世界の過失
[Jan-08.Sun/21:30]
警戒態勢だった朱雀が白鬼夜行の小さな身体を足で掴み、翼を広げて飛び立とうとした時。
ダッ!
雑木林に身を潜めていた行灯陰陽とその式神・白虎が飛び出した。一人と一匹は左右に分かれ、朱雀を挟み撃ちしようとしている。
どちらを先に蹴散らすか迷った末、朱雀は行灯陰陽に向かって火炎吐息を吐き出す。
「地柱!」
ガリガリガリ、と急ブレーキを掛けて砂埃を巻き上げながら、行灯陰陽が叫ぶ。
すると、まるで盾の様に地面が盛り上がり、巨大な柱が地面から生えてきた。火炎吐息を受け止めた柱の陰から飛び出した行灯陰陽の姿が、その場から消える。瞬歩だ。
翼を生やした白虎が朱雀の喉元に喰らいつき、行灯陰陽は白虎の背中に急に現れ、それを足場に上に飛び、朱雀の頭上を捉えた。
「シッ!」
投げた儀式用ナイフが朱雀の頭頂に刺さる寸前、悶えた朱雀が白虎を振り落とす反動でナイフを弾く。
少女は舌打ちしながらも、朱雀の背に降り立つ。
「なら、直接叩き込むまで!」
新たに呪符の刺さったナイフを取り出し、それを朱雀の首筋に突き刺す。朱雀が嘶き、翼をはばたかせた衝撃だけで行灯陰陽が宙に放り出される。
呪符にはサンスクリット語で『封魔』と書かれていて、魔物の力を封絶したり魔力の供給を絶つ力が込められている。
「やりました、雷双槍!魔力の供給路を絶ちました、これで朱雀は火炎吐息が使えません!」
空中でクルリと回転し、見事に着地した行灯陰陽が嬉々として叫ぶ。
朱雀が首をねじ曲げ、背後の行灯陰陽を見つめる。
雑木林からの返事がない事は分かっている。雷双槍は段取り通りの罠を張り巡らせているのだから。
今の行灯陰陽は、物音などで注意が逸れない様にする為の囮だ。
「大鳥!」
朱雀がよたよたと行灯陰陽に振り向いた瞬間、ずっと空で待機をしていた大鳥が、隼の様に高速降下し、朱雀に体当たりを喰らわせた。更に腿に白虎が喰らいつく。
『キュイィィィィィ……』
悲しそうに、朱雀が鳴く。
それを聴いた行灯陰陽の心がチクリと痛んだが、あえて気にしないよう努める。これは敵だと言い聞かせながら。
罠完了の予定時間まで、あと五分。
それまで時間を稼げばいい。倒せればそれで万々歳となる。
「さて……それでは少し、世にも楽しい人形劇の始まりますよ」
ビビッ!
二枚の呪符を取り出し、それを放り投げる。
「青龍、玄武」
呪符が光り輝き、それは青い龍、黒い亀の姿と化していった。そのどれもが、背中に翼が生えている。
龍はまだしも亀の甲羅に三対六枚の純白の翼が生えている姿は滑稽としか言いようがない。
「赤の式が使われた以上、式が使えないのは残念ですが……まぁ、三神獣が喚び出せただけでもよしとしましょう」
挑発的に嘲笑う少女だが、その頬を一筋の汗が伝う。笑顔もどこか辛そうだ。
方式のまるで違う術式を使う者の代償である。
あと五分。あと五分で、雷双槍の策とやらが完成する。
「行きなさい」
青龍と玄武、そして白虎と大鳥の四匹が一斉に朱雀に襲いかかる。
行灯陰陽はその光景を虚ろな目で眺めながら、両の指を複雑に組む。印を次々と組み替えながら、
「アーリャ アワローキテーシュワラ ポーディ サットゥウォー ガンビーラーヤーン プラッキャーパーラミターヤーン チャリャーン チャラマーノー ウィヤワロー カヤティ スマ パンチャ スカンダー ターンシュ チャ スワバーワ……」
サンスクリット語訳の般若心経である。
少女は原文を詠唱しながら、次々と印を結び続ける。暗号魔術である。
本来は文中に暗号化された言葉を紡ぎ合わせて魔術の行使を行うのだが、これにはちょっとした裏技がある。
それが今、行灯陰陽が行っている、全文の暗記である。
