世界の法則
[Jan-08.Sun/20:25]
「あら、わざわざ下ろしちゃうの?貴方のオールバック、なかなか素敵だったのに」
悠久天使はクスリと笑いながら、傍らの大地天使を見つめる。大地天使は髪を水で濡らし、ワックスで固めていた髪を溶かしていた。
「あんまり、人前に素顔を晒すのは好きじゃないんだ」
タオルで水を飛ばしながら、大地天使は答える。いつも同様に、無邪気な笑みを浮かべて。
肩までかかる長い髪をポニーテールに纏め、しかし前髪は非常に長く、ピンと張れば口にくわえれそうだ。
「それはそうと……貴方、白鬼夜行に会ってたのね。どういうつもりなのか、是非とも聞かせて頂戴な」
「別に。深い意味はないよ。ただ、策士を名乗る者として、戦力になるかも知れない人――人ではないか――に挨拶もしないのはかなりの不敬だと思ってね」
「ウフフ。とぉんだ狸さんですこと」
悪びれた様子もなく、悠久天使は不敵に笑う。大地天使も同じく笑う。
「まさか、そんな事を聞く為だけに僕を呼んだんじゃないよね?」
「まさか。用件は後二つあるわよ」
髪をかきあげ、笑うのを止め、彼女は言う。
「ウィックの陰陽師がこの街に来ているのは知ってるでしょ?このままじゃ、このアジトもマズいんじゃない?」
「見つかる、って事かな?」
「ええ。かなり高性能な羅針盤を所持してるみたい。術者もかなりの使い手みたいだから、空間錯誤の魔術で形成したこの空間……発見される可能性がグンと高くなる。どうするつもりなのかしら?出来れば、策士サマの意見も聞かせて欲しいものね」
悠久天使の話を聞いた大地天使は、フムと顎を手に乗せ、暫く黙考し、呟く。
「それなら――」
[Jan-08.Sun/20:30]
驚いた表情の白鬼夜行の握力が抜け、その隙に行灯陰陽がその手を払い、一足飛びで五メートルもバックステップを取った。
「……何だ、そりゃ?」
少年が呟くと同時に、足の力が抜けて膝立ちする。呆然と、あたしの手にある物を眺めている。
「転射?いや違うな。……何なんだ、その黒い筒は?」
どうやら、あたしが持っている物が銃だと理解が出来ないらしい。
「……そりゃ、一〇〇〇年前には火薬ぐらいしかないだろうから、分かる筈もなし、か」
もしかしたら大東亜戦争(二次大戦)の戦闘航空機くらいなら見た事があるかも知れないが、まぁ手のひらサイズの銃なんて、なかなか見れる物でもないし。
転射(昔、中国で使われていた銃みたいな武器)と言う言葉は知っていたし、少し古いくらいの知識はあるのかも知れない。
知れない。
「……動かないで。これは……まぁ、転射ね。それもかなり高性能よ」
「ふぅん。……まぁ、電気で汽車が走る様な時代だからな。その大きさの銃くらいもあるんだろうな」
ちなみに、あたしが使っている銃は全長一六〇ミリ。大戦時に大日本帝国兵が使っていた南部一四年式という銃に比べて、一回り小さい。
「……で。そんな物を取り出して、どうするつもりだ?」
少年が嘲笑い、フラッと身体が揺らいだと思えば、いつの間にかあたしの銃の銃身を掴んでいた。
「当たらなきゃ意味がねぇ。さっきの一発は外したのか外れたのか知らないが、あれが頭にブチ込まれてたら流石にヤバかった。仕留め損ねたのが運のツキだったな」
顔を近付け、耳元で聞こえる声に、答える。
「……気分を害するかも知れないケド。外したのはわざとよ」
少年が予備動作もなく腕を振るう。それはあたしに当たる事なく、空振りした。
が、しかし。
あたしの背後から、ザギキィャン!という甲高い騒音が響いた。何をすればこんな音がするのだろうか、あたしは恐る恐る振り返り、振り返った事を後悔した。
初めに少女の足下を吹き飛ばした、得体の知れない刃が斬った様な、まるで鎌鼬の様な斬り口が、地面を引き裂いていた。
