世界の溜飲
[Jan-08.Sun/20:20]
銀髪の少年は、ある公園に腰掛け、俯いていた。
少年という表現は正しくない。
彼は幼く見えても、実は一〇〇〇年の時を過ごしているのだから。
魔術師・白鬼夜行。目を瞑り、ただひたすら敵を待つ。
「やぁや、これはこれは。白鬼夜行じゃないか」
気配もなく、耳元で囁く声。
両眼を見開き、白鬼夜行は顔を上げた。
そこには、長い髪をオールバックにした、一九〇強はあろう長身の男が立っている。腕が異様に長く膝まである、全体的に細い大男が。
「アンタ……大地天使だっけか?」
「僕の事を覚えててくれたんだ。光栄だなぁ」
ヘラッと笑う大男だが、その子供みたいな笑顔は非道く不似合いで気味が悪い。
白鬼夜行は辺りに風の魔術を施していて、誰かが近付けば即時に感知出来る様にしていた。
だが、大地天使はまるで空間移動でもしたかの様に、急に現れたのだ。
(……相も変わらず、喰えない野郎だ)
バツの悪さに白鬼夜行は顔をしかめながら心中で悪態吐く。ニコニコと笑っている大地天使は、もしかしたらそんな心情を悟っているかも知れず、益々気分が悪い。
「消えろ。俺はこれから、楽しむつもりだ」
「あぁ、例の陰陽師ね。悠久天使から話は聞いているよ」
「だったら、即座に立ち去れ。殺されたくなければな」
「君に僕が殺せるなら、どうぞご自由に」
大地天使の言葉に、
白鬼夜行はギリッと歯を食いしばり、
瞬きの内に、横薙ぎに腕を一閃した。
シパァン!
風圧で、地面に真っ直ぐで綺麗な切れ目が出来る。
しかし、血はたったの一滴も流れなかった。
「……本当に、喰えない野郎だ」
呟く白鬼夜行の近くには、大地を司る天使の姿は、ない。影も形もどこにも見当たらない。
「魔術じゃない……今のは一体、何なんだ?」
魔力の残滓は欠片程も感じられない。
魔術の隠蔽を謀る魔術もあるのだが、それは『どんな術式かを悟られない為』に『魔力の種類を隠蔽』する『魔術』であり、『隠蔽した魔術の魔力』は残るものだ。だが、今の大地天使は本当の意味で『魔術』を使った訳ではない。
まるで空間を丸ごと切り取ったかの様に、消えたのだ。残留思念さえ残されていない。
「薄気味の悪い野郎だ……」
唾を地面に吐きつけ、ふと公園の入り口を見つめる。
少し遠いが、彼の視力ならば問題なく顔の判別さえつく。
金髪のツインテールと、茶髪のサイドテール。
「ようやくお出ましか」
ニタリ、と白鬼夜行は嘲笑う。心底から望んでいた、この状況を。
サンタクロースにプレゼントをもらうのを楽しみにしていた少年の様に。
微笑う。
[Jan-08.Sun/20:20]
住宅地を歩く影は二つ。
神殺槍の異名を持つカナタと殺戮狩人の異名を持つアキラである。
現在のパーティ状況的にはこうだ。
『時津 カナタ
職業:狙撃手
状態異常:呪い』
『アキラ ヒルベルド
職業:狩人
状態異常:なし』
『ルーナ カトールレゲナ ブラチネット
職業:吸血鬼(職?)