どこかに存在する暗号も、全く意味のない駄文も含め、全てを唱える。この方法は暗号の解読をするよりも安全性があり、確実なのであるが、少女がわざわざ面倒くさいこの方法を行っているのには、理由があるのだ。
――彼女には、魔術の才能がない。
正確に言えば暗号魔術の解読の才能がない。
陰陽術の式神召喚とラテン魔術をサンスクリット式に改良しただけの詠唱魔術しか出来ず、それすらも血の滲む努力を積み重ね、幼い頃から周囲の同期の何倍もの訓練を重ねて並以上の実力にようやくなれたのだ。
少女は常に、努力のみを追究してきた。
「シューニャーン パッシュヤティ スマ イハ シャーリプットゥラ ルーパン シューニャター シューニャタイワ ルーパン ルーパーン ナ プリタック シューニャター シューニャターヤー ナ プリタッグ ルーパン ヤッドゥ ルーパン サー シューニャター ヤー シューニャター タッドゥ ルーパン……」
印はあくまで魔力の凝縮と修正を促進し、しかし呪文の詠唱と合併しながらだと、これがまた以外と難しい。
そして、これがその修行の集大成である。
印を結ぶ。言を紡ぐ。そして印を結び、言を紡ぐ。この単調な行動をずっと繰り返す。
ユラリ、と。
白虎、青龍、玄武の輪郭が揺らぐ。
それを視界に入れた行灯陰陽の表情が歪み、舌打ちをする。
(あと少し……あと、少し……)
言を紡ぎ印を結び、さらに式神の具現にも精神を集中し、研ぎ澄ませる。
「エーワムエーワ ウェダナー サンギャー サンスカーラ ウィッギャーナーニ イハ シャーリプットゥラ サルワ ダルマーシュ シューニャター ラクシャナー アヌットゥパンナー アニルッダー アマラー ナ ウィナラー ノーナー ナ パリプールナー……」
言は完成した。
印も完成した。
行灯陰陽は式神への魔力供給を絶ち、両手の親指と中指をそれぞれ合わせ、大きな輪っかを作る。式神が呪符に還り、しつこく纏っていた三匹の式神から解放された朱雀が、少女を睨みつける。
「スカンダ クシャヤ マラナ!」
キィィィィィ、という、離陸する飛行機の様な甲高い音が響いた後、
極彩色のレーザーの如き光が指で作った輪の中心から撃ち出された。
[Jan-08.Sun/21:33]
「はぁ!?」
光の筋が公園から伸びて、それはどんどん空を昇り、やがて雲にまで達した。多分。夜なのでよく分からないが。
「なっ、」
そしてそんな光景をもろに目の当たりにしたカナタはと言うと、手にしていたコンビニ袋を持つ手から力が抜け、地面に落とす。吸血鬼と出会ってからは非現実的な事に慣れたカナタだったが、これはレベルが遥かに違う。
公園の入り口に立ち尽くすカナタ。
一刻も早く中を覗きたい。
これは明らかに魔法だ。だとすれば、確実にウィックとやらの関連性がある筈だ。
だと言うのに、中に入れない。
いや、入れないと言うよりは、入りたくならない。どうしても一歩だけが足が踏み込めないのだ。
まるで不可視の力が働いているかの様な、不快感が、胸中に渦巻く。厭な汗がこめかみや額に浮かび、頬を伝い顎から垂れる。
「一体全体……何がどうなってやがる」
凄まじい爆音。木々が伐採される音。聴き慣れた銃声。様々な色に輝くレーザー。これを異常と言わず、何というのか。
カナタは踏み出せない足を必死に動かそうと、公園の入り口前で必死に足掻いていた。
[Jan-08.Sun/21:35]
「(出来た……)」
雑木林中に張り巡らせた罠の数々を確認し、あたしは小さく頷く。
広場の方からは物音が止み、行灯陰陽は大丈夫なのかと少し心配になる。
罠から延びる微重力合成弦を指にくくりつけ、あたしは朱雀の前に立ち、おもむろに空に向けて銃を撃つ。
ドン!
