世界の報復
[Jan-08.Sun/20:50]
ゆらゆらと、危うげな足取りで行灯陰陽があたしに歩み寄ってきた。
「足を掛けて……そんて古典的な方法で倒すなんて……」
信じられない、という感情がありありと表情に浮かんでいる。
「目に映らない速度で走ってるって事は、遅くてもマッハ2。ならその動きを一瞬封じるだけでマッハ2の耐衝撃がくる。貴女みたいに同じ力で闘う必要はないのよ」
「それにしても……、銃といいナイフといいその技術といい、貴女は本当に何者なんですか?」
「さっきも言ったでしょ。陸上自衛隊対テロ特殊部隊《聖骸槍》の遊撃手よ」
「……そんな組織がこの平和主義国に?」
「まぁ、系統としてはSST(海上保安庁特殊警備隊)やSBU(海上自衛隊特別警備隊)の親戚って感じかな?陸上自衛隊特殊作戦群とかもある訳だし。あたしは見ての通り子供だから、その存在は極秘匿なんだけどね。あ、因みにSAT(特殊急襲部隊)やSIT(特殊捜査班)やスカイマーシャルとは系統は別よ。それらは警視庁または警察庁の管轄だから」
ちらりと行灯陰陽の顔を窺ってみると、頭の上に?マークが浮かんでいる。まぁ、初めから言って分かるとは思ってなかったから別にいいのだが。ってかむしろ分かられた方が困るし。
「それはそうと、早くコイツふんじばっちゃお。いつ目が覚めるか分かんないし」
「はぁ……そうですね」
あたしは左腕のリストバンドに内蔵した微重力合成弦を適当に引き、それを切る為だけが目的で紙の一枚も切れない特殊なナイフで微重力合成弦を切る。右腕の微重力合成弦は伸縮性の、左腕の微重力合成弦は頑強性のある物で、先刻に使ったのは右腕の物である。
ぐったりとしたまま動かない白鬼夜行を見て、脊髄骨折とかしてないよなぁ、と思いながら彼の右腕を掴み、
白鬼夜行の腕を持ったあたしの右肩が、裂けた。あたしの血が飛び散る。
「カッ……」
無意識に、喉から乾いた声が出た。
瞬時にあたしはバックステップを取り、白鬼夜行と距離を開く。
「……来る」
どこからか装飾の多い宗教的なナイフを取り出した行灯陰陽が、静かに呟く。
「……クッ、 ツ。カハ、ヒ ――ッヒ」
笑い声とも呻き声とも取れる嗚咽が、白鬼夜行の口元から響く。
その口元が。
愉悦に歪み。
両眼が開く。
「あ、あれ?」
右肩を押さえながら、あたしは違和感を覚える。
つい先刻まで金色だった白鬼夜行の双眸が、今では爛々と緋色に輝いている。
「……痛ェなァ」
歪んだ口元から声が紡がれ、白鬼夜行の小柄な身体がゆっくりと持ち上がる。
宙に浮いている。
「……ミノフスキードライブ?」
と呟いてみたものの、あたし自身その意味が分からない。
「まさか、こんな腐った手で俺が打ちのめされるとは、お釈迦様もビックリだぜ」
空中で直立した白鬼夜行は、俯いたまま呟く。長い髪は完全に顔を覆い隠し、表情が読めない。
「……いっぺん死んでみるかよ、ァア!?」
顔を上げ、獣の様に哭く白鬼夜行。形容するなら、怒りの一言に尽きる。
「痛ェ。痛ェんだよ、痛ェんだよ!殺してやる、絶対にテメェを殺してやる!」
ビキリと額に青筋を浮かべた白鬼夜行が叫ぶ。――いや、違う。
全身に。衝撃ではだけた胸元、両手、顔面。全身の至るところに、血管が浮かび上がっている。
「なっ、キモ!気持ち悪ッ!何なのコイツ!?」
