世界の不朽
[Jan-08.Sun/10:05]
冬休み最終日、という事で今日は美里と遊ぶ約束はしていない。冬期休暇課題――ようするに冬休みの宿題――と言う最強最悪、最凶最大の宿敵を淘汰する為に。
ミサトは終わっているらしいのだが、あたしは実はまだだったりする。
今日はたまりにたまったまま放置していた課題を終わらせる為に、あたしは自室に籠もるつもりだ。
「……ってうぁ〜、めんどくせぇ〜」
現国、日本史、英語の三つだけというのは嬉しい事なのだが、とにかく量が多い。毎年の事なのだが、冬休み前半に気合いを入れてやっておくべきだったと激しく後悔する。
「……どうしたモンかしらね」
こればかりは、聖骸槍の誰かに助けてもらえない。彼方は高一、ミサトと夕朔は中三だ。ちなみにあたしは高二と、最年長。学校の友人に助けを求めたいところだが、誰かを招けば必ず勉強会から脱線してゲーム大会と化しそうだ。
答えを写すだけの単純作業も結構、億劫になって投げ出すパターンが多いものだ。かと言って、あたし一人で対処出来る問題でもない気がする。八方塞がりの四面楚歌だ。
こうなると心の隅に、『宿題なんてどうでもいいかな』的な考えが浮上してくる……、
「……ハッ!なんか毎年、このパターンで宿題を放棄している気がする!」
それは多分、間違いないだろう。あたしの記憶を辿る限り、ここから先の展開に発展した覚えが欠片とない。
「……長期対戦になりそうね」
火を見るより明らかである。
フード付きの茶色いダッフルコートを羽織り、あたしは財布と宿題をポシェットに入れて家を出た。図書館に行けば、少しは殺る気も出るだろうという考えを持って。
そもそも、追い詰められた人間が家を出るとろくな事にならない、という考えもあるのだが、この際なので無視する事にする。
[Jan-08.Sun/11:00]
図書館に赴こう、としていた筈のあたしは、何故か友人の見舞いに来ていた。見舞いと言っても、退院する友人に祝いの品を持って来ただけなのだが。
マンション近くの商店街にある《甘々天》という店の特製プリン(一個五二五円)を。
「何はともあれ、退院おめでと。ハイこれ、お見舞いのプリン」
「お、サンキュ」
仕事の同僚である時津 彼方にプリンを受け渡し、カナタが持っている見舞いの品に妙な物がある事にあたしは気付いた。
「……そのゴテゴテしい十字架……何?」
「あぁ、コレか。コレは聖人が張り付けにされたゴルゴタ十字の精巧な複製品らしい。……友人からもらった」
「そっちには、あからさまな鉤十字が見えるんだけど」
「ナチスドイツの紋様だろ。これは、眞鍋さんの彼氏に見舞いとしてもらったんだよ。……どうして鉤十字かは謎だけど」
「……そっちには、さっきのゴルゴタ十字?に負けず劣らない装飾の十字架が見えるんだけど」
「これはケルト十字って代物らしい。組み紐紋様と渦巻き紋様が特徴していて、何かこの結び目には魔除けの効果があるんだとか」
「そっちの、頭に輪っかがくっついてるシンプルな十字架は?」
「エジプト十字だ。アンクには生命、手鏡という意味があり、再生を象徴してるらしい。……これも友人にもらった」
カナタは計四つの、十字架の置物を丁寧に鞄に詰めていく。そこはかとなく、沈痛な面持ちである。
「……アンタの友達は宗教かなんかやってんの?」
「いや。ケルト十字をくれたのはユーサクなんだが……多分みんな、偶然の一致なんだろう」
「……ま、変な宗教に入らない様に気を付けなさいね」
「……何か、久しぶりに普通な扱いをしてもらった気がして嬉しいんだが、いっそ悲しいわ」
本気で泣き出しそうなカナタの声。……よほどみんな、カナタで遊んでいたのだろう。
と、不意に病室のドアの向こうから、気配を感じた。出支度を整えていたカナタも手を止め、ドアを凝視する。
(……あ、そうか)
何となく、その正体が分かった。
