世界の千変
[Jan-08.Sun/21:05]
紅い瞳。黒い瞳孔を軸に、時計回りに螺旋を巻いた模様が、行灯陰陽の左目、紅い瞳に浮かんでいた。
自然にも人造にもあり得ない、瞳の紋様。
「……なっ」
あたしは一歩、後ずさる。
異形の少年を前にしてこう思うのも何だが、恐ろしく気味が悪い。
全身ではなく、一部分だけが不自然な少女の方が、ナチュラルに気味が悪い。
「紅螺旋、発動」
少女が呟くと、耳鳴りが始まった。今までに味わった事のない激痛にあたしは思わず耳を押さえるが、それでも耳鳴りは止まない。
『テメェ、その眼……丁の一族か――』
「違う!」
瞬歩で白鬼夜行の懐に潜り込んだ行灯陰陽は、渾身の右ストレートを見舞う。
今までとは段違いの破壊力で、白鬼夜行が五メートルも吹き飛ぶ。
「私は癸、癸 千鳥!丁なんかじゃない!」
どんな時でも無表情だった行灯陰陽が、激昂を露わに叫ぶ。
(丁?癸?一族?)
二人の会話のキーワードを頭で反復する。
丁や癸と言えば、五行思想に基づいた十干十二支の用語……と言うか、兄弟だ。甲乙丙丁戊己庚辛壬癸に分けられている。
「え……何?どういう事?ってか、この耳鳴りは何なの?」
ふらつく足で、あたしは行灯陰陽に歩み寄る。
「来ないで下さい!」
けれど、行灯陰陽は手を振るい大声を挙げて、あたしを拒否してきた。
『ヒャハ、魔物以外には無害を謳ってるウィックの癖して、しっかりと紅螺旋を使ってんだから、こりゃ傑作だなオイ』
立ち上がり、空を仰いで高々と笑う白鬼夜行。
キッと睨みつける行灯陰陽にも構わず、少年は続ける。
『よぅく聞いとけ転射使い……雷双槍だったか?そいつのその眼は紅螺旋っつってな、火の属性を持つ魔眼だ。その能力は一時的に身体機能を高め、代償として身近にいる生命体の生気を奪う。敵味方お構いなしにな。アンタの耳鳴りも、紅螺旋の副作用ってこった。今、アンタの体力はその魔眼によってどんどん吸い取られてんだよ』
「黙れ!」
ゴズッ!地面が抉れる程に強力な脚力で一足飛び、白鬼夜行の足を払い拳で顎を打ち上げ、トドメとばかりにジャンピングニーバット。野球ボールよろしく地面と平行に飛ぶ白鬼夜行は、伐採されていない木に背中を打ち付け、ようやく止まった。
二人がかりで対等に戦っていたが、ここにきて一方的に力の差が出た事に、あたしは少なからず驚愕した。
「嘘……」
耳鳴りが激し過ぎて、自分の声も聞こえない。そういえば、足に力が入らない。地面に膝を付き、あたしは少女の後ろ姿を見つめる。
錯覚かも知れないが、その背中が憂いに満ちている様な気がした。
マズい。呼吸も苦しくなってきた。吐き気さえする。眼の焦点が合わない。全身から汗が吹き出る。
これが、少女の世界?
だとすれば。
他人の生気を吸収して戦う少女こそ、本当の魔物かも知れない。
[Jan-08.Sun/21:10]
「へぇ、紅螺旋かぁ、珍しい」
微笑みながら、悠久天使は戦場を見つめていた。二〇〇メートル先の、少年少女によるハイレベルな戦闘。
彼女はゾクゾクとする悪寒を感じ、恍惚な視線で空を見上げる。
「楽しそうね。……やっぱり、あたしも混ざろうか・し・ら♪」
言うが早いか、悠久天使は前髪を束ねるヘアピンを外し、月に翳す。
「あたしが行く訳にもいかないから、行ってらっしゃ〜い」
ヘアピンを親指で弾くと、それは空中で姿を変え、たちまちに朱い鳥へと変貌を果たす。
「式神を創るのに呪符を使ってる様じゃ、まだまだ半人前の証よ、陰陽師さん」
体長三メートルはあろう巨大な朱い鳥は、空を切り風を裂き、凄まじい速度で三人の元へと飛んでいった。
「それに、十干の魔眼も制御出来ていないみたいだし、ネ」
そう呟く悠久天使の双眸はいつの間にか、黒い瞳孔を中心に螺旋を描く、翠色に変わっていた。
[Jan-08.Sun/21:10]
ゴッ、ゴス、ベキ、ズガン!!