隣で身を強ばらせている行灯陰陽に訊ねる。無論、視線は白鬼夜行だ。
「あれは血管ではありません。勁洛線です」
「け、ケイラクセン?」
「中国では魔術の行使に必要な魔力の事を勁と呼び、勁洛線はその道筋です。ようするに、神経が脳からの電気信号を全身に伝達する、それと同じく勁洛線は魂から勁を全身に伝達すると考えていいでしょう」
「な、」
何じゃそりゃ!?とあたしが叫ぶ寸前、
白鬼夜行が変貌を始めた。
ギチギチ、ゴキゴキと全身から不気味な音が響く。
犬歯が伸びて唇を裂き、額から一本の角が生え、背中が盛り上がり服を破って翼が生えた。肌の色が見る間に赤色に変わっていく。
あっと言う間に、白鬼夜行は化け物と化した。
『カ、カカキカカ!殺してやるよ、殺してや殺して殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺殺殺殺殺殺殺殺!!』
合成音声の様な、副重した声。
それは間違える筈もなく、白鬼夜行の声だ。
「これが奴の正体……上級悪魔です」
「ちょ、展開がおかしいってマジで!」
あたしの抗議の言葉も虚しく、白鬼夜行の緋色の双眸があたし達を見つめた。完全にロックオンされてしまった様だ。
『死ねよ、人間がッ!!』
ゴキリと指を鳴らし、
完全な鬼と化した白鬼夜行が、あたし達に襲いかかってきた――!
[Jan-08.Sun/21:00]
タバコの副流煙が立ち上る。
悠久天使はタバコをくわえたまま、微笑んでいた。
高層ビルの屋上からは、海の様に真っ青な五日月が眺める。しかし悠久天使は美しい五日月には目もくれず、地上を眺めていた。
正確には、白鬼夜行と行灯陰陽が対決している公園を。その距離は二〇〇メートル。しかし彼女は双眼鏡などの道具を使わず、類感魔術を応用したオリジナルの魔術を用いてその光景を細部まで眺めていた。
「ふぅん……何者なのかしら、あの二挺拳銃の女……」
火器を扱っている辺り、明らかに魔術師ではない。だとしたら何なのだろうか。
「……魔術天使や大地天使が言っていた、狙撃銃使いのお仲間かしら」
だとすれば、噂の《聖骸槍》とやらは存在するのかも知れない。政府の下で働く、対テロ組織には彼女は興味があった。
タバコを指に挟み、呼出煙を吐く。口元が歪む。
「あらあら。それは楽しみね」
何かを想像し、悠久天使は妖しく笑う。
フィルターに近くなったタバコを床に押しつけて消し、立ち上がる。
「あ、でもあたしが出ていったら白鬼夜行ちゃんが怒るかしらね。彼には協力してもらいたいから、なるべく嫌われたくはないわねぇ……」
何より、今ノコノコと出ていけば、自らさえとばっちりを受けて仕舞う。
自分以外の人間のせいで嫌な思いをする事は、彼女が最も嫌う事である。
「しばらくは様子見、が一番みたいね」
屋上の縁に腰掛け、足を組んで悠久天使は新たにタバコを一本取り出し、火を付けた。
[Jan-08.Sun/21:00]
白鬼夜行が腕を振るう度に、露出した地面が隆起するかの如く抉られる。見えない刃の攻撃ではあるのだろうが、威力は先刻とは比較にならない。
「死にません様に!」
あたしは横っ飛びに転がりながら、白鬼夜行を左手に持った自動拳銃で撃つ。戦闘時の射撃能力に自身のあるあたしには、全てを白鬼夜行に当たるコースで撃つ事など造作もない。
……造作もない、のだが。
ギュオン!ズガッ!