チラリとカナタを横目で見てみると、まるで分かった様子がない。鈍い男である。
「カナタ。ちょっとあたし、出るから。支度でも続けてて。すぐ戻るから」
あたしはカナタにそう告げ、返事を待たずに病室を出た。
出て、ドアのすぐ横に、気配の正体がいた。
長い漆黒の髪は膝まであり、前髪は目を完全に覆い隠している。真っ白なヘアバンドが、よく映えてその存在を強調している。真っ黒なコートを纏い、膝まである黒のレザーブーツと、全身を黒で固めた様な少女が通路の壁に身を寄せていた。
「やっぱりアンタだったのね。ミサト」
「スミレ……」
そこにいたのは、カナタと同じく仕事の同僚である桜井 美里だった。髪で隠れて目は見えないが、恐らく涙目になっている事だろう。
あたしは、ミサトの手に小さな小箱がある事に気付いた。
「それ、カナタの退院祝いでしょ」
訊ねると、ミサトは無言のまま頷く。サイドの髪が顔にかかり、なんだか某ホラー映画の井戸女を彷彿とさせて怖い。まぁ、あたしはホラーは大好きだが。
閑話休題。
「どうして中に入んないの?」
「カナタさんが無事にここを出れるのが、何だか嬉しくって……涙が……」
「……アンタね。ンな、刑務所を出る囚人じゃないんだから」
「……それに、」
ミサトは一つ息を呑み、続ける。
「カナタさんが、受け取ってくれないかも、って考えると……何だか怖くて」
……こりゃまた、ミサトが素っ頓狂な事を口走る。
「はぁ?そんな訳な――」
――いじゃないの、と否定しようとして、ミサトの言葉に続きがある事に気付いてあたしは口を噤んだ。
「私は。……カナタさんに嫌われていますから。迷惑だったらどうしよう、って……」
今度は、あたしは否定できなかった。カナタがミサトを嫌い……とは言わないまでも、苦手意識しているくらいは薄々感じていた。
でも、これだけは言える。
「カナタは仲間でしょ。信じてあげなさいよ」
そう、仲間だ。
それがこの場合、よい意味なのか悪い意味なのかは分からない。
だけど、仲間は信じてこそ仲間なのだ。
互いを信用せずに同じ任務を遂行する様な存在は仲間じゃない。それはただの『同志』だ。薄っぺらな絆だ。
「ね、ミサト。頑張りなさい」
「……はい。分かりました」
数度、深呼吸を繰り返したミサトは意を決したのか、ラッピングされた小箱を胸に抱き、病室のドアに手をかける。その表情は緊張に強ばっている。
一方のあたしはと言うと、『人の告白に付き合う友人ってこんな感じなのかなぁ』と緊張感の欠片もない事を考えていた。
まさかこんな気分を現実に味わうとは、侮り難し恋する乙女。
「……行きます」
ミサトが呟く。その声のトーンはあたかも「命ァ盗ったらァ!」と短刀を腰だめに構えて特攻するヤクザの様な雰囲気を醸し出していた。
スッ……とミサトが数ミリ、引き戸を開けた瞬間、
「カナタ〜〜〜〜!!」
あたしの背後から唐突に大声が聞こえ、ミサトの勇気を象徴する数ミリを、いともたやすく開け放ちブチ壊す女性が現れた。
金髪碧眼、白いセーターと紺の膝丈のフレアスカート。身長は一六〇前後、と言ったところか。セーターやスカート越しでも分かる、外国産の身体のラインは、多少自信のあるあたしを軽々と踏みにじった。
「今度はハバネロミルクってジュースと梅ラムネってお菓子買ってきたよ!一緒に食べよ!!」
「またかお前!こないだの苺抹茶のせんべいで懲りろよ少しわぁぁぁぁ!」
カナタの見事なツッコミは、女性に抱きつかれベッドに押し倒された事により悲鳴へと変わった。そんなバカップルみたいな光景を見せつけられ、あたしは唖然としていた。ミサトなんか、彼女にしては珍しい事に、口が半開きで目なんか点だ。めちゃくちゃ面白い顔だ。ケータイのフォトで撮っときたいくらい。
「って待て!ルーナ、そこに友達いるから!ちょっと待て!」
「ふぇ?友達?」
