06
車から降りて、校門の前に立つ。校舎に続く道を歩いていると、散った桜がいたるところを薄く色づけているのが見えた。
ゲームの始まりもまさにこんな感じだったと思い出す。
「五夢ちゃん?」
私の腕を誉が掴む。気遣うような声音だ。
「ふらふらしてる。やっぱりもうちょっと休んだほうがよかったんじゃない?」
「大丈夫だよ。熱ももうないし」
早く治さなければと焦った末、逆に悪化させてしまい、入学式からもう四日が経ってしまっていた。体調は万全とはいかないものの、長く休み続けているわけにはいかない。
それに具合が悪くてふらふらしているというのは誉の勘違いだ。
私は彼女を探していた。時間はちょうど通学ラッシュで、生徒が大勢昇降口へと向かっている。こんな中で一人の、しかもまだ会ったことのない女子生徒を見つけようとするだなんて、大方無駄な努力だろう。
「五夢ちゃんのクラスは二組。西棟の三階だけど、場所わからないよね?」
「うん」
自分の下駄箱を探しながら返事をする。
「ついていくよ。俺は六組。西棟の二階。何かあったらいつでもおいで」
「わかった」
また誉とは違うクラスだ。予想はついていたけれど、少しだけ落胆する。中学校に入学してから、一度も同じクラスになったことがない。
「そういえば、春日と折笠も二組だったよ」
春日晴陽と折笠裕初はどちらも私の友達だ。特に、晴陽は去年も同じクラスだった。
「嬉しそう」
「うん」
心強い。中等部からの持ち上がりとはいえ、生徒数がそれなりに多いので同じクラスになったことのない人はいっぱいいる。
「誉のクラスは?仲のいい人と同じクラスになれた?」
「俺?そうだな。相良がいた。あとは――」
「俺もいるだろー!」
突然背後から飛びかかられて誉は勢いよくつんのめる。
「五十嵐、お前・・・・・・」
振り返りながら、苦々しくも笑いを含んだ声音で誉が名前を呼んだ。
「だって。織部ってば俺の名前挙げてくれないんだもん。まったく友達甲斐のないやつ」
してやったというように五十嵐が屈託のない笑みをみせる。
なんとなくどきりとする。
誉はあれからいつの間にか五十嵐と親しくなっていたらしい。中等部でも何度か二人が笑いながら話しているのを見かけたことがある。けれど会話を交わす二人の間近にいるのは初めてだ。
「藤城は体調、もう大丈夫なの?」
「うん。ありがとう」
五十嵐と会うのは三月ぶりだ。並んで歩くとちょっと背が高くなったのがわかる。
「俺、入学式の日、織部が一人で登校してるの見て、藤城と喧嘩でもしたのかと思った」
その言葉に誉が笑い声をあげる。
「喧嘩なんてしたことないよ」
同意を求めるように誉がこちらを見る。うんと頷く。
そのやり取りに五十嵐が何かを口にしかけた時。
1-8というクラス表示が目に入った。
目を奪われ知らず知らず歩くスピードが遅くなる。
「五夢ちゃん?」
訝しむ声。
「え?ああ。なんでもない」
1-8は「鳴海花穂」のクラスだ。
「見たこともない人がいたから、・・・・・・高入生なんだね」
「そうそう。一階にある一年のクラスは、ぜーんぶ高入組」
内進生と高入生が同じクラスになるのは二年生になってから。一年生のうちは、進度の違いからクラスは完全に分けられている。先輩から事前に聞いていたことではあるけれど、改めて確認して、その事実に安堵する。
1-8があるのは西棟一階、校舎の一番端。そこまで足を伸ばそうとしなければ、クラスの様子を見ることはできなさそうだ。逆に、西棟の二階、三階にあるのは、一,二年生の教室だけなので、何か関わりでも持たない限り彼女が上に上ってくることもないだろう。
「高入生ってどのくらいいるんだっけ?三クラスだから百人くらい?わー一気に増えたな。俺、人見知りなのにどうしよう!」
「五十嵐が人見知りだったら人見知りじゃない人間なんていなくなっちゃうでしょ」
「やー、そんなこと言われると照れちゃう照れちゃう」
頭を掻いてみせる五十嵐だけれど、照れている様子はまったくない。
そうこう言っているうちに、二組の教室の前まで着いていた。ここまで着いてきてくれた二人に礼を言って別れる。深呼吸をして教室に入ると、親しい顔がいくつもあってほっとする。
「五夢!もう、大丈夫!?会いたかったよー!」
先に教室に着いていた裕初が抱擁で迎えてくれる。
高校入学はじめに休んでしまったことで感じていた不安は、またたく間に和らいだ。
** **
登校一日目はあっという間に終わった。担任の花岡先生は優しそうな女の先生だった。ホームルーム後、欠席していた分の授業のことで心配してくれた先生に呼び出されたけれど、授業開始からそう日数が経っていないためなんとか追いつけそうだ。
部活ももうしばらくは見学期間で、教室で一緒に見学に行く友達が待ってくれている。
職員室から教室に向かう途中の廊下、開いていた窓から花びらが飛んできて目の前を舞う。ふと外に目をやった。
桜並木の花びらの零れ落ちる中、二人の男女が向き合い立っている。少女の太陽の光に透けてた茶色のセミロングが風にそよぐ。少し長めの黒髪に眼鏡をかけた青年が、じっとその様を見つめている。
既視観を覚えて、どこで見たのだろうと考える暇もなくはっと気付く。
目の前で、夢で見たままの光景が再現されている。
それともこれも夢だろうか。
二人の声に耳を澄ます。
「覚えてたの?私のこと」
『覚えてたの?私のこと』
その台詞には聞き覚えがあった。それなら、続く言葉は。
『忘れるわけないよ。だって、大切な……幼なじみだから』
「忘れるわけないよ。だって、大切な……幼なじみだから」
息をするのを忘れてそのシーンに見入る。
気がつくといつの間にか二人は立ち去っており、止めたままになっていた呼吸を思い出して、咳き込む。
大丈夫だ。私はこのストーリーを知っている。
足が震える。
膝から崩れ落ちてしまわないために、自らに諭すようにもう一度繰り返す。
私はこのストーリーを知っている。