銃弾が白鬼夜行に届く前に、瞬歩であたしの懐に潜り込んだ白鬼夜行が、首を掴んできた。
その勢いのまま、頭を地面に強打する。言うまでもなく痛い。
「離れなさい!」
行灯陰陽が叫び、再び何かの呪符を取り出す。
それは見る間に、翼の生えた白虎と化し、あたしに馬乗りしている白鬼夜行に襲いかかる。
『邪魔だ……!!』
腕を一閃。風の刃が白虎に迫る。が、白虎は吼えると翼を羽ばたかせ、空を飛んでこれを回避。
あたしの真上でピタリと止まると、ニュートンの意のままに垂直落下。
「って、あたしも死ぬぅ!!」
動きの止まった白鬼夜行の手から何とか抜け出たあたしは、必死にその場を転がりながら逃げる。
『たかだか式神が、調子ッくれてんじゃねェぞダボォがぁ!!』
「な、何でヤンキー語なのよ!?」
拳を固く握り締めた白鬼夜行は、勢いよく白虎の眉間にアッパーを振り上げる。
白虎は身を固くし、その衝撃に耐えては白鬼夜行を圧し潰す様にその上に降り懸かった。あたしのツッコミは軽く無視された。
「大丈夫ですか!?」
巻き上がる砂塵の中、駆け寄ってくる行灯陰陽。あたしは肩より上に上がらない右腕で、親指を立てた。
「倒したの?」
「まだです。まだこのくらいでは、倒せません」
そうなのだろう、とあたしは内心で相槌を打つ。あたしもあの程度で倒せるとは思っていない。
現に、砂塵の向こうには翼の生えた子供が立ち上がるシルエットが見えているのだから。
「……狂経脈に目覚めた白髪の中国剣術使いみたいな、あの不条理なまでの強さは何?」
「……言ってる意味は分かりかねますが、魔物は必ず絶対的な力を持っている事は間違いありません」
「いやぁ……いくらなんでも、これは反則でしょう」
「こんなものですよ、魔術の世界なんて」
何というか、やるせない。右肩の激痛も相まって、あたしはその場に脱力した。
「嘆いている暇はありませんよ」
「……ですよねぇ」
ピリピリと大気が強ばる感覚が、土埃が揺れる度に一層強まる。
その向こうには、言うまでもなく彼がいる。とりあえず、開けた場所で戦うのはマズい。林に入り、視界の悪い闇の中でやり合うのがベストだろう。
「こっちに来なさい、白鬼夜行!」
あたしは叫ぶと同時にバックダッシュ。背後の雑木林に逃げ込む。
『逃がす訳ャねぇだろクソがぁ!』
犬歯を剥き出しに慟哭する白鬼夜行が、瞬歩で追いかけてきた。
が、あたしはそれと同時に林に駆け込み、急いで伏せる。ズゴン、と凄まじい音が木々を揺らす。
あたしが顔を上げてみると、あたしの背後を追ってきていた白鬼夜行が、あたしの上を飛び過ぎて鼻面から木に突っ込んでいた。まるでコメディだ。
(やっぱり!さっきの戦いだと、あたしの周りをグルグル回っていただけだから確証なかったけど、瞬歩は速い分の小回りが利かない!)
直線的な動きで読みやすい瞬歩とは言え、タックルでもされようものなら死活問題だ。マッハ2の衝撃をもろに喰らって、無事な人間なんかいない。
だがこうして雑木林で動きを制限してしまえば、少しは戦いやすくなる。
いける、と思った矢先、白鬼夜行が片手を挙げるのと同時にふと思い出した事がある。
風の刃。
白鬼夜行がブンと腕を一閃、辺りの木が次から次に伐採されていく。唖然とするあたし。
(……なんて言うか。イケるというより、むしろ逝ける?)