熱が冷めたのか、ルーナと呼ばれた金髪碧眼は入り口に佇むあたし達を見て、しばらく呆けた後、満面の笑みを浮かべ、
「貴女達もいる?梅ラムネとハバネロミルク」
何だかよく分からないゲテモノ駄菓子を勧めてきた。
ふと、ミサトが気になって隣を見ると……あたしは反射的に目を逸らした。不穏、の二文字では形容できない程の怒り――いや、もはや怨念――の渦が巻きおこり、辺りを渦巻いている。
どのくらい凄まじいかと言うと、通路を歩いていた杖のおじいちゃんが急に泡を吹いて倒れる程に。
「か……なタ、さン?」
ミサトの抑揚がおかしい。
未だにドアに掛けていた指に力が込められ、ビギリと嫌な音をたててドアの取っ手にヒビが入る。心なしか、大気が震えている気もする。○ッパとベ○ータが地球に来た時もこんな感じだったに違いない。……どうしてあたしはこんな古いネタを知っているのだろうか、不思議でならない。
とりあえず、あたしに出来る事は一つしかない。
「ミサト……」
ポン、とミサトの肩に手を添え、言う。
「……まぁ、また入院しない程度にね」
その言葉を合図に、
病院の個室に、少年の絶叫が木霊した。
[Jan-08.Sun/11:30]
病院と図書館は割と近く、徒歩五分で辿り着けた。
あの後、ミサトはカナタに半ば投げつける感じで小箱を渡し、そそくさと競歩の速度で病院を後にした。あたしも、ボロクズと化したカナタに合掌し、ミサトに続き、病院の入り口でミサトと別れた。あのルーナという女性からしてみれば抱きつくという行為は挨拶代わりなんだろうが、それにしたってタイミングが悪かったと言うしかない。
それよりあたしとしては、どこであの外国人と知り合ったのかが気になるところだったりする。
(……ん?)
自らの思考に、違和感を覚えた。
どこがおかしかったのかは分からない。ただ、何となく奇妙な感じがしただけだ。
(まぁいいや。それより先に宿題宿題っと)
テーブルに教材を広げ、あたしはまず得意な英語から取り掛かる。仕事の都合により、日本語、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロシア語の六カ国語の読み・書き・発音はほとんど完璧に覚えたあたしにとって、英語は唯一の得意科目なのだ。日本の学校が出す英語なんて、読み書きが出来れば大抵の点数を取る事が出来る。
国語みたく『著者の伝えたい事は何か?』なんて曖昧な問題が出る事は滅多にない。
スラスラと、問題集の答えをノートに書き込んでゆく。英語は、ほんの十五分で終了した。
ここまではいい。順調だ。
残るは現国と日本史なのだが、厄介なのはここからだ。
「……どっちも分かんないんだけど」
赤点ギリギリのあたしにとって、この二教科は魔が棲む羅生門としか言いようがない。
どうしたものかと腕を組み思案していると、声をかけられた。
「あれ、的部じゃん。何してんの?」
振り返ってみれば、そこにいたのは身長一九〇強の大男。
「あ、科野くんじゃないッスか。ちゃッス」
身長一九〇強といっても筋肉質な訳ではなく、全体的に絞られて細い四肢。茶色の髪はオールバックに撫でつけられ、大人びた印象を与えてくるのはクラスメイトの科野 香流だ。あたし・的部 澄澪とは、たまに話す程度の仲である。
「科野くんは、こんなトコに何の用で来たんスか?」
仲間内での乱暴な喋りではなく、努めて人当たりの良い喋りであたしは訊ねる。
「ん、借りてた本を返しにね」
パンパンに膨らんだリュックを叩きながら、科野が答える。見る限り、一〇冊や二〇冊じゃ済みそうにない。
さすが優等生は違いますねというか格の違いを見せつけられて軽く凹みそうですよというか。
「的部は何してんだ?」
「えっと……冬休みの宿題ッスね……」
「……ヤバいのか?」
「アウト気味」
正直にあたしは言う。そこには打算がある。
「……大変そうだから、手伝うよ」
うっしゃ、釣れた!
