03
「五夢ちゃん」
昼休み、誉が訪ねてきた。
彼が私の教室にやってくることは少なくはないけれど、その多くがこのクラスにいる友達に用があってのことだった。だから、教室の扉先で彼が私の名前を呼んだ時、知らず知らず心を躍らせてしまった。だというのに、誉はそんな私の期待まるで目に入らないような話をつなげる。
「放課後ちょっと行ってくるから、帰るの遅くなる」
「うん。・・・・・・教室で待ってる」
「わかった。たぶんそんなに時間はかからないと思うから。ごめんね」
告白で呼び出されたのだろう。
中学校に入って、学年があがるにつれ、こういったことが増えてきた気がする。最初のうちは、不審に思って訊ねていた。誉ははっきりと自分からは何の用事でと言わないけれど、聞けば教えてくれる。何度も繰り返していれば、さすがに聞かないでも彼のにごし方でわかるようになる。
成長期をむかえ、彼の身長はぐんぐん伸びた。同じくらいの高さにあった目線はもうすっかり、大きくずれてしまった。だんだん、夢の中の彼の姿に近づいていってる気がして、なんだか遣る瀬ない。
けれど、周囲はそんな私の気持ちと裏腹に、誉を取り囲む。誉は友人が多いのとは別に、女子にも人気がある。本当は気が気でない。
「織部誉」は今の誉ほど人に好かれてはいなかったと思う。もしそれが、「藤城五夢」が彼を自分のものとして扱っていたためなのだとしたら、私は彼女がとてもうらやましい。
そんなことを思う度に、腹の奥にじんわりと重い何かが積もっていく。
誉は私のものなんだから。
そう言ってまわりたい。けれど、そんな夢の中の彼女のようなことをしていけないとも思う。あんな風にして去っていかれるくらいなら、私は「藤城五夢」になりたくない。
「心配事?」
誉が行ってしまって、自分の机に戻った私にそう訊ねる声がする。
五十嵐翔だ。彼も別のクラスだけれど、ちょうど委員会の用事があって私のクラスで打ち合わせをしていたところだった。
「なんで?」
「だって、そういう顔してたから」
「心配事かな」
「へ~。大変だね」
五十嵐を顔をくしゃっとさせて楽しそうに笑った。
** **
攻略キャラクターの一人と同じ名前、類似した容姿をもつ彼に関わるつもりはなかった。けれど、それがいけなかったらしい。
委員会の会議終わりのことだった。
「そうやって、露骨に避けられてると気になっちゃうんだけど。俺、藤城さんに何かしたっけ?」
他の委員がいる前で正々堂々とそう尋ねられ、私は固まってしまった。
「ほら。やっぱり。ちょー感じ悪い」
五十嵐は文句を言いながら笑った。不思議と嫌味のない言い方だった。
** **
「藤城っておもしろいよね。織部に呼ばれて喜び勇んで会いに行ったと思ったら、しょんぼりして帰ってくるんだもん。わかりやすい」
「五十嵐って、いつもにこにこしているわりにずけずけものを言うよね」
「え?そう?でも、藤城はそういうの案外嫌いじゃないでしょ」
「・・・・・・人気者だからって調子にのらない」
「俺ってば人気者なんだ?やったー!」
五十嵐は「五十嵐翔」にとてもよく似ている。
けれど、ちゃんと生身の人間だ。
話しているうちに彼という人間を知ってしまってからは、夢の中で「五十嵐翔」を見た翌朝、なんとなく後ろめたい気持ちになる。見てはいけないものを盗み見ている気がする。こんな感情を持つ度に、関わらないままでいたかったなと思う。それか、あんな夢見なければよかったのに。
「ふっふっふ。まあ、この俺、だもんね。そりゃあ人気者にもなれるわ」
人前でこんなことを言うような人だけれど、誰とでも壁を作らず喋ることができるので、彼を嫌っている人というのはとんと見たことがない。それは「五十嵐翔」も同様で、彼は「織部誉」とは真逆の人間だ。
「はいはい仕事」
「藤城ってばつめたい!あっ。そういえば、俺さ最初ね」
五十嵐はボールペンで用紙を埋めながら話を続ける。
「うん?」
「藤城って俺のこと、好きで避けてるのかと思ってた」
真面目な顔をしてそんなことを言う。
「あーっ!すっごい嫌そうな顔!失礼だろ!」
「・・・・・・でも、五十嵐はこういうの案外嫌いじゃないでしょ」
