。これって、変ですよねえ?」

 それとも、それを変だと思うのは、小夜だけなのか?




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