02
年を重ねるうちに、その夢に似た、同じ系統の夢を見るようになった。その夢で私はゲームのプレイ画面を傍観している。「鳴海花穂」という少女キャラクターの視点で物語は進む。ゲームの中には、複数の男子生徒が出てくる。
その内の一人に「織部誉」というキャラクターがいた。右の下瞼にある涙黒子まで同じだ。ゲームに誉が出てくるようになってから、私はみた夢を日記につけるようになった。
インターネットを使って、出てくるキャラクター名を検索にかけてみたけれど、実際に存在するゲームではないようだった。同姓同名の実在の人物が何人かヒットしたけれど、これといった共通点はわからなかった。
ゲームの中で「織部誉」は気弱な優しい美青年として登場する。彼には幼なじみの「藤城五夢」がいる。大企業の会長を祖父に持つ女王様気質の彼女は彼を下僕のように扱う。まるで所有物のように、彼になら何をしたっていいと思っているかのように。彼が少しでも気に入らないことをしようものなら、「あなたのお父さんが職を失ってもいいの!?」と詰め寄る。彼が何も言えないを見て、彼女は満足げに微笑みその場を後にする。それを偶然見かけた「鳴海花穂」が彼に話しかけることで二人は関わりをもつようになる。
「藤城五夢」に抑圧されている「織部誉」は「鳴海花穂」と接して彼女のやさしさに触れ、好意を抱き始める。きっとそうして、あの夢同様「藤城五夢」を切り捨てて、「鳴海花穂」への愛を語るのだろう。
ゲームの進行はまちまちで、シーンが連続しているわけでもない。断片的な一コマ一コマを日記に書き付け、前後を照らし合わせていく。好きな場面を切り取ってみることができるわけでもないから、「鳴海花穂」と他の男子生徒との絡みの夢ばかり続くこともあった。その度に我知らずいらついてしまう。
夢の中の話だ。それもゲーム形式で進んでいく。こんなことを気にするなんて、自分でもどうかしていると思うけれど、気になって仕方がない。この夢がどこからくるものなのかわからない。けれど、誉を失う夢をみるのは相変わらず。
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中学校に入学して、「西園寺統馬」、「五十嵐翔」、「烏丸章人」の名前をクラス分けの表で見つけたときは、心臓が止まるかと思った。いわゆる攻略キャラクターとしてその名前は夢の中で何度も繰り返し登場した。彼らがここに存在するなら。
それなら、「鳴海花穂」まで目の前に現れてしまうんじゃないか。
私は恐怖した。
その頃には、誉を失う憂惧にすっかり心を奪われて小学校ほど彼に対して横暴ではなくなっていた。誉と一緒にいても心落ち着かない。びくびくしてしまう。それでも、誉への独占欲を切り捨てることはできなかった。
あの夏を境に、態度を変え始めた私に、誉が何を思ったのかはわからない。けれども、少しでも私のことを好きになってもらいたい。
だから、あれから私は誉の望みを諾しつづけるしかない。
「五夢ちゃん、」
同じクラスになった西園寺統馬の観察をしていたところで、後ろから声がかかり、私はびくりと震えた。
「何してるの?」
振り返ると、帰り支度を整えた誉の姿があった。
「な、なんでもないっ」
「ふぅん――」
立ち上がり、自分の鞄を手に取ったところで、声がかかる。
「ごめん。これから、笹部の家にみんなで遊びに行こうってことになってて。今日は一緒に帰れない。いい、よね?」
笹部くんというのは、誉と仲の良い男子だ。私たちが通うのは中高一貫の私立の中学校で、家から離れている。本来なら誉は近場にある公立中学に通学するはずだったが、私が祖父に我がままを言って同じ中学校に通わせてもらうことになった。違う学校だと誉のそばにいられない。誉をいつ何時とられてしまうかわからない。
『俺は五夢ちゃんのものじゃないんだよ』
夢の中で幾度も繰り返される言葉。そう言われてしまうのが怖くて、できるかぎり誉を縛らないように気をつけているつもりだけれど、こればかりは譲れなかった。
中学校に入学して以来、距離的なことから学校の行き帰りは誉のお父さん、織部さんに送迎してもらっている。だから、一緒に帰らないのはこれが初めてになる。
「みんな、って?」
「相良とか松風とか、苗代とか」
その中には女子の名前も混じっている。
動揺しながら、自分に言い聞かせる。大丈夫だ。私は「藤城五夢」ほど自分勝手じゃない。それに彼女たちは「鳴海花穂」ではない。
「いいでしょ?」
私の同意を見越して誉が微笑む。彼は以前より自分の望みを言うようになった。それは良いことのはずなのに。
「いいんじゃない」
思いの他、硬い声が出た。狼狽を悟られないように誉から目をそらす。
「――でも、」
「うん?」
引き止める私に、誉が首をかしげる。
「笹部くんの家に行くんだと、織部さんに迎えの二度手間をかけるんじゃないの?」
諦めの悪いみっともない私の言葉に誉はかすかに笑った。
「笹部の家は、うちとそう離れていないよ。自分の足で歩いて帰れる」
「そう、なんだ・・・・・・」
引き止める理由がなくなった私に、誉は手を振って自分のクラスへ駆け戻っていく。
私は鞄をぎゅっと握り締めてとぼとぼと昇降口に向かう。誉のクラスの横を通り過ぎるとき、彼の友人たちの声が耳に入ってきた。
「織部、うちに来れることになったんだ!よかったじゃん」
「へえ。お嬢さま許してくれたんだー」
お嬢さま。誉の友人の一部が私のことをそう呼んでいることは知っていた。そこに誉の声が割り込む。
「その呼び方止めろよな」
「うわーうちの車五人乗りなんだけど乗り切れるかな」
「じゃあ、笹部徒歩ね」
「ちょっ、お前――」
ちらとそちらの方に目を向けると、じゃれ合う彼らの姿が見えた。
大丈夫だ。大丈夫。
まだ、大丈夫だ。
口の中で音にせずに唱えながら、それじゃあ私は「鳴海花穂」じゃなければ、誉をとられないと思っているのかと自問する。「鳴海花穂」の出現を一番恐れているのに、それを信じて疑わない自分自身がわからない。
なんとか織部さんの車までたどり着いて、車に乗り込む。
「五夢さま、お一人ですか?」
その言葉に唇が震える。それを押し殺して何とか言葉を返した。
「・・・・・・誉は、笹部くんのお宅に遊びに行くんだって。帰りは自分で帰ってくるって言ってた」
「そうですか」
織部さんは納得してすぐに車を出した。
鼻の奥がつんとして、帰路中ずっと唇を噛んでいた。
今の誉は、私のいないところで快活な笑みを浮かべて、友人と笑い合う。寂しいけれど、この寂しさを抑える努力が報われるとも限らないけれど、誉が私のそばからいなくなるのが一番怖い私は目を瞑るしかない。