「うん!って、あっ!さっきの俺のまね?やだやだ、藤城さんったら。案外まんざらでもなかった?」
「・・・・・・」
「その目、いいね!って、うわっ!冗談です、冗談です」
五十嵐と話すのは楽しいし、彼と話していると気が楽になる。
「でも、自分こと好きかもしれない相手にあの返しはふつうしないでしょう」
「そう。だから最初だけだってば。最初のうちは好き避けなのかと思って、様子を見てたんだけど、なんか違うなって。それで、喋ったこともない子にどうして避けられなきゃいけないのかってむかっとして」
「別に。避けてたわけじゃ――」
「うんうん。じゃあそういうことにしときましょうね。せっかく仲良くなれたんだから」
そう言って、五十嵐はにんまり笑ってみせた。
** **
放課後、部活を終え教室で誉を待っていると、友達と連れ立って歩いている五十嵐の姿が扉の硝子ごしに見えた。あちらも気付いたらしく、友達と別れて、教室に入ってくる。どうやら今日は彼に縁のある日らしい。
「おつかれ。部活終わったところ?」
「うん、そう。あっちい。つかれたー」
五十嵐は額から流れる汗をジャージの裾で拭う。
「バスケ部だっけ?」
「違うよサッカー」
私はその答えに吃驚した。
「え?本当にサッカー部?」
「ん?なになに。イメージじゃない?よく、イメージ通りって言われるんだけど」
「え、いや、うん。イメージ通り、かも。五十嵐はバスケ部って聞いたような覚えがあったんだけど、勘違いだったみたい」
そう返しながら、記憶を探る。「五十嵐翔」はバスケ部に所属していたはずだ。他には。
「ねえ。五十嵐って兄弟いる?」
「いるよ。姉ちゃんが二人」
姉がいたような描写があった気がする。人数まではわからないけれど。
「どうした突然。あっ、もしかしてやっぱり俺に惚れたな~?それで俺のことが知りたくなったとか」
にやにやと笑う五十嵐を見て、少しだけ気が抜ける。
「藤城は何してるの?」
「誉を待ってる」
「あー。なるほどね。そういえばさっき見たよ。告られてた。モテモテだね~」
「う、ん」
思わず、返答の声が硬くなる。
「あれ?知ってたんだ。なあんだ」
「お昼休みに、今日は帰るのが遅くなるって言われたから」
「律儀だねー。別に同じ部活入ってるわけじゃないんだから、どっちにしろいつもどちらかがどちらかの部活が終わるの待ってるんでしょ?言わなきゃ言わないでよさそうなのに」
「――五夢ちゃん」
誉の声だ。扉のところに彼は立っていた。
「あら。王子さまのお戻りだ」
五十嵐が茶化す。
「じゃあお邪魔虫は帰るねー。ばいばーいまた明日」
「うん。また明日」
五十嵐の後姿を見送り、鞄を手に取って歩き出す。
「C組の五十嵐だよね?仲、いいんだ?」
「同じ委員会だから」
「へえ。そうなんだ。初めて聞いた」
そんな話よりも、もっと聞きたいことがある。
「ねえ。誉」
「うん?何、五夢ちゃん」
「どんな子だった?」
そう訊ねると、誉は照れたように小さく呻いた。
「そっか。五夢ちゃんにはもうわかっちゃうんだね。うん、可愛い子だったよ」
「誰?」
「1年の桜井さんって子」
知らない子だった。
こんなこと、聞いていいことじゃないと分かっているけれど、聞かずにはいられない。
「誉は、・・・・・・なんて応えたの?」
声が震えた。
隣を歩く誉の顔は見えない。
大丈夫だ、大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。
彼の吐く息の音さえも聞き逃すまいと、息を止めた。
「――断ったよ」
何の気なしに誉は言った。
その答えに、悟られないように安堵の息を吐き出す。
これまで何度もこの繰り返しだった。
私のものじゃなくてもいい。だから、どうか誰かのものにならないでいてほしい。
こんなの私の我儘だと分かっている。誉のことに関して、私が我慢だと思っていること自体おこがましいことだとも知っている。
それでも、どうしても思わずにはいられない。
ふと、くすりと笑い声がする。
「なんで笑ったの?」
「え?何が」
「誉、今笑ってた」
「そう?気付かなかった」
そう言いながら、彼はまた笑った。