「驚いたか。これが俺の得意魔術だよ。予め、天体を予想してその場で出来る魔術を扱う。今は旧暦では初春、つまりは空気――風を操る事が出来る」
空を仰ぎ、少年は続ける。
「まぁ、単純に言えば、攻撃に特化した占星術……みたいなモンかな?おまけに、今の星座は山羊座(CAPRICORN)だ。ルーラーは土星という地の星座。白の陰陽術である白虎を使っている奴にとって今日、俺と殺り合う事はまさに自殺行為さ」
「んな事……知らないっての!」
叫び、白鬼夜行が怯んだ瞬間をあたしは見逃さず、右足を一歩踏みだし少年の肩を押し、足を引いて払う。日本の古武柔術の一つ、敏払い。
体勢を崩し倒れ込んだ少年を無視して、行灯陰陽に駆け寄る。
「何だかマジで良く分かんないケド、逃げるわよ!」
行灯陰陽の小さな手を取り、あたしは一気に引き立たせて猛ダッシュで公園の入り口を目指す。
「散歩か?だったら俺も付き合っていいか?」
が、入り口に敷かれた、自転車入所禁止の為のポールに、白鬼夜行が立っていた。
金の双眸が、あたし達を愉しげに見つめている。まるで蛇だ。
「瞬歩ぐらいしか出来ない陰陽師と、それすらも出来ない凡人。俺から逃げられると、本気で思っているのかい?」
愉悦に、少年が笑う。犬歯がギラリと光る。
「(……まだ戦れる?)」
白鬼夜行を睨め付けながら、肩で支えている行灯陰陽に小声で訊ねる。
「(分かりません。……生命維持を省みなければ、戦えますが)」
「(そう。なら、アイツはあたしが戦闘不能にするわ)」
少女を支えていた腕をふりほどき、あたしは白鬼夜行に背を向け、深呼吸し、
「……来なさい。魔術だか何だか知らないケド、あたしはそれなりに強いわよ」
宣戦布告し、あたしは歩き出す。背後から感じる、圧死しそうな程の殺気。
「……おい。瞬歩すら出来ない凡人。俺に勝てると、本気で思ってんじゃないだろうな?」
「さぁ?うまくいけば相討ちぐらいは出来るんじゃないかしら」
少し挑発が露骨すぎたかも知れないが、まぁ気にしない。
あたし自身を押し潰す様な重圧が増した。つまりは挑発にのった、という事だ。
少女から距離をとり、振り返る。
気配も音もなく、あたしと五メートル程度に距離を取った少年は、そこにいた。
「そういえば、まだ名乗ってなかったわね……」
「あァ?」
「あたしの名前は雷双槍。陸上自衛隊対テロ特殊部隊『聖骸槍』の遊撃手。タイプは二挺流。特技は――」
コートの裏からもう一挺、同種の自動拳銃を取り出し、構え、告げる。
「――罠よ」
[Jan-08.Sun/20:40]
「ふっ!!」
ザギギギギャン!
思わず身震いしそうな、耳をつんざく甲高い大地の悲鳴を背後から感じながら、あたしは横に全力で飛び込む。回り受け身で瞬時に立ち上がり、体勢を整える。
銃を構える暇もなく、耳を澄ませると上空から、ピィーという、聴覚検査時に聞こえてきそうな甲高い風の嘶き。
風。白鬼夜行だ。
「避けてばっかじゃ、相討ちも出来ねぇぜクソアマァ!」
ギャン!と今度は雑木林の木が次々と切り倒されていく。
(でも……姿が見えなくても、攻撃は分かる)
右手二五度より風を切る音。あたしは前転する要領で風の刃を見切る。
(いくら魔術とは言え、何でも出来る訳じゃなさそうね)
一定の法則に基づいた、飛来する風の刃を見切る程度ならば、屋外戦で投げナイフを浴びている様なものだ。リズムの解析が済めば、避け続ける事など造作もない。
(あれだけ超高速で移動すれば、摩擦抵抗による衝撃音も発生する。波長、振幅数、距離のアルゴリズムを聞き分けられれば、どの角度からの攻撃かも分かる)
もしもこれが『姿を消す』とかの魔術だったら、確実に殺されているだろう。瞬歩とやらが体術で良かったと、心底から思う。
「くそ、チョロチョロと逃げ回りやがって……!てめぇ、いい加減にしやがれ!何で当たらねぇ!?」
ザン!ザザン!ザザザザザザザザザン!
