世界の動向
[Jan-08.Sun/17:00]
科野に宿題を手伝ってもらい、あたしは何とか死線を越える事が出来た。
夕方の五時とはいえ、図書館を出てみれば辺りはうっすらと暗くなっていた。
「どもッス、科野くん。お陰で助かったッスよ」
「いやいや、大した事じゃないし。一度解いた問題を解くくらい」
問題にもよるだろう、そうツッコミたい気持ちを抑え、あたしは科野と並んで商店街を歩いていた。
「ちょっと小腹空かねぇ?」
と、科野が切り出してきた。そういえば、少しだけ空腹感がある気がする。
「ちょいと穴場なんだけどさ、いい喫茶店知ってんだ、俺。そこに寄ろうぜ。奢るからさ」
「え〜……でも、宿題手伝ってもらったのに悪いッスよぉ」
「いいって。気にすんなって。行こうぜ」
ニコリと微笑みながら、科野は言う。
まぁそこまで言うのなら、断るのも悪い気がする。あたしは申し訳なさげな表情を取り繕いながら頷く。
「よっしゃ、決まりな。ちょいとばっかし、裏通るから」
言うが早いか、科野はコートを翻して商店街の裏路地に足を運んだ。慌ててその後を追う。
古い一戸建てが建ち並ぶ住宅地の隙間を縫う様に、科野は迷いもなく進む。あたしとしては、本当にこんな廃れ気味な所に喫茶店があるのか、不安に思う。
まるで、二〇世紀末にタイムスリップしたのではなかろうかと疑ってしまう、狭い路地の住宅地。穴場だと彼は言っていたが、こんな不便な場所に喫茶店があるのだとしたら、経営も厳しいんじゃないかと思う。
路地の角を右に左にと曲がり、辿り着いた先には確かに喫茶店が存在していた。
古ぼけた色彩の外壁は所々が剥がれ落ち、コンクリートの鼠色が剥き出しになっている。看板は色褪せ、電光はついてない箇所の方が多い。ドアはやたらと色濃く、何とも重厚な印象を醸し出す。
こんな時代錯誤な喫茶店が存在する事に唖然としながらも、あたしは看板に書いてある喫茶店の名を呟く。
「……カモフ?」
何故にロシアの戦闘ヘリの名前なんだ、とあたしは呆れた。
[Jan-08.Sun/17:10]
外見に負けず劣らず、店内もやたらと廃れた印象だった。
漆喰の壁は剥がれているし、ランプをモチーフにした電灯はチカチカと点灯している。焦げ茶の濃い支柱は年代を感じさせ、趣がある。
あたしの第一印象としては、喫茶店というよりは骨董屋なんじゃないか、といった感じだ。
「どうだ?なかなか渋い店だろ?」
「う、うん……そうッスね……。カッコいい店ッスね」
感想を求められても、あたしとしてはそれ以外には何も言えない。
と、不意にあたしは全身に脱力感を覚えた。両腕は鉛の様に重く感じ、足は地面に根を下ろした様に動かない。
(…… え、 何だ ろ 、 この 感 覚)
意識が薄れる。瞼が重い。足腰に力が入らない。
「――?――、――。――――――?」
誰かの声が聞こえてきた気がしたが、あたしはそれを認識するだけの思考が働かない。
非道く、眠い。どうしてだか、それが怖い。
「――。――、―部。的部」
パァン!
