世界の契機
四年前、あたしは何もかもを失った。
《神ノ粛正ヲ下ス使徒》の無差別な攻撃を受け、両親は爆死、大好きだった兄は銃撃で死んだ。この世に取り残されたのは、生きる術を持たない、ただの中学生の女の子だけ。
恵まれた環境だった。
気立ての良い親類に、優しく接してくれた祖父母。大切な友人、可愛い後輩、好きな先輩。クラスメイト。
全てが儚く、瓦礫に埋もれ壊れた。
鏡を割る様に、たやすく、脆く――。
どうしてあたしだけが生き延びてしまったんだろうか。
あたしもあの時死んでいれば、どんなに幸せだったろう。
救出作業や撤去作業が大々的に行われている街に、あたし一人だけ。どこかしこからも、老若男女を問わずに鳴き声や叫び声が止まない、崩れた街。壊れた人。
兄の千切れた腕を見つめ、抱き締めても何も実感が湧かない。
悲しいも悔しいも何もない。欠けた喜怒哀楽。
血塗れの腕は、流れた銃弾を受け、追い討ちの様に瓦礫が引き千切った物。
そう。それは物。人ではない。
精巧な、肉のマネキン。
涙は全く出なかったが、代わりに笑いがこみ上げた。
人の……大好きだった兄の腕を抱き、あたしは高らかに笑った。
それから先の事を、あたしは覚えていない。ぽっかりと、そこだけ記憶が抜け落ちている。
気付けば、あたしはある男に連れられ、《聖骸槍》の遊撃手としての訓練を受けていた。
暗号名は雷双槍。
しばらくして、綺麗な長い黒髪の少女が連れて来られた。非道く無口な娘で、最初は餌を与えられていない猫みたいに、警戒心がやたらと強かった。近付けばすぐに逃げるし、いつも一人だった。
次に連れて来られたのは、天然パーマ気味な、可愛らしい男の子だった。関西弁(なんか微妙に間違ってる気もしたが)で喋る、明るい男の子だ。でも、話していて分かった。この子には、喜怒哀楽の『楽』以外の感情が働いていない事に。怒った口調になる事もあったが、まるで人でありたいが為の演技にしか見えない。
最後に連れて来られたのは、色白の、人形みたいに整った顔立ちの少年だった。この子は非道く重症で、最初に来た娘と同じく無口だったが、まだ彼女の方が可愛げがあった。
あの、暗い双眸が、今でも忘れられない。
《神ノ粛正ヲ下ス使徒》だけでなく、《子供同盟》も政府も、それ以外の全て――世界さえも怨み、憎んでいるだろう事が分かる双眸。
傷を負った、少年少女の集まり。
ただ、あたしには彼らと違って、何もない。あの子達は、《神ノ粛正ヲ下ス使徒》を怨んでいる。自らの生命を犠牲にしてでも殺すのだろう。
だけど、あたしには何もない。
戦う意義も意志も見いだせない。
所詮、あたしは何もない、マネキン。
壊れたマネキン――――。
[Jan-08.Sun/20:00]
「……北北西にいる、か」
少女が呟く。磁針は北北西を指していた。
「何が?」
あたしが訊ねる。やや意外そうな表情で少女が振り返る。
「なっ……」
そして、言葉に詰まる。隻眼は皿の様に見開き、口は半開きのままだ。
「ねぇ。いるって、何が?」
あたしが再度問うと、少女は我を取り戻し、次に睨めつけてきた。
「どうして貴女がここにいるんですか?」
「だって、あたしもあの駅で降りるつもりだったし」
嘘ではない。
少女を追いかける為に降りてみたら、実はいつの間にか目的の駅に着いていたのだ。
「……では。私は急いでいるので、これで」
関わり合いになると面倒だと判断したのか、少女は視線を方位磁石に戻し、歩きだした。あたしもその後ろをついて歩く。
「いるって、何がいるの?」
「貴女には関係ありません」
「女の子が夜の街を歩くと危ないよ?」
「余計なお世話です」
……むぅ。取り付く島もないとはこういう状況を言うんだろうか。全く相手にされない。
「さっきの男の子を捜してるの?だったら手伝うよ」
「必要ありません。ついて来ないで下さい」
「この街の人じゃないんでしょ?水先案内人いらない?」
ピタリと。少女が足を止め、コートを翻しながら振り向く。右サイドに纏めた髪が慣性のままになびく。
少女は訝しげな表情のまま、告げる。
「こちらの世界は、貴女が生きてきた世界とは全くの異世界です。深入りしようとしない事です。……死にますよ?」
こちらの世界?異世界?死ぬ?
普通なら、この女の子を『ただのイタい奴』と判断し、早々に立ち去るのだろうが、あたしは立ち去らない。むしろ、一歩歩み寄る。
「異世界だって言うなら、あたしの世界も充分に異世界よ。死と隣り合わせのね」
つまり、そう言う事だ。
少女がどんな世界にいるのかは知らないが、少なからずあたしは興味があった。
この少女が、ただの狂言者にはどうしても思えない。
ハァ、とため息を吐く少女は、
「……自己責任です。死んで、私を怨んだら問答無用で殺しますよ」
「……ぷっ。どうやって死んだ人を殺すのよ」
思わずあたしが吹き出すと、少女は何の反応も示さずに歩きだした。
ただ。
その足取りは先刻までと違い、少し歩調が遅い。
(……勝手について来い、って事かしら)
早足で少女に追い付き、隣に並ぶ。少女はじっと方位磁石を見つめている。
「あたしは的部 澄澪。よろしくね」
朗らかに言ってみるが、案の定、聞いてるんだか聞いてないんだか反応はない。
と思っていたら、少女はおもむろに顔を上げ、言う。
「私は本名を名乗りません。名は呪詛の根元であり最良の手段ですから」
よく分からない事を。
「じゃあ、何て呼べばいいの?」
「……」
立ち止まり、顎に指を添えて黙考する少女。
「……行灯陰陽。行灯陰陽と呼んで下さい。他の人々は私をそう呼びます」
「……長ったらしい呼び方ね。いいケド」
少女・行灯陰陽は何事もなかったかの如く、再び歩きだした。あたしはその隣を歩く。
「暗号名なの、それ?」
「近いものではあります」
「だったら、あたしの事は雷双槍って呼んでもらえないかしら。そっちの方が慣れてるから」
[Jan-08.Sun/20:10]
「魔術ってのは、能力じゃなくて技術だ。修行して、初めて身に付く」
ラーメン屋を出て、次に向かった先は焼鳥屋。
カナタはそこで、アキラによる魔術講座を(何故か)受けていた。
「……ってか、公衆の面前でそういう事を話すの、止めないか?やたらと周囲の視線がイタい」
「ルーン文字を用いた北欧魔術、梵字を用いた陰陽術、エジプトでは絵を描く事で魔術を行使すると言われている。これらの、言わゆる魔法陣を使用した魔術は儀式魔術と言う」
「……無視なのな」
分かりきった事ではあったが、凹まずにはいられないカナタ。
少なくとも焼鳥屋でする議論ではないのだが、如何せん、アキラが説明を始めると止まらない。ルーナはすでに放置していて、ビールをジョッキで頼んでいた。
「ラテン語で言葉を紡ぐ魔術はラテン魔術、サンスクリット語での魔術も陰陽術の一種だし、シリア語やイディッシュ語……他にもあるが、これらの古代語には神聖な力が宿っていて、魔法語とも呼ばれている。これのちょいと亜種なのが、ユディト書やミカ書、ナホム書やゼガリア書などに記載された言葉に隠された魔術、暗号魔術ってのがある。これは言葉の意味さえ合っていれば日本語でも構わない」
狩りの時限定だが、黒いローブなんていかにもな服を着て街を歩いているアキラは白い視線を浴びる事に慣れているのか、全く、本当に全く動じた様子がない。
「今日感じた力は、ルーナが言うには陰陽術らしい。西洋魔術の癖も入っていたと言うから、もしかしたら陰陽術をベースに自ら亜流を創り出したのかも知れない」
「……それがどうしたんだよ」
もはや諦めたのか、カナタは焼き鳥を摘みながらウーロン茶を啜っていた。
「こっからが問題だ。聞け」
真顔で言うアキラだが、カナタはまるで気にしていない。と言うか見てすらいない。
「こんな滅茶苦茶な術式を使っている組織を、一つだけ知っている」
『組織』と言う言葉に反応し、カナタが顔を上げた。
「《神ノ粛正ヲ下ス使徒》か?」
「いや、違う。だがそれ以上に厄介な奴らだ。……ってだから聞けよ。どうしてそこでだれる?」
「だって、あいつらじゃないなら俺ら関係ないじゃん」
「そうでもない。もしかしたら、ルーナが狙われるかも知れない」
再び、カナタが顔を上げた。
「奴らのモットーは『悪しき魔を撲滅し、清き聖を救う。一日一善をしっかり守ろう』だからな」
「……何だかアホみたいな組織だな。ってか悪しき魔って、やっぱルーナ関係なくないか?」
「だからそうでもないと言うとるだろうに。人魚や妖精みたいな『聖』霊ならともかく、吸血鬼は『魔』物と判断する奴らだ。しかも真祖とくれば、奴さんら、ここぞとばかりに殺しにかかるぞ」
「……先入観って怖いな」
ズズズと音を出しながら、カナタはウーロン茶を啜る。口の乾きを潤す為に、アキラは梅酒を一気に呑み、コップに注ぐ。
話の中心人物でありアホな組織に狙われているかも知れないという、一番緊張感を持たねばならない存在であるルーナはビールをお代わりしていた。
「おじさ〜ん。次はピッチャーでよろしく〜」
しかも更に上を行くらしい。
「で、組織の名前は?」
神妙な顔で訊ねるカナタに、アキラは告げる。
「世界共有魔導文化保護同盟(WIK)……通称……。って何で力尽きてんだお前?」
眉を八の字に歪めながら、アキラは呟く。眉毛なんて剃られていて殆ど残ってないのだが。
「いや……何か、急にバカバカしくなってきた……」
「相手は世界規模の魔術結社だからな。抗戦してもまず勝てん」
「世界中に暇人がいるって事か……」
「何しろ世界中の魔術の総態勢だからな。魔術を異邦にアレンジしてもおかしくない」
アキラの口調にいつもの軽口はなく、至って神妙そのものなのだが、カナタとしては何だかどうでも良くなってきた。
「とは言え、凹んでる場合じゃないな……如何に相手がアホでも、世界規模じゃ戦う気も起きない」
「そう。だから、決して戦ってはいけない。絶対にだ。だからと言ってルーナを殺させる訳にもいかない。人に危害を加えない善良な吸血鬼だと言う事を説得しなくてはいけない」
「善良と言うか……」
カナタは呟きながら、向かいに座るルーナを横目に見る。アキラもそれに続く。
ルーナはピッチャーに注がれたビールを呑み、焼き鳥を頬張っている。焼き鳥を主食にビールを呑んでいると言うよりは、ビールを主食に焼き鳥を食べている風がある。
「……バカなんじゃないか、ただの?」
「…………(肯定)」
[Jan-08.Sun/20:10]
「で、男の子の名前は何て言うの?」
あたしは、行灯陰陽に笑顔で訊ねる。
やや顔をしかめながら、というか訝しげに彼女が答える。
「男の『子』という表現は、適切ではありませんね。これはこう見えても、一〇〇〇年前から存在している霊鬼属です」
「シートレギ……?って何?」
「早い話が、『鬼』です。本名は分かりませんが、我々は仮想敵として白鬼夜行と呼んでいます」
「鬼って、ナマハゲみたいなの?」
「そうです。尤も、西洋での鬼は言わゆる残酷な魔女や魔術師の事を指しますが。これは鬼籍した鬼です」
いまいち分からないが、ようするにこの少年――もとい白鬼夜行は鬼であり、一〇〇〇年の時を過ごしてきたと言う事か。
こんな非現実的な事をあっさり信じてしまうのもどうかと思うが、今更それを言っても仕方がない。この少女の世界には、常識的な口を挟まない事にしよう。
少女は方位磁石で方向を確認しながら歩く。あたしは何気なくその光景を見て、ようやくおかしな点に気が付いた。
「何で、方位磁石の中に砂が詰めてあるの?それに磁針に紐みたいのが巻き付いてるし。しかも、北を指してないし」
「これは、索敵道具の一種・羅針盤です。あらゆる魔を赤い磁針が指し示し、あらゆる聖を白い磁針が指し示してくれます。私の魔力では、効果圏内は半径二五キロと測定されます。単純計算すると、凡そ一九六二・五平方キロメートルの探索が行える一品です」
「へぇ。そりゃスゴい索敵装置(MTOS)ね」
「この砂はデルポイ神殿より調達し、さらに清塩で清めた聖砂であり、紐は注連縄です。中国の羅針盤の機能を高める為に、私自身がアレンジを施しました」
やっぱり言葉の意味は分からないが、口振りから察するに行灯陰陽はそれなりに優秀な存在らしい。
「それで、その白鬼夜行ってのを見つけたら、どうするつもりなの?」
「我々は社会的に疎外されている魔術師・魔物・聖霊の保護を目的とした組織です。この鬼が人間に害ある存在かどうか、素行を聴取し、その場の判断により対処をします」
「……必要があれば、殺すって事?」
「はい。白鬼夜行は鬼であり、魔術師です。しかし、その可能性は高いですが私の目的はあくまでも『保護』ですので、そうならない様に説得するのが仕事となります」
組織。保護。仕事。
どこの実務団体に所属しているかは知らないが、少女の双眸には強い意志が宿っている。使命感に燃えている様だ。自らの役目に意義も意味もない、あたしとは真逆だ。
なんだか、少しだけ眩しくて、少しだけ悔しい――。