あらゆる角度から襲いかかる風の刃が、地面と言わず並木と言わずベンチと言わず街灯と言わず、全てを両断していく。
だが、あたしはそれらを全てかわしてゆく。
「当たらなければ、殺す事も出来ないわよ?」
先程、白鬼夜行が言った言葉を韻を践んで返す。ギジリという、歯を噛みしめる音が風の中から響く。
「こっちから貴方が見えない、音速並みの速度だと言うのなら、当然貴方からはあたしの姿も見えないわよね?」
「なっ……」
「図星か……なら、これで充分!」
コートからスタングレネード(テロ制圧用手榴弾)を取り出し、トリガーを引き、それを適当に放り投げる。
「目を閉じなさい!失明するわよ!?」
次の瞬間、目映いばかりの目を灼く閃光と鼓膜を揺るがす爆音が轟く。
宵の暗がりの中でこの光を直視してしまえば本当に失明の恐れがあるのだが、まぁ行灯陰陽と白鬼夜行なら大丈夫だろうと思う。根拠は全くないが。
「ちっ、だガ、目が見エナクても俺にハ気配だけデ、お前ノ場所は手に取る様に分かルゼ。……ッダム、耳もオかしい!」
姿は見えないが、白鬼夜行の声のアクセントがどこかおかしい。三半がやられたみたいだ。
「だったら、これならどう?」
あたしは笑いながら、ナイフを一振り、雑木林の方へ適当に放る。それは適当に投げた割には、見事に深々と一本の木に刺さった。
「当たッテねェゾ!?」
ヒャハァ、と白鬼夜行は嘲笑うが、あたしの目的は彼に刺す事ではないので、笑われても一向に構わない。
「そんで、はいピーンっと」
リストバンドに仕込んでおいたギアと繋がっているクイックを指で弾き、ナイフに繋いだ微重力合成弦を巻き取る。
瞬間、ビン、と白鬼夜行が微重力合成弦に足を引っかけ、微重力合成弦が限界まで伸びては少年を豪快に転がせた。
「ずぁっ!!」
数メートル吹き飛んでは、自らが伐採した切り株に背中を打ちつけ、白鬼夜行は昏倒した。
「いい事を教えてあげる。あたしの右腕のリストバンドは伸縮性のある微重力合成弦、左腕のリストバンドには強化性の微重力合成弦が仕込んであるの。……って聞いてないか」
ぐったりとしたまま動かない白鬼夜行を見つめ、あたしは呟く。
完全無欠にあたしの勝利だった。
[Jan-08.Sun/20:45]
「……音が止んだな」
マンガの入った袋を肩に担ぎ、公園の方を見つめながらカナタはぼそりと呟いた。冬休み初日、ルーナを助けた公園だ。
「……ウィックって奴らの仕業か?」
どう考えても普通の騒音ではない。
何かを斬る音、木が倒れる音など、あからさまに不自然で不可解な騒音の数々。
「……一応、様子見とくか」
もしウィックという奴の仕業であれば、ルーナについて説得しなければならない。
アキラとルーナがいない今、果たして危険じゃないとは言い切れない。いや、今のルーナはかなりヘベレケ状態だから、いたところでどれ程の戦力になるのかは甚だ疑問だが。
ため息を吐き、心細い感情を振り払うと、カナタは公園に足を向けた。
【南部一四年式拳銃】
全 長:230mm
重 量:900g
口 径:8mm×21
装弾数:8+1発
生産国:日本
南部一四年式拳銃はアメリカ人が誤って呼んだ名で、正しくは一四年式拳銃という。東京造兵廠に勤務していた南部麒次郎氏(のちに中将)によって開発・設計された、軍用の自動拳銃で、大正一四年に国産の自動拳銃として初めて認識された。
外見はドイツのP08(ルガーP08)と似ているが、メカニズムはモーゼル・ミリタリーに近い。
しかし全て真似した訳ではなく、独自のアレンジも施されている。小柄な日本人にも扱える様に、細いグリップにしたり、口径を8mmにする事で反動を抑えている。しかしその反面、威力不足が指摘され、日本軍人は渋々使っていた感もあったのだとか。