ミカンと梅こぶ茶のこたつ台の上での予定調和のような出会い
漏斗右衛門は貧しかった。
武士と生まれた身としては、没落したお家を何としても再興するという夢があったもののしかし、彼は人を斬るより能がない。
時代は風雲急を告げ、維新だ何だと寧ろ、今の身分すらも怪しくなって来ると云った塩梅だった。
医者の出塀庵先生がいらなくなったと謂って棄てた手術台をこっそり拝借し、その上に嘗ては老中であった亡き父が将軍様より賜ったという家宝、元はかのペルリより送られたという由縁のミシンを設置し、傘繕い屋の看板を出しては見たものの、如何せん持ち込まれるのは唐傘ばかりで微塵も活躍する場が無い。ト、そんな処へ気取った若い衆がコウモリでも引っ掛け入って来た日にはそれこそ、新鮮な驚きと云った具合なのだが世の中それほど甘くはない。
膠と油紙を買うために思わず質屋に売っ払って仕舞おうとした事もあったそんなミシンであるが、此の重い鉄塊を引きずって行った質屋の番台では一体、此れが何をする為の機械なのか結局誰も分からず値がつかなかった。
焰の消えかけた火鉢に手を押し付けながら、漏斗右衛門はとうとう文句の一つでも言いたくなるのだった。
「ああ隙間風が身に染みるのう。いやしかし武士は食わねど高楊枝じゃて」
粉雪の舞う、まち外れのおんぼろ屋敷に、大きな苦沙味が鳴り響く。
そんなおり、何処かで聞いた声がする。
「旦那ァ、旦那ァ。事件ですぜ!」
此ら辺りを仕切っている十手持ち多利親分の、下っ引で只兵ェと謂う男が縁側から障子を開けて入って来た。
「いやぁお邪魔様です。へぇ、上がっても?」
多利とは昔から性質が合わず、会えば仲違いばかりしていたのだが、この男只兵ェだけは何故か漏斗右衛門に懐いており、
「うう寒い寒い、いいから早く閉めぬか」
「いやぁ、寒いどころじゃありませんぜ旦那ァ。おっ、消えかけてらァ」
ぬけぬけと上がり込んできた只兵ェは、炭団袋をはたいて残り少なかった炭を勝手に全部注ぎ込むと、股火鉢にしがみつく。
「くゥー、生き返るぜぇ。アッチチ」
安物の炭がはぜて火の粉が舞い上がる。漏斗右衛門は穢れものを見る目で、
「それで、何が大変なんじゃ」
「そうそう、それですァ。また殺しなんですがね、仏さんの死に方がもう、尋常じゃないんでェ」
此のように面倒な事件がある度に、漏斗右衛門の腕を頼ってやって来るのであった。
「ほう、尋常でないとな。勿体ぶらずにはよう言いなさい」
「そりゃア奇麗すッぱり、西瓜でも割られた見てェにもう真っ二つ。おぉ怖い」
只兵ェの謂うには、殺された男は街へ出てきた美濃の木こりだったとの事。
「何で木こりなんぞが江戸におるんじゃ?」
「何でも背負子一杯に乗せた薪を売って山から正月の餅を買いに、江戸へ降りてきたって謂うんですがね」
「誰が?」
「木こりの泊まった宿の女将がそう証言ってまさァ」
漏斗右衛門は頚を捻って「怪しいのう」と呟くと床の間の脇差しを取ると立ち上がった。刀はとうに質流れだったのだ。
「只兵ェよ、今からそこへ案内してもらおうか」
「がってん承知の助でさァ」
「いらっしゃい」
件の宿に着くと若い女将が二人を出迎えた。
「旦那がた、今夜は休んでいかれるんでしょう」
「それがそうじゃないんでさ」
と只兵ェが頭を掻く。
「ここで殺しがあったそうだが、それについて四三、聞きたい事があってのう」
袂に腕を入れて組みながら、漏斗右衛門は女将に訊ねた。
「木こりの素姓についてだが…」
言い掛けた漏斗右衛門の言葉を遮って、女将は袖を引っ張った。
「まァそんな寒い所で立ち話も何ですから、どうぞ中へ入っておくんなさい。丁度、客間が一つ空いたところだったンです」
部屋に案内されると女将は一旦引っ込んだ。
「すぐにお茶を用意しますから」
客間には火燵が用意されていて、ご丁寧にもその上に籠に入った蜜柑が備えてある。
「こいつァいい、一個頂いて行きましょうかね」
「やめんか、行儀の悪い」
「へっへ、別嬪な女将さんでがしょう」
ニヤついている只兵ェをたしなめていると茶が来た。
「ほう、コブ茶ですかな」
「ええ、梅コブ茶ですの」
香りを嗅ぎ、湯呑に口を付ける。その刹那、漏斗右衛門は立ち上がって腰の脇差しを抜きはなった。
火燵に入ろうとしていた只兵ェは後ろへひっくり返る。
女将は襖を破り、廊下の角に跳び下がった。
「さては、忍かッ!」
宿で激しい戦闘が始まった。
そしてようやく女将を倒し戻ってみると、只兵ェは火燵の角に頭を打つけて泡を噴いたまま転がっていた。
億劫そうにそれを起こすと漏斗右衛門は何があったかを説明した。
「この女将が実はくノ一での、木こりも間者であろう。恐らく裏切ったくノ一を成敗しに来て、返り討ちにあったというところじゃ」
床には棒と円月輪が転がっている。
「この得物を跳ばして、木こりを真っ二つにしたのじゃろうな」
多田は呆気にとられた顔で訊く。
「でも、何で分かったんです?」
「美濃くんだりから木こりがこの江戸にまで来るわけがなかろう。少し考えたらわかることじゃ」
「流石、旦那ァ」
ト、只兵ェは火燵にあった湯呑に手を伸ばす。
「オットそれは!」
只兵ェはうっかり飲んでしまった毒コブ茶の所為で下痢が半月ほど止まらなかったと云う。
とっぺんぱらりのぷう
次回 紫流の剣
シリーズ第二段 タイトル未定
発端は盗まれた煙管の行方だった。
これは本当に煙管なのか? 謎が謎を呼び漏斗右衛門に残された時間は歪んで行く。
そして九十九里に打ち上げられた半魚人、目黒でうっかりそれを食べてしまった将軍に、とんでもない異変が!
戸惑う人々!! 震える大地!!!
そして江戸城は財宝を積んだまま空高く浮かび上がってゆく…
終焉を迎える江戸の世に、迷いを断ち切るかのように漏斗右衛門の脇差が振われる。請うご期待!