小柄な少年の様相をした白鬼夜行が、今では非道く巨大な壁に見えてならない。
いやまぁ、あたしが伏せたまま見上げているからだけど。
ヒュッ、と白鬼夜行の足がぶれる程速く、あたしの右肩の傷口に蹴りを見舞った。
「――ッ!!」
迸る激痛に耐え、嗚咽も悲鳴も噛み殺し、あたしは悶絶する。
隠密行動時に叫んだりしない為に痛みに耐える訓練を行った事があるとは言え、これは少しばかり堪える。
『……俺をこんなつまんねぇ罠にはめといて、テメェはもう終わりか?クソ下らねぇ』
ゴスッ、と次は鳩尾に彼の爪先が突き刺さる。
「うごっ!」
肺の空気が全て吐き出る様な一撃に、あたしは呻く。
「白虎!」
行灯陰陽が叫び、翼の生えた白虎が白鬼夜行に襲いかかる。
表情一つ変えない白鬼夜行は片手をスッと挙げて白虎に狙いを定めると、
『邪魔だよ、テメェ』
鋭い風の音が甲高く騒ぎ、白虎は飛来してくる空気圧の大砲を軽い身のこなしで避け、更に突進を強める。
『遅い』
が、高速を走る車並の速度で突進する白虎の頭上を一瞬で捉えた白鬼夜行は腕を振るう。
風の刃が細切れにすると、中からズタズタに刻まれた古紙に戻る。
「遅いのは貴方です」
更に白鬼夜行の背後を捉えた行灯陰陽が蹴りを見舞い、白鬼夜行が派手に地面に叩きつけられた。
バウンドで宙に浮いた時、両手を足代わりに巧みに扱い、勢いをいなす。
「そこ!」
自動拳銃を引き抜き、追い打ちをかけるあたし。しかし白鬼夜行は翼をはためかせて空を飛んで銃撃を回避。
ゴスッ!
空を飛んで難を逃れた白鬼夜行だが、急に何かにぶつかり再び地面に叩きつけられた。
予想外の事にあたしが空を見上げると、そこには人ぐらいの大きさの鳥が飛んでいた。
あんな大きな鳥なんて聞いた事がない。
恐らく、行灯陰陽の式神だろう。
「貴方に勝ち目はありません。……魔物と言えど、生命ある者です。殺したくはありません。降伏して下さい」
地面に伏せたまま、何とか立ち上がろうとする白鬼夜行。心なしか、肩がプルプルと震えている。
『キヒ、ハハハ。ヒヒャ、ヒヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!』
勢いよく身体を起こした白鬼夜行は、まるで壊れたラジカセの様な笑い声を上げた。
『面白ェ!面白すぎんぞオイ!ここまでコケにされたのは久しぶりだぜ!?降伏しろだ何だと御託並べてる暇があンなら、さっさと追い打ちしてこいやコラ!!』
額から紅い血を垂れ流しながら、白鬼夜行は大口を開けて叫び笑う。
その表情には、先刻に見た怒気とは違う、明らかな歓喜が浮かんでいた。
『来い!テメェの全霊をかけて、俺を殺しに来い!死活の死合いをもっと楽しめ!!』
「……弁護の余地なし。戦闘狂を生かす必要もなし。私は、貴方を処刑します」
そう呟くと、行灯陰陽は左目に付けた眼帯を、ゆっくりと外した。
「あ……」
そう言えば、忘れていた。
行灯陰陽は、今までずっと、片目だけという遠近感のない視界で、あれだけの激戦をしていた事を。
ゆっくりと、少女は左目を開いた。
『何だァ?まだ何か隠し玉でもあンのかよ?ヒヒ、こいつァもっと面白く――』
少年の愉悦に歪んだ笑顔が、一瞬で凍り付いた。
少女の横顔を見たあたしも、思わず凍り付いてしまった。
白鬼夜行やあたしの反応は、少女の左目――。
海上保安庁特殊警備隊(SST)や海上自衛隊特別警備隊(SBU)は、名前の通り、厳密には所属が違う。スミレが『《聖骸槍》はこれらの親戚みたいなもの』と表現したのは、所属は違えど直属は同じだからである。
SATやSTTは警視庁・警察庁の配属なので、これは違う。
ちなみに。スカイマーシャルは福岡県警にしかない。