今まさに行灯陰陽に襲いかかろうとしていた朱雀の動きが止まり、ゆっくりと振り返りあたしを視線の中心に入れる。
「さぁ。アンタなんか、サイコロ状に刻んでネギやニンニクと交互に串に刺して、ネギマにしてやるわよ」
朱雀が首を傾げる。言ってる意味が分からないのだろう、あたし自身も何が言いたいのかよく分からない。
「カモ〜ン、小鳥ちゃん」
腕を上げ、クイっと右手の人差し指を二回引く。
やはりよく分かっていないのだろうが、あたしの挑発に応えるかの様に朱雀が一声鳴き、白鬼夜行を踏み潰さない様にこっちに来た。
今気づいたのだが、この鳥、左の翼がない。千切れている、というよりは吹き飛んでいる。
恐らくは先程のレーザーによる怪我だろう。
飛べないというのならこんな鳥、ただの鈍重なショベルカーと大差ない。
バランスが取れないでよろよろと歩いていて、千鳥足という言葉がよく似合う。鳥だけに。
機動力と攻撃力のない巨鳥なんて、ただのいい的でしかない。
(まずは、一つ目)
シュル、と右の人差し指にくくっていた微重力合成弦が外れ、林の中に巻き込まれる。林から『カキュッ』という妙な音がした瞬間、
あたしの背後から目映い閃光と雷鳴よろしい轟音が響き渡る。
テロ鎮圧用非殺傷手榴弾だ。
顔を背ける朱雀に対し、あたしは背中を向けていたから殆ど影響はない。少し、耳がキーンとしているだけだ。
(次)
2、3、4、5。
両手の親指と中指から微重力合成弦が外れ、もの凄い速度で林に引き込まれる。光と音により一瞬怯んだ朱雀だが、生物ではなく霊的な存在だからか、目眩ましにはならなかった様だ。
が、林の中から微重力合成弦の反発力によって飛ばされたスローナイフが計四本、朱雀の胸元に刺さる。嘶き、朱雀が首を振るってあたしを攻撃してくるが、伏せる事で難なく避ける。
シュルン。左手の小指から微重力合成弦が外れる。更にもう一本、ナイフが今度は左舷から飛ばされる。それは朱雀の腿に突き立つ。
シュルシュル。
新たな音。右手の残りの薬指と小指から弦が剥がれ、街灯に照らされてキラキラと光を反射する何かが林から飛び出し朱雀の頭に引っかかり、それはまるでヴェールに見える。
(残り2つ)
左手の人差し指から微重力合成弦を外すと同時に仕舞っていた自動拳銃を引き抜き中腰に立ち上がる。
右舷からナイフが飛び出して朱雀の身体に横から突き刺さる。丁度左の翼がもげていたから、いい感じに刺さった。
どうにか反撃しようとしているのか、朱雀が藻掻く。
が、ヴェールが邪魔をして身動きが取れない様だ。
それもその筈、あれは微重力合成弦で作った即席漁網なのだから。
「幽霊はプラズマだ!……ってよく言うけど、実際あたしって半信半疑なのよね。プラズマだから何?ってかプラズマの集合体は人の形をするの?ってな感じで」
呟きながら、左手で中指を立てる代わりに薬指を立てる。
「だから、試してみようと思うんだ」
薬指から微重力合成弦が解け、
ジジッという、切れかけた蛍光灯みたいな音が林から響き、
五〇万ボルトの電圧が、ナイフに繋がれた微重力合成弦を光速で伝い、朱雀を襲った。
[Jan-08.Sun/21:40]
「やっぱり、あたしの朱雀がいくらか強くても、二対一じゃ勝てない、か」
つまらなそうに、でもどこか嬉しそうに、悠久天使は微笑う。
「大地天使には適当に誤魔化すしかないわね」
悠久天使は笑いながらため息を吐き、思い出す。