頭のいい科野がいれば、きっと宿題も早く終わる事だろう。
あたしは媚びる様に科野に笑いかけて礼を言いながら、心の中でほくそ笑んだ。
[Jan-08.Sun/Unknown]
「この街にいる事は間違いないな……」
手の平サイズの方位磁石のペンダントを首から吊した少女は、人混みの中で呟く。
そのペンダントの用途は『あらゆる魔の探索』。色彩は金、術式は道教のサンスクリットの五方位。
その名称は『羅針盤』。
「神聖四文字・ARLT。方角は北の支配者・ウリエル。シンボルである砂によって、我が宿敵の在処を示せ」
プリーツスカートのポケットから、市販の小さな小瓶を取り出す。一見すると星砂の様に見えるが、それはデルポイ神殿の十字中央から拾ってきた砂を、更に清塩で清めた特別な聖砂である。
少女はおもむろに小瓶のコルクを外し、羅針盤の蓋を開けて聖砂を中に流し込む。
その上にそっと、四つの結び目を作った細長い注連縄を置く。東洋の呪詛と西洋の魔法儀式を組み合わせた、なんとも無茶苦茶な術式である。
「我が名、行灯陰陽が命じる」
人混みの喧騒にかき消されそうな、少女のか細い声。
西洋魔術において、名前は重大な役割を示す。
例えば、神や悪魔の名を呼ぶと厄災が降り懸かるという事で、西洋人は神にYHWHと仮の名を付けていた。四文字で表現するテトラグラマトンには神聖な力があり、厄災を防ぐと信じられていた。キリスト教の祈りの言葉で有名なAMENという言葉もその意である。
「鬼を探せ」
少女が呟くと同時に、羅針盤に異変が起こった。
注連縄が磁針に絡みつき方位を示し、聖砂はまるで生き物の様に動く。本来であれば北を指し示す赤い磁針が、聖砂と注連縄により無理矢理に南南西を示していた。
その先に、少女の宿敵であり少女の祖先の天敵である、鬼がいる。
スッ……、と少女が音もなく胸元まで手を挙げると、そこには呪符が握られていた。呪符、と聞くと古めかしい短冊サイズの羊皮紙を思い浮かべる人が多いかも知れないが、少女が握っているのはただのコピー用紙である。
ただ。
そのコピー用紙には梵字で『大鳥』と書かれていた。
呪符を掲げた少女は、黄昏に染まった夕暮れ空を見上げ、言う。
「飛べ(ダドーラージャア)」
すると、コピー用紙に偽りの実体が肉付き、それは鳥の形をして夕暮れの空へと舞い上がり、少女のすぐ上空をくるくると回る。式神と呼ばれる、東洋の呪術である。
「我が使役魔よ。鬼を見つけよ」
少女より命を受け、鳥はどこかへと飛び立っていった。
人混みの中、少女は磁針の示す方向に歩く。気に留める者はどこにもいなかった。
【IMI UZI】
全 長:665/470mm
重 量:3800g
口 径:9mm×19
装弾数:32+1発
製造国:イスラエル
二次大戦後、IMI社が開発した、サブマシンガンの代表作だ。部品の多くがプレス加工を多用して生産性を高めると共に、砂漠での運用を考慮して分解が容易なよう設定されており、イスラエルを代表する短機関銃として世界各国に輸出またはライセンス生産されている。
また、このUZIには銃身を短くする事で携帯性を高めた、UZI−Miniというバージョンもある。