聞くだけでもおぞましい、乱打撃の音が、夜の公園に響く。
あたしはと言うと、既に身体を支える力も残っていない。地面に俯せに倒れたまま、耳を塞ぐ事も出来ずに行灯陰陽の猛攻の音だけを聞いていた。
どんな光景か、なんて分からないが、きっと恐ろしいに違いない。
口を閉じる力さえ出ない。唇の端から、唾液が垂れ流しになっていて気持ちが悪い。
ズガシャア!
とんでもない音を響かせ、あたしのすぐ目の前に白鬼夜行が転がってきた。額の角や背中の翼はなく、肌の色も人と変わらぬ姿に戻っていて、ピクリとも動こうとしない。
気を失っているのか、またはそれ以上に危ない状況なのか。それを考える事さえ億劫に感じる。
小石が剥き出しになっている地面を踏みしめ、少女の影があたしと白鬼夜行を差す。余力はない筈なのに、あたしは目だけで少女を見上げた。
街灯が逆光となって表情は分からないが、何故か緋色の左目だけが光って見えた気がした。
「……紅螺旋、停止」
静かに行灯陰陽が呟き、左目を閉じる。そこに眼帯をあてがい、少女はしゃがんで、力の入っていないあたしのだらしない顔を覗く。
「申し訳ありませんでした。白鬼夜行を倒すには、これしか方法がなかったから……」
心底から申し訳なさそうに、行灯陰陽は呟く。
魔眼を閉じた事により、幾分か身体に力が戻ってきたので、あたしは全身を奮い立たせて立ち上がる。膝が笑って力が抜けるのを、どうにか気合いで押し止める。
「何、なの……貴女のその眼……」
「……白鬼夜行が話した通り、魔眼の一種です。私達の一族には不思議な力を持つ瞳を備えて生まれる子供が稀にいて、それは『色彩螺旋』と呼ばれています。丁・丙には緋色の、癸・壬には蒼色の、乙・甲には翠色の、己・戊には橙色の、辛・庚には金色の瞳が」
魔眼。西洋で言うところの、女悪魔が持つ邪眼と同じ様な代物だろうか、とあたしは何かの漫画で培ったバッタもん知識を勝手に働かせる。
「巻き込んだ挙げ句にこんな仕打ちをしてしまい、本当に申し訳ありません」
「……正直ビビったケドさ」
ただ立ち上がっただけだと言うのに、目眩がするし息がきれる。
行灯陰陽が眼帯を外していた時間はほんの五分程度だった筈だが、たった五分でこれ程までに絶大な効果が現れるとは……。
貧血みたいにボーッとする頭を何とか支え、あたしは伏せたまま動かない白鬼夜行を見る。全身ぼろぼろなのはあたしと大差ないが、生傷が恐ろしく堪えない。
「生きて、るの、アレ……?」
「えぇ。一応は、ですが」
瀕死という事か。
何というか、これが人間同士だったら洒落じゃ済まないんだろうなぁ、とか思う。
――人間同士なら。
(あぁもう!……あの眼がトラウマになりそう)
頭を振り、何とか思考を切り替え様としたその時。
ズゴシャアア!
突如として、白鬼夜行の伏せていた場所が、凄まじい音を轟かせ、爆発したみたいに土埃が舞い上がった。
「……何?白鬼夜行がまた再挑戦した訳?」
「違います」
距離にしてほんの五メートル弱。
あたし達が立っている位置は風上なので、土埃がこちらに来る事はない。
やがて、視界が開けると、そこには朱い巨鳥がいた。
「……朱雀」
行灯陰陽が、ポツリと呟く。
朱雀は確か、南の守護神だった気がする。
属性は火で、西洋のフェニックスとたまに被るんだよねとか軽く現実逃避してみる。
「ってヤバいヤバい。現実逃避してる場合じゃなさそうね」
現状把握に努める事にする。
「で、聞いてみるケドさ。この愛らしい鳥はどちら様の鳥?」
「知りませんよ。少なくとも私ではありません」
「ふぅん、次。アレが白鬼夜行を守ってる様に見えるのはあたしだけ?」
「ご安心を。私にもそう見えます」
「あっそ、次。つまりはアレ、あたしの敵だよね?」
「……みたいですね」
現状把握完了。結論、とりあえずヤバいんじゃねぇ?