『それなら――彼を尾行て。ウィックと接触があれば、彼は交戦したがる筈だ。彼が劣勢に立たせられればすかさず援護に入り、信頼を得る。彼が勝てば死体などの後始末を手伝う。ピンチは利用法次第ではチャンスになる。彼の力は必ず、僕らにとって必要となる。絶対に彼はウチに引き込もう』
……全く、よく知恵が回るものだ。と悠久天使は感嘆する。
一聞するとただ単に『尽くせ』と言っている様にしか聞こえないが、実は反面する内容が込められている。
「手が及ばなかったら消して『力』だけを持って帰れ……か。あの子は所詮、ただの器って事ね」
珍しく、いつもの軽い口調ではない様子で呟く悠久天使。
大地天使が気に喰わない、というよりは大地天使が信用ならない。まるで、人を試している様で……。
「天地逆転もドコまで本気なのやら……」
確かに《神ノ粛正ヲ下ス使徒》の目的は天地逆転を引き起こす事で、皆がそれによる自己目的がある。四年前のテロはその下準備に過ぎない。
だが、果たして、それが彼の真の目的なのだろうか?もっと深いところに何かあるんじゃないか?
「……ま、あたしには関係ないケドね」
誰が何を企もうと、天地逆転さえ出来れば、彼女はなんでもよかった。
スカートのポケットから手帳を取り出し、そこに挟まっている写真を見つめ、呟く。
「きっと、必ず……」
[Jan-08.Sun/21:40]
雷撃が朱雀を襲うと、その輪郭がブレて、体内がうっすらと見える様になった。
当然、朱雀の中心に見える媒体も。
あたしは自動拳銃の銃口をゆっくりと上げ、媒体に照門と照星を合わせ、絞る様に引き金を引いた。爆竹みたいな音を響かせ、音速を超えて朱雀を貫き、RN式の弾丸は媒体となる何かを砕き散らした。
「っしゃあ!」
あたしは腕を大きく振りかぶり、ガッツポーズ。
だがいつまでも嬉しがっている暇はない。朱雀より少し離れた場所に倒れている行灯陰陽の安否が気になる。
朱雀より少し離れた……朱雀より……ん?
朱雀は、まだそこにいた。
「は、」
両眼は完全にあたしにロックしていて、ついでに言えば何やらご立腹なご様子。
「話が違ァ――――――――――――――――――――――――――――――う!!」
あたしは絶叫した。そりゃもう、喉が張り裂け、破れんばかりに。
少女・行灯陰陽から聞いた話だと、媒体を破壊できれば式神は身体の構築を維持できない、という話であり、魔術によって具現した存在というのは高圧電流に弱いからそこに隙が出来るはずだ、との事だった。
確かに後者の話は正解だった。隙どころか身体が一瞬、半透明になって狙いやすくなった事は確かだ。
が、前者の話は如何なものかとツッコミたい。
キクェェェェエエエエエエエッ!!
怒り心頭といった感じで、朱雀が哭く。
人間では関知できない二万ヘルツ以上の高周波が聞き取れる程に聴力が高いせいか、鼓膜が破けそうにやる。
「うっさい、バカ鳥!」
あたしは叫び――それも哭き声にかき消されたが――、再び銃を掲げ、先程と同じコースで狙いを定める。
引金を引く。
撃鉄が雷管を打ち、薬莢内の黒色火薬が衝撃で引火し、弾丸を弾き飛ばす。弾丸は先程の位置と寸分違わず朱雀に突き刺さり、電撃が収まり詳しくは見えないが、内部の何かを確かに打ち砕いただろう。
手応えはあった。
――が、だとすれば、どうしてコイツが未だに機動しているかが謎なのだ。
「参ったな……あの子の話じゃ、核をブッ壊せば消滅するって話だったんだけど……ってギャア!!」
頬をひきつらせながらあたしが呟いていたら、弾丸によるダメージの見えない巨鳥の嘴が眼前まで迫っていた。
―― ま ずい 、死 ぬ 。