状態異常:ヘベレケ』
そんな訳で、ルーナはカナタに負ぶさり、カナタはルーナに負ぶさられていた。アキラとジャンケンして負けた結果である。
意識は混濁している様で、さっきから寝言みたいな事をブツブツと呟いている。
「流石の酒豪サマも、ピッチャー九杯はツラかったみたいだな」
「……ってかさ。人間なら呼吸困難で死んでるって」
シュボッとアキラはタバコに火を付けながら笑い、カナタは呆れ顔ですぐ横のルーナの寝顔を見つめる。幸せそうに眠っているが、カナタとしてはそんなになる前に止めとけよとツッコミたい。
「……で、だ。さっき言ってたウィックの件。どうするつもりなんだ?」
「そうだな。出来れば、これからはルーナから離れずに行動するのがベストなんだが……明日から新学期だろ?学校をサボる訳にもいかないしな」
「……ちょっと待て」
アキラの言葉に、カナタはストップをかける。
「学校……?」
「あぁ。お前、確か高一だったろ?俺は中三だから、学費の方も工面してくれ。高校に入ったら必ず返す」
「チュウサン!?」
口をパクパクと開閉させながら、カナタは愕然とする。
目は比喩抜きで見開かれ、全身がガタガタと震えてさえいる。
「……何だ。その、トラン○スの父親がベジー○と知った時の○空みたいな表情は?」
「だっ、え。っぃ、いや、え、ハァ!?チュウサンって中三!?昼餐!?ウッソだろ!?」
「……マジだよ」
タバコの煙を吐き出しながら、髪をかきあげるアキラ。
驚愕しまくったカナタは、アキラをじっと見つめる。
「……え。ギャグ?」
「何言ってんだ?これでも有名な私立中学の中三だっつの。エレベーターだっつの」
アキラが通っていると言う学校の名前を聞き、カナタは更に驚愕する。
「って、そこミサトと同じ中学じゃねぇか!ありえねぇ!」
「ミサト?それって桜井 ミサトか?クラスメイトだぞ。俺と常に学年首席の座を争ってる」
「えぇヱゑ――――!?何かどっから驚けばいいのか全く分からねぇ――――!!ツッコミ所満載ィ――――!!」
「まぁ、両親が四年前のテロで死んで、ささやかな財産で初等部から上がったは良かったが、結局金がなくなってな。《神ノ粛正ヲ下ス使徒》に忠誠を誓う代わりに金を受け取っていたんだ。今時、吸血鬼専門の狩人なんて、異端審問官の真似事も流行んないし、金が入るならいいかなってね」
しみじみと身の上話をするアキラだが、どこか沈痛な面持ちである。
恐らく、カナタには計り知れない暗い過去があるのだろう。
「……自分の両親を殺した奴らと、よく一緒にいられたな」
「世の中にはそういう人間もいるって事だよ。《天地反転》する事でよりよい未来が創れるのなら、それに越した事もなかった訳だしな……」
ルーナの寝顔を見つめ、アキラは小さく呟く。
その笑顔は穏やかで、だけどどこか悲しげで、カナタは反射的に視線を逸らした。全く逆の道を歩いてきたアキラが、何故か眩しく見えたから。
「……僕は、《神ノ粛正ヲ下ス使徒》なんか赦せないケドな」
両親や弟妹が無惨に殺されたという過去を持つカナタは、下唇を噛みしめながら呟く。
「それはそうと、カナタ。学費の件は頼めるのか?」
「何とかしてやるよ。せめて高校まではな」
ため息を吐きながら、カナタは答える。父親ってこんな心境なんだなぁとか考えながら。
「あ。そういや今日、何曜日だ?」
不意に何かを思い出したのか、カナタが顔を上げる。
「日曜日だが?」
「やっべ。明日には週刊マンガ、新刊になんじゃん。まだ読んでねぇよ」
シリアスな空気ががらりとコミカルに変わり、アキラは呆れた笑みを浮かべる。
結局あまり吸わなかったタバコを足でもみ消しながら言う。
「じゃ、ルーナは俺が持って帰るから、お前はとっととコンビニ行ってこい。ってかまだ残ってるのか?」
「分っかんねぇケド、行くっきゃねぇだろ」
カナタとしては、海賊の冒険の続きが気になって仕方がないのだ。
眠りこけるルーナをアキラに渡し、今来た道をダッシュで引き返す。
「結局、ウィックの対策、何も考えられなかったな……」
苦笑いを浮かべながら、アキラは荷物を持つ様に雑にルーナを肩に担ぎ、マンションへ続く道を歩きだした。
[Jan-08.Sun/20:25]
銀色の髪に、金色の瞳。
こんな男の子が本当に白鬼夜行と呼ばれる鬼なのか、あたしは少し信じられない。
行灯陰陽は無表情に、白鬼夜行は愉快そうに、夜の公園で対峙する。
ぶっちゃけ、あたしは場違いなんだろうなと自問する。
「アンタかい、こんな式神を使いに寄越したのは」
ポケットから一枚のコピー用紙(短冊サイズ)を取り出し、問う。少女の表情がピクリと微動する。
挑発的な言葉遣いの白鬼夜行に反応を示さず、行灯陰陽は淡々と呟く。
「如何にも、私です」
式神という言葉の意味はよく分からなかったが、何かやたらと剣呑とした風が流れる。ピリリと頬がひきつる感覚。
「ヒ、ハッ。なかなか最高に最低な術式だな。陰陽術に対する冒涜としか思えない。ウィックってのはここまで腐った奴らの集まりなのか?」
「貴方には関係ありません」
事態は更に緊張感を募らせる。
行灯陰陽と白鬼夜行が、互いに一歩、二歩と歩み寄る。
あたしはそれを眺めるだけしか出来ない。
「魔物は世界に害をまき散らす。それを防止する為にも貴方には、我々の監察処分を受けて頂きます。拒否権はありません」
「やなこった。誰がテメェらの監視なんか甘んじるかよ」
「……拒否権は、ありません。さもなくば、強制排除を執行せねばなりません。……構いませんか?」
「構いませんとも。……今更ビビったとか言わんだろうな?」
気付けば、二人の距離はたったの二メートルにまで縮まっていた。
何だかよく分からないのだが……これは……。
(一触即発ムード……?)