あたしがそう結論付けた時、朱雀が口を大きく開き、レーザーみたいな火炎吐息を吐いてきた。
[Jan-08.Sun/21:20]
「ってかさ。今まであんなに騒いでいたにも関わらず、どうしてこう、人がいないかなぁ?」
ずっと暖めていた疑問を、どさくさで行灯陰陽にぶつけてみる。
「あ、それ私です」
林に逃げ込んだ行灯陰陽が答え、あたしは少々脱力した。
「一時的に、この公園に『誰もが寄りたくなくなる』魔術をかけておきました。この公園には現在、浮浪者の一人もいませんし誰も入ってきません」
「……魔法って便利なのねぇ」
これにはもう感嘆のため息を漏らすほかない。
「それより雷双槍。まずはアレをどうにかしませんか?」
「白鬼夜行に仲間とかいるのかしらね……」
あたしと行灯陰陽は、木の陰からそろりと顔を出し、突如現れた巨鳥・朱雀を見る。鳥目なのかただ単にあたし達を探しているのか、首をせわしなく動かして周辺を窺っている。
「……撃っちゃっても平気?」
自動拳銃を掲げ、あたしは訊ねる。
しかし行灯陰陽は首を振る。
「あれは式神の様ですので、核となる媒介を的確に撃ち抜かなければ、決定打にはなりません。ですがあの式神を作った者、かなりハイレベルな魔術師の様で、私みたく呪符を媒介にしている訳ではなさそうです」
「呪符を媒介にせずに、式神って作れるもんなの?」
「えぇ。元来、式神と言う名の由来は式紙と言う様です。符に呪詛を込め、あらゆる事象を引き起こした。それが後に式紙と呼ばれ、その頃より使役神を飼い慣らす事を覚え、使役神と式紙が混じって式神となった、という説もあります。……まぁ、かなりの眉唾ですが」
「うん。かなり胡散臭い」
どうしたもんだか、とあたしは心中ため息を吐く。核がどこにあるかも分からない様な巨鳥を倒す手段が思い浮かばない。
もしあたしに狙撃手並の観察力があれば、もしかしたら見つけられるのかも知れない。
神殺槍・時津 カナタなら。
(……どうしてそこでアイツの顔が出てくんのかしらね)
自らの思考が理解できない。
――戦場に『もしも(イフ)』は存在しない。窮地に立たされた時、冷静に現状を打破する方法を考える事がいかに大切か、チームリーダーである君になら分かる筈だ。
ある男の言葉を思い出す。端麗な容姿を持つ、自信家なある男の言葉。
その男は、自らを梶咲 誠と名乗りはしたが、それが本名かどうかは分からない。それに、誰もその名前で呼びはしない。
聖骸槍のみんなは、自分達を拾ってくれた男をこう呼ぶ。
雪針槍と。
「……雷双槍?」
行灯陰陽の声に、あたしはハッと我に返った。
「こんな非常時にボーっとしないで下さい。死にますよ?」
「ごめん、ちょっと考え事を……」
[Jan-08.Sun/21:30]
そこはまるでホテルのスウィートルームの如く、広々とした華やかな部屋である。大きなベッドに品のいい絨毯、中央には複雑な装飾を施されたテーブルが設置している。
テーブルには、二人の少女と二人の少年が着座していた。
大きな窓辺には、一人の青年が佇み、壮大で麗美な夜景を眺めている。
「ウィックの陰陽師が雷双槍と接触、更には鬼と交戦している模様。……放っとくのか、雪針槍?」
黒いザンバラ頭の一房に赤いメッシュを入れた少年――暗号名は神官槍――が、青年・雪針槍に報告する。
「聖骸槍の存在は特秘だ。世界魔導文化保護連盟にバレてしまえば、ただでは済みませんよ」
黒いボブでメガネをかけた少女が呟く。彼女の暗号名は雹月槍という。