何かが弾けた様な音が頭に響き、あたしは顔を上げた。
「ぅおっ!?」
急にあたしが頭を上げた事に驚いたのか、科野はイスの背もたれに寄り掛かって身を反らした。
「え……あれ?」
奇妙な感覚は、すでにない。あたしは自分の身体を眺める。おかしなところはない。
と、ここでようやく、あたしは椅子に座っている事に気付いた。
いつの間に座ったのか、全く覚えていない。
「どうしたんだ、ぼーっとして」
「えっ。あ、あれ?どうしたのかしら、あたし……」
寝ぼけていた?そんなに、宿題で疲れてたのかな……。
曖昧な笑みを浮かべ、テーブルに置いてあるメニューを開く。
「あ、そうだ科野くん。ここのオススメとか、あるんスか?」
「そうだな……俺の友達は、ここのチーズケーキが好きだって言ってたな。俺、甘いのダメだからケーキとかは分かんないな……紅茶やコーヒーなら分かるけど」
「そう。だったら、チーズケーキとコーヒー、お願いしてもいいッスか?」
「オーケー」
メニューを閉じた科野は、バーテンダーよろしくカウンターでグラスを磨いている筋骨隆々の男に注文すると、コートのポケットからタバコとジッポを取り出した。
「あ、タバコ。駄目ッスよ〜」
「いいじゃねぇか。高校生の三分の一は喫煙者なんつー統計もあるんだぜ。税金を賄ってると思えば、いい事した気にもなれるし」
ケラケラと笑いながら、科野はタバコに火をつけた。まぁ、あたしは口ではそう言っても、別に止めるつもりはさらさらない。
《子供同盟》の大半がタバコを嗜んでいるので、今更気にもならない。……うん、あたしは吸ってないよ。ホントだよ。
「お待ちどう」
無愛想な、口周りに髭を生やした老年の主人が、渋い声と共にテーブルに品物を置いた。
丸太みたいな腕に太い指の至るところについた、荒々しい痕がやたらと目立つ。どうでもいいが、こんな外国の特殊部隊に所属していましたと言わんばかりの大男がチーズケーキを作っている姿を想像してしまい、あたしは心中で笑いを堪えた。
「それはそうと、科野くんがこの喫茶店を見つけた経緯とか、ちょっと聞いてみたいかも」
「あぁ、ただの偶然だよ。デモってて警察に追い回されてた時に、とにかく振り切ろうと裏道を走ってたら見つけたんだ。店長――あぁ、鶴壁さんってんだけどな――に匿ってもらって。いやぁ、あの時はスッゲ助かったな」
「へぇ」
まぁ、そんなところなんだろうね。でなければ、こんな異世界じみた店に辿り着く事はまずないだろう。
その後、あたしは日が暮れ夕飯時になるまでカモフで科野と会話を楽しんだ。
[Jan-08.Sun/19:50]
しばらくカモフで話していれば、気付けば八時前にまでなっていた。
「というか、晩御飯まで奢って貰っちゃったし」
ここまで至れり尽くせりだと、むしろ申し訳なさは絶頂を極めてしまう。
科野と別れ、あたしは電車に揺られて帰宅していた。電車は思ったより空いていて、あたしの乗っている車両には向かいに少女が一人だけしか乗っていなかった。
毛皮のロングコートを羽織り、髪を右サイドに束ねた幼い少女だ。眼帯を左目につけている。
ぼーっとあたしが少女を眺めていると、窓の外を眺めていた少女がこっちを見た。反射的に、あたしは目を逸らす。
「……少しいいですか?」
「へ?」
声を掛けられ、慌てて振り向くと少女が目の前に立ち、座るあたしを見下ろしていた。
「この男を知りませんか?」
少女はコートのポケットから一枚の写真を取り出した。
「はぁ……」
何なんだろう……人捜し?こんな小っちゃな女の子が?いや小さいのはあたしも同じだが。
写真を覗いてみると、小さな男の子が映っていた。銀色の、肩まで伸びた髪。緋色の双眸。切れ長の目は猛禽類を彷彿とさせる。歳は……十二かそこら、と言ったところだろう。
ただ。
その少年が、あたしにはどうしても人間には思えない。
人の姿をした、別の存在に見えてならない。
全身に鑢を当てられたみたいな、おぞましい寒気がした。
何の変哲もない、男の子の写真なのに。
その、筈なのに。
「どこかで見かけたというだけでもありませんか?」
無表情の隻眼の少女が訊ねる。あたしは救いとばかりに写真から視線を逸らした。
「……ない、と思います」
こんな、強烈な存在感を醸し出した少年を街中で見かけていれば、絶対に忘れない。忘れられない。
「……そうですか。それならいいんです」
片方だけの瞳を閉じ、少女は写真をポケットに仕舞う。
「……あぁ、それと、最後に一つだけ」
少女が言うと同時に、電車が駅に着いた。ドアが開き、サラリーマンらしき人が続々と入ってきた。
「……気をつけて下さい。貴女の周りに、鬼が見えます」
「はぁ?」
それだけを言うと、少女は毛皮のロングコートを翻し電車を降りた。
「ね、ちょっと待ってよ!」
ポシェットを肩に掛け、あたしは少女を追って電車を降りた。
何故か、興味を惹かれたから――。
[Jan-08.Sun/19:50]
肩に掛かる銀色の髪を風になびかせながら街を歩く少年は、不意にその足を止めた。
「……余計な事をしてくれんなよ。縊り殺すぞ」
物騒な言葉を吐きながら、少年は振り返る。
「あらあら、ごめんなさいね。これが迷惑なんだと思ったんだけど、悪い事しちゃったわねぇ」
少年の視線の先には、一人の女性がいた。長い黒髪を後ろで束ねた、妖艶と言う言葉がピタリと当てはまりそうな女性が。
ぴちりとした赤いロングコートの前を開け、下に着ている服も三つのボタンを開けている。スカートは、膝丈上一〇センチどころの話ではない。
「……アンタ。前に見たデカい奴の仲間か?」
「デカい?……大地天使の事かしら?」
「そう名乗っていた。アンタは誰だ?」
「アハン。あたしはぁ、悠・久・天・使って言うの。よろしくね」
ウィンクをしながら、悠久天使は少年に歩み寄る。
当の少年は、悠久天使を険しく睨みつけている。
「アン、そんなに怒んない怒んない。もっと笑顔でいなくちゃ」
人を小馬鹿にした様な言い方をしながら、悠久天使はコートから手を出す。手には、短冊サイズに切られたコピー用紙が握られていた。
「式神。術式は陰陽術の亜種と言った感じかしら。真ん中に大鳥の文字が書かれているケド、呪符の端々にルーン文字が書かれている。見た事ない文字だから、恐らくは風のルーンを開発したんでしょうね。……無茶苦茶な術式だわ。陰陽術と北欧魔術を掛け合わせるなんて、ね」
悠久天使の顔が曇る。あからさまな嫌悪感が滲み出している。
「……で。俺の楽しみを一つ奪った大天使サマが、一体全体何の用だ?」
唾を地面に吐きつけ、悠久天使を睨む。
「やっぱり、貴方は式神に気付いて、敢えて無視していたのね」
「当然だ。そこらの陰陽師如きに付け狙われて気付かない筈がねぇだろ。暇潰しにからかおうと思ってただけだよ」
「……ふぅん」
少年の言葉を聞いた悠久天使は、途端に険悪な表情を含み笑いに変えた。
「だったら、い〜い情報が一つだけ……あるんだケド?」
「聞く気はないね。俺は今、どっかの大天使サマに楽しみを奪われて機嫌が悪い。殺されたくなけりゃ消えろ」
「敵さんねぇ。WIKの連中よ」
今まさに歩き出さんとしていた、少年の足がピタリと止まる。
「世界共有魔導文化保護同盟。その一人らしいわよ」
「……マジか」
緋色の双眸を爛々と輝かせ、少年は髪をかきあげた。
「そいつぁ、ちっとは楽しめそうだなオイ」
「何だか忙しそうだから出直すわね。また今度逢いましょ……生きていたら」
「ほざけ」
犬歯を剥き出しにして笑う少年を眺め、悠久天使は満足そうな笑みを浮かべたまま、少年とは真逆の方向に歩いて行った。
「……さぁ。どうする、白鬼夜行さん?」
妖艶な笑みを浮かべ、悠久天使は人混みへと紛れ込んだ。
[Jan-08.Sun/19:50]
「うん?」
男は唸りながら首を捻った。
金髪は短く、重力に反発してツンツンに立っているが、襟足だけは異常に長く、肩胛骨の辺りまで伸ばされている。耳には無数のピアス、下唇に一つのピアスを刺している、身長一九〇強の大男。
名前は秋良 ヒルベルドと、名前からハーフである事が窺える。
だが彼は実は特殊な狩りの名門の生まれであり、冷静沈着・凄惨無惨なその狩猟スタイルから、殺戮狩人と言う二つ名を持っていたりする。
彼が狩る対象は吸血鬼であるが、実は現在の彼は吸血鬼と一緒に暮らしていた。
「どうしたの、アキラ?」
チュルチュルとラーメンを啜っている、アキラの向かいに座るルーナが訊ねる。
「いやぁ……んん?気のせいか?」
もう一度首を捻る。
「何だよ。不味かったか?割と美味いと思うんだが……」
そう言ったのは、クリスマスイヴに大怪我をしてしまいクリスマスから冬休み終了まで入院し、本日退院したばかりのカナタである。
「いや、そうじゃなくてだな……」
曖昧に答えては、やはり何度も首を捻るアキラ。カナタとルーナは、その奇行にどう対処すべきか戸惑っている様だ。
実はルーナとアキラはテロ組織《神ノ粛正ヲ下ス使徒》の元構成員であり、しかもルーナは先刻説明した、アキラと一緒に住んでいる吸血鬼である。簡潔に言うと、一二月二二日にカナタは二人の起こす事件に巻き込まれ、トントン拍子に話が進み、二人を匿う事になったのだ。
カナタは対テロ特殊部隊《聖骸槍》の狙撃手であり二人を罰する存在なのだが、特に悪事を働いた訳ではないという理由により匿う事にしたのだ。というより、アキラはルーナに矢を放ったりナイフで刺したりと傷害を起こしているのだが、アキラだけを警察に突き出せば必然的にルーナの事もバレてしまう。ルーナに火の粉が掛かるのを避ける為には、アキラも一緒に匿わなければならなかった。
結果、狙撃手と吸血鬼と狩人の集まりという、奇妙を通り越して珍妙な関係性が出来上がった。
(……まぁ、珍妙な関係性が出来上がった訳だが……僕の退院祝いをする為にラーメン屋に来て、どうして僕が金を払わないといけないんだろうか?これってどうよ?)
ラーメンを啜りながら、カナタは心中で呟く。
「……で、結局なんだったの?」
カナタの心情を知る由もないルーナは、再びアキラに訊ねる。
「気のせいかも知れないんだが……どっかで魔力の遮断を感じたんだ」
「あ、それなら私も感じたよ」
「やっぱこの街のどっかに魔術師がいたんだなぁ。実は夕方頃に発生を感じてさ」
「うんうん。多分、色彩は緑、術式は陰陽術に似てるんだけど……何か西洋的にアレンジされてる傾向があったね」
よく分からない話題で盛り上がる二人に、カナタは言う。
「……何言ッテンノオ前ラ?」
片言で。
「だから、魔力を感じたの。話はちゃんと聞こうよ」
「ちょっと待て。今のセリフは話を聞いていたからこそなんだとどうして気付かない」
分かりやすく頬を膨らませてプンプン怒るルーナの頬を指でつつきたい衝動を抑えたカナタは、アキラに振り向く。
「大体、魔力って……魔法かってんだ」
ハン、と鼻で笑うカナタにアキラは答える。
「魔法だよ。吸血鬼や地獄犬や吸血蜘蛛がいるんだ。魔法があって何がおかしい?」
「……………………………………………………………………、うぅ。非現実的だと胸を張って言えない自分がちょっと悔しい」
テーブルに突っ伏すカナタに、アキラは『何を今更』的な呆れ顔を向けた。