あまり変わらない高さの二人の視線が交錯し、互いの右腕が肩の高さまで上げられた瞬間、
何が起きたのか、理解が出来ない。思考が追い付かない。
少女・行灯陰陽の足下が、まるで無数の刃で斬りつけたかの如く、豪快に弾ぜた。
少年・白鬼夜行の足下から、土造りの巨大な氷柱が地面から生え、少年の身体を貫く。
だが次の瞬間には、二人の姿はそこから消えていた。
土の槍に貫かれた少年の姿は、どこにもない。血の後すら付着していない。残像だろうか。ハイライトぶっ飛ばした非現実にあたしは唖然とする。
これが、あの娘の世界?いや確かにそれなりの覚悟はしていたケドも。だからと言って……これは正直キツい。
ザギン!ガシュ!
不意にほんの刹那だけ二人が現れては、効果音と非現実な光景だけを残して再びその姿が消える。いや、この場合は『目に映らない』という表現の方が正しいのかも知れない。
それ程の高速で戦っているのだと直感する。
「……マジで?」
あたしの呟きは夜の公園に響く衝突音でかき消される。
どのくらい、そんな光景を眺めただろうか。暫くあたしがボーッとしていると、急に二人の姿が現れた。
少女の小柄な身体が地面に叩きつけられ、少年の華奢な身体が空中を舞い、クルリと一回転して着地する。
「テメェ、本当に陰陽の術者か?高等体術『瞬歩』まで使えるとは、マジで驚きだ……」
ゼェゼェと肩で息をしながら、白鬼夜行が呟く。身体中、傷だらけで服は元のデザインが分からないくらい泥まみれである。
肘を付き、何とか上体を起こそうとする行灯陰陽も見るに耐えない有様だ。コートはすでに布切れと化していて、その下に来ていたニットのセーターはズタズタに裂かれていて、生傷と肌が覗いている。
「魔を祓い悪を斬る陰陽道が、独自に開発した体術なんてものは、平安の時より存在します。別に、『瞬歩』なんて大して珍しくもない……」
少女は傷だらけの身体を何とか立ち上げ、無表情に白鬼夜行を見つめ、抑揚なく答える。癖なのかどうかは知らないが、敬語であるのが更に空恐ろしい。
「まぁいいケドよ。ところでさっきから気になってたんだが……ありゃ誰だ?」
視線は行灯陰陽から離さず、あたしを親指で示す。思わず身を強ばらせてしまう。
「仲間か?……にしちゃあ魔力の露出が見えないが、まぁいい。俺は別に二人がかりだって構わねぇぜ。挟み撃ちでもすりゃ、もしかすりゃ勝てるかも知れないだろ?」
「彼女は、ウィックとは無関係な存在です。私が雇った水先案内に過ぎません」
ピクリとも視線を揺るがさず、行灯陰陽は告げる。
もはやコートとは呼べない布切れの内側から、古めかしい紙を取り出し、そこに腕から流血していた血を垂らす。
「ほぉ。って事は、あの無関係なガキを殺せばテメェらのアイデンティティーがブッ潰れるって事か」
「させません」
少女は血で何かを紙に書いた後、それを上空に投げる。
「白虎!」
叫び声に呼応する様に、短冊サイズの紙切れが白銀に発光し、行灯陰陽の目の前にはホワイトタイガーが出現していた。
大きさは、頭から尻までで四メートル半はあろうか、普通の虎より一回り二回り大きいが、それは立派な虎である。
普通と違う点。それは、ホワイトタイガーの背に三対六枚の純白の翼がついている事。
翼の生えたホワイトタイガーは僅かに輪郭が揺らいでいた。ディティールが少し曖昧な気がする。
「……白虎?」
その程度の単語なら聞いた事はある。中国の聖獣、西の守護神、大地を司る支配者。ゲームやマンガから得た知識だと、まぁ大体こんなものだ。