「どうする?まだ本部に報告は入っていない様だ。今なら、鬼に殺されたという偽造も利くと思うが?」
提案したのは、ボサボサと寝癖の様な緑髪をした少女・両刃槍。彼女は異色瞳らしく、右がオレンジで左が茶色をしている。
「俺もその意見にゃア賛成だなァ。ここンとこァ、大したテロも何もなくて暇だったンでな、丁度イイ暇つぶしにならァ」
ケヒヒと気色の悪い笑みを浮かべたのは、白髪とも呼べる銀髪を逆さに、ワックスでガチガチに固めた少年・真闇槍だ。彼は目の下に、安全ピンをピアス代わりに刺し、小さな鎖を口のピアスと繋いでいる。耳には無数にピアスが刺してあり、完全に剃られて分かりづらいが、かつて眉があった場所にもピアスを開けている。右頬には毒々しいタトゥーも刻んである。
雪針槍は四人を振り返り、静かに微笑みながら言う。
「その必要はないよ。好きに泳がせておくといい」
この言葉に対し、神官槍は血相を変えて席を立ち、雹月槍は両目を閉じて俯き、両刃槍は表情を変えずにタバコに火を付け、真闇槍はさぞつまらなそうに舌打ちをした。
「納得がいかない!どうして捨て置いていられる!?聖骸槍の存在が世界に知られてもいいと言うのか!?」
神官槍は激昂も露わに叫び散らす。
「落ち着きなさい、神官槍。早計が過ぎるわよ」
ため息と共に言葉を吐いたのは、雹月槍である。
神官槍は雪針槍から視線を移し、睨めつける。雹月槍は「やれやれ」と言わんばかりに肩を竦め、頭を振る。
「俺もそこのカス神官と同じ意見だな。バレたらバレたで面白そォでイインだが、まだ今ァそン時じゃアねェと思うしよォ」
「アンタの場合は、ただ戦いたいだけでしょ」
嘲笑しながら挑発する真闇槍に冷静なツッコミを入れる両刃槍。
すっかり話の腰を折られた神官槍は計三人を同時に睨み付けるという器用な芸当を成した後、再び雪針槍に視線を向けた――が、雪針槍は窓辺にはいなかった。
「上等のワインが手に入ったんだけど、君達も呑むかい?」
いつの間に移動したのか、雪針槍は部屋の隅に置かれたワインプールから一本のボルトを取り出し、四人に掲げていた。
「きっと美味しいと思うよ」
「イイねェ。ちったァ気が利くじゃねェか」
「……というか、私達はまだ未成年なのですが。……いいのですか?」
「いいんじゃない?」
わいのわいのと騒ぐ四人に対し、神官槍は肩をブルブルと震わせていた。
「……お前ら、いいッ――!!」
加減にしろ、と続ける前に、雪針槍がそれを注いだワイングラスを神官槍に手渡す。
少し酸味がかった濃厚で芳醇な香りが漂う。
「それでも呑みながら、ネ?」
優しく微笑む雪針槍だが、有無を言わせない雰囲気が醸されている。神官槍は大人しく椅子に腰掛けた。
その場にいる皆にワインが渡ると、雪針槍がグラスを掲げ、乾杯。じっくり味わおうと皆が少しだけ口に含み転がす。真闇槍だけが一気に呑み干した。
「さて、何の話だったかな?」
「だ・か・らッ!どうして、陰陽師を、始末しないのかについて、俺が追及しているんだッ!!」
ダンッ、と神官槍がテーブルを乱暴に殴りつける。
「アンタ、そんなにイライラしてたら将来ハゲるわよ」
「お気の毒に……」
横目で神官槍を見つめる両刃槍がぼやき、雹月槍が静かに瞑想する。
「それは大変だ。ストレスは身体によくないよ」
「ヒヒャハ、カッコ悪ィ!」
「誰のせいだ誰の!話を逸らすな話を曲げるな話を進ませろ!!」
ギチギチと歯を食いしばりながら、神官槍の絶叫が部屋中に響いた。
結局、話は進まずに。