尤も、今まで見た中ではあんな翼は生えていなかったが。むしろどちらかと言えば、融合獣と言われた方が自然だ。
「……こりゃまた、さっきの大鳥同様に、無茶な術式を組んでるなぁ。まさか、白虎に風使い(ラファエル)を合成するとは驚きだ」
肩を竦めておどける白鬼夜行。明らかに挑発行為だ。
「東洋と西洋では学問しかり生活しかり、何もかもが違う。当然、魔術の術式もな。相反する式でそんな無茶してると、いつかバグるぜ?」
それは、水と油を混ぜる様な行為なのかも知れない。あたしは漠然と噛み砕いて理解する。
確かに、絶対に混ざらない二つの分子だが、方法を変えればいとも簡単に混ざり合う。例えば、無重力下で混ぜ合わせる、とか。
比重の違う卑金属と貴金属でさえ、無重力では重さがないから、絵の具の様に混ざり合う。水と油も同様だ。一見すれば良い方法に思えるかも知れないこの方法だが、実際はそう甘くない。
通常重力圏に戻した途端に遊離反応を引き起こし、発熱する恐れがある。実は非常に危険な方法なのだ。
あたしは少女を窺う。
顔色が冴えないのは、疲労からか激痛からか、はたまた少年が言った副作用みたいなものからなのか、あたしには判断つかない。
「白虎。彼女……雷双槍を護って」
少女が命令すると、白虎は一つ嘶き、駆け、あたしの目の前で止まり少年を振り返る。
「いいのか?あんな莫大な魔力を消費する式神を喚んだ状態で、俺と殺り合う気か?」
「当然。もし関係のない市民に怪我一つでも負わせれば、それは末代までの恥」
「あっそ。でも、まぁ、どの道お前じゃあ俺には勝てないだろうケドな」
白鬼夜行は口の端を歪め、嘲笑する。
「所詮、『瞬歩』を覚えた程度でいい気になってる様な奴だ。俺が負ける道理はない」
言うが早いか、瞬きの瞬間に白鬼夜行の姿が消え、あたしの前に佇んでいた白虎が刹那で細切れにされ、行灯陰陽の背後に立っていた。
少年の手は、行灯陰陽の首筋を掴んでいる。
ほんの瞬きで、形勢が変わった。互角だと思っていたあたしは、立ち尽くす。
(あの子が掴まれている箇所……マズい!)
人体急所の一つが首である事は周知の事実だろうが、あれは非常にマズい。
(後頭から胸鎖乳突筋を圧迫して、頸カを絞めてる……。このままじゃあの娘、頸椎を折られて頸神経叢をやられる!)
そうなって仕舞えば、現代の医学では治せない。彼女は生涯を、指一本動かせない寝たきりで過ごさねばならない。
あたしは、迷う事なくコートのポケットからオーストリア製の、特殊な安全装置を採用した自動拳銃を引き抜き、少年に向かって発砲した。
パァン……。
夜の公園に、銃声が一つ。
【GLOCK 20】
全 長:160mm
重 量:560mm
口 径:9mm×19
装弾数:10+1発
生産国:オーストリア
グロックシリーズのフレームは、他の銃同様のチタン合金やカーボンファイバー等の素材を用いずに強化プラスチックを使用し、軽量化している。
オーストリアには山岳地帯が多く冬の寒さは厳しい。この銃は手袋を着用する寒境下でも容易かつ安全に取り扱える様、設計されている。更にこの銃は撃鉄を露出させないグリップフレームを用い、またシングルアクションに近いトリガープル(引き金張力)で撃発・発射されるという独特の撃発メカニズムが組み込まれている。
作中で『特殊な安全装置』と言った通り、この銃のグリップには普通の安全装置はついていない。引金にはめ込まれた二重引金こそが安全装置となっている。ただ引いただけでは撃つ事が出来ず、二重引金と同